幼少期 1
生まれ直してからの数年間、私は満足に動かない非力な身体を精一杯に動かして、ひたすら状況の把握に努めた。
家族や侍女たちの名前と見た目、それに性格が記憶にある物と寸分違わないことはすぐに確信ができた。もちろん私は前世で十七年を生きたからみんなその分だけ若返っていたけれど、たかだか十七年ごときで人の本質は変わらない。
よちよち歩きができるようになってからは、屋敷の構造や庭の景色を隅々まで確かめた。知識欲に溢れたふりをして、世の中の情勢をいろんな大人たちに訊いて回った。
やはり、記憶の通りだった。
死神時代の知識からして、魂の循環が時間を遡ることは有り得ないはずだった。
それでもこうして、確かに私の魂は十七年を遡り、全く同じ「エルレシア」になったのだ。
記憶が残っていることだけでも起こりえない奇跡なのに、こうして私は私の呪われた生をやり直すことまでも許されたらしい。
そう悟って、私は己が身に与えられた存外の幸福を神───死神と同様、それらも実在する───に感謝した。
私のやるべきことは一つだった。
「お父様!」
「何だい、エル」
「わたし、街に行ってみたい!」
「……えっと? どうしてかな?」
「あのね、会いたい人がいるの!」
「んなっ!?」
トールという名の御者は、まだ屋敷に勤めてはいなかった。
当然だろう、前世の私より少し年上だった程度なのだから、今の時点ではトールはただの少年だ。
いくら私の家が公爵家という高貴な身分であっても、御者という役職の人間は基本的には平民から召し上げられる形で任ぜられる。直接私たち家の人間に触れあうこともない以上、大して血筋や家柄は重要でもないからだ。
もちろん掃きだめのような場所に生まれた人間を召し上げるわけにもいかないから、大体はちょっと裕福な商家の次男坊あたりを探して据えることになる。
つまり、トールを見つけるためには、街に出て、ちょっと裕福な格好をしている男の子に片っ端から尋ねればいい。
そうやってトールを見つけたら、生まれ変わる前に誓った通り、ありったけの恩を返して、そして訊いてやるのだ。「どうして私を愛してくれていたの?」と。
会いたい人が街にいるとはどういうことだ、と目を白黒させて訊いてきたお父様をなんとかなだめすかして、私は屋敷を出て街に遊びに出る権利を勝ち取った。
侍女たちやお父様、お母様にはすっかり「お転婆娘」の印象を持たれてしまっていたから、どこに行くにも監視が付けられるようになってしまったけれど、そんなことで私の心に燃える炎が消し止められるはずもない。
私は街に繰り出して、見かけたそれっぽい子供たちにひたすら訊いて回った。
「ねえ、ちょっといいかしら?」
「な、なんでございますか」
「あなた、トールって男の子をごぞんじ?」
答えは大体芳しくなかった。
尋ねられた子供たちは皆、私───というよりは、私の背後にずらりと控える護衛たち───に怯えてガクガクと首を横に振るばかりだった。
たまに「知っている」と答えてくれる子もいたけれど、次に私が挙げた条件でふるい落とされていった。
くすんだ茶髪で、ちょっとだけ目鼻立ちが歪んでいて、もしかしたら馬が好きな、私より少し年上のトール。
この四つを満たす存在に出会えることのないままに再び数年が過ぎた、ある日。
私はお父様に呼び出された。
「エル?」
「はい、お父様」
「そのだな、お前が捜していたトールという、少年? についてなのだが」
「は、はい!」
こうやってお父様が切り出してくれると言うことは。
「私の方でも捜してみたんだ」
やっぱり。
私が必死になっているのを見かねた侍女や護衛の誰かが上申してくれたのかもしれない。
公爵の力を以てすれば、いくら広い街とはいえども人一人を見つけるのには困らないはずだ。
私の胸は期待で膨らんだ。
「見つからなかったよ」
「えっ」
「トールという名前自体はそこまで珍しくもないから何十人と見つけられたが、茶髪で、目鼻立ちが歪んでいて、お前より少し年上となると一気に数が減る」
「そんな」
お父様は衝撃を隠せないでいる私の頭に手を置いて、慰めるためにだろう、そっと撫でた。
「……夢のお告げでもあったのかも知れないが、いい加減諦めなさい。お前の嫁ぎ先は、しっかりお父さんとお母さんが捜してやるから」
私の心は深く沈んだ。
「諦めなさい」。
それは貴族社会に生きる人間として当然の躾だとは、考えるまでもなく分かっていた。
私は公爵家に生まれた娘で、私という存在には計り知れないほどの価値がある。
いつまでも、いるかも分からない存在、それも平民の男などにかまけている暇はないのだ。
公爵令嬢の街歩きはその日を境に行われなくなり、人々はかの「お転婆令嬢」に何が起こったのかを口々に噂するようになった。
私は屋敷の中で、街歩きに時間を割いていた分遅れていた淑女教育を一通り受けさせられることになった。
当然、私はトールを見つけ出すことを諦めてなどいなかった。
淑女教育は前世で完璧に身につけた知識を以てすればあっという間に修了することができた。子供向けの読み書きや計算は当然のようにこなせたし、茶会やダンスパーティでの作法は少し繰り返すだけで簡単に思い出せた。トールに連れられた旅の経験を思い返せば、ポニー程度簡単に乗りこなすことができた。
そうやって教育をさっさと済ませて空いた時間で、私はひたすら考えた。
どうすればトールと会えるのか。
その頃には肉体の成長に伴って多少頭の回転も良くなってきていたから、私は幼い頃には思いつかなかった様々な可能性に意識を向けられるようになっていた。
もしかしたら、トールは公爵家の治める街からは遠く離れた場所に生まれたのかもしれない。王都で生まれ育ち、王都にやってきた公爵令嬢の御者になった、という展開は十分に起こりうる。
もしかしたら、トールはトールとして生まれ変わってはいないのかもしれない。
私がエルレシアとして生まれ変わったのが奇跡だっただけで、トールも同じようにトールになれたという保障はどこにもない。
もしかしたら、トールは既に死んでしまっているのかもしれない。
進んだ医療措置を受けられる私たち貴族とは違い、平民は少しの病気や怪我ですぐに死んでしまう。前世ではたまたま運良く生き残っていたというだけで、今世のトールも同じように運が良いとは限らない。
もしかしたら───
考えれば考えるだけ生まれていく無限の可能性に対して、私の身体は一つしかない。
限られた力で無限に立ち向かうために、私は一つの仮説を立てた。
『前世と全く同じように行動すれば、前世と全く同じようにトールが私の御者として現れるのではないか』。
一つ間違いないのは、前世の私が王立学園を卒業したとき、トールは私の乗る馬車の御者を勤めていたという事実。
だから、今世でも、全く同じように私が王立学園を卒業したなら、トールは私の馬車を先導してくれているはず。
それは一種の賭けだった。
”自分からトールを捜さなくとも、トールが私のことを見つけてくれる”。
今世のトールが”トール”でないというだけで、簡単に壊れてしまう仮説だ。
それに一歩踏み違えれば、私は再び牢屋に放り込まれてトールの助けを待つだけの存在に成り下がってしまう。
しかし、胸に刻んだ誓いを、私が勝手に裏切るわけにはいかない。
「絶対に、お前を見つけてみせるんだから」
そう呟くだけで、私の心に宿る炎は私に力を与えてくれる。




