蛇足 2
十二歳の誕生日に私はお父様に呼び出され、お屋敷の執務室に二人で向かい合って座っていた。
「エル、今日はお前に大切な話があるんだ」
「はい、お父様」
いつになく真剣な顔のお父様を前に、私はこれからの話題がとてつもなく大きな物になることを悟った。
「お前の嫁入り相手が決まった」
「っ」
きたか、と思った。
跡継ぎたるヴィクターが生まれた以上、私がいつかこのメンツィロム家を離れることになるのは分かっていた。
お父様はその相手をしっかり選んでくれると約束してくれたから、きっと私にとっては悪くない話になるはずだ。
お父様は口を閉じて、私をまっすぐ見つめて、動かない。
どうしたんだろう、と考えて、私はいつものお父様の癖を思い出した。
こういうとき、お父様は質問してくれるのを待っているのだ。
「どちらの御方に、ですか」
訊けば、お父様の顔に喜びの感情が浮かんだ。
「驚け。ディラン王太子殿下だ」
「!」
少しだけ、ほんの少しだけ、そうかもしれない、という期待は持っていた。
ディラン殿下の評判は遠く離れたここ公爵領にまで届いてきていた。
曰く、理知的で、努力を惜しまず、そして人の心をよくよく分かってくださる将来の名君だ、と。
当然、私もそんな御方の妃になってみたいという願望は持っていた。別に不釣り合いでもないだろう、という自負もあった。私は殿下と同じ年に生まれ、家格も最上位。
ただし、婚姻順の巡り合わせが良くなかった。
これまでの慣例に合わせるなら、メンツィロムは現在列の四番目に並んでいた。
仮に国王陛下が男子を四人儲ければ、私はその四男に嫁ぐことになる。
私を継承権第一位の王太子であるディラン殿下の妃に据えるためには、あまりに乗り越えなければならない障害が多すぎた。
それでも、お父様は私を高く買ってくれていた。「お前の相手は立派な人にしてやるからな」というのが最近の口癖だった。
だから、少しだけ、ほんの少しだけ期待していた。
「本当ですか……っ!」
お父様は満面の笑みで頷いた。
「ああ。お前はこの国の王妃になるのだよ、エル」
「お父様っ!」
私はお父様に飛びついて、心からの喜びと感謝を示した。
作法の教師たちに見つかったならば、きっとこっぴどく叱られただろう。
婚約者同士で親睦を深める機会が必要だ、ということで、私は王宮へと向かうことになった。
色々な想像を膨らませながら、しかし万が一にもはしたなく映らないように平静を装い続ける。
「エルレシア様、お手が遊んでいますよ」
「は、はいっ」
そんな気分はいとも容易く作法の教師に暴かれてしまうのだけれど。
しっかりと化粧をして、この日のために特別に仕立てたドレスに一切の乱れがないことを確かめさせて、そして私は顔合わせの場所として指定された王宮の庭へと足を踏み出した。
もし状況が違ったならこの美しい庭を巡ってあれこれを堪能したかったが、当然そんなことをして殿下の気分を損ねてしまうわけにはいかない。
私は庭のただ中にある白い柱に支えられた屋根の下に入り、背筋をしっかりと伸ばして椅子に腰掛けた。
私が席についてから茶器や菓子が運ばれてきて、そして一陣の風が吹いた。
その人は風と共に現れた。
風は、私たちにたくさんのものを運んでくれた。
気づけば私の目からは涙が溢れていた。
殿下の碧い目からも、輝く物が滴った。
「ディラン」
私は懐かしい香りを胸いっぱいに満たさんと大きく息を吸って、そして私の心がそうさせるままに愛する人の名前を呼んだ。
「エル」
遙かな時を共にした、もう二度と会えないはずだったその人は、蘇った記憶にあるままの仕草で、声色で、私を呼んでくれた。
私たちは試練を乗り越えた。
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