10 自然の定義
窓の外の雨は強く叩きつけ、TVの電波も悪くなる一方だ。ソファに座っていたミズナギは火照った体を投げ出して宙を見つめている。
体の奥底で力がふつふつ湧いていた。男の体ではどうしても受け取った力を変換することしか出来なかったが、やっとのことで力を生み出すことが出来ている。
体中を流れる水が波立ち、泡立ち、また静かに水面を広がっていく。
うまくことが進んでいる。ナツキの思考も今は乱れがない、聞こえはしないが……。レイモンドの心境を考えれば複雑だが、今は戻すことに注力しないといけない。
というのも、空を走る光の竜の多さが気になっていた。水の神は加勢としてそれを送ることがあるが、実質、雷はミズナギ、レイモンドと使う事は可能だ。
しかし、あれだけ多くなっているとなると何か異変があるということだ。
地上にいる以上は狩りを終わらせなくてはならない。
ミズナギは指先を唇に当てる。小さく呪いを唱えて息を吹くと、小さな水の塊を生み出した。水の塊の中の気泡が反応するようにくるんと動く。
「見ておいで」
つうっと水は空気中に線を描くとドアの向こうへ消えて行った。
入れ違いにドアが開き、上半身裸のレイモンドが入ってくる。美しい肉体には上気し肌艶は良く、ただ立っているだけでも見惚れるほどだった。
「……戻ったか?」
「はい、ミズナギ様も……お戻りになられましたね」
ソファに座るミズナギを覆うようにしてレイモンドは近づいた。優しく唇を合わせて息を吐く。
「嫌な思いをさせてしまいましたね」
「いや……ナツキはどうしている?」
「今眠っています。後ほど水につける必要はありますが……」
「そうか」
レイモンドは膝をつきミズナギを抱き寄せた。
「……私を許してください」
「気に病むな、それに侘びなければならないのは我だ。お前を使い、ナツキを抱かせた。ナツキにも詫びねばならん」
「……そんな」
レイモンドの瞳が揺れている。ミズナギへの想いに嘘はないだろう、そしてナツキにも惹かれている。嘘はつけない男だ。
「だから早く終わらせよう。ナツキのためにも」
「はい」
「それから……」
窓の外に視線を向けた。叩きつける雨がやかましく響いている。
「どうにもきな臭い。神からは鬼のゲームについては聞いておる。しかし神が加勢するといっても、ああまでは酷くない」
ピシャンと大きな音が鳴り、窓の外が光ると部屋の中の電気が消えた。そしてカチカチとまた電灯が点る。
「……確かに……まるで人を出さないようにしている。私たちも狩りの最中はそのようにしますが、今まさにそれだというほどに激しい」
「今降りている使徒はお前だけか?」
「はい。私だけになります。他の使徒も名乗りを上げましたが……その 」
口ごもるレイモンドを促すと渋々続けた。
「ミズナギ様を探すのにうってつけだと……思ったのです。ですが……それが裏目に出たのでしょうか?」
「どうじゃろうな。我を知る者は多いが、しかし何処にいるのかを知る者はおらんかった。お前は偶然我を見つけたのであろ?」
「はい」
「ならば、色々な偶然が重なっているやも知れん。ナツキの魂といい、我がこの体になっているのも……必然かも知れん。今、水を走らせておる。少し情報が入っておるがまだ解らぬことばかりじゃ。焦っても仕方がないから休息をと思うてな」
ミズナギは両手を広げると拳を握り、もう一度開いた。
「ナツキのおかげで全快しておる。しかし、この手はもう使えん……」
「……はい」
「お前も気付いておろ?ナツキは本来死んでいた。レイ、お前が会ったあの日に、我がいなければ死んでいた」
黙り込んだレイモンドを見て、ミズナギは彼の胸に触れた。
「元々死に近い娘ではあった。だから我はナツキに入れたのだ。神の世界は生とは遠く死に近い。お前との契りがうまく行くのも、ナツキが丁度良い存在であるからだ」
「……理解しております」
ぽつりと呟くレイモンドの服を掴んでミズナギはまっすぐに彼を見た。
「良いか?我が危険であっても、それだけはするな」
レイモンドが唇を噛んで目を逸らす。返答はないが表情がそれだけは受け入れられないと語っていた。
天海は珍しく凪いでいる。釣り船を浮かべてオールを持っていた三号は目の前に座る鳶丸を見た。ゆったりと座り、凪いでいる海を優しげな目で眺めている。
鳶丸は背の高い鬼だ。船に足を折って座っているが余っているのがわかる。
烏の濡れ羽のような長い髪にその下には整った顔がある。骨格に沿って皮が乗っている程度で痩せ細ってはいるが、三号は初めて会った時に綺麗だと思った。
「ん?」
鳶丸は視線に気付くと首を傾げた。
「ああ……すいません。ちと緊張してしまって」
三号はオールを動かすと船を進める。カコンカコンとオールを嵌めた鉄輪が音を立てた。
「……すまなかったな。案内をさせて」
「いいええ」
今朝になって鳶丸が三号の元にやってきた。三号の仕事の代替の子鬼もいたのでこうして船を漕いでいる。たまには違う仕事をするのも楽しい。
ふふと笑うと鳶丸は口の端を持ち上げた。上司の牛丸からは鳶丸は相当恐ろしい鬼だと聞いていたが、一緒に過ごすのは数時間程度だが、厳しさはあれど優しく感じられていた。
天海は地獄と神の国を繋いでいる場所だ。そしてこの下が生者のいる地上になる。天海は地上の海と変わらず、天海の中には神魚もいるし、それを食べることもできる。ちなみに神魚はパサパサした食感で、刺身が一番美味い。
「三号?」
考え事をしながらオールを漕いでいた三号はハッと顔を上げた。
「は!はい!」
その声が面白かったのか鳶丸は口元に手を当てて笑った。
「それで、牛丸が玉を落としたのはどの辺りになる?」
「ああ、はい。聞く所によると、もう少し先ですね。あの小さな岩のあるところです。あそこは魚が釣りやすくて牛丸様のお気に入りです」
指差した先に小さな岩がぽつりとある。
「……けど、天海に落としてしまうと地上に落ちてしまいますから……場所はあんまし関係ないんじゃないですかね?」
「確かにな。今しているのは検分だ」
「検分ですか?」
「ああ、牛丸は玉を落とした事を隠していたからな」
三号は小さく唸ると笑って見せた。確かに牛丸は隠していたし、三号たちにも秘密にしていたのだ。もしかすると減給だろうか……。
確認を終えて来た道を戻る。半分ほど来た頃には空は夕焼けに包まれ始めた。天海の夕焼けがそのまま下へと映るのだ。
それに気付いた時、知らないことを知ることが嬉しかった。
オールを漕ぐ手が少し早くなり、鼻歌まじりになる。いつもならば上司の牛丸が一緒に調子っぱずれの歌を唄い、二人してゲラゲラ笑う所だ。
「夕焼けが好きなのか?」
微笑む鳶丸に問われて、三号は恥ずかしそうに笑う。
「はい、人間の頃も好きでした。まさかこっちに来て、また見られるなんて思いもしませんでしたけど」
「そうだな。……三号よ」
「はい」
鳶丸は自分の長袖をぐうっと上げて真っ赤に染まった腕を見せる。
「俺もお前と同じ、鬼のゲームを勝ち残った者だ」
「ああ……赤い」
この気味の悪い色の腕は鬼のゲームの勝者の証でもある。色が違うのは人間が五色に分かれているからで、殺めた者に影響して腕の色が決まる。
「お前は役に立つと牛丸から聞いている。これから地上へ降りる、お前も来い」
「へ?」
「牛丸には許可は取った。まあ……牛丸は俺の部下だがな」
ふむと三号は頷き、オールを動かし続ける。牛丸が許可したのならいいんだろう。
「あの……私の仕事は……」
「子鬼がしてくれる。奴らも働き者だ」
ああ、と仕事場を離れる時に棒を渡した子鬼を思い出す。子鬼は人間の子供のようだが、子供ではない。地獄に住む子鬼という一族で、細かな雑務を請け負ってくれるありがたい存在だ。口数は少ないがとても賢く、甘いものが大好きである。
「では……お土産など買って帰るといいですね」
三号が笑うと鳶丸は声を上げて笑った。
「そうだな。きっと喜ぶ」
「はい」
「では、このまま天海の端へ向かおう。そこの滝から下へと降りられる」
「わかりました」
ぐっとオールを漕ぐと、潮の流れに乗ったのか速度が上がった。オールを上げて三号は天海の端を見つめた。そこは滝になっている。下へ向かう流れと、上へ向かう流れがあり、今回は下へ進むことになる。
「下は初めてです」
三号は上へはお使いで行ったことがあった。
「そうか。鬼のゲームではその場で地上に飛ばされるからな」
船は潮に乗って下へと降りていく。投げ出されはしないのが神の計らいだろうか。それでも二人は船に捕まって進行方向をじっと見つめている。
下の流れには魚もおり、あれが地上の海に落ちて、見たことのない魚とされているのだろう。
「あのう……聞いてもいいですか?」
「うん?」
三号は少し笑顔を作ると頷いた。
「鳶丸様は何をなさりに地上へ行かれるのですか?」
「ああ、それか。近頃神たちの様子がおかしいのだ。やたらと雲を動かしたがる……鬼のゲームはすでに開始されている。しかし参加した者の補助として神の力は必要だと考えられている。雨がなければ執行者は地上にいられないからな」
「そうですね、水は死者を定着させますから」
「よく分かっているな。でもそれにしては多すぎる。俺達、そして神すら知らない何かが関わっているのかもと言う話になっているらしい」
「……そうなのですか。鬼神様たちは神様とお話はされているんでしょうか?」
「ああ、それは間違いない。けれど……神達の話合いにはそれに該当するようなことは出なかったのだと。互いにルールを持ってやる、それが定義なのだと」
「わかりました。私もお力になれるよう努力します」
鳶丸は笑うと赤い手を伸ばして、三号の頭をワシワシと撫でた。




