第16章:巨大な影の代償
袁紹との同盟を結んだ張繡軍は、官渡の戦いが本格化するのに伴い、袁紹の本隊に合流すべく北上した。張繡も、彼の配下の将兵たちも、意気揚々としていた。天下最大の勢力の一翼を担い、宿敵・曹操を滅ぼす。その輝かしい未来を信じていた。
しかし、袁紹軍の巨大な本営に到着した瞬間、その高揚感は冷や水を浴びせられたように消え去った。
「……これが、天下を治める器か」
袁紹との初対面を終え、自陣に戻った張繡は、吐き捨てるように言った。賈詡も、その隣で黙って頷くしかなかった。
袁紹は確かに名門の気品を漂わせてはいたが、その態度は尊大で、張繡のような新参の将を見下しているのが明らかだった。さらに深刻なのは、その幕僚たちだった。軍議の席では、郭図や審配といった参謀たちが互いの派閥の利害をかけて激しく対立し、袁紹はそれをまとめきれずにただ右往左往するばかり。建設的な議論は何一つなく、ただ足の引っ張り合いが続くだけだった。
張繡や賈詡が懸念した通り、張繡軍は軽んじられた。彼らは何の援助もなく後方から曹操を奇襲する前線基地としての任務が与えられただけだった。
「貴殿らは南にいるという来た地の利がある。曹操の背後を突き、許都近辺を荒らし回るのだ。そうすれば奴は必ずや動揺し、官渡の前線は崩れるであろう」
聞こえは良いが、それは事実上の「捨て駒」宣言であった。補給も、援軍の約束もない。ただ、敵地の前線で孤立し、曹操軍の注意を引きつけろという無謀な命令だった。
「話が違うではないか!」張繡は使者を出し何度も袁紹の本陣に掛け合ったが、返ってくるのは「大局を見よ」「貴殿らの武勇を信じている」という空虚な言葉だけだった。
賈詡は、この状況が何を意味するのかを正確に理解していた。
(我らは、曹操という虎を狩るための「餌」にされたのだ)
袁紹にとって、張繡軍は曹操の戦力を分散させるための便利な道具でしかなかった。たとえ全滅しても、袁紹本体の痛みにはならない。むしろ、曹操軍に少しでも損害を与えられれば、それでよしと考えているのだろう。
後悔はすでに遅かった。一度回り始めた巨大な歯車は、もう誰にも止められない。
張繡は屈辱に耐えながらも、命令に従い、曹操軍の背後を突くべく北上した。しかし、曹操という男が、自らの背後を無防備に晒しておくはずがなかった。
張繡軍が進んだ先には、曹操が周到に準備した完璧な罠が待ち構えていた。
夏侯惇率いる精鋭部隊が、隘路で張繡軍の進軍を食い止め、その両側面から于禁と楽進の部隊が猛然と襲いかかってきたのだ。
「敵襲!罠だ!」
陣形を整える間もなく、張繡軍は三方から包囲され、一瞬で大混乱に陥った。
「ひるむな!本陣に伝えよ、すぐに援軍を!」
張繡は必死に指揮を執るが、約束されていたはずの袁紹からの援軍は、一向に現れる気配がなかった。彼らは初めから、張繡軍を助ける気などなかったのだ。
「裏切られたのか……!」
張繡の絶叫が、血と鉄の匂いが渦巻く戦場に響き渡る。
四方から殺到する曹操軍の兵士たちに囲まれ、次々と倒れていく部下たちを見ながら、賈詡は自らの選択が招いた、最悪の結末を悟った。
(結局、これか……)
劉表を頼れば、その死によって滅びる。
袁紹を頼れば、その器量の小ささによって捨て駒にされる。
どちらも、他者に依存した、誤った選択だったのだ。
彼のすぐそばで奮戦していた張繡が、数本の槍に体を貫かれて馬から落ちるのが見えた。その主君の亡骸に、曹操軍の兵士たちが容赦なく群がっていく。
賈詡の体にも、背後から突き出された刃が深々と突き刺さった。灼けるような痛みと共に、彼の膝が折れる。
冷たい土の感触が、彼の頬から全ての感覚を奪っていく。
今度こそ、間違えない。
その強い意志だけを胸に、賈詡の意識は絶望的な闇へと沈んでいった。
もっと深く歴史のifで考えると、袁紹が勝っていたかもしれません。
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