第13章:武装輸送の奇襲
ハッと目を開くと、そこは再び、激昂する張繡のいる幕舎の中だった。
(怒りを使い、典韋を戦う前に殺し、曹昂を欺き、そして曹操の油断の懐に、刃そのものを送り込む)
一度の、しかしあまりに濃密な死の経験を経て、賈詡の思考は極限まで研ぎ澄まされていた。ついに、彼は常人には思いもよらない、奇想天外な策に辿り着く。それは、敵の心理の盲点を突く、一世一代の賭けであった。
彼は張繡に対し、曹操のもとへ赴き、こう願い出るよう指示した。
まず、軍の駐屯地を移動させたいので、曹操軍の陣営内を通過させてほしいと申し出る。
さらに、こう付け加えるように言った。
「輸送用の車が少なく荷が重いため、兵士たちには、鎧を着用したまま移動することをお許し願えませんでしょうか」
武装した軍隊が、敵陣の中を通過する。しかも、いつでも戦えるよう鎧を着たまま。常識で考えれば、許可されるはずのない、あまりに不自然な要求だった 。
だが、賈詡の読み通り、完全に油断しきっていた曹操は、この奇妙な申し出を何の疑いもなく許可してしまった 。降伏したばかりの張繡が、自分に逆らうはずがないと、高を括っていたのだ。
翌朝。
完全武装した張繡軍の兵士たちは、整然とした隊列を組み、堂々と曹操軍の陣営の中へと入っていった。曹操の兵士たちは、その異様な光景を、ただぼんやりと眺めているだけだった。
そして、部隊が本陣の中枢に差し掛かった、その瞬間。
賈詡の合図と共に、兵士たちは雄叫びを上げて、突如として周囲の曹操軍に襲いかかった。
「なっ、何事だ!?」
「敵襲!敵襲だ!張繡が裏切ったぞ!」
陣営のど真ん中で起こった反乱に、全く備えのなかった曹操軍は大混乱に陥った 。昨夜の酒が抜けきらぬまま寝ていた兵士たちは、武器を取りに行く間もなく斬り伏せられていく。幕舎は次々と炎上し、黒煙が空を覆った。
「者ども、続け!曹操の首を獲るぞ!」
張繡は馬上で槍を振るい、本陣へと殺到する。その凄まじい気迫の前に、曹操の兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うだけだった。
だが、その殺到する津波を、たった一人で食い止める巨岩がいた。
「―――この悪来、典韋ある限り、殿の寝所には指一本触れさせん!」
本陣の入り口で、典韋が鬼の形相で立ちはだかった。彼は愛用の双戟を奪われていたが、構うものかと、敵兵から奪った長剣を両手に握りしめている。その体からは無数の矢が生え、鎧は返り血で真っ赤に染まっていたが、その歩みは少しも揺るがなかった。
「ひ、ひるむな!かかれ!」
張繡の兵士が殺到するが、典韋が振るう剣の一閃で、数人まとめて斬り捨てられる。
「雑魚が!貴様ら百人が束になろうと、俺の敵ではないわ!」
まさに鬼神。だが、その鬼神もまた、無尽蔵ではなかった。体からは夥しい血が流れ、その動きは徐々に鈍くなっていく。それでも彼は倒れない。背後で、主君である曹操が逃げる時間を稼ぐために。
やがて、四方から突き出された槍が、ついに彼の体を貫いた。
「ぐ……おぉ……!」
典韋は膝をついたが、その目はまだ死んでいなかった。彼は自分を刺した兵士たちを睨みつけ、最後の力を振り絞って吼えた。
「……俺の死に様、地獄で自慢するがいい……!」
その言葉と共に、彼は前のめりに倒れ、絶命した。最後まで、本陣の入り口を塞ぐようにして。
その頃、曹操は数人の護衛と共に、裏手から必死に馬で逃げようとしていた。しかし、そこにも追手が迫っていた。
「父上!お逃げください!」
その声と共に、曹操の馬の前に躍り出た若武者がいた。長子の曹昂である。彼は、自らの馬を曹操に差し出した。
「昂!何を!お前はどうするのだ!」
「私は、まだ戦えます!ですが父上は天下のために生きねばならぬ御方!この馬で、早く!」
曹昂の体もまた、すでに満身創痍だった。それでも彼は、父を逃がすために、自らが盾となることを選んだのだ。
「愚か者!お前こそが、我が跡継ぎぞ!」
曹操の悲痛な叫びも虚しく、追手の兵士たちがすぐそこまで迫っていた。
「父上、ご武運を!」
曹昂は曹操を無理やり馬に乗せると、その尻を強く叩いた。馬が駆け出す。それが、父子の今生の別れとなった。
「張繡め……!よくも我が息子を!」
曹昂は、父の背中を見送ると、自らは剣を抜き、追手へと単身斬り込んでいった。その鬼気迫る戦いぶりに、追手の足が一瞬止まる。だが、それも束の間。彼は無数の刃を浴び、父が逃げた方角へと倒れ込んだ。
命からがら炎上する陣営から脱出した曹操は、振り返らなかった。いや、振り返れなかった。
息子の死、甥の死、そして最強の護衛の死。一夜にして、彼はかけがえのない宝を三つも失った。これは、彼の軍歴において、そして彼の人生において、最大級の敗北となったのである。
曹操に勝ちました!
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