黒幕は誰か
騎士団の用意した診療所の後方にあるテントは、点滴や、薬の定期的な投与、動けないほどの重症患者が優先して運ばれる。骨折だの、切り傷だのは基本的に処置をしたら各自のテントで療養し、手に負えないレベルの重症患者はポーションを口に突っ込んだ状態で、病院のあるオリキオへと緊急搬送されて行く。
つまり、病院へ行くほどではないが、寝込んだりするレベルの傷、というのがこのテントに寝かされている者達だ。
ガッファスは、あの夜に片腕を丸々凍らされた。その後、解凍したはいいものの何万もの針を刺したような痛みに襲われ、完全に使い物にならない位傷ついた腕を、騎士団の助言もあり、肩から切り落とす事になった。担当した衛生兵の話では、破壊する事が目的の凍らせ方、だったらしい。
その後は焼けた鉄を押し当てているような痛みと熱に苦しめられ、太陽が何度昇って沈んだのかもわからないくらい、眠りと覚醒を繰り返した。眠ると夢も見ない位に早く目覚めるのに、寝ようとすると、寝付けない。なんせ起きている時は、心臓の鼓動にあわせて傷がジュクジュクと痛むのだ。本当は悪夢を見ているのでは、と思うくらい、辛い時間であった。
ただ、ガッファスは腕を失った事自体は嘆かないようにしていた。なぜなら本人の意識が無かったとはいえ、腕を凍らせたのはシトリだからだ。これから冒険に出ようと思っていたところなのに、と文句を言おうと思えばいくらでも言えるが、彼女の事を考えたら、そんな事はできない。その彼女に向けた意識が、心と肉体、両方の苦痛と戦う糧となったのだ。
だから、見舞いに来た両親にも、申し訳なさそうなアーデインにも、大丈夫と笑って答えられたのだ。本当は辛いが、いっその事義手にしてしまおう、と今では思っている。
デュナミスを使った義手は、使いこなせば便利だと聞いた事がある。こんな事くらいで、夢を諦めてたまるか。そのくらいの気持ちだ。
物事をポジティブに考えると、不思議と傷の具合も良くなり、ガッファスは痛みに悩まされながらも少しずつ睡眠時間が延びているのを実感していた。そして、なんとか歩けるくらいにまで回復し、災害発生の三日目の今日は、住民向けのテントの方へと移動する取り決めとなった。
(といっても、薬もらったりなんだりで昼くらいまで待たなきゃ行けないんだけど。ほんと、これがさぁ…)
ベッドに腰掛けた状態で思考するガッファス。彼の前には、『おとなりさん』がいる。
「辛いよねぇ、こんな所で何日も寝てるなんざさ」
おとなりさん。その人の種族は人間で、しかも女性なのだが、ガッファスが起き上がれるようになると、まっさきに吊り下げられたカーテンを取っ払い、向き合うようにベッドに腰掛けて、朝早くから話しかけて来ているのである。
丸渕の眼鏡に白髪交じりの茶色い頭髪。頭に底の浅いシルクハットを乗っけて、あまりこの辺りでは見ない形状の、布のコートと、ロングスカート。全体的に色は地味なくせに、薄手のコートや、スカートに描かれた、雅やかな絵柄が、不思議と目を引く奇妙な雰囲気を作り出している。体全体から立ち上る香りは、切り出したばかりの木の香りだ。
本人はその服の事を『ワフク』とか言っていて、『ワヨーセッチュー』という着こなしなのだと言っていた。病人の眠るテントだというのに、やたら細長い煙管を堂々と吹かしている。しかも、換気のためと言ってテントの壁面一部を切り裂いて窓を作っているのだから、なんとも性質が悪い。まるで自分が世界の中心にいる、とでも言うような横暴さである。
見たところ、彼女に怪我らしい怪我は無い。他の患者のためにも、さっさと出て行け、という感じだ。
「運んできた荷物はオジャンだしさ、こう何日も足止めされたら商売上がったりってもんさ。時は金なりって言葉知ってる? 時間を売れば金になるって意味。いやはや錬金術とやらは面妖よなぁ」
落ち着いた声で語り、木の香りのする煙を楽しむおとなりさん。うまそうに吐き出した煙が失礼にもガッファスの体を包み込むが、切り出したばかりの木を思わせる、タバコとは思えない匂いに、なんとも言えない表情をする。
「……あんた、何が悪くてここにいんの?」
「見てわからんのかい? 頭さ」
「………」
「頭の中身さ?」
いざ会話をしようとすれば、こんな風に対応に困る自虐するのだから、やり辛い。
「頭だけじゃないさ。目も悪い、肺も悪い、腰も悪い、運も悪い、商売の腕も悪い。悪いもんばかりさ。自慢できるもんなんて、一つも無いのよ。だから治して頂きたいと思ってるのさ。なのにどれだけ悪いって訴えても、取り合ってもくれない。いつになったら『あっち』の番になるのさね?」
この女性。自分の事を『あっち』と言う。ガッファスは最初どこの方角を示しているのかと思ったが、彼女の故郷の一人称、らしい。
それはそれとして。
「…つまり暇人なんじゃん。おいら、ここは怪我人とかが来る場所だと思うんだけど」
「あっちは怪我人さね。いつだって腫れ物扱いさ? 腫れてるところはこの胸だけども、塗り薬も塗ってくれないのよ」
と、おとなりさんは、たわわに実った果実を手で揺らしてみせる。白髪こそ混じっているが、年齢を聞かれたら答えるのが難しいくらいの、若い人間の女性。目のやり場に困り、ガッファスは、誤魔化すように枕の傍らに畳んであった上着を手にする。氷の塊が残るファソリの町を抜けてくる南風は、少し冷たいのだ。
「あっちが手を貸そうか?」
「や、いいよ」
これからこれが日常になるのだ、とガッファスは試行錯誤しながら、ジャケットに残った右腕を通そうとして、通せなかった。おまけに右腕を通しただけでは肩にかけられないことに気がつき、一度脱ごうとする。左肩をかけて、右腕を通せばいいのだと考えたのだ。
それをおとなりさんが、さり気なく手を貸し、柔らかい手付きで肩にかけてくれた。
「強がる事はないさね。腕を欠くってのは、そっちが思ってるよりも不便なものさ。慣れるまでは素直に助けを請いなさいな」
「……どうも」
そっけなくお礼を言うと、彼女は煙管を咥えたまま、上品な笑みを浮かべた。
(…なんだかお婆さんみたいな笑みを浮かべる人だな)
大変失礼な思考である。
彼女はベッドに戻り、煙管を持つ腕に肘を差し込んで、自分で作った窓に向かって煙を吐き出す。憂いに満ちた横顔や、この辺りではまず見ない風貌に、ガッファスはなんだか一枚の絵画を見ているような不思議な気分になった。まるで、この世界の住人ではないような人だ。
再びベッドに座り向かい合って、明らかな暇人である彼女に質問を投げてみる。
「旅人なんでしょ。どこから来たの?」
「南の方からさ。その前は西から。北に、また西。その前はずっと東さね」
「一番最初はどこだったの?」
「海の向うさ。閉ざされた国よ。窮屈だから飛び出してやったのよ」
「旅の目的とかあるの?」
「あっちは冴えない商い人さ。物を買って次の町で少し高く売って。そうやってコツコツ稼いでたのよ。昔からね。夢があるわけでもなし、食い扶持が稼げりゃ、ソレでよかったのさ。こっちの大陸に興味が出たのは、もう十年も前になるのよ。渡ったのはずっと後さね」
ぽつぽつと話すうちに、ガッファスは彼女の話に引き込まれて行く。
「どんな物を扱うの?」
「つまんない道具達さ。誰かの手放したモンを買って、荷馬車でカラコロ引っ張って、ほしい人に売る。条件さえ合えばなんでも買ったし、なんでも売ったさ」
「条件って?」
「道具ってのは不思議なものでさ。一つ一つ物語があるのよ。あっちに売る人がどんな思い出を、その道具と作ってきたのか、それを聞かせて貰うのが、あっちが買い取る条件さ。そして、買いたいという人には、その話を聞いてもらう。これが条件さね」
「覚えてる話でどんなのがあるの? なんでそんな事をするの?」
「覚えていない話なんてないさ。悲しい話、楽しい話。なんでもあるさ。こんな事をするのは、エゴ、ってやつさね。ただ日銭を稼ぐより、そこに自分を通しながら稼いだ方が誇りが持てる物なのよ。そうやって稼ぐと銭を大切に使うようになるものでさ、日々生きてると実感するようになるのよ」
「お金を稼いで何かしたいことってある?」
「これといっては…いや、あえて上げるならば、これを続けていきたいと思ってるね」
灰を落とし、燻る火を革靴で踏みつけて消す。後には少しだけ焦げた青草が残った。
「あっちにとって、道具を売り買いするのは本を読み、誰かに聞かせるのと同じなのよ。それが楽しいのさ。そんなあっちが旅で知った事を、一つ助言として聞かせようじゃないさ」
煙管の雁首を向け、老獪な雰囲気すらある彼女は背筋を正したガッファスに、告げる。
「ひろいモンは、しなほうがいい」
……?
一体どんな事を語ってくれるのかな、と思っていたガッファスは、そんな言葉に愕然としてしまう。
「そ、それだけ?」
「そうさね。もう少し話そう」
煙管を指に挟んだまま腕を組んだ彼女は、不敵な笑みを浮かべて語る。
「いいかい、ひろいもんってのは良くない。それはどんなもんでもだ。いやなに、ただのゴミ拾いってんならいい。でも自分のモンにするのはだめなのさ。例え誰かが捨てた不要なモノでも、持ち主不明ってのは気もちわるいものよ。何よりモノには魂が宿るもんさ。魂の宿ったモンは粗末に使われたなら災いを、丁寧に使われたモンなら幸福を与えてくれる。持ち主限定でね。だから道具を手放すなら道具屋が一番ってもんさ。ちゃんとお別れを告げるのを忘れずにするのが、良い道具の巡り方なのよ」
「…それは、誰かから聞いた言葉?」
なんとなくそう感じ、ガッファスが言うと、彼女は頷く。
「どこだかの雑貨屋が語っていた事さ。あっちも意味はわかって言ってるから、半々という事にしておいておくれ。案外あっちが最初に言った事が、巡り巡ってその人に伝わったのかもねぇ……世の中運命の糸とやら複雑に絡み合い、故に望めばいかなる運命も手にする事ができる……流されているのか流しているのか、いやはや現とは飽きぬものよのぅ………おや、お客様のお出ましのようさね」
彼女の言葉に振り返ると、入り口ではまさに、一人の女性が姿を現した所だった。
甲冑に身を包み、背中には純白の翼。手には槍を持つ女性。おとなりさんとはまた違った意味で、別世界の住人である、威圧的な雰囲気を持つ長身の人物。
(すっげー綺麗な人……てかあの槍ぼんやり光ってるってことはデュナミスじゃん…めちゃくちゃ綺麗ってか、どんだけ育ってるんだろ…てか翼すげぇ。洗うのとかどうすんだろ)
初めて見た種族にそんな感想ばかり浮かべていたが、ガッファスは、絶世の美女とも言うべきその女性が、エインヘリャルからやってきたというヴァルキリーだと気付き、気を引き締めた
ついに来たか、と。これから聞かれることを予測、答えを反芻して、堂々と答えられるように心構えをする。
どこからがデュナミスの覚醒による魔法装飾で、どこからが槍の素体か判別の出来ない槍を杖のようにして歩み寄ってくるヴァルキリー。鎧の擦れる音一つだけでも、相手がヴァルキリーと思うだけでずいぶんと違う。
本来、町の中や人の多い場所で覚醒状態のデュナミスの武具を持ち歩くのは禁じられている。けど、自分は特別なのだと誇示するように、彼女は実に堂々としていた。
細い目に鉄仮面を被ったような顔がガッファスに向き心臓が止まったかと思った。次元の違う業物となっている槍だけでなく、与えられた使命を遂行する、という確かな意思が、彫像のような彼女の容姿と相まって、逆らってはいけない神の遣いのようだった。
ヴァルキリーとて、人であり、今の時代ガッファスと何も違わないと、頭の中で理解してはいるのだが、実物を目にして、本当は女性の姿をしたゴーレムなのでは、とすら思ってしまう。
彼女はベッドの前で立ち止まり、その後ろで、ヴァルキリーの存在感に隠れて、二人の騎士が背筋を正す。エルフの騎士と、丸い、人間の騎士。ヴァルキリーの存在感の前では、彼等はいないも同然だった。
「…今事件について色々お伺いしたい事がある。よろしいか?」
淡々とした口調に、口の中がからからに乾く。大丈夫、何もやましいことはない。素直に話して、全部あのローブが悪かったと言えば、それで済む。証拠だってあるのだ。テントまで案内して、それで終わり。
深呼吸して、ガッファスはまっすぐにヴァルキリーの顔を見上げて、口を開いた。
「は――」
「いいや?」
…い?
声のした方を向くと、悪戯っぽく、狸のように笑う、おとなりさん。なんで彼女が口を挟むのだ。
「あの?」
ガッファスが問うと、彼女は小首を傾げ、ヴァルキリーの方へ視線を向けた。
「よろしくなんてないさ。伺う事もない。意味のない事をする必要はないのよ?」
(ちょ、何いってくれんの、この人)
なんで煽ってんの、と言いたかったが、ガッファスの気持ちなんて知らず、ヴァルキリーは綺麗な顔に苛立ちの感情を滲ませる。
「…そうだな。何も伺う事はない。疑いようも無い事実しかない。言い逃れはできん」
「いや、話くらい聞いても――」
天井を指していた槍が、動く。それだけで竜が動いたような気配を覚え、身を竦ませた。
竜は敵意を持って差し向けられる。
「ようやく見つけたぞ、黒幕めッ!」
空を切り、穂先が黒幕へと、向く。つまりガッファス――。
「……へ?」
…ではない。
穂先は、おとなりさんの細い喉へ向いていた。
間抜けな声を上げるガッファスをよそに、おとなりさんは楽しそうに含み笑いをし、ヴァルキリーは細めていた目を開き、真紅の瞳で憎らしげに見下ろす。
「何を笑っている…己のした事を理解しているのかッ!」
ヴァルキリーの言葉は自分に向いてるのでは? とガッファスが思っている間にも、話は続く。
「くっく…理解してるともさ。いや、さ。ずいぶん時間かかったのよね。噂に聞く『シグルドリーヴァ』がね」
「この私から巧みに逃げおおせたのだ。誇るがいい。そして罪を知っているのなら早い」
ヴァルキリー、シグルドリーヴァは両手で槍を構え、腰を落とす。
「のこのことよくも姿を見せられたな。いつも通り、さっさと逃げ仰せばよかったものを。貴様相手に捕縛などもはや必要ない…この大陸に蒔いた災厄の数々、その命にて償ってもらう……!」
手に持つ槍から神々しい光のオーラが溢れ出す。ヴァルキリーの気迫と、今にも嵐を呼びそうな槍の気配、いや、魔法の前兆に、周囲が暗くなった。
(あれ、おいらやばくね?)
冷や汗が流れるが、ベッドの端によるのが精一杯だった。
「腸を撒き散らし、亡き者達に懺悔して死ね…『呪縛の魔女』!」
(…魔女?)
聞こえた単語にガッファスがおとなりさんを見る。その直後、草の生えた地面が捲れるほど、ヴァルキリーは強く踏み込んだ。だが。
「闇を呼んではいけない…さ」
槍はピクリとも動かなかった。
陰ったテントの中から無数に伸びた黒い手が、神々しい槍に巻きつき、圧し折らんとあらゆる方向に引っ張っていた。黒い手はそのまま輝くオーラを飲み込み、槍に張り付くデュナミスの魔法陣を蝕み始める。輝く輪が砕け、装飾が剥がれ落ち、槍の本体であろう、木製の柄が見えた。
『夜光ッ!』
槍は強く輝き己を蝕まんとする影を一瞬で浄化した。直後、穂先より巨大な光の塊が現れ、おとなりさんを包み込んだ。蒸発、あるいは爆発が起こる……と、ガッファスも、唖然とする騎士も、直感的に感じた。だが、何も起こらない。
打ち出された真っ白な光はベッドを蒸発させ、そこだけ世界が空白になったような綺麗な丸になって留まっている。光から発せられる熱に、目が焼けそうだった。まるで太陽がそこにあるみたいだ。遅れて目を細め腕で顔を覆うが、始まった変化にヴァルキリーが忌々しげに舌打ちをする。
太陽の真ん中に、インクを染み込ませたような黒い染みが現れる。途端、熱は失われた。
「やれやれ、魔女も甘く見られたものさね……」
染みは光を飲み込み闇となり、朽ちるようどろどろと崩壊し、足元へ広がって行く。
中から現れたのは、おとなりさん。手には煙管をもった、ワフク姿の不思議な女性。何も変わってない。
ただ一つ、白目の部分が黒く染まり、黒かった瞳が、血の様な虹彩に変わっていること意外は。
「それ」
魔女は煙管を振る。彼女の足元に広がっていた闇が水を打ったように跳ね、矢となってヴァルキリーに襲い掛かった。
「なめるな!」
黒の矢は槍の一閃で打ち落とされ、遅れて巻き起こった烈風にテントが引き裂かれ、青空が姿を見せた。ただの一閃、それだけで、騎士もガッファスも、寝ていたほかの患者も巻き起こった竜巻に吹き飛ばされ、テントはグシャグシャになって飛んで行く。荷物が飛び交い、風が止んでから、自分でもいつ墜落したのかわからなかったガッファスは、瓦礫の山から顔を出す。一瞬で出来上がった広場で睨みあう二人は、まったく変わってない。ガッファスはもう、何がなんだかわからなくなっていた。
(え? えぇ? ヴァルキリーはおいらに話を聞きに来たんじゃないの? てか、あの女の人魔女とか言われてなかった?)
ざわめきが人を呼び、出来上がる人込みの中ガッファスは必死に頭を働かせていた。
魔女とヴァルキリーはお互い、縁を描くような動きで相手の出方を伺っている。近すぎた距離が徐々に開き、火も入ってないのに魔女は肘を押さえながら、煙管を咥えた。
「やれやれ。そっちはもう少し賢き者かと思えば、このような場所でおっぱじめるなんざ……怪我人が増えるだけじゃないのよ」
「怪我人など出させん。これ以上はな」
野次馬が増え始める中、ヴァルキリーは鎧に付いた袋から一掴みの硬貨を取り出し、無造作に放った。
どれもこれもが、太陽の光を鈍く反射する金貨。それも、現状最も使用頻度が高く、価値の釣りあがっている『現象操作の金貨』だ。一枚で、一ヶ月は生活できる金額に相当する。
『星芒』
空中を回転していた金貨が粉々に砕け、まさしく星のように輝き、消えて行く。それから一呼吸後、その場で見守る人々全ての胸元で黄金の輝きを放つ魔法陣が浮かび上がり、柔らかい光で体を包み込んで、それが染みこむ様にして、消えた。
デュナミスの支援効果は基本的に、術者と本人には目に見える仕組みになっている。腕を見れば、守護の効果を意味する盾の紋章が、浮かんでおり、守護の強度を示す色彩は最上位の黄金。
「皆、今すぐ離れてほしい。今の魔法はあらゆる衝撃、魔法から身を守ってはくれるが、巻き添えにあって無事である保障はない」
「ふふ、わけのわかっていない者達にそのような事を言っても、パニックになるだけさ」
ガッファスは、二人のやり取りに自分の周りに居る、この場を取り囲んでる全ての人の恐怖が、今にも爆発しそうなのが、手に取るようにわかった。パニックの寸前。
ヴァルキリーが戦う。その意味を、みんな理解しているのだ。今回の事件の犯人か、あるいは別の何かか、色んな考えがあるだろう。
ガッファスは、まだ何も理解できていない。
「何をしている…早く行け!」
ヴァルキリーの怒りに満ちた声に、腰が浮いた。
「動いたら殺す」
魔女の冷たい声に、足が地面に縫い付けられた。
少し前まで、彼女と話をしていたガッファスには、彼女が発した声だと、信じられないくらい冷たい声だった。
「動いたら全員殺す。騒いだら全員腐らせる。一人余さず黙れ。一人外さず、口を閉ざせ。我が名は『ツムギ』。万物を呪い、その想いをこの世に縛り付ける『呪縛の魔女』である。我は物と者を繋ぐ者。物の声を、届ける者」
煙管を一振りすると、彼女の足元に墨のような影が生まれる。影は筆を滑らせたように彼女の足元に円を書き、文字を書き込み、複雑な模様を描き、重ねて行く。何かが起こる予感にさらに人々の緊張が高まった。縋るような多くの目線が、槍を構えるヴァルキリーに向く。武器を構える騎士や、冒険者の姿もあったが、だれも広場の中に入ろうとしない。
「よく聞くといいさ、現の者共。人は生き、いつかは死ぬ。人は生きている時、道具を使う。そして、時間で削られる命は常に身近な道具に宿るのさ。散った命も同じさね。命は絶対に無駄になんざ、ならないのよ。これは、この世の理さ」
魔法陣はさらに大きくなり、ガッファスの足元にも及び始めた。空中にも術式が浮かび上がり、誰かが守護神に祈る声が聞こえた。血のような、空気が火傷でもしたように、誰も読めない文字が無数に空中に浮き上がり、消えて行く。
妖精の血統を引き継ぐコボルト族には、魔力の高まりが、悪しき意志が、痛いほどに肌に感じた。
「命を蓄えた道具は生きるものさ。そして道具もいつか死ぬ。いろいろな事を考えながら、いろいろな幸せを感じながら、死んで行く。そして悔しさもまた同じなのさ。誰もがその声を聞く方法を知らないだけ。だから『あっち』は作ったのさ。そういう魔法を。そしてこの世の理として、書き込んだのさ」
煙管を手の平でもてあそびながら、ツムギは笑みを浮かべる。
「安心するといいさ。この魔法は誰も死なない。誰も殺しやしない。本来聞こえない声を聞こえるようにするだけの魔法さ。皆、大事にしているだろう? 毎日使う食器をさ。みんな大切にしているだろう? 命を預ける武具をさ。なに、何も畏れる必要は無い。呪いになんてならないさ。まぁ少し、愚痴くらいは言うかもしれない。なぁに、こんなのはあっちのサービス、ってやつよ」
「…やめろ」
ヴァルキリーの声が震えている。ガッファスは、自分の傍らに落ちていた母の剣を拾い、強く抱きしめた。
「デュナミスを使うとき、そっちは技を言う…郷に入っては郷に従え。そうさね。この業は――」
「やめろと言っている!」
ヴァルキリーが背の翼をはためかせ、彼我の距離を一瞬でつめる。それよりも先に、書きあがった魔法陣が、水をかけたように…朽ちるように輪郭が崩れるのが先だった。
『愚痴だらけの面談会』
よく響いた声は、真っ黒な砂嵐を呼び込む。
どろどろに腐った魔法陣は黒い砂粒を巻き上げ、たくさんの悲鳴をかき消しながら暴れ回った。ガッファスの耳にバチバチと砂の当たる音が響き、風に乗って聞こえた悲鳴に釣られて声を上げてしまう。痛みは無い、ただ、周りの恐怖にあてられて声を上げたのだ。体を屈めて、耳を塞いで、嵐が過ぎるのを待った。強い意志に染められた魔力の風は、肉体よりも精神を強く揺さぶり、膝から力が抜けてしまう。
風がやんだとき、ガッファスは先程と変わらない、テントの残骸の近くで、蹲っていた。叫び続けて喉が痛く、息が切れて、自慢の耳がじんじんする。
耳が壊れたんじゃないかってくらいの静寂が、怖かった。誰かが息を呑む声に、耳は無事だと、安心してしまう。
顔を上げて、信じられない光景が目の前にあった。あぁ、なんて声が上がっても、仕方ない。
見上げた空に、無数の道具が影を纏って浮いていたのだ。
剣、鎧、槍、弓、弩、ナイフ、盾、槌、戦斧。武器だけじゃない。包丁、鞄、写真機、本、およそ長く使いそうなもの全てが、その輪郭に影を纏った状態で浮かんでいる。珍しいものにはカップなんかもあった。
ガッファスの持っていた、母の剣も例外ではない。空中に佇み、確かに、見下ろしていた。どこか、不満げに。
「さて、誰から面談をしようか」
魔女の声にはっとして、振り返る。魔女は変わらず同じ場所に立っていた。ヴァルキリーは、離れた場所でうつ伏せに倒れていた。手から離れた、神々しい槍。それまでもが、影に覆われて見上げる位置に浮いている。ヴァルキリーが纏っている鎧にも、影はついていた。
「まぁ、こういうものは、代表者から、さね」
魔女が煙管を指揮棒のように振ると、ヴァルキリーの槍が降りてくる。槍に纏わり付いていた影は蛇のような動きで、蔦のように絡まりあい、長身の人間の男を思わせる姿を編み、作って行く。
足が作られると、その影は、人間臭い動きで頭の後ろを掻いて、睨むヴァルキリーに言った。
『あのさ、威厳のためだけにに起こしたままにすんのやめてくんね?』
(……うん?)
だれもがぽかんと口を開けてしまう。影はそんな事はまったく意にせず言う。
『寝てるときすっげーショボイ見た目なのは自覚してるけどさ。戦闘ならまだしも、見栄のために起こされんのは簡便してほしいんだわ。俺様、一日二十三時間は寝てたいタイプなんだよねー』
黒くてわかりにくいが、欠伸をして槍を持ったまま伸びをする影。見守る人々は、ざわめきはじめる。
「え? 見栄?」
「威厳のためってどういう事?」
そんな声が聞こえ始め、ヴァルキリーの顔が見る見るうちに赤くなる。
「う、うるさいぞ! 槍の癖に! お、お前みたいなボロ槍なんかに神聖のデュナミスを宿らせてやってるだけありがたく思え!」
『え? うっわー…そういう事いうんだ……お前がガキの頃から一緒にいたのにさぁ……親父に殴られて泣いたり、俺様の体を押し付けて自分をなぐさ――』
「黙れ黙れ! もういいから寝てろ! それ以上私の威厳を貶める事は許さん!」
起き上がって口元を塞ぐヴァルキリー。だが、やはり影のようでその手はすり抜けてしまう。
『えー? でもせっかくこうして言いたい事言えるしさ、鎧のヤツも言いたい事あるみたいだぜ?』
「…は?」
カチャン。と。
ヴァルキリーの鎧の留め金が勝手にはずれ、彼女の体から離れて行く。離れた鎧は草地を転がって、そのままさらに転がって、黒い影の粒をを集めながら、組み上がっていく。足を覆うグリーヴに至ってはバラバラに壊れて、再構築されて行った。さらに、ゆったりとした服装になったヴァルキリーは、胴体にハーネスをつけており、そのベルトがパチン、と音を立てて外れると、背中の翼と一緒に体から離れてしまう。このことには、見ている者全員が唖然としていた。
なぜ取れる、と。
よく見れば翼は鎧と同色の板から生えており、その板にはデュナミス特有の幾何学模様が浮かんでる。どうやら翼はデュナミスによって象られたものであり、ベルトで固定して背負うもの、らしい。ハーネスに宿らせた翼のデュナミス…といったところだろう。
鎧も翼も、槍も兜も無くなったヴァルキリーは、容姿こそ美しいが、そこにあった神聖さとか、威圧感のようなものは、感じられない。あるにはあるが、ずいぶんと、小さくなっている。
翼もしっかり鎧に組み込まれ、翼の飾りのある兜の下にの影が、ため息を漏らす。
『翼も、威厳のためだけに起こされるのは辛い』
女性型の鎧で、男性の声だった。
「……………だ」
『『だ?』』
ぎゅ、と音がするくらい、彼女は拳を握り締めた。
「黙れええええええ!」
『ぐフッ!?』
全身を使った懇親のアッパーカットが炸裂。顎を見事に捕らえた一撃は、ゼロ距離に居た槍の影の足が浮くほどの威力で、すり抜けるはずの頭部が吹き飛んでいた。
倒れた影を無視して、ヴァルキリーは魔女に駆け寄り、煙管をふかす彼女の胸倉を掴んだ。
「おい魔女…今回は見逃してやるからこのふざけた魔法を今すぐ止めろ」
「えー? 別にとめる必要はないさー? そっちが普段から大事にしないからそんな事をいわれるのさー? デュナミスが道具にかける負担を考えないそっちが悪いのさー?」
「ふ・ざ・け・る・な! 公務以外では休ませているし大事に扱っている! 貴様が言わせているのだろ!」
『あ、俺本音でーす』
仰向けで挙手する槍の影。頭は再生していた。
『あ、翼も本音でーす』
ついでに挙手する、翼の鎧。
「ほう…貴様等、そこに直れ……圧し折り、叩き壊してくれる」
魔女を離して指をボキボキ鳴らすヴァルキリー。影二人は身震いをして身を寄せ合った。彼女達のやり取りに、ガッファスは少しだけ緊張がほぐれた。
どんな魔法なのか、よくわかった。
「…えっと?」
ガッファスも、目の前の剣が何を言うのか不安だったが、剣は静かに下りてくる。とれ、とばかりに目の高さで止まり、ガッファスは右手で鞘を掴んだ。途端、纏わりついていた影が消え、剣の重みが腕に伝わってくる。
「……おりょ?」
何か言われる事を覚悟していたのに、何も起こらない。首を傾げていると、魔女が感心したように声を上げた。
「へぇ……それは文句を言わせないほど道具に信頼されてる証拠さね。ヴァルキリーも見習うといいさ。道具と心を通わせれば、あの子のように何も言われずに済むのさ」
「…忌々しい魔女め。殺してやる。お前達、手伝え」
『なんか直感的にできないっぽいっす』
『同じく』
「使えん奴等だ! コボルト! 貸せ!」
声を荒げるヴァルキリーに、ガッファスは咄嗟に剣を自分の体に抱き寄せた。その様子に、苛立たしげに肩を膨らませた。
「何をしている。魔女は我々の敵だ。ましてやこいつは人に混じり、呪いの道具を売り買いする魔女だ。今件もこいつの差し金に間違いはない。貴様にも心当たりがあるだろう。全ての罪はあの魔女にある」
「……」
ガッファスは、自分の左腕を失った原因となったローブを思い浮かべる。
(確かに心当たりしかないけど、でも、今剣を貸すのと、それとは、別な気がする)
剣を抱いたまま後ろに下がると、魔女はそれが正解とばかりに頷き、満面の笑みを浮かべた。
「このツムギ様が予言してあげようじゃないさね。そっちは将来有名な剣士になるだろうさ。比べ、そっちの名誉は地に落ちる。いや、おちているのさ」
「…勝手な事を言うな、魔女め。貴様、この魔法で何がしたい?」
「何を? あっちの言いたい事はいつでも同じさ。道具を大事にしなさい。でないと、こうなる」
煙管を一振りした直後。宙に浮いていた無数の武具達が、持ち主の前に降り立つ。ガッファスのように何も起こらないのは、見た限りでは誰もいない。
影が人の姿になり、口々に文句を言い始める。
『ここんところ錆びてるの見えないわけ?』
『寝る前に磨くくらいしろよ』
『柄が手垢塗れなんだよ。きったねぇな』
『前の持ち主の方が大事にしてたなー』
『刃こぼれしてんだから鍛冶屋に出せよ』
『売ろうとしないでよ』
『使い捨てだと思ってるだろ』
謝る声、許しを請う声。言い返す声。色んな種族の声が、テント街で広がり始める。まさしく、愚痴だらけの面談会…さらに。
『お前みたいな持ち主必要ない!』
悲鳴が聞こえ、ガッファスはすぐに振り返った。一番近くに居た女性の前では、ナイフを振り抜いた影の姿があった。黄金色の輝きが女性を守り、尻餅を付いた彼女に影はナイフを付きたてようとする。しかしそれも、黄金の輝きに阻まれた。
「ごめんなさい! 護身用に買っただけなの!」
『だけ? だけだと! 見てみろ! ずっと前に水に落としてそのままだったせいで錆び錆びじゃないかあああ!』
ナイフの刃は錆び塗れだった。
『錆って言うのはなぁ! 俺たちにとって病気と一緒なんだぞ! 俺は今すぐ死んでもおかしくないんだ! 俺が死ぬ前にお前を殺す! 俺の、美女の危機に奇跡を起こし、ありがとうと言われてドキドキライフを送る将来設計を壊した罪を償え!』
「ひっ!」
ガッファスは大慌てで腰に鞘を腰に挿し、柄を握って距離を詰めた。両手でナイフを振りかぶる影は、ガッファスに比べれば背が高いが、問題ない。
コボルトの剣術は背の高い相手にも問題なく戦えるものだ。
両足を一閃し、手ごたえを感じられないまま全身を使って切り上げ、胴を肩まで一気に裂く。影の動きが止まり、さらに切りかかるべきか後ろに下がったところで、影は輪郭がぼやけ、消えていった。
握っていた錆びたナイフが落ち、尻餅をついた女性の足の間に落ちる。
「大丈夫?」
手を差し伸べようとして、左手がないのを思い出した。とりあえず剣を収めようとするが、鞘が固定できなくてうまく入らない。危うく自分の腹を刺すところだった。
「ありが――ひぃ!?」
女性が悲鳴をあげ、何かと思えば、落ちたナイフから再び影が生まれようとしている。息を呑んで、剣をたたきつけるが、無駄だった。雲をきるような手ごたえばかりで、すぐに再生してしまう。
「逃げて! おいらがなんとかするから!」
「は、はいいい!」
女性は後ずさりしながらも、すぐに立ち上がって、走っていった。ガッファスはナイフを蹴飛ばし、あちこちで愚痴から、口論になり、持ち主に襲い掛かる影を見た
「おい! 邪魔を擦るな貴様等!」
頼みの綱であるヴァルキリーは、魔女に襲い掛かろうとしていたが、鎧と槍の影が魔女を守るように立ち塞がり、槍の影が素手のヴァルキリーを押してしまっていた。魔女は、その様子を楽しそうに見ていたが、すぐに彼女は背中を向けて、テント街のほうへと足を向けてしまう。ここを去るつもりだ。
「ねぇ!」
ガッファスは彼女に駆け寄り声をかける。振り返った魔女の目は、もう普通のものになっていた。白と、黒の虹彩で、ミステリアスだけど優しい表情。
「お願いだから止めてくれよ。このままじゃ大変な事になる」
「大変な事にしたのさ。そっちならわかるね? 皆、道具に恨まれる事をしているのさ。自業自得というものよ」
「でも、愚痴がどんどんエスカレートして、殺そうとしてるやつもいる」
「殺されればいいのさ。謝れないやつはね。なに、約束をすれば止まる魔法さ。心から約束をすれば、収まる」
彼女は煙管でテントの隙間を指す。そこでは泣きながら土下座をした緑肌のゴブリンがいて、彼の前では影が涙を流しながら消えて行く姿があった。後には短弓が残り、ゴブリンはそれを子を抱き上げるように、胸に抱く。
「…他にとめる方法はないの?」
「ないさ………壊す意外にはね。あっちを殺しても無駄、とヴァルキリーにも伝えておくれよ」
「…謝ればいいんだ?」
「そうさね。でも――」
魔女、ツムギが振り返ったときには、もうガッファスはいない。探してみれば、大斧相手に見事に切り結んでいた。一撃、二撃、体重が乗り、さらに小回りの効く攻撃で、影はあっという間に切り倒された。小さな竜巻のようだ。影が再生する間に、コボルトはオークに説明し、文句を言われ、怒鳴り返し、復活した影相手に謝らせた。戦斧の影は、何点か注文を付け、消えて行く。
「……悪いけども、最初だけさ。何も全部が大事な道具じゃない。大事にしてもらいたいだけのヤツだって、いるのさ」
魔女は歩き出す。己が生み出した異形共が、本格的に暴れ出す前に。
*次回更新は7/21(木)を予定しています。




