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フェンリルさん、おいしそう  作者: ひなみそら
第五話:始点
47/54

月を喰らう者

長いです。20000文字ほどです。

 夏の足音近づく爽やかな青の空を、薄く裂かれた雲が色を引き立てるかのように漂っていた。夜のうちに雨でも降ったのか、洗われた空気は遠くの山の稜線がはっきりと見えるほどに澄み渡り、新緑鮮やかな草原が露に濡れて光を返し、透明な宝石のように輝いてる。

 それだけで十分きれいだと言うのに、訪れた者を魅了するかのごとく、日差しを返して白く輝く、荒削りの巨大水晶が地面から突き出ていた。

 天に届く透明な水晶は所々がひび割れて白い筋が入っているけど、その亀裂で光が反射して水晶全体が光り輝いている。不安定な姿勢で並ぶ水晶の柱は互いに身を重ね合って、歪な形の花を作り上げていた。

 倒れてしまった柱は草原に横たわり砕けてしまっていたり、その根元に寄り添う色あせた町を押し潰してしまっている。

 町は壊滅的な被害を受けている。一目見ればそんな事すぐにわかるのだけど、自然と調和している水晶の園があまりにも堂々と佇立しているものだから、悔しいとか、悲しいとか、そういう感情が芽生える前に、感嘆の息を漏らしてしまった。

 ファソリそのものに愛着が無いから、そう思えるのかもしれないけど。


 一夜にして地面から突き出てきた水晶――人為的な魔法災害によって、ファソリの町の北部には、大小様々な形状のテントが乱雑に並ぶ避難所ができていた。板や箱を使って斜面でも平らに設営されたテント群。その一つから出た私達は、やつれた表情をするコボルトや人間を横目に、遠く離れた別のテントを目指しているところだ。テント街の路地は非常に狭く、人が行き来するだけで精一杯。耳を澄ますとテントの中から呻き声や嘆く声が聞こえてくる。

 少し開けた広場には、大きな鍋があるテントの前で長蛇の列が出来ていた。包帯を巻いた様々な種族や、冒険者風の人達が、白金色の鎧に身を包んだ一団からスープとパンをもらっていた。実をつける大樹に盾の紋章が施された旗を見るに、おそらく国の騎士団か何かだ。

 避難所の様子や、ファソリでは決して見かけなかった騎士団、それに人々の様子から、どうも、今の事態が昨夜の出来事ではない事はすぐわかった。一日か二日、それくらいは経過してるだろう。人々の顔には疲れの色が見える。口を開けばため息が魂と一緒に出てきそうな顔ばかりだ。


「……しぬ……やける……灰になる…」


 炊き出し騎士団がいる広場から抜けると、私の隣を歩いていた少女が呟いた。燕尾服姿の彼女は私よりすこし背が高いくらいだったけど、背中を丸める今はちょっと低いくらい。

「馬…はやくしろです……このままだとあたし、本当にしんじまいます……」

 先導するケンタウロスは半身だけ振り返って、苦笑いをする。

「あー…ごめんよ。もう少しの辛抱だからまっておくれ」

「うぅ…」

 うなだれる彼女は、こうしている間にも元気が無くなって行く。それもそのはず、彼女はヴァンパイア。陽の光を苦手とする種族の中でも、光だけで死ねる器用な種族だ。


 血を吸えないと死ぬ。日光に弱い。鏡に映らない。清流を渡れない。銀やミスリルが苦手。たくさんの弱点がある吸血鬼だけど、千年前の時点でこれらの弱点は『個体によってかなりの差がある』ことがわかっていた。

 私は実物を見たことが無いのだけど、魔王曰く、純血のヴァンパイアは人の姿をしていない。純血種は出生時、赤黒い血の塊のような存在で、時間と共に人の姿を手に入れるのだとか。

 純血種は他者の血を摂取する事でしか生きられず、日の光で体が浄化され、魂の定着が不安定で鏡に映らず、半液状である故に清流を嫌い、体の構築に闇の精霊の力を借りているため、光の精霊が宿りやすいミスリルが致命的になる。

 ヴァンパイアにとって純血である事はあまり喜ばしくない事だった。さらに元々個体数が少ないヴァンパイアは人間や、他の種族と交配を余儀なくされ、そうする事で自分達の力を削り、その代償に生き易い体を手に入れていったのだ。

 千年前の地点で、本当の意味で純粋なヴァンパイアは既に存在していなかった。けど、時代の流れと共にヴァンパイアの思考も変わって行き、一部の村落では、純血のヴァンパイアは神聖視され、ヴァンパイアの性質を色濃く継いだ者同士との交配で血を濃くする事で、純血のヴァンパイアを復活させる事に成功していた。

 ちなみにそれが、魔王が立ち会ったヴァンパイアの出産だった…らしい。その村自体には私も行っているのだけど、出産には立ち会わなかった。興味もそんなになかったし。

 当時の魔王は私に命の神秘について語って見せたわけだけど、私からしたら「え? ヴァンパイアってスライムなの?」くらいの感想だった。スライムよりはずっと高等で、次元の違う生き物らしいけど。

 それはそれとして。


 ヴァンパイアである事はもう疑いようの無い彼女だけど、涼しいくらいの気温の中、額に汗を浮かべたり、苦しげに顔を歪ませる様子から、純血ほどではないけどかなり純血に近いヴァンパイアである事がわかる。ヴァンパイアに限ったことじゃないけど、長所も短所も、血が濃いほど強く影響するものだからだ。あ、髪の毛焦げ始めてる。火が付きそう。

「…帽子くらい持ち歩いたら?」

 煙の上がる毛先を指で押さえて消火してあげた。彼女は縦長の瞳孔をこちらに向け、手を払って嘆息混じりに答えた。

「普段は持ってるんですよ。ただ、ゴタゴタがありましてなくなりました。本当ならこんな礼服みてーなのは着ねーです。普段は日除けのデュナミスで快適生活ですよ」

「ふぅん。パーティでもしてたの?」

「……まぁそんなとこです。その辺りも後で話すつもりですよ。てめぇらがちゃんと話すなら、ですけど」

 テントの影から松葉杖をついた人間の冒険者が出てくる。ケンタウロスは道を譲るために一度立ち止まり、冒険者は軽い会釈をして道を横切って行った。

 歩き出したケンタウロスは、声に疲れを滲ませて言う。

「僕は部外者だから何も言えないけどね。彼らは色々、腹に据えかねてる事もあるみたいだ。かなりピリピリしてるよ。納得のいく説明を求めてくるだろうね」

 少しずつテントの数がまばらになってくる。一度足元が土に変わり、街道を横断するとさらに数が激減し、先日ヒヨコ狩りに行った森が見えてきた。大型のテントが白いキノコのように点々と生えている。なんだかテントの貴族街、といった様子だ。

 私達はその中の、大型テントと中型テントが感覚を開けて並ぶ、森に一番近い場所にあるテントへと案内された。庭と離れ付きの素敵な物件。後ろの森でヒヨコ狩りもできます。

 大型テントに入ると、支柱が多く使われていて、かなり奥行きがある事がわかった。中には寝返りをうてば落ちてしまいそうな細い、折りたたみベッドが六つ、簡単な敷居に隔たれた部屋の中においてある。テントの中心には、折りたたみの長机が二つくっつけて食卓にされていて、私達が目覚めた環境に比べればかなり優遇されていた。さすが高級テント街の物件。

「…んだよ、こんないい物件あんなら最初からこっちで寝かせとけってんですよ」

 毛先を焦がしたヴァンパイアが一番近いベッドに飛び乗る。使った形跡のないベッドは小さく悲鳴を上げて、華奢な少女を弾ませてから受け止めた。そのまま彼女は気持ちよさそうにクッションを抱きしめる。

「災害が発生したのがまだ三日前の夜でね。発生直後から夜明けまではとにかく避難と、重傷者の治療が優先されたんだ。君達二人は外傷こそ軽かったけども、頭を強く打っていたから、テントで安静にしてもらってた。翌日の昼には指揮系統もまとまって、テントの設営や救助が本格化したんだ。それでも怪我人のほうが多くてね。全部には手が回ってない。この大型テントも被害にあった住人がせめて静かに休めるようにって、昨日到着した騎士団の方が立ててくださったんだ。ありがたいよ、まったく」

 ケンタウロスはテントの一番奥まで進んで行くと、そこに置かれた木箱から小さな袋と、金属製の大きな水筒、それにカップを取り出して、机に置いて行く。

 用意したカップは六つ。金属製で割れないやつ。

「…シトリはどうなったの?」

 彼の落ち着きようからあまり大事にはなってないのだろう、と思ったけど、彼は複雑な表情をしながら、デュナミス製の小型コンロに小さな鍋を置く。

「見つけて、保護もしているよ。ひとつ隣のテントで寝てるはずさ。みんな少ししたら集まるはずだから、朝食でも食べながら待ってておくれよ」

 私も机の方に行くと、彼は袋から固焼きのパンを出して私に差し出す。丸パンだけど、手に持った感じが固い、硬すぎる。石かこれは。汁物でふやかしながら食べるもの――いや、噛み応えはいいかも?

 他についたのは干し肉と湯で豆の缶詰。この体始まって以来の質素な食事かもしれない。まぁ、避難生活にしては贅沢な方、だと思う。我慢しよう。

 少しだけがっかりする私を見て、ケンタウロスは肩を落とした。

「ごめんよ。本当は暖かなスープや柔らかい白パンを用意してあげたいんだけど、物資が十分じゃない今は野菜の一つすら手に入らないんだ。せめて紅茶を用意するから、許しておくれ」

 デュナミス製のコンロと小さな鍋で彼は水筒の水を注いでお湯を沸かし始める。ファソリの置かれている状況はかなり厳しいものがあるようだ。

 硬いパンをかじって見るけど、かなり硬い。骨ほどではないけど、味も素朴すぎておいしくない。お腹を満たす以外の目的では食べたくない感じ。まだ骨の方がおいしい。ちなみにまだポーチに入ってる。

「ヴァンパイアの君も食べるかい? それとも血の方がいいかな?」

「……今は血を吸いたくねぇです…同じものを頂けますか?」

 彼女の視線が私に向き、すぐに頬を赤らめてよそを向く。何を思ったのかな? そのまま私の向かいの席に座り、受け取った固いパンを大きな牙で噛み砕き始めた。血だけじゃなくて普通の食べ物も食べるらしい。バリバリと、パンが立ててはいけない音が響く。さすがに吸血鬼なだけあって、顎の力は強く、なかなかのペース。吸血鬼関係ないかもしれないけど。

「さて、みんなが集まる前に確認したいことはあるかな?」

 紅茶の缶を置いて、彼はパン屑をこぼしまくるヴァンパイアに問う。

「そうですね。騎士の連中がいたようですが、町の奴ら含めこの事件はどういう捉え方をされてるんです?」

「まだ日が浅いからなんともいえない。それでも、高位のデュナミスによる人災と断定されてる。調査には『エインヘリャル』も関わってるようだよ」

「「エインヘリャル?」」

 私とヴァンパイアの声が重なる。むっとして顔を見合わせる私達を見て、ケンタウロスは少しだけ口の端を持ち上げて笑みを作った。

「『エインヘリャル』は大陸規模の災害や事件、陰謀に対して動く正義の味方さ。ヴァルキリーとその眷属のみで構成されていて、組織の歴史自体は魔女戦争以前からあるようだよ。実際、魔女戦争の時には重要拠点の防衛に携わっていた、ありがたい組織さ。今じゃ国同士の仲を取り持つ調停者、という立場だけどね。人間同士で争わないよう、戦争の火種を消すのが役目ってところだね」

 エインヘリャル。故郷の遺跡の深部の壁画に確かそんな言葉があった…かな。詳しいことは、兄様でもわからなかったけど。古の時代に纏わる組織という事だろうか? この場合、単純に名前だけを借りてる可能性があるけど、壁画にはヴァルキリーが描かれていたから、無関係ではなさそう。まぁ、どうでもいい事。名前なんて、飾りだ。

「今回の事も他国、もしくは闇の組織による陰謀の可能性があるとして、一人のヴァルキリーが派遣されてきた。住人以外の旅人が留まってるのは、下手に逃げて変な疑いをかけられたくないからさ。エインヘリャルに罪人呼ばわりされた日には、この大陸じゃ生きていけない。国際指名手配、というやつだね」

「そしてその疑いがてめーらの仲間に向くかもしれない、って感じですか」

 彼女の言葉に、え? と声が漏れそうになった。権力ってすごいなーって他人事みたいに思ってたところだから、寝耳に水。しかもケンタウロスも頷きやがった。どゆことなの。フェンリルさん置いてかれてます。

 疑問符を浮かべる私を置いて、話は続いてしまう。

「疑いどころじゃないよ。このままじゃ犯人そのものだ。無意識とはいえこの惨状を生み出してしまった。その人を救おうと僕らは今、それぞれ動いてる。そのためにも君は大きな鍵になるはずだ。違うかい?」

「…違わねーです。だからこそ、お前等の出方次第では敵にも味方にでもなってやりますよ。下手に行動してない事を祈るがいいです」

「僕は半分部外者だからね。彼らはあくまでも救おうと動くだろう。僕もまた調停者のようなものだよ。両者が笑える未来のために同席させてもらうのさ。あぁ、噂をすれば」

 入り口の方を見ると、対照的な二つの影が入ってきたところだった。大柄な肉体を持つオーグルと、並ぶとずいぶん小さく見えるアルビノゴブリン。クライエンとアーデインだ。

 クライエンはやつれた表情で私と、ヴァンパイアの少女を交互に見ていた。アーデインの方は、目を丸くして、すぐに険しい目つきでヴァンパイアを睨みつける。

「おいお前――」

 激しい剣幕で歩み出たアーデインの頭を、クライエンの大きな手が押さえつけた。首が少し沈んで、言葉が途中で切れる。

「待つんじゃアーデイン。話し合いをする前から喧嘩腰でどうする。気持ちはわかるが焦るでない」

 口をきつく結んで、アーデインは手を振り払って不機嫌そうにベッドに腰掛けた。クライエンもため息ひとつついてから、対面のベッドに腰掛ける。先程少女を受け止めていた同型のベッドは何倍もある重みに『ぎゃー』と叫んでるような気がした。少し、歪んでる。壊れそう。

「シトリさんとガッフ君は?」

 慣れた手つきで紅茶を淹れ、配りながらケンタルロスが問う。少し離れてる二人のところには私が持っていくと、クライエンもアーデインも少しだけ表情を和らげて、お礼を言った。彼らの中の私の存在は、それなりに大きいようだ。

「シトリはもう少し寝かせてやってくれんか。目覚めてから一睡もしとらんかったのじゃ」

「ガッフは熱が下がってねぇ。今日辺り、起きれると思うけどな」

 聞けば聞くほど、状況はよくないみたい。ガッファスの事も、少し気になる話。今は黙って話を聞くとしよう。

 席に戻り、皆でほぼ同時に紅茶を口につける。

「…ならこれで全員だね。では僭越ながら僕が状況をまとめさせてもらうよ」


 かくかくしかじか。私とヴァンパイアのために、私が気を失う前の出来事から交えて話し始めたケンタウロスの話は、要約するとこうなった。


・シトラトリ・シトリが失踪したのは、事件当日の昼頃。

・関係者が失踪に気付き、失踪現場と思われるファソリの南の畑に到着したのがその日の夜。

・誘拐の線を疑っていた一行は、突然飛んできたヴァンパイアと接触。直後、紺色のローブを纏った敵に襲われ、迎撃をした。

・クライエンの推測では相手は『呪われたローブ』を纏った狂い人だとされた。狂い人とはつまり、体を精霊や呪いに乗っ取られて、正気を失った者の事。

・敵は短い攻防を繰り返した後、突然大魔法を発動し、ファソリの南部を基点に氷の柱を無数に生み出した。

・空に伸びては倒れて行く柱のせいで町は壊滅的な打撃を受けたが、魔法の反動で弱体化した敵をなんとか捕縛する事に成功する。

・敵の姿を確認したところ、なんとローブを纏っていたのは、探していたシトリだった。


 と、ここまでが起こった事のまとめ。この地点で私が気になったのは、氷の魔法を使うローブ、という点。それが否応なしにフェンリルのローブを連想させたからだ。武器職人で歴史好きのクライエン曰く、本物のフェンリルのローブは存在していない、とされているけど、やはり気になる物は気になる。ただ、私の毛並みは白と灰だったので、そこが少し気になるところ。

 クライエンの方を振り返ると、彼も私と同じ事を考えていたようで、首を横に振ってみせた。わからないのか、否定されたのか、曖昧だけど、精霊が見えるという彼がわからないと言う事は、かなり強い呪いで歪められているのかも知れない。それこそ、色が変わるほどに。もちろん、ただのデュナミスの可能性だってあるけど。


「シトリさんについては正気が戻っているとはいえ彼女が犯人です、なんて言えないからね。匿ってる状況だ。ガッフ君は戦いの最中で片腕を失って、失血と熱で苦しんでる。そして件のローブだけど、今は厳重に保管して、こちらの手にある」

 そこで状況説明は終わったようで、ケンタウロスは紅茶を一口含んだ。どうでもいいけど、まじめに話す彼は違和感しかない。

「さて、騎士団やエインヘリャルがやって来た今、誤魔化し続けるのにも問題がある。そこで知りたいのがやはり元凶のローブについてとなる訳だけども」

 視線がヴァンパイアに集まると、彼女は腕を組んだ姿勢のまま目を閉じ、何か考えているようだった。失った胸元が少し浮いていて、スライムの残骸が染み出しちょっと汚くなってる。そんな彼女だけど、話はいたってまじめなもの。

「…お前達がどんな風にあのローブの事を考えてるか知らねーですが、お前達の手元にある、と言うのなら証拠を見せてもらいたいもんです」

 彼女の言葉にアーデインが苛立たしげに息を吐き出し、ケンタウロスは今にも口を開きそうな彼を手で制す。

「それはそれだけ君たちの機密に関わるから、と解釈してもいいかな?」

「そうですね。誰にでも話していいような事ではねぇです。ただ、お前達が協力的ならこちらも情報の出し惜しみはしません。まずはそれを証明しろ、という意味ですよ。先に言っておきますが、偽物だしたらすぐにわかります。その時は全員首と胴体が生き別れになりますからね」

 なかなか物騒なことを言う。さすが魔族。

 ケンタウロスはアーデインとクライエンを順番に見ると、二人が頷いたのを確認してから、背後の積まれた木箱の中からひとつを抱え上げ、机に置いた。横長く、そんなに高さの無い箱を開けると、そこには紺色をした、星の無い夜空を切り取ってきたような色の布が収められていた。そこからはあまり禍々しい気配、というのは感じない。けど、確かな力は感じた。

 私でもわかる。このローブは今、眠ってる。

 ヴァンパイアは綺麗な爪のついた指で表面を撫で、満足そうに頷いた。

「ずいぶん力を消耗してますが……だからこそ捕まえられたんですね。いいでしょう、お話します。馬鹿にもわかるように結論から言いましょう。このローブは、あたしらのものです」

 告げられた事実に、取り巻く空気が張り詰める。そんな中ヴァンパイアは優雅な仕草で紅茶を一口飲み、パンを齧った。

 パン屑をこぼしながら、彼女は楽しそうに言う。

「やぁん、雑魚から殺意を感じてしまいますぅ。あたしはただ事実を言っただけなんですけどね」

「この事態……お前がわざとやったって言ってみろ。その体に風穴空けてやる」

 アーデインの強い殺気に、彼女はつまらなそうに吐き捨てた。

「は、武器もねぇのに吠えんじゃねぇですよ。ま、安心するといいですよ。そのシトリ、とかいう娘がローブを手にしたのは、偶然です。誰の陰謀でもねぇですよ」

 紅茶を一気に煽って飲み干した彼女は、少し間を空け、ランプの釣り下がる天井を仰いだ。

「そのローブがあたし達の元を離れてしまったのは、もう二年も前の話です。少し治安の悪い町で盗まれましてね。必死に後を追いましたがオークションや色んな組織を渡りまして、その度に死人が出ました。良くも悪くも噂は広まり、そのローブの力を悪用しようする愚か者が絶えなくてですね。噂を追うのは楽でしたが、こちらが追いついた時には持ち主は死んでいたり、強すぎる力に被害を出さないので精一杯だったりしましてね。かなり苦労しました。そして先日、組織に潜入して潰したものの、一足先に一般の商人を介してこの町に運ばれてしまいまして。回収直前に風に飛ばされたんですよぅ」

 ……風に飛ばされた?

「飛ばされて巻き上げられ、畑に落ちたところをシトリさんとやらが拾ってしまって、体を借りられた…というところです」

 シトリが呪われたのは誰かの陰謀、というのを疑っていた私は、あまりにあっさりした理由に呆然としてしまった。他のみんなも同じような様子。

「本来ならすぐに回収して被害も出なかったはずですが、宿主になった彼女があまりにも強くてですね……仲間との波状攻撃で魔法を使わせないのが精一杯でした。おまけに宿っていた魔力も桁外れでしたしね。で、思いっきりぶっ飛ばされて気絶して、後はお前等のご存知の通り、ですよ」

「……なら、ほんとに偶然なのか?」

 アーデインが納得いかないように尋ねた。ヴァンパイアの彼女は振り返りもせずに答える。

「えぇ」

「誰かの陰謀とか組織の仕業とかじゃ、無いのかよ?」

「その手の物はあたし等が全部潰してきました。繰り返しますが、一つ前の組織が、手に入れたものの、扱いきれずに手放し、この町へやってきたんです。恨むんでしたら、とっくに死んでるそいつらと、あの日の風にでもあたって下さい。ほんと、強い風が吹いてましたね?」

「ふざけんなッ!」

 初めて聞いた怒鳴り声に、体が竦んで、持っていたカップで紅茶が踊った。アーデインは肩で息をし、憎しみの篭った目でヴァンパイアを睨みつける。

「偶然? そうかよ偶然かよ。お前、その偶然で何人死んだか知ってるか? 何人苦しんでるか知ってるか? たった一晩で町が壊されて行くのを見て町の奴等がどんな気持ちで見てたと思う? 目覚めたばっかでわりぃけどさ、もう少し考えて言ってくれよ。偶然なんて言葉聞いたら、あいつら、卒倒しちまうぜ?」

 目を赤くし、震える声で怒りを抑えている様子のアーデイン。そんな彼を、ヴァンパイアの彼女は冷ややかに細めた目で見て、低い声で呟いた。

「知ったことじゃねぇですよ。ゴミみてぇな奴等が死んでもこちとら何も――」

 アーデインが荒々しく立ち上がり、殴りかかろうとした。それをクライエンが即座に止め、彼らがそれ以上何かを言うより先に、剣を抜く音が静寂を生み出す。

 ヴァンパイアの喉元に剣先を向けたのは、ケンタウロス。彼はとても険しい目で、彼女を見ていた。

「君がどのような環境で生きてきたのか、僕等は知る術もない。けどね、どれだけ不幸な偶然でも、今回の事に一切君に非が無かったとしても、そのような口だけは利いてはいけないよ。死んでしまった人は死んでしまった人なんだ。戻っては来ない。それに、苦しみは一人一人違う。下らない苦しみと言って吐き捨てるなんて、失礼極まり無い事だ。わかるね?」

「………えぇ、もちろんです。そうですね。今のはこちらも少し悪かったです。謝りますよ。ですが、だからこそ、あえて言わせてもらいますよ」

 ヴァンパイアの彼女は、疲れきった目で視線を空のカップに落として言う。


「このローブに纏わる一人の少女の一生に比べれば、この土地にいるやつ等全員の不幸を足してもまだ足りない。お前等はこんな偶然な不幸ごときを嘆く事ができて、本当に本当に本当に当に本当に本当に当に本当に本当に幸せなんですよ」


「…んだと」

 アーデインが歯を剥く。ヴァンパイアはそこで初めて、彼のほうに体を向けた。

「お前、幸せっていえる場面を思い浮かべる事ができますか?」

「…………なんだよいきなり」

「その子は出来ませんでしたよ。その子の記憶を隅から隅まで確認しても、幸せと呼べる場面は一つもありませんでした。いえ、厳密には一つだけ、確かな幸せがあります。ですが、あたしには、その幸せすら不幸の種にしか見えません。本人が幸せだったと繰り返し語った思い出は、本人を一生苦しめる思い出になりました」

 彼女は立ち上がり、次に剣を下ろしたケンタウロスを見る。

「お前、死んだ人は死んだ人、と言いましたね。よくわかりますよ。その子はあたしの目の前で殺されました。もう戻ってきません」

「……………」

「少女として最悪の仕打ちを受けて死にました。それも不幸な偶然が重なって、です。彼女は殺されました。彼女は死にました。生涯を通して不幸を重ね、生涯を通して不運を重ね、生涯を通してたった一つの幸せで支えられた少女は、たくさんの不幸を幸せと呼んで、死にました。この土地にいる全員に、彼女の記憶を見せてやりたいくらいです。彼女は死んでしまいました。死んでしまいましたが、彼女の中のたった一つの願いが、不幸に高められた純粋な願いは、ここに宿りました」

 ヴァンパイアは木箱のローブに触れ、取り出し、愛しそうに抱き締める。

「どんな気分だと思いますか? 死んでまでモノに宿って、ただ一つの希望に縋るのって。どんな気分だと思いますか? 訪れるはずの幸せを前にして、死にたくないと叫びながら死ぬのって。辛いんですよ。どんなに辛くても泣かなかった奴が泣くくらいには辛いんです。あたしにはそれがわかります。ですから、お前等が言う、仲間の不幸だとか、偶然に対する怒りとか、理解できません。意味ぷーです。顔を洗って出直して来いですよ。生温い不幸に浸かってるんじゃねぇです。もっと絶望してもっと不幸になってもっと嘆いて、彼女の痛みを知れって感じです。それは、他ならない彼女が望みませんけどね」

 僅かな静寂を挟んで、アーデインが幾分落ち着いた声で言う。

「そんな奴の気持ちがわかんなら、尚更理解できるだろ。憧れの冒険者になる直前で腕を失ったガッフや、傷付けたくねぇのに、こんな事態を起こしちまったシトリの苦しみとかさ」

「えぇ、理解できますよ。かわいそうですね。苦しいでしょうね。理解できます。できすぎて、逆に意味わからないです。その程度で何? って感じです」

 今にも殴りかかりそうなアーデインや、彼を抑える手に力が篭るクライエン。対して、あくまでも冷たく、どこかここではない場所を見つめて語るンヴァンパイアの少女。私は、どちらに感情を傾ければいいかわからないまま、紅茶で口を湿らせた。

 クライエンが一度息を吐き出してから、根本的な疑問を口にする。

「お前さん、何者なんじゃ? ただの娘ではないじゃろ。それに、お前さんからは妙なオーラが見える。左胸から、体を取り巻くような妙な流れじゃ」

「おや?」

 彼女は驚いたように顔を上げ、ローブを優しい手付きで机に置く。

「おやおやおや。これは驚きです。魔力の流れが見える奴なんているんですね」

「…今の世の中結構おるぞ」

「まじですか。あぁ、そういえば今日はデュナミスを身につけてませんね。声かけられなかったのってそのせいとかあります?」

「あるじゃろうの。というか、質問に答えてくれるかの」

「えぇ、いいですよ。授業料代わりです。それに、そちらのあなたとも、約束してますし」

 あなた、と私を向いて言った。お前、からあなたにランクアップしてる。いじめた甲斐があったのかもしれない。ふふ――

「まずは自己紹介からしましょう。私は『ハティ』と言います」

「ぶはッ!」

 さらっと知ってる名前が出て紅茶を吹いてしまった。「きったねぇですねぇ」とローブに掛かってしまった飛沫を拭く彼女。激しく咽てしまう。

 え? 今、ハティって言った? ハティ? 私知ってるけど、その名前。千と四百年ちょっとくらい前に、求婚されたけど。聖剣で切り殺された瞬間とか見たけど。どゆこと?

 今すぐ押し倒してそれについて問い詰めると、すごくややこしいことになりそうだ。いまは、むせただけ、と言って誤魔化しておく。

「よくわかんねー奴ですね。えっと、話に戻りますが、正確にはこの肉体の名はユフィールと言います。ユフィールは今、こちらにいます」

 こちら、と指したのは紺色のローブ。私も含め、他の全員が首を傾げた。彼女は理解を待たず、なぜか上着を脱いでシャツのボタンを外し始める。

「ハティはユフィールの体をもらっただけです。本当はもらいたくなんてなかったんですけど、灰にしてしまうのはいやだったので、もらいました。ハティは、これです」

 彼女はなんとも無いように左肩から脱ぎ、ささやかな、断崖絶壁とも、胸板ともいえる左胸を際どい感じに露出させて見せた。そこには普通に考えればありえないものがあり、誰もが目を見開く場面――なのだけど、男連中は自分達で自分の目元を手で隠していた。

「…おい、見ろよ」

 彼女がにこやかに文句を言う。言葉を返したのは、さっきまで怒っていたはずのアーデイン。

「……いや、いきなり脱がれましても紳士としては見るわけにいかねぇって感じでして」

 三人とも口元が真顔で、本気具合が伺える。あ、いや、ケンタウロスだけ指がちょっとだけ開いて見えているみたい。彼は私の視線に気付くと、潔く隠すのをやめた。

「あぁ、際どい感じに隠しててとてもいいと思うよ。膨らみかけもなかなか素敵だと思う」

「そこを見てほしいんじゃねぇですよ馬。ユフィールをあんま馬鹿にすっとぶちコロがしますよ」

「うむ。将来に期待できそうな希望のある胸元じゃの」

「そこじゃねぇって言ってんだろ。お前等どこ見てやがんですか」

「………同情する大きさだ」

「うっせーですよ! どいつもこいつも同じとこばっか見てんじゃねぇです! 女の価値は胸とか言いそうな奴等ですね! お前もなんか言ってくれですよ!」

 む、ついに私にまであたり始めた。羞恥に顔を赤くしててなかなかいい感じです。硬くてまずいパンが進む。ゴリゴリ。

「い、いい顔でパン食いやがりますね……っていうか、見てますよね、これ」

 十分見えてるのに、彼女はわざわざ自分のささやかな胸元を指差して、その異物を強調して見せた。


 そこに刺さっていたのは、二本の杭。


 乳白色をした短い突起、ともいえる二本の杭は、左胸を二方向から心臓を目掛けて突き刺すような形で、深く刺さってた。色白の肌と相まって、あまりに深く刺さっているものだから目立ってもおらず、肌についているだけ、と言われても納得してしまいそうなモノだ。

 ただ、どう見ても魔法的な力の篭ったその二本は深く突き刺さっている。心臓に杭が刺さった吸血鬼……前代未聞。吸血鬼じゃなくても普通は死んでる事態だ。

「…んーよくわからないね。もっと近くでみてもいいかい?」

「やましい気持ちで近寄んな! そっちの二人も来るなです! ゴブリンてめぇさっきまでの勢いはどうした!」

「は、そうだった、おれっちとした事が。あまりの事に我を見失っていた。でもなんだ、この晴れやかな気持ちは…? 疲れが、癒されている…? 荒んだ心、が晴れていく…?」

 美女の裸体には男性の精神を癒す効果があるらしい。

「馬鹿な事いってんじゃねぇですよ。オーグルはいつまで見てやがんですか! もう終わりですよ!」

「いや、おんは単純にどんな仕組みなのかと――あぁ…」

 彼女がシャツを着直し、男共が落胆の声と共に元の位置まで戻って行く。ケンタウロスが「みえた!」とか言ってたけどちょっと意味はわからない。

 三人はそれぞれ元の位置に戻り、アーデインとクライエンは怒った表情と、押さえる手まで再現して、咳払いをする。

「んん、えー……それでその杭が一体全体なんだって言うんだよ」

 いまいち迫力が無いのが残念だと思う。ハティと名乗る彼女は襟を正しながら、舌打ちを挟んで説明する。

「この胸に刺さるのは『支配の双牙』という古の魔道具です。心臓を突き刺した相手の肉体を奪い取る呪具ですね。奪うといっても、この牙に宿る人格、ハティに奪われるので、使用者の自由になる訳じゃねーです」

 …古の魔道具、ね。

「君はその、ユフィールという少女にソレを刺して肉体をもらった、という事かな?」

 ケンタウロスの問いに、彼女は頷いてみせる。

「そうですよ。不本意でしたが、彼女がこの世界から完全に失われるのが嫌だったので、あたしはユフィールの肉体と記憶の全てを受け継ぎました。あたしはユフィールになろうと思えばなれますが、ハティのまま、彼女の体をもらってます。あたしなりの礼儀ってやつですよ」

「……デュナミス、ではないんかの?」

「えぇ。アーティファクトです。魔狼、ハティの牙から作られた特別な、禁忌にも似た道具ですよ。あたしともう一つ、『死我(しが)の首飾り』に宿るスコルという奴がいるんですが、知りませんか? 骨のネックレスつけた奴なんですが」

 またもや知ってる名前が普通に出てきた。スコル、ハティと一緒に私の(つがい)候補として現れた、強い狼。あいつまで魔道具になってるのか…本人かどうかは別として。

「…骨のネックレスってこれか?」

 アーデインが牙を繋げたネックレスを懐から取り出した。うへぇ、普通にスコルも登場。二人ともとっくに死んで、私の中ではそれなりに悲しかった思い出として整理がついてるのに……気軽に出てこないで。

「そうそう、それです。ってなんでお前が普通にもってやがるんですか」

 半眼で睨まれつつも、アーデインは手渡す。質問に答えたのは、ケンタウロスだ。

「暴れてたシトリさんを捕まえるとき、柱が倒れてきてね。絶望的な状況で、誰かが彼女を押し出したんだ。その誰かが、手に握っていたモノだよ。その人は残念ながら…助からなかった。」

「……………そう、ですか」

 彼女は寂しげにそう呟いて、静かに席に座った。スコルが宿るというネックレスを、紺色のローブの隣に並べる。憂いを帯びたその様子に、クライエンが申し訳なさそうに言った。

「その、お前さんの連れのおかげでうちのシトリは助かったんじゃ。じゃからその……」

「あぁ、別に気にしなくていいですよ。あたしとスコルは本体さえ無事なら他人に乗り移ることでいくらでも生き返ります。その度に相手の人生を追体験するので、純粋な人格は薄れてしまいますけどね。スコルの人格はだいぶ前に希薄になりましたから、スコルという自覚を与えるくらいの道具でしかねぇです。でもまぁ」

 彼女は、指先で普通のネックレスにしかみえないそれを愛しげに撫でる。優しげな表情に、少し私の心臓が跳ねた。

「前のスコルとは気があったので、寂しくはあります」

「…ちったぁわかったか、他のやつらの気持ち」

「どうでしょうね。私はユフィールの記憶を継いでます。不幸な経験も全部追体験しました。自分の記憶ではなく、ちゃんとハティとして彼女の事を思い出せば、このくらいどうって事ねぇです。どうって事ねぇので、お前達の今後の予定を聞かせてください」

 今後の予定。ローブをどうするかの予定…でいいのかな。もしもシトリが犯人だって嗅ぎ付けられたとき、ローブの呪いが原因ですって言えるのが、一番いい……というか、そうしないとシトリがつかまってしまう。これだけ大規模な魔法災害を引き起こしたのだから、無罪なんて事はありえない。

 けど、私には、ローブが証拠品として回収されてしまうのは、とても嫌だった。まだ確定したわけじゃないけど、スコルとハティの名前が出て、ローブがあって、それが氷の魔法で…と来たら、デュナミスを使った偽物という線は、その理由を挙げる方が、難しい。


 これ、本物の、フェンリルのローブじゃないの?


 心臓が高鳴ってる。失った力を取り返せることに期待してる。手を伸ばせば届く距離、今すぐそうしたいけど、カップを握ってその気持ちを押さえ込んだ。

 ローブだけじゃない。ハティが目の前に居る。魔王と一緒に故郷を旅立った時についてきた、風の狼、ハティがいる。私の生きた時間に比べればずっと短い時間だったけど、フェンリルを知り、楽しい時間を一緒に過ごした相手だ。道具になって、私を覚えているのか、すごい気になる。

 今は聞けない。アーデインとクライエンがいる。言葉を紅茶と一緒に飲み込んで、我慢しとこう。

「…お前にとって大事なローブなんだろ? それ」

「えぇ。ユフィールが死んでまで呪って、守るくらいには」

 アーデインは、腕を組んで唸り、背中を向けた。

「あー……なら、ちょっくら考え直すわ。単純に突き出すつもりだったんだけどさ。とりあえずこっちの結論が出るまで、持ち逃げとかすんなよ? クライエンもこっちきてくれ。馬は見張っててくれるか?」

「逃げ出す気なんてねーですよ。いまんとこは」

 アーデインとクライエンは毒気の抜かれた顔でテントを出て行く。大きな体が見えなくなる直前、私と目配せしたクライエンは、心配そうに見ていた。やはり、彼もローブについて少し疑ってるのかもしれない。彼の知識では偽物の方が可能性が高いはずだ。ハティとスコルの名前を知らないのなら、半信半疑といったところだろう。心配ない、とだけ目配せして、私は余裕たっぷり…を演出するために空っぽのカップを傾けた。

 二人の足音が遠ざかり、小鳥のさえずりが聞こえ始める。ハティは深く嘆息して、机に突っ伏した。

「はぁあああああ、スコルまた死にやがったんですねぇぇ、ほんといい加減にしてほしいですよ。残されるこっちの身にもなれってんです! ねぇ青髪サド娘!」

「…口には気をつけたほうがいい、ハティ。今に後悔する」

「ハティ『さん』を付けるです。ちょっとおいしいからって調子に乗んないほうがいいですよ」

 彼女にとって心配事がなくなったからか、とってもウザイ顔で煽ってくる。苛立つ私をよそに、彼女はローブを抱き締めて。

「おかえりユフィールぅ…もう離しませんからねぇ」

 などとキスをしながら言う。それ、私のローブ? 元体? ユフィールの呪いが解けたら元に戻るのかな? 私の体に気安く触んな。

 まぁ、今は許してやろう。私優しい。

「ハティ」

「あ? なんですか?」

「本当にあなたは、ハティなの?」

「は? どういう意味です?」

 聞き返されて、こっちが悩んでしまう。千五百年前に死んだ魔狼ハティ・フローズドヴィトニルなの? と聞ければいいのだけど、それはつまり私がフェンリルだって言う事になるので、まだ何も知らないケンタウロスの前で暴露するのはちょっと。

 どうやったら私に都合のいい情報を引き出せるかな、と悩んでいたら、骨のネックレスが目に入った。

 スコルが宿るというネックレス。使用すると、スコルであるという認識が生まれるらしい、アーティファクト。

 体を乗り換えるたびに宿主の記憶を引き継ぐ、と言っていたから、スコルの自我が薄れているのは何度も体を乗り換えてしまったからだろう。同じスコルを保つくらいなら、新しい人格に乗り換えて、知識だけ引き継いだ方がきっと楽だ。賢い狼だった彼なら、たぶんそうする。

 ちらりと紅茶のおかわりを入れているケンタウロスを見る。まだ名前も無いケンタウロス。私に付き従うという、ケンタウロス。

 ふむ。

「そのネックレス。本物だとして、次の宿主ってどうやって決めるの?」

「え? あー…それはまぁ、今までは成り行きで知り合った奴とかに渡して、スコルとして目覚めさせて連れてってましたけど」

「それはつまり、誰でもいいの?」

「…まぁ、そうですね」

 首を傾げる彼女に、私はケンタウロスの方を見て、彼女の視線を促す。

 二人の少女から見つめられて、ケンタウロスが幸せそうに微笑んだ。話を聞いてなかったらしい。

 視線を戻すと、彼女は眉をひそめ、身を乗り出した。

「え? お前どういう事です? ちょっとこのハティ様でも理解できねぇんですが」

 顔を寄せ合ってひそひそ話。

「スコルはシトリを助けて体を失った。名誉ある死だと思う。新しい肉体をあげたほうがいい」

「…いや、いくら何でも他人を指名するのはどうかと思うですよ。なんならお前がスコルになればいいです。そしたら血をねだり放題です。今までそうだったように」

「それはできない。理由はすぐにわかる」

 話を打ち切って、顔を離すと笑顔のまま首を傾げていたケンタウロスが、口を開く。

「あの、なんだか不穏な空気を感じるんだけども、なんだろうね?」

 私は彼に向き直って、まじめな表情を作って、確認をした。

「ケンタウロス。あなたは私に出会った日にこう言った。あなたを好きにしていい、と。今はもう違う?」

「いや?」

 彼は即答した。

「私のおもちゃになる覚悟はある?」

「もちろん!」

 彼は力強く即答した。さすが、信頼できるケンタウロス族。

 私は満足して頷き、ネックレスを指差す。

「じゃこれつけて」

「ちょ、お前ら待つです!」

 両手を双方に向けて、さすがに焦った様子のハティが机越しに私に詰め寄る。

「お前、アレなところがあるとは思ってましたがいきなり何言ってやがんですか! 言っておきますが、気軽につけて外してって出きるような代物じゃねぇんですよ? コレは一度首につけたらスコルとして目覚める、あたしほどの強制力はねぇですが、人生を書き換えてしまうような道具なんです。興味本位なら今すぐヤメロです!」

 興味本位。否定しない。けど、人格を残したままスコルとしての意識が芽生える、というのなら、このケンタウロスは私にとって無茶苦茶都合がいい。だって、この忠誠心のままスコルの認識、つまり私がフェンリルとして認めてくれる訳だ。最高の従者になる。

 なによりその展開、フェンリル様にとって、とっても、おいしいです。

「く、なんか悪巧みしてる気配を感じるです……馬、お前の方も嫌がり、ますよね?」

 私も強制はしたくないから少し不安だったけど、ケンタウロスはさほど悩まずに答えた。

「彼女が望むなら僕は人格なんていらない」

 素敵な顔で。

 ハティは頭を抱えてしまった。

「お前等絶対おかしいです……一応言っておきますが、スコルの性格上、一番新しい人格で生きようとします。つまり精神が同調するので、基本的には身につけた奴の意識はそのまま続くです。人格崩壊はしねぇと思いますよ」

「へぇ、それなら尚更いいよ。そのスコルさんとやらになっても、僕の忠誠心が変わらなければ、僕は彼女についていけるわけだ」

「…それができりゃ大したもんですよ。スコルの唯一残った強制力を退けるって事ですからね。褒めてやりますよ」

 ネックレスを向けられて、ケンタウロスは今度は少しだけ身を引く。強制、という言葉に少し抵抗があるらしい。

「えっと、強制力ってなんだい?」

「それは……」

 いい淀んだ彼女の言葉は、私が引き継ぐ。

「そのローブを正しい持ち主に届ける、でしょ?」

 ハティの目が一杯に開かれた。すぐに目を細めて警戒心が滲み出てくるけど、私はそれが楽しくなる。

「その通りです…が、なぜそれを? 憶測だけで言ってるなら、たいしたもんです」

「憶測だけで言ってる。でも、そうなるとますますソレは本物ってことになる」

 にやにやしながら、私はさらに彼女を驚かすことにした。

「そのローブ、フェンリルのローブでしょう?」

「違います」

 ……あれ?

 え、やだ、恥ずかしい。私の勘違い?

 少し体が熱くなったけど、即答した割には驚いたままの彼女を見て少し安心。彼女はローブを抱き寄せて警戒するように立ち上がった。

「いえ、すみません。あってます。ですがこのローブの名前は『ヴァナルガンド』。フェンリルの別称なんです。でも、だからこそなぜ、これがそうだと知ってるんですか? お前とあたしは初対面です……何者ですか、貴様は」

 ふふふ、動揺してる。ケンタウロスは硬直してる。もう、このまま口で説明しても信じてもらえそう。けど、もう少し私が楽しめるようにしよう。せっかくだし、いじる対象をハティだけじゃなく、スコルにも広げる。

「すぐにわかるけど、証明にはそのネックレスが丁度いい。彼をスコルにしてあげると、すぐに済む」

「…意味不明ですよ。怖いです。そんな事できませんよ」

「でも、あなたの言う強制力があるなら、スコルになった彼から逆に情報を引き出すことも出来る」

「それは、そうですけど」

 再び注目を浴びたケンタウロスは、少し不安そうにしながらも、胸の前で拳を作って宣言した。

「大丈夫、僕はスコルになってもこの気持ちは曲げないよ! 僕の忠誠心はぽる――」

「はいちょっと黙る」

「はい」

 拳を握ったまま、彼は口をつぐんだ。危ない、さすがに名を呼ばれたら気付かれる。まだだめ。整えた舞台を壊すのは、許さない。

「ケンタウロス、あなたはスコルになった時、私の秘密をすぐに理解すると思う。その時、彼女に隠す必要は無い。いい?」

「仰せのままに、我が姫」

「…え? これがスコルになんですか? ちょっとその…キツイです」

 だいぶ後ろに引いてるハティの手から、ネックレスを取った。特に抵抗されずに取れたそれを、確認するように見せても、彼女は特に何もしなかった。私はそのままケンタウロスへ手渡した。

 両手で受け取った彼は少しの間躊躇していたようだけど、最後には私を見て微笑み、細い首にかける。

 骨のぶつかる軽い音を立てて彼の細い首を飾ったネックレスは、特に激しい変化は見えず、ケンタウロス本人も目を閉じたまま黙ってる。魔法陣とかたくさん出ると思ったのに。

「…どんな気分?」

 私が問うと、彼はゆっくりと目を開け、晴れやかな笑顔を見せた。

「最高の気分だよ。たくさんの知識と思い出が頭の中を――心の中を満たして行った。悲しいこと、辛いこと、全部感じたよ。あぁハティ、おめでとう。ヴァナルガンドをようやく取り戻したんだね」

 ハティは複雑な表情でケンタウロスを見て、差し出された手を取った。

「…どーもです、スコル。前のお前が死んだのは残念ですが、今回もよろしくしてくれると嬉しいですよ」

「もちろんだよ。また僕の胸で泣いてもいいよ、かわいい子犬ちゃんめ」

「うっざ! おいお前! こいつ最高にうぜぇです! 今すぐぶち殺してやりてぇですよ!」

 椅子に足をかけてケンタウロスの胸倉を掴むハティ。相性はよくなかったみたいだ。けど、なんでかスコルとなったケンタウロスはうれしそう。

「ハティ、照れなくてもいいよ。前の僕はいくらか寡黙だったようだけど、今ならこの胸に溢れる想いを伝えられる。君はよくがんばってるよ」

 自然な動きで再び手を取るスコル。ハティは目を瞬かせた。

「え?」

「君はきっと僕が新しくなる度に寂しい思いをしてきたんだろう? でも大丈夫、なんど新しい体に移ろうと、スコルはいつも同じように君を見ていたよ。辛くて悲しそうな時も、気丈に振舞っている時も、ちゃんと見て、覚えてる。言い争った事もたくさんあったけど、今では僕は君を大切な友人だと思っているよ。ヴァナルガンドとユフィもこうして僕等の手に戻ってきた。これからは二人で協力してあの方を探すんだ。一人で抱え込んじゃだめだよ。いいね?」

「あ……う…」

 二人のやり取りに笑いがこみ上げ、目をそらしてしまう。私の(つがい)候補として現れた、という過去の通り、ハティとスコルは元々は雄、つまり男だ。性格はだいぶ変わってるけど、今では片方は少女。それが手を取り合い見つめ合って、赤面してる。顔を付き合わせればいがみ合っていた二人だから、それがなんとも、楽しい。まずいパンがいくらでも食べられます。

「お、お前! そんな楽しそうに見てんじゃねぇです! スコルもいつまで握ってんですか! 離せ!」

「おやおや素直じゃないね。女性はもう少し素直な方がいいよね。ねぇぽるたん。ぽる…た…?」

 あ、気がついた。

 ケンタウロスはにやつく私を見て笑顔を固め、そのまま青ざめて行く。パンを齧りながら手を振ってあげると、彼はハティの手を離して後ろに下がり、派手に転び、木箱をなぎ倒して、上ずった声をあげた。

「ぽぽぽ、ポルタ様!?」

「は?」

 ハティがそんな声を上げたけど、スコルは大慌てで立ち上がると、まだ理解してないハティの頭を押さえつけて、無理やり頭を下げさせる。抵抗するハティ。けど、ケンタウロスの腕が何倍も膨らんでそれをさせない。

「ちょ、なにしやがるんですかスコル!」

 文句を言うハティにスコルは声を抑えて言う。

「だめだよハティ! 謝るなら今のうちだよ! この人を怒らせてはいけないよ、いいね?」

「はぁ? 意味わかんねーですよ! ちゃんとわかるように言いやがれ! 馬スコル!」

 二人は頭をあげ、スコルは私に「失礼します」と断ってから背中を向けた。そのままひそひそと会話を開始。丸聞こえだけど。

「あの、ハティ。確認だけど、僕等は元々、誰にヴァナルガンドを届けるんだっけ?」

「それはもちろん、フェンリル様ですけど」

「そうだよね。そのために僕ら苦労したよね。文字通り死ぬほど」

「それで?」

「え? わからないかな。つまりさ、わからないのかな。ここが旅の終着点なんだよ。意味わかる?」

「……えっとぉ…」

 ハティが恐る恐る振り返る。私が笑顔で手を振ると、口の端をひきつらせた。

「いやいやいや、ないないない。おかしいですもん。フェンリル様はもっとこう、残忍な方ですもん。あんなかわいい系なハズねぇです。綺麗なお姉さんですって、何度も予想したじゃねぇですか」

「そうだね。でもそれは理想像だよ。それにおかしくないよ。だってほら、時々子供っぽいところあったじゃないか。雪ではしゃいだり、魔王様に玉遊びしてもらって尻尾振ってただろう?」

「確かにありましたけど、それって関係あるんですか? ねぇですよ。あってたまるかってんです」

「でもさ、彼女『ポルタ』って名乗ってるんだよ。それに僕等の名前知っただけでヴァナルガンドをフェンリル様のローブって当ててるじゃないか。今更これ以上どう疑うっていうんだい?」

「それは、えっと…」

「ハティ」

「ひゃい!?」

 身を竦ませ、ゆっくりと吸血鬼の少女が振り返る。その顔は恐怖に染まってる。いい顔。もっと怖がって?

 私は一杯の笑顔で、確認のための質問をした。

「あなたはハティ? ハティ・フローズドヴィトニル、フェンリルの番い候補で聖剣に切り裂かれた、ヤルンヴィドのハティ?」

「……はい」

 真っ青に青ざめてる。いい感じ。冷や汗と震えも見え始めた。

「私の血は、なんだっけ?」

 笑顔で言うと、震える声で答えてくれた。

「……あ、甘くておいしくて頭がとろけちゃうくらい最高級の血です、フェンリル様…」

「ん、よくわかってる。あとでまたいじめてあげるね?」

「あ、ありがとうございます……よろしくおねがいします…」

「素直でいい。スコル、いつまで背中向けてる?」

「申し訳ありませんフェンリル様」

 きびきびと向き直って、背筋を伸ばす二人。うんうん、悪くない。

 どうやら二人は本物の、スコルとハティみたいだ。色々聞きたい事もあるし、とりあえず、笑顔で私は言った。


「いいタイミングで来てくれたね。ごくろうさま、そしてありがとう」

 

 じわぁ、と二人の目元に涙が滲んだ。

「これから私のおもちゃとなる事を喜ぶがいい」

 笑顔で言うと、二人はどちらかと言えば絶望よりの表情で「ひゃい」と返事をした。

 

 ハティ。月を追う狼。かつて天を駆け、(マーニ)を喰らい月蝕を引き起こしたと言われる狼の末裔は、今日、太陽を追う狼、スコルと一緒に月に追いついた。

 初代のように月を喰らう、じゃなくて、月に食べさせてもらう、という関係になるのだけど。



お疲れ様でした。今回も読んで頂きありがとうございます。まだまだ続きます。


*次回更新は7/9(土)を予定しております。

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