深読み
冒険者組合の建物は、入ってすぐに各種手続きができるカウンターがあって、カウンター脇の短い階段を降りると広い食堂になっていた。円卓がたくさん並んでいるその場所は、ファソリで夜を明かす事を余儀なくされた冒険者で溢れていて、二階の冒険者用の宿も満室になっているらしい。
動きやすそうな衣服に身を包んだ他種族の男女が入り乱れるこの場所で、ほぼ魔族という組み合わせの私達はそれなりに一目を引きながらも食事を楽しんでいた。
「ケッケッケ! なるほど、そういう事か! なら、休業も、仕方ない」
店内は灯り、雰囲気共に明るく、ゴーグルをしたオーク族のグラッツが、シトリが店を休みにした理由を聞かされて、泡立つビール片手に上機嫌に笑っていた。その隣にいるアルビノゴブリンのアーデインは炒り豆を口に運びながら同じくビールを楽しんでいる。
「あの二人、いつかはそうなる、思ってた。めでたい」
「あぁ。たださ、普通の恋ならそれで終わりでも、相手はあのシトリだぜ? ファソリで大人しくしてっけど、あいつバリバリの現役だし、何より決闘とか、な」
「なんだ。決闘?」
「いや、実は――」
ひそひそと耳打ち。グラッツは気の毒そうにため息を漏らした。シトリの強さは周知の事実のよう。
アーデインの横ではガッファスがビールに舌を付けて渋い顔をしている。
「…これ、何がうまいんだ? 苦いだけじゃん…」
子供らしい事を呟いて、思わず笑ってしまいそうになる。私ご機嫌。
「お酒は大人が楽しむもの。子供のあなたには理解できない」
「ポルタ姉ちゃんだって手付けてねぇじゃん」
「まずは食べてから。私はそれからゆっくり楽しむ」
テーブルの上には、昼間の雪辱を果たすためかヒヨコの成体を丸々一匹使った肉やチーズをふんだんに使ったパスタ、焼き魚の大皿やパンの入ったバスケットが肩を寄せ合ってる。どれもクライエンともシトリとも違った味付けで、私は素直に楽しませてもらっていた。
料理に舌鼓を打っていると、ガッファスは私の口元を指差す。
「…おいらの事子ども扱いしてるけどさ。姉ちゃんの方がよっぽど子供っぽいよ。口の周りべたべたじゃん」
「む」
言われてみればそうなってた。舌で舐め取るけど、この姿のベロは長いとは言いがたい。つい服の袖で拭きそうになり、服を汚したくなくて思いとどまる。白系の服だから染みは目立ちそう。素材がいいから洗えば落ちるのかもしれないけど。
と、そこで左隣でスープとパンを楽しんでいたケンタウロスが取り出した布で拭ってくれた。拭き易いように顔を向けると、彼は恍惚とした笑みを浮かべた。
「あぁ、その子供っぽいところもたまらないくらい魅力的だよ。大丈夫、気にせずお食べ。きっとお屋敷のテーブルマナーに辟易としてたんだね。わかるよ、周りを気にしてたらおいしいものもおいしく無くなってしまうからね」
椅子を使わず床に座り込んでる彼はそれで丁度いい高さに――はなってなかった。少し低い気がする。時々、長い体を床に投げ出してるから、通る人から邪魔そうに見られているけど、本人はまったく気にしてない。神経の太いやつだ。
「ん、ありがと。そのスープもおいしそう。一口いい?」
アーデインとは違った世話好きな彼は、私の我侭に喜んでお皿を取った。
「もちろんだよ。ほら、あーん」
「あー…」
自然な動きでスープを私の口に運んでくれるケンタウロス。でも、スプーンが口に入る前に、勢い良く立ち上がり、机に足をかける者がいた。アーデインだ。
「おい馬野郎! なれなれしくそういう事すんな!」
指を指され、甲高い怒声を浴びせられてもケンタウロスはどこ吹く風。私の目の前ではスプーンから黄色いスープがたらたらとお皿に戻っていて、量が減って行ってる。
「ゴブリン。いくら冒険者向けの食堂だからって、さすがにそれはマナーがよろしくないよ。僕はただ彼女の欲求に応えてるだけなのに」
「だからって――そもそもポルタもそういう事――」
「あむ」
「あー!」
顔を寄せてスプーンを咥えて、唇の裏側でスープを口に移し取る。うん、おいしい。舌の上でよく転がして、濃厚なコーンスープなるそいつを存分に楽しんでから飲み込んだ。
アーデインは顔をこちらに向けたまま、顎と肩を落としてる。グールみたいな姿。
「アーデイン、騒ぐことじゃない。クライエンともたまにやってる」
「なん…だと? いや、まて。お前! ケンタウロスお前! そのスプーンそのまま使うんじゃねぇよ!」
「正しく描写したまえゴブリン! 僕はそのまま使うんじゃない。スプーンにキスしてから使うんだ」
真顔で大事そうにスプーンを握り締めるケンタウロス。アーデインのいいたい事はわかる。人型の文化の接吻は羞恥を伴うものだと理解はしてるけど、間接的なものはまだ私にはよくわからない。私の体がボロボロの時、兄様に口移しで肉を食べさせてもらった事もあるし、それに比べたら大したことない。体中だって嘗め回された。いや、でも、確かに魔女――ディアレクティカには、間接的にされ…た………。
背中の辺りからじわぁと熱がこみ上げ、私は泡が減りつつあったビールに手をかける。知識では喉越しを楽しむもの、とあったからゴキュゴキュと喉を鳴らして、なるほどなぁと半ば無理やり思いながら大きなジョッキを半分ほど空けた。
ダンッ! と音を立てて置いたのは、ディアレクティカにやられた事に悔しさがあったからだ。あの魔女、泣かす。絶対やり返す。なるほど、相手が肉親じゃなく、さらに無理やりされたらここまで恥ずかしいのか。理解した。
「ケッケ! 娘っこ、いい飲みっぷりだ。ガフ、負けてる、ぞ」
魔女の事は忘れてふふん、と胸そらすと、ガッファスは悔しそう表情を歪め、意を決したように彼もジョッキを傾けた。そして鼻の頭を真っ白にして、うげーと舌を出す。お酒は見栄で飲むものじゃない。
ガッファスはウェイトレスを呼び止めて、ミルクを注文した。大人しく引き下がる辺りは素直でいいと思う。最初から出来たら満点だった。
それはさておき。
「そういえばあなたの名前まだ聞いてない」
口をつけるでもなく、手でグラスを揺らして葡萄酒に小さな渦を作っていた人馬に問う。容姿も悪くないからなかなか様にはなってるけど、片手には先程のスプーンがまだ握られてる。そんなちょっと残念な感じの彼は柔らかく微笑んだ。
「名乗りたいところだけど、僕は他人に名乗れる名がないのさ。故郷を出る時に父に名を魔法で奪われてしまってね。俗に言う追放だよ。僕自身もあそこには戻るつもりも無いから全然構わないけどね」
「へぇ、あそこって、馬の兄ちゃんどこから来たんだ?」
机に顎を乗せたガッファスの問いには彼は苦笑い。
「それを言う訳にはいかないよ。名を奪われるという事は故郷に関わるな、っていう意味なんだ。どこにも痕跡を残さないなら自由を認めてやるってね」
名前の無い彼は切れ長の目を細めて静かに言う。
「森を出てたくさんの人に出会ったよ。町の数だけ名前を変えた。忘れられない思い出も作ってきた。果たせない約束もした。不思議なことも経験したよ。世界は知らないことで満たされてるって強く思い知らされ、心の底から震える毎日さ」
葡萄酒を一口含んで、机に。ため息と共に向けた視線は天井に。
「でもね、あれだけ自由に焦がれていたのに、この世界は僕には広すぎる。時々不安になるんだ。誰よりも自由である事を望んでいたのに、今ではその事が時々恐ろしく感じる。町を好きに歩き回ってるよりも、食べるにも困るくらい切羽詰ってる時の方が安心するんだ。視野が狭まってるくらいが一番、楽しく感じる。どうだろう、自由な冒険者からして、これは変な事だろうか?」
その机を囲んでいた誰もが名前の無い彼の言葉に耳を傾けていた。アーデインは思うことがあるらしく、肉を突きながらも何か考えてた。ガッファスは理解していないみたい。グラッツは、腕を組んで深く頷いている。
私は、彼の気持ちがなんとなく、わかっていた。なんで彼が、私にあれだけの言葉を向けるのかも。
ケンタウロスは森と共に生きる種族だ。森のために生き、森に縛られ死んで行く。彼の居たところはそんな典型的な部族だったみたいだけど、自由を願い、得てしまった彼は、今になって縛られていないことの恐ろしさに気付いてしまったのだ。
心をどこにも向けられない事。その恐ろしさに。
彼の気持ちを考えると、私は、明日の自分でも見てるような気分になる。
私は魔王に仕えて彼のためだけに戦い、生き続けた。自由に草原を走ることもあったけど、帰る場所があったから安心していられた。自分よりも、他人に心を向けているときが一番、生きているって実感する。
今もそう。すぐ傍にはいなくても、魔王のためにこれから旅をすると決めているから、自分を保っていられる。でも、それさえ失ったら?
魔王の隣には戻れないと理解したら、吹っ切れて、楽になっただろうか。それとも彼みたいに自由を知って、その恐ろしさに気付くのだろうか。
(今は、魔王を探す事が第一。でも、その後は…)
閉じ込めたはずの最悪の未来予想図が、胸の内側を焼こうとしてる。
それを考えちゃいけない。理解しちゃいけない。そうしてしまったら、私は、壊れ始めてしまう。それほどまでに、感じているものがあった。まだ、考えて形にしてないだけで、もやもやとある確かなもの。
私の心を、壊しかねないもの。
私を殺す、ただ一言の呪文。
心から血が滲むほどに、溢れそうだ。
不安を吐き出しそうな口にフォークに絡ませたパスタを入れて、濃厚なチーズの味に思考を上書きしてもらう。おいしい。しつこいくらいのチーズの味に黒胡椒のピリッとしたアクセントがいい感じ。大雑把な味付けって好きかもしれない。
しんみりとしてしまった食卓に、人馬の彼は違った話題を落とした。
「ねぇ、ところで君達、旅に出るみたいな事を言っていたけども、行き先はどこなんだい?」
私はいいタイミングだったと思うけど、アーデインは肉にかぶりついてから、彼を睨んで言った。
「死んでもおしえねー」
ケンタウロスは肩をすくめる。
「まったく、嫌われているね。ガッフ君、君は教えてくれるよね?」
「え? ごめん、そういやおいらもまだ聞いてないや。師匠達、どこ行く気なの?」
アーデインが私に目配せする。絶対言うな、みたいな。でも言わないと話が始まらないし、私はケンタウロスの彼がついてくるほうが色々楽そうだから、教える事にした。
「私が行きたいのは情載都市とか言うところ。色々知りたい事がある」
「あー…ずいぶん、遠いところ、だ。俺様の故郷が、近い」
旅には関係ないグラッツが呟き、隣のガッフが目を輝かせた。
「まじで? そこって大陸で一番進んでるって都市だろ? うっわーいいなぁ!」
どうやら彼の冒険欲を刺激してしまったらしい。そんな彼に、アーデインが水を差す様なことを言った。
「進んでるってか、都市の郊外に実験施設が纏まってるだけで、最新の乗りもんとかすぐ爆発すっけどな。おまけにどこの国にも所属してねぇ独立都市だから、理不尽みてーな法律もたくさんあんだよ。慣れちまえば大したことねぇけど、夢見てると痛い目に会うな」
「……師匠ってテンション下げるのうまいよな」
「お前がはしゃいでる時ってろくな事ねぇんだよ。この一ヶ月で骨身に染みたっての」
確かに、さっきも顔を上げたときに長い顎に取っ手を引っ掛けてビールを倒しそうになってた。倒れなかったのはケンタウロスがさり気なく手を伸ばして押さえたから。細かいところに気配りが出来て先もみれる、いい奴だと思う。
「グラッツさんは行った事あんの? 故郷近くなんだって?」
「いや、俺様は、無い。領内、入る、やたら税金かかるからな。迂回してこっちまで、きた」
「へぇ……馬の兄ちゃんは?」
ケンタウロスはビールを少し離したところに置いて、申し訳なさそうに微笑んだ。
「残念ながら僕も無いよ。言っただろう? 僕は世間知らずなんだ。でもまぁ、だからこそ僕もそこに行く理由ができる、という事かな。たくさんの知識を手に入れるのも悪くない」
ちらりと私の方を見る人馬。私が拒絶してもついてくる気だ。飼い殺してあげようか。アーデインはそれが気に入らないみたいで、自棄気味にビールを空け、静かに置いた。ガラス製なのであんまり乱暴に扱うと割れる。今も違う席で割れる音がした。
食堂が一瞬静まったけど、アーデインは気にせず話を続ける。
「てめーが付いて来るかどうかはともかく、ガッフ、結局お前は決めたのか?」
アーデインの言葉で私は思い出す。そういえば、ガッファスが私達についてくるかどうかで旅立ちの日程が決まるんだった。ヒヨコだの魔女だのケンタウロスの事でちょっと忘れてた。
注目を集めた彼は、はっきりと、希望に満ちたいい表情で言う。
「おいら付いていきたい。ダメじゃないんだろ?」
ガッファスはアーデイン、それから私の順番で見る。続いてケンタウロスも。
「よろしくね、ガッフ君」
「おいちょっと待て、なんでテメーが手だしてんだよ。ガッフも取ろうとすんな!」
「なんだい? いいじゃないか別に。確かに夕方会ったばかりの僕を警戒するのは間違いではないけどね。仲間では無くても旅程が同じになる事はあるだろうね。実は僕もそこに行こうと思ってたんだ」
「嘘付けッ! お前絶対ポルタが目当てだろ!」
「そうですけど何か?」
開き直った。素直な奴。
睨むアーデインと冷ややかな目で返す人馬。その様子を楽しそうにグラッツが眺めてた。
「ケッケ、人馬、知り合いじゃないのか。ずいぶん、娘っこ、仲良いい、な」
「やぁグラッツさん。さすがに見る目がありますね。そうなんです、僕ら、運命を感じてしまって」
その言葉に引きつった笑い声を上げるグラッツ。ゴーグルの下から、お前はどうなんだ、という目がこちらに向いた。
「運命かどうかはわからないけど、個人的な所有物にしようか真剣に検討してる」
「ケッケ…? 所有……物?」
む、言い方間違えたかな。でも本人はすごく嬉しそうに頬を赤く染めてる。
「あぁ、君が望むなら喜んで所有されたいよ。首輪でも、手綱でも自由に付けておくれ。自由な僕をがんじがらめに縛って、君に繋ぎとめてほしい。この世界の風にこれ以上流されないように」
「そう? あなたの忠義が本物なら私はそうしたい。けど、真偽を見破るには時間がまだ足りないみたい」
「そうだね………もっとはやく君と出会えたらと本気で思うよ……でも安心して。愛に時間は関係ないんだ。二人の距離が大切なんだよ。歩み寄ろうと思う気持ちは時間さえ凌駕するのさ」
机においていた私の手に自分の手を重ねる人馬。そんな様子に机を囲んでいた人たちばかりでなく、他の席からも視線を集めてしまう。軽く睨むと、彼らはわざとらしく自分達の会話を再開した。野次馬どもめ。
私達のやり取りにアーデインは苦虫を潰したような顔をしていた。そんな彼の様子に気がついて、名も無いケンタウロスは深々とため息をつく。
「僕が文句を言う立場では無いけどね。君のそういう嫌そうな顔を見ると、二人旅じゃないことがつくづく残念に思えるよ。どうかな、いっその事、君とガッフ君、僕とぽるたんで別々に目的地に行かないかい?」
「んな事出来るわけねぇだるぅが」
見たこと無いくらい表情と威圧的な態度のアーデイン。そんな彼をというよりも、そんなゴブリン自体はじめて見たかもしれない。すごい顔。本気でいやじゃないと出来ない表情だ。
「百歩譲ってその案を採用したとして、なんでその組み合わせなんだよ。おれっちとポルタ、お前とガッフのほうがまだ自然だろ」
「君は僕の事を信用していないようだけど、僕から言わせれば君みたいなゴブリンに任せるほうがよっぽど不安だよ。君は彼女に恩を売り、あれこれしようと思っているのかもしれない。君の魔の手から彼女を救えるのは、僕くらいだろうね」
「同じ言葉をそっくり返してやろうか?」
一触即発の雰囲気。ふふ、悪くない。そのまま言い争うがいい。
にやつく口元を隠すためにジョッキを傾ける。なんだか二人のやり取りを見てて、ずっと昔の知人、『スコル』と『ハティ』を思い出した。
私がフェンリルの名を継いでしばらく後、それまでほとんど交流の無かった二つの部族から縁談が持ち込まれた事がある。その相手というのが『スコル』と『ハティ』だった。それぞれの部族の最強の狼に与えられる称号を持つ二匹の雄の狼は、あの手この手を使って私と番になろうとしたのだ。
二匹で竜を狩っては私に食べさせ、愛の言葉を囁いては無視され、寝込みを襲おうとしては氷漬けにされ。暇さえあれば口喧嘩をして族長に怒られ、何か自慢しようとすれば軽く私に越されて泣き崩れ。とにかく騒がしくて楽しい奴等だった。
私が魔王と共に故郷を出る時には、魔狼族が抱えていた問題の大部分は片付いていて、スコルとハティも私達に付いて来る事になった。山を降りても相変わらず言い争ってばかりで大変だったけど、魔王が楽しげにしていたのを覚えてる。あの頃は私もまだ、感情はあったほうだったから、楽しかった。
どんなに二人が優しくとも、どんなに私に愛を向けようとも、彼らは最初の勇者との戦いで死んでしまったけど。あぁ、あれが私が感情なんて、と考え始めた最初の出来事だ。
(……故郷で兄様も交えてみんなで騒いでた頃が一番楽しかったな)
歳を重ねて死を重ねて、その重みで感情が潰れてしまう前の、ささやかな思い出。
埋もれてしまっていた、幸せと言ってもいいかもしれない記憶。
感傷的になって少し涙が出そうになった。そのタイミングで、グラッツが何かに気付いて視線を上げた。
「おい、あれ、クライエン、か?」
彼の言葉に牙を剥いていたアーデインも気付いた。
「ん? お、本当だ。どうしたんだろうな、こんな時間に………ははん、さては決闘を言い渡されておれっちに相談に来たな?」
入り口に背を向けていた私やガッファスも振り返る。短い階段を降りたところには見間違うことの無い大きな体のオーグルが一人、自分に集まった視線に気がついてこちらにやってきた。
清潔なシャツにズボンという井出達の彼は、見たところ怪我の一つも無い。今夜辺り、ぼこぼこにされて宿に帰ってくると思ったのだけど。
「こんばんは皆の衆。そちらのケンタウロスは始めましてでよろしいかのぅ?」
クライエンはなんだか上機嫌だ。ケンタウロスの彼は律儀に立ち上がって、帽子を取って優雅な礼をした。
「こんばんはオーグルさん。僕は名も無い旅の音楽家。皆さんと、特にぽるたんとは縁が合って一緒に食事を楽しませてもらってます」
「は? ぽるたん?」
「彼女の事です。運命を感じてしまって」
彼はなれなれしく私の肩に手を置く。なんだかアーデインの視線が怖いけど、気にしない。
クライエンは声のトーンを落とすと、少し険しい表情でケンタウロスに問う。
「なんじゃ、運命って。それはあれかの? 恋人にしたい的なあれかの? 困るのぅそれ。そういう話は保護者であるおんを通してもらわないとのぅ」
「そうだぞ、クライエンもっと言ってやれ!」
アーデインも加勢。クライエンは確かに、私の保護者的な立場にある。フェンリルとして素性も知ってるわけだし、この一ヶ月家族みたいに暮らしてたから、私にも不満は無い。
ケンタウロスの彼は自分の胸に手を置いて、感情たっぷりに演説した。
「恋人なんてそんな。もちろん、彼女が望むなら僕もそれを望みましょう。しかし、僕が彼女に向ける愛は忠誠心そのものです。例え彼女が僕に振り向かなくても、僕は彼女に無限の愛を注いでいたいのです。全身全霊、生涯ををかけて彼女に尽くしたい。今日出会ったばかりの僕ですが、だからこそ運命を感じているんです。自分でも不思議なくらいに」
「ほ、ほう?」
クライエンの目がこっちを向く。一ヶ月生活を共にした私には、彼の言いたい事がありありと伝わった。
『喋ったのかの?』
確かに、フェンリルだとわかればケンタウロスの彼が誠心誠意仕えようとするのはむしろ当たり前。クライエンがそう思うのも無理は無い。
けど、このケンタウロスに関しては完全に天然物で言ってる。だから首を振って答えておいた。
クライエンはしばらく考え、真剣な表情で言った。
「お前さんの気持ちはわからんでもない。じゃがの、見た目は子羊でも中身は獰猛な狼やもしれん。生半可な気持ちで言っとるなら早いうちに手を引いた方が身のためじゃぞ?」
軽く真実を言ってるけど、ケンタウロスはひかない。
「この気持ちに偽りなどありません。何より僕は彼女に何も求めたくはないのです。利用されるだけされていつかはぼろくずのように捨てられてしまってもいい。確かにそう思ってるんです。おかしな事でしょうか?」
おかしいかもしれない。けど、私から溢れるフェンリルの魅力にひき付けられてしまってるんだから、しょうがない。他に理由なんてないかも。
「うぅむ。ポルタはどう思ってるのかの?」
「私は彼がそうしていいというなら、従者でも下僕でも奴隷にでもしてもいいと思ってる」
はっきり言うと、このフェンリル様は、みたいな目で見られた。クライエンだって最初はそうなりかけてたから文句言えないと思う。それに神様扱いされるのと、個人として忠誠心を向けられるのは別物。
「……まぁ、ポルタが良いならそれでいいじゃろ。ただ一つ言わせてもらうがの。この子を泣かせる事になったらその首、捻じ切りに行くからの。覚えておけ」
迫力のある言葉にガッファスが身震いした。言われた本人は少しも表情を変えずに「肝に銘じます」と礼を交えて返す。そこにも彼の本気具合がうかがえて、アーデインはつまらなそうにしていた。
「ちッ……んな事よりクライエン。シトリと一緒だったんじゃねーの?」
「ん、おぉ。そうじゃ。その事で来たんじゃ」
クライエンのそんな言葉に、ケンタウロスを除いたみんなの興味が彼に向く。さっきまでクライエンとシトリが一緒にいて、今は違うという事はなにかしらの進展があったはず。シトリがお店を休みにするくらいの成果はあったんだろうな、と。
表情を押さえてわくわくする私達に、クライエンは笑顔で言った。
「シトリどこにおるか知らんかの?」
……?
首を傾げる私達に、クライエンは続けた。
「店の方には行ったんじゃが、休みにして出かけてるようでの。じゃから皆、ここで食事をしてるんじゃろ? 何か聞いとらんか」
……あれ?
クライエン何言ってるんだろう。ちょっと理解できない。まだケンタウロスの愛だの何だのの話の方がわかりやすい。
「何も聞いとらんのか? ポルタは今朝会っとるじゃろ? シトリは何も言っとらんかったかの?」
「…何も言ってない。てっきり私は、クライエンと一緒にいると思ってた」
「ほ?」
……なんだか情報が行き違ってる。
止まってしまった会話を再開させたのは、一番事情を知ってるアーデイン。
「えっと、クライエン。お前、予定通り昼に帰ってきてそれからシトリの手伝いしてたんじゃねーの? 店休みにしてたのは、てっきり行く所まで行って、デートなり決闘なりしてんだとおれっちは思ってたんだけどさ」
「は? 決闘? よくわからんが、おんはさっきファソリに帰ってきたばかりじゃ。オリキオで手続きをするのにずいぶん時間がかかってしまっての」
えっと。つまり?
クライエンとシトリは二人きりであれこれしてたから、シトリの店が休みになってると思ってたけど、本当はクライエンはついさっき戻ったばかりで、シトリは店を休みにしてどこかに行っているようで?
「…なぁクライエン。お前、今日慌ててオリキオに行ったのって、国王からの依頼を正式に受けるため、だったよな?」
「う、うむ。昨日知り合いに会ったと言ったじゃろう? 実はそやつはイメロニアのおかかえ職人での。国王の推薦状を渡して行きおったんじゃ。依頼を受ける、というよりは、こっちから参加させてもらう、という形じゃな」
イメロニア王国がしようとしてる事に対して、クライエンが自主的に参加するようための、推薦状。もっと前からクライエンは王国のおかかえ職人になる事を拒否していたのだし、その事を引っ張り出せば、王国としては今回の事に協力させるのは簡単だと思う。
昔から、人間の国王の依頼を断るのは反逆罪に問われる事。二回目、魔王を殺した勇者も、国王の依頼だから仕方ないとかふざけた事を言っていたっけ。どうでもよかったから忘れていた。
それはともかく。
イメロニア王国が直接的にクライエンに強制しないのは、国の体裁に関わる事だからだ。国が主体となって何かをしようとしてる中、首に縄をかけてまで腕のいい職人を集めてると知られれば他の国からどう見られるかわかったものじゃない。そうでなくても、進んで協力しようとする職人は減るだろう。だったら、頑固な職人すら参加したくなるすばらしい事業として見せるためにも、自主的になるよう仕向けるのは自然な事。
だからこそ、裏を返せば、という奴だ。
みんな気付いてるのか気付いてないのか、わからないけど、私は言う事にした。
「…クライエン。それだけ国が人を集めてやろうとしてるって事は、成功したらすごい、よね?」
「む? まぁ、そうじゃの」
頷く彼に、私はどういう風に伝えようか悩んで、結局そのまま、まっすぐに伝えた。
「私は世界情勢とか知らないけど、国が主体となってる以上、それを邪魔したい国くらい、あるんじゃない?」
私の言葉に、アーデインも、クライエンも、ガッファスもグラッツもケンタウロスも固まってしまった。
「クライエンは自主的に国のやろうとしてる事に協力するって決めたけど、本当は『脅されてた』っていう噂が流れたら、どうなるかな」
イメロニア王国が体裁を気にするなら、それを逆手に取ってしまおうと考える組織だって、ある。
事業が本格的に動き出す前に、この国はこんな事までして利益を出そうとしてるんだぞ、と証拠と一緒に出されたら、イメロニア王国は大変なことになる。
本人の意思なんて関係ない。必要なのは、そうなったと思わせる『噂』と、関連付かせる『事件』があればいい。多くの人が信じた噂というのは、事実なんて簡単に捻じ曲げる。当事者の証言でさえ、嘘の色が付く。
そのために、手っ取り早くて、わかりやすいやり方が一つだけ。さぁ、何が思いつく?
「…可能性の一つじゃろ?」
青ざめた表情の彼に、私はもちろんと頷いて見せる。
「シトリが会わせる顔が無くて居留守してたり、出かけてるだけかもしれない。でも、二人の関係に気付いてる人がいるなら、そういう事をするだけの価値は私にはあると思う」
別にそこまで大掛かりに考えなくても、クライエンの実力を知ってる者が単純に『協力するな』という意味で事件を起こしてるかもしれない。あるいは単純に、国が確実に協力させるために。もし後者だったら、この国の行く先は真っ暗だけど。
私のただの思い過ごしかもしれないけど、ありえない事じゃないから、今はちゃんと言う。
「シトリ、攫われたんじゃないかな」
酔ってる人って会話の内容がすぐに変わるので、そういうものだと思って聞いてると結構楽しいです。
*次回更新も三日後、6/24金曜日に予定です。




