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フェンリルさん、おいしそう  作者: ひなみそら
第四話:ファソリへ
38/54

いつか思い出になる物、だからこそ

いつもより少し長いです。8802文字くらいです。

 ファソリの町を北に抜けるとまた別の町に繋がる街道がある。東西の道ほど人が多くはないど、普通の行商人が北から入って抜けて行く事が多いらしい。そのためまったく人が通らない、というわけでもないようだ。

 町から十五分ほど歩き、少しだけ道を逸れるとそこには森がある。街道はこの森を迂回するように伸びているわけだけど、私達は今、その森の獣道の前で森に入る準備をしていた。街道の方ではそんな私達に気付いて「精が出るなーがんばれよー」と声をかけて馬車が通り過ぎていったところ。

「ガッフ。朝言った事覚えてるな? 今回はポルタもいるから、お前が先頭、ポルタが真ん中、おれっちが殿(しんがり)だ。ポルタを挟む分、おれっちの視界が悪くなるから今朝みたいに先に見つけてくれると思うなよ?」

「……りょーかい」

 不機嫌そうな面のコボルトは兜の紐を締めながらぶっきらぼうに答えた。

 子犬の顔したコボルト族のガッファスは、腰に剣をぶら下げて、左手には丸い木製の盾が付いてる。その姿は全体的に茶色くていかにも駆け出しの兵士――もとい冒険者といった感じだった。

 頭に卵の殻みたいな兜を被ると、ますますそれっぽい。なんていうか、すぐ死にそう。

「……ふっ」

 岩に腰掛けて二人の準備が終わるのを待っていた私は、ガッファスの姿を見てつい、鼻で笑ってしまった。耳がいいコボルト族は聞きつけたようで、キッと私を睨んだ。

「おい! お前今笑っただろ!」

 ゴブリンとはまた違った甲高い声は、大変耳障り。

「別に笑ってない。リッパダナーって思っただけ」

「微塵もそんなの感じねぇよッ、馬鹿にしてんだろッ」

 牙を剥いて詰め寄ってくる。私は頬杖をついたままそっぽを向いて正直に答えてやった。

「してる。鎧じゃなくてあなたを」

「余計性質わりぃよ! もぉぉぉッ! 師匠! この姉ちゃんマジでなんなの!?」

 草地に座り込んでクロスボウの調整をしていたアーデインは、顔だけ上げて、ため息。

「ポルタを怒らせたお前も悪い」

「で、でもさぁ」

 む、このコボルト、フェンリルの事を指差してる。不敬な。

 私は口を大きく開けて、手に噛み付いてやることにした。ガチン、と顎がなる。おしい。コボルトは青ざめた表情で自分の手を大事そうに覆い隠した。もっと怖がればいい。

「…そうやってすぐに大人に頼る。やっぱりあなたは子供」

「ま、迷子になって泣いてたやつに言われたくないやい!」

「それが理由で泣いてたんじゃない。ちゃんと話してもきっと子供にはわからない」

「ガキ扱いすんな! おいらはもう大人だ! お前こそ、この辺とか特にガッ!?………きぃ…」

 あまりにキャンキャン喚くから向こう脛を爪先で蹴ってやった。アーデインに買ってもらったこの靴の爪先はとても硬い。蹲った彼は涙目。いい気味だ。

「あのさ、ポルタもあんましガッフをいじめてやるなよ。そりゃアレはその、おれっちも良くないと思うけどさ」

 アーデインに免じて許してやりたい所だけど、フェンリル的にはアレは早々償えるものじゃない。本来なら問答無用で氷付けもしくは八つ裂きになってる。今の私はとてもお優しい。呆れるくらいに。

「はぁ…」

 この一ヶ月で感情的になるのはいい事だな、と思ってたけど、不愉快なものは不愉快。思わずため息が出てしまった。

 私がなんでこのコボルトにこんなに冷たいのか、というのには、少しだけ時間を遡る。



 旅立ちは一週間後か三日以内か、それを決めるのはガッファスの今後の考え次第、という方針で決定した後、私とアーデインは彼が待つ冒険者組合に向かった…というか、最初から向かっていた。

 少し大きめの建物の前で、ガッファスは三人分の昼食となる腸詰肉と一緒にいろいろな野菜をパンで挟んだ軽食を用意して待っていた。既に革鎧を纏っていた彼は、私を見るなり露骨にいやそうな顔をしたのだ。噛み付く直前の犬の顔。

『なんでおいらがその姉ちゃんの分まで驕んなきゃいけないんだよ』

『小さい事は気にすんなって。授業料に入れとけ』

 アーデインはひったくるように弟子の手から紙袋を取り、パンのひとつを私にくれた。その時は私も昨日は少し悪かったかな、と思ったから、食べる前に謝ろうと思ったのだ。

『ガッファス、だっけ。昨日は私も悪かった。少し気が立ってたから、八つ当たりした』

 頭はさすがに下げれなかったけど、和解の印にと握手を求めた。不機嫌そうだった彼は少し間を置いて、手をとる。

『えっと、おいらも、悪かったよ……何が悪かったのかわかんないけど』

 と、その時は和解したのだ。少なくともその時は。

 その後はパンを食べながら午後の予定を確認した。アーデインとガッファスは引き続き魔物狩りで経験を重ねるけど、私はどうするか、と。

 魔物にあまり興味が無いなら町で待っててもいいし、その場合はお金も渡すから好きに見て回っていいという事だった。けど、千年後の魔物についてあまり調べなかった私は、彼らについていく事にしたのだ。百聞は一見にしかず、というやつ。

 ちなみに千年前の魔物の定義は明確にはなかったけど、本能に従うモノ、つまり『話の通じない相手』が魔物とされていた。

 オーグルやオークは野蛮ではあったけど話は通じてたから魔族に含まれていたし、逆に本能でしか動かなかったスライムや極限環境で変異した動物なんかは問答無用で襲ってくるから魔物とされていた。

 後者の定義だと、外見だけなら大きな狼である魔狼族も含まれる印象があるけど、少なくとも私の一族は『フェンリル』という上顎が天に届くとされた狼の末裔で、ちゃんとした魔族なのだ。たまに、変異しただけの狼と間違える奴がいて、うっかり口にしようものなら八つ裂きよりもひどい目にあって、とても残念な姿を晒す事になる。

 それはともかく。


 アーデインに今の魔物の定義について聞くと、食後の話題として簡単に教えてくれた。

『簡単に言っちまえば、やたらでかい動物とか、魔法を使える害獣になるな。あとはオークとか、オーグルの中でも人を襲う昔ながらのやつってのは差別化するために魔物って呼ばれてる。結構いるんだよ、馴染めなくてどうしようもないヤツが』

 やはり、種族の趣向は平和になっても矯正できるものじゃないらしい。ヴァンパイアとか、今頃どうなってるんだろうか。

 そういう連中に比べれば、私はうまく馴染めてるほう、だと思う。力が無いから馴染まざるを得ないとも言えるけど。

 と、問題はここから起きた。


『ポルタの姉ちゃんはそんな事も知らないのか。世間知らずなんだなぁ』

 私はアーデインの話を真剣に聞いていたけど、今の時代に生まれたガッファスにはやはり当たり前の話みたいでそんな風に言われた。もちろん、このくらいの事では私は気分を悪くしない。所詮子供のいう事。

 そこで好きに詮索させてればよかったのだけど、その時の私はそっちの方が鬱陶しいと思ったから簡単に説明してしまった。それが失敗。

『私はアーデインに助けられるまではそういう常識とは無縁だった。だからなんでも珍しい』

 当たり障りも無いように、と思ったけど何が余計だったのか――たぶん全部だけど、とにかくガッファスは勘違いした。

『助けられた…? え、まさか姉ちゃん元々奴隷とか?』

『……違う。断じて違う。なんでそういう発想になるのか不明』

『じゃぁいい所の貴族様?』

『…まぁ、そんな所』

 貴族ならまぁ、と思ったのだけど、ガッファスは立ち上がり私に近づく。その目の奥にはイタズラっぽい光が宿ってた。

『でも貴族の女の人ってもっとこの辺とかありそうな気がするけど』

 この辺ってどこだろう、っと思ってる間に彼は私の胸元に手を置いてそのままもにょもにょとした。

 もにょもにょと。

『あ………え?』

 思考が停止。半分硬直。顔を上げると、ガッファスは仕返ししてやった、みたいな大変ムカツク顔をしていた。

『へ、貴族にしてはさすがに貧相すぎる気がするな。ま、これで本当に昨日の事はチャラにしてやるよ』

 …うざ。何様のつもりだろう、こいつは。

『………そう。いい残す事はそれだけ?』

『え?』

 私はにっこりと微笑んで、そっと片足を持ち上げた。そのままコボルトの足を力いっぱい踏みつける。ダンッ! というか、メキッ! と音がするくらい。むしろした。砕けれ。

『―――ッ!』

 声にならない悲鳴を上げてコボルトは足を押さえつつ地面に転がった。そのまま彼の丸まった尻尾を掴んで引っ張る。畑の根菜を引っこ抜くように。

『いでででででッ! やめっ、尻尾はダメだって! 抜ける抜ける抜けちゃう!』

『こんなに綺麗に丸まってるなら必要ない。処分した方がいい。その方がいろいろ楽』

『その丸まってるのがおいらの自慢なんだよってかヤメテー! ほんとに抜けちゃうから!』

『わかった。じゃあ毛で勘弁してあげる。地肌が見えるくらいで』

『え、ちょ、それはやめ――うぎゃあああああッ!』



 ――という事があった。

 私はされた事に対する報復を行っただけなのだけど、ガッファスの後姿、丸まった彼のチャームポイントは一部毛が無くなって肌が見えてる。実に残念な姿。けど見てるだけで愉快になる。それはそれで魅力的。

 さてさて。

 

 突入の準備が整った私達は今、ファソリの北にある森の中を進んでいた。そこそこ広く、秋にはキノコが豊富に取れるというこの森は、定期的にファソリに常駐する冒険者によって魔物狩りが行われているため、さほど大きな危険は無いそうだ。冒険の練習にはもってこい。

 苔むした倒木や蜘蛛の巣を掻き分け、道なき道をガッファスを先頭にして、私、アーデインと一列になって進んでいる。進む方向はガッファスが決め、アーデインはあくまでも補助するだけ。私は完全に観光気分。どんな魔物がいるのか少し楽しみ。けどはしゃがないで、気配を殺す事に集中する。

 茶色い革鎧と卵兜を被ったガッファスは、緊張した面持ちで左右を見回しては、腰を屈めて進む。ゴブリン同様背の低い種族である彼がそうするとさらに低くなるわけで、特に荷物の無い私でもかなりきつい体勢を強いられていた。手の届きそうな距離に一部毛のなくなった尻尾が揺れてるのが、なんとも言えない。

 一刻ほど進んで、腰がかなりきつくなってしまった。ガッファスに訴えて休憩をしたいところだけど、何か言われたらまためんどくさい。だから、すぐ後ろを同じように身を屈めて進むアーデインに腰を抑えて、無言のまま訴えた。紳士なゴブリンなら察してくれるはず。

 背中に矢が飛び出たリュックサック、手にはクロスボウを持った彼はすぐに私の意図に気付き、苦笑いをし、体を起こした。

「おいガッフ。獣狩りにしたって警戒しすぎだろ。ポルタにいいとこ見せたいのはわかっけどさ、もう少し楽に行こうぜ?」

「だ、誰がこんなヤツにッ」

 私の名前が出されるとガッファスは牙をむいて振り返った。これまでそろそろ進んでいたのが台無し。すぐ近くから鳥が飛び立っていった。

「うー…腰痛い」

 伸びをすると腰骨がぽきぽきと小気味いい音を立てる。茂みから顔を出してみたけど、魔物どころか獣の一匹もいない。平和なものだ。山菜取りにでも変更しようか。

「おいお前ッ、そんなに頭出したら気付かれるだろッ」

「あなたの声の方がよっぽどうるさい」

 今も茂みが揺れて何かが遠ざかって行った。ガッファスは言葉に詰まる。

「ポルタの言うとおりだ。それから、特定の魔物の討伐依頼ならともかく、普通の狩りならもっとリラックスしていいんだよ。襲ってくるのを迎え撃つくらいの気持ちじゃないとな。神経ばっかりつかれんぞ?」

「……師匠の言いたい事はわかるけどさぁ。東のトロールの森ならともかく、こっちの魔物って臆病なのばっかじゃん。不意打ちくらいしないと先に逃げられちゃうよ」

「アーデインならともかく、あなたを怖がる魔物がいるかどうか怪しい」

「なんだとッ!」

 また一匹獣が逃げて行った。人間だったら今にも胸倉を掴んできそうな剣幕だけど、私の胸元くらいしかないガッファスに睨まれてもあまり怖くない。生意気なだけ。

「アーデイン、ごめん。やっぱり私もあんまりコレ連れてきたくないかも」

「コレって言うなよ! 指差すなよ!」

「だろ? じゃあ一週間待つか?」

「師匠も同意すんなよ! っていうか何の話だよ!」

 肩で息をするコボルトに、私は説明するのもめんどくさい気持ちになっていた。からかうには面白い相手だけど、四六時中いると思うとなんか嫌だ。あんな事されたから余計に。あんな強制かつ直接的なのは魔王以外に許さない。魔王だったら噛み付いてやるけど。

 私は説明を放棄したけど、律儀なゴブリンは列を崩して前に出た。

「いつか話したろ? 旅の連れの方が落ち着くまでは面倒みてやるって」

「あ、あぁ。でも、一ヶ月は最低でも見てくれるって。あとそれが今どういう関係なんだよ」

「だからさ。その一ヶ月が経ったから、ポルタも町に来たんだよ。んで、おれっちもポルタもやる事があんの。お前、ファソリの専属冒険者になるつもりは無いんだろ? もし、おれっち達が明日にでも出るっつったら、お前、どうするつもりなんだよ」

「…………」

 ガッファスは少しの間だけ呆然として、口を閉じ、視線を足元に落とした。そこには落ち葉と枯れ木くらいしかない。彼の様子を見て、アーデインは呆れた風に肩をすくめる。

「別にお前を突っぱねるって話じゃないんだぜ? ついてくんなら別に構わねぇし、一人であれこれ考えてやりてぇならそれでもいい。まずはファソリでこつこつ金溜めて、そんな貸し出し装備じゃなくて、ちゃんとした装備になったら本格的に旅立って、その先で気の会う仲間でもなんでも見つけて立派になりゃいいさ。逆に、明日にでも広い世界を見に行きてぇってんなら、連れてってやる。その場合は、こっちの目的に付き合ってもらうけどな」

 ついさっき目の前で連れて行きたくないとか言われてたのに、ガッファスは悩んでいるようだった。彼がどうして冒険者になりたいのか、私にはわからないけど、悩んでいるという事はどちらにも魅力があるのだと思う。

「お前、運がいいんだよ。本当なら駆け出し冒険者ってのは、ファソリみたいな魔物の勢力が弱いところで否応無しに一人でコツコツコースを選んで、その場で足踏みするみたいな事して地道に準備すんだよ。おれっちもそうだった。でもお前は、たまたま店に来たおれっちを捕まえて、芝居までして、自分でチャンスを掴んだ。最初はどうかと思ったけど、この一ヶ月、文句を言いながらもちゃんとおれっちの言う事は守ったし、飲み込みも早い。剣の腕も十分ある。どうしようもねぇくらいガキンチョで生意気なのは気にくわねぇけど、師弟関係とか無しに、こっちには旅の連れにしてやろうくらいの気持ちはあんだよ。だから、お前がこれからどうしたいか、決めろ」

 正直、魔物がいるかもしれない森の中でする話題じゃないのだけど、ガッファスは本気で悩み始めてしまった。時々「おいらは…」とか呟いてるけど、答えが出るには時間がかかりそう。フェンリルさんはそろそろ座りたいです。

「一応言っておくけどな。おれっちが来るのを三年も待ったつぅから、おれっちはお前がせっかく冒険者になったのに、ファソリでもたもたさせたくねぇんだよ。若いうちが一番無茶できるんだし、同じ場所でまごまごしてるのが一番辛いんだからな」

 アーデインは連れてきたくない、と言った割には積極的に誘っているように聞こえる。たぶんそれは、ガッファスの事を考えての発言なんだろうけど。

 完全に黙ってしまったガッファスに、アーデインは帽子の上から頭をかき回して、それからクロスボウを担ぎ直した。

「ポルタ、そこの倒木のあたりで休んでてくれ。ガッフも考えながら待ってろ。おれっちはちょっとその辺回って、魔物がいないか探してくる」

「ん、わかった。気をつけて」

 頷くと、アーデインはガッフの肩を叩いてからこれから進もうとしていた茂みの中に消えて行った。最初はガサガサと聞こえていた音が、すぐに静かになる。気配を探ってみたけど、呼吸三つでどこに行ったのかわからなくなってしまった。それは結構すごい事。とっさに鼻を鳴らして匂いを探ってしまった。

(…前の体でそれだけ耳と鼻に頼ってたって実感する)

 ちょっと落ち込みつつも、アーデインが指差した、キャンプにするには丁度よさそうなそこへ行こうとしたのだけど、ガッファスは相変わらず下を向いたまま硬直している。なんだか見ていてむかむかする。私は彼の手を取って引っ張って行き、苔むした倒木に無理やり座らせた。

 何か言い出しそうだった彼を無視して、少しだけ離れた木の根にどかりと腰を降ろす。並べた膝に肘を置いて、頬杖を付いてそっぽを向いた。

 沈黙は一分も続かなかった。

「あのさ、おいらがもし、付いていきたいって行ったら、ポルタの姉ちゃんは迷惑、だよな?」

 恐る恐る聞かれても、媚びを売ってるようにしか聞こえない。だから、私ははっきりと答えた。

「迷惑」

 がっくりと項垂れたのが気配だけでわかった。ため息まで聞こえる。

「いきなり胸を揉んだりバカにしたり見下したり、そういうのが迷惑。気に入らない。うるさいし、デリカシーも無い。はっきり言って信頼も無い。いいとこ無し。アーデインは優しく言ってるけど、私はついてきてほしくないと思う」

「………………………あれ、おいらちょっと泣きそうなんだけど」

「泣けば? 泣いたところで同情もしない。私はアーデインもクライエンもシトリも好きだけど、あなたは嫌い。今のところは」

 そこでようやくガッファスのほうを見てみると、彼は本気で涙目だった。ここで胸の奥がちくりとでもすれば、私はこの姿に相応しい感情と思えたのだろうけど、罪悪感の欠片もなかった。この冷めた感じ、フェンリルとして戦ってた頃によく似てる。

 …いや、冷めてなんていない。むしろイライラして熱せられてる。

「別に、私やアーデインの事は関係ない。あなたが悩むべきはあなたがどうしたいか。ついてきたいのなら付いて来るでいい。私が嫌ならそれでもいい。付いて来るなら私もアーデインも拒まないし、旅の途中もわざと除け者にするような子供っぽい事はしないって約束もする。頼るときは頼るし、怒るときは怒る。私が今言いたいのは、それだけ」

 なんだか私まで誘ってるような言い方になってしまった。私はただ、付いてきた時に変に距離を置かれて気を使うのが嫌だから言っておいただけなのだけど。

「……おいら、もうちょっと考えてみるよ」

 優柔不断。でも、故郷を出る時はやっぱり悩むものなのだろうか。結局それも人によるだろうけど。

(……私、私はどうだったかな。体感時間でも五百年近く前だし……全然覚えてない…)

 旅立ちの前の感情はよく覚えてないけど、故郷の姿はありありと思い出せる。険しい雪山にある針葉樹の森の奥深く、風と雪が支配する、魔狼のための里。古代人の残した大きな遺跡にみんなで暮らして、狩りと魔法の研究、他の種族の侵攻を抑える日々。クレバスの底には魔力結晶があって、近づくと爆発するけど、結晶の光で照らされた深い氷の色がとても綺麗で、奥まで行くと埋まった結晶が星みたいに見えて、空の中に放り出されたような気分になれて、それだけが大好きで、自分の血で血まみれになった日でも毎日のように通っていたのだった。まだ、魔王と出会う前の話だ。

 私の今の髪の色は光ってこそいないけど、あのクレバスの底で見た深い氷の色そのものだ。私にとって青空よりもずっと美しく、尊い青の色。そう考えるととても嬉しい。故郷を出て、五百年が経って、千年が過ぎたけど、旅立ちの前に焼き付けたあの光景だけは忘れてない。

(氷窟の真ん中に寝そべって、兄様と一緒に天井を見上げて、兄様の声が優しく響いて――……あぁ、そういう事なのかな)

 昔を思い出して、ガッファスが悩んでる理由が少しだけわかった。

 シトリは冒険者だったけど、旅先で両親の事を聞いて故郷に帰ってきた。詳細はわからないけど、親は親だし、きっと身を切られる思いだったろう。私も、兄様がもう、いないと思うと、とても、胸の辺りが苦しくなる。

 ガッファスはもしかしたら、それを危惧してるのかもしれない。アーデインが言っていた、三年待っていたとかいうのは、本当は冒険者になれなくてもいいくらいの気持ちで覚悟していた、のかも。

 旅先でシトリみたいに、故郷の誰かが倒れたとか言われたら。そのまま言葉を交わせなかったら、後悔するかもしれない。それはその人を大事に思ってる分、辛くなる事だ。

(アーデインは気付いてて誘ってるみたいに言ってたのかな。放っておいたら、冒険者になる事を――旅立つ事を辞めてしまうかもしれないから。背中を押すために)

 …もしそうなら、最初から片側に傾いていた天秤はようやく釣り合ったのかもしれない。私も、ちゃんと言ったし。本当に決めるのは本人次第だ。どっちを選んでも後悔する事は、きっとある。難しい問題。それでも、決めてもらわなきゃ困る事だ。


 ……それにしても。


(あぁ、どうしよう。なんだか魔王より先に兄様に会いたくなってきた……会えないかなぁ…さすがに千五百歳は無理か…)

 肺の空気を出し切るほどのため息。

 妖精以外の魔族は、人間から離れた姿ほど長寿になる傾向はあるけど、兄様は元々体が弱い。安静にしてたとしても、あれから千年何事も無く生きてるのは、無理そう。魔女戦争もあったし。

(本人がだめなら子孫でもいいけど、異性からもててなかったから希望が薄すぎる……――兄様。この気持ちを魔王に向けるから、新しい器で私を忘れて生きてて)

 木々の隙間から空を見上げて、優しく笑った兄を想う。とっくに魂は新しい器に入って生きてるだろうけど、想わずにはいられなかった。

 魔王といる時は思い出す事もなかったのに。感情が戻るというのは、なかなか厄介なものだった。


 この気持ちは決して悪くなんて無いけど。



氷山の氷とかは気泡が混じってないため底の方とかが独特の青い色をしています。雪でも深雪の断面とか似た感じの青になってたりして、とても好きです。



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