風、陽射し、共に強く
氷や炎の精霊の加護を受けた魔族は、基本的に暑さや寒さに対して鈍感になる。私もそうだった。氷の精霊が暑いときは自然と体を冷たくしてくれたし、寒い時は元々ある耐性でなんとも思わない。だから、どこに行っても世界は同じだった。せいぜい、息を吸い込んだ時とか、あとは魔王が寒いとか暑いとか言ってそうなんだ、と思ったくらい。
だから、この人の姿で温度を感じるのは、少し好きだった。
本日の空は雲ひとつ無い快晴。吹き抜ける風は梢が大きく揺れるほどに強いけど、すごく爽やかだ。太陽は少し暑いくらいの日差しでも、日の下にいるのが苦にならない。とても過ごしやすくて、絶好のお出かけ日和というやつ。
ファソリの町の大通り。そこをのんびりとした歩調で私達は歩いてる。
「―――というわけで、一方的に喋られてた」
今朝の出来事、主にシトリの相談について話すと、頭の後ろで手を組んでいたアーデインはさほど驚かずに言った。
「なるほど、ね。あいつマジで告ったんだな……それにしてもシトリらしいっちゃシトリらしいけどさ。接近戦であいつに勝てる奴って、おれっち知らないぜ?」
「やっぱり強いの?」
私は道沿いの店をちらちらと覗きながら聞いた。
「強いも何も。あいつ単独でも竜とか倒せるんだぜ? デュナミス無しでも熊くらいは平気で仕留められるんじゃねぇかな」
腕は細かったような気がするけど、言われてみれば筋肉質だったような。雑貨屋に筋肉増強剤とかいうのを発見。きっとあれを飲んでる。
「でもまぁ、そこまで行ったんなら本人達の問題だろ。おれっち元々蚊帳の外だし。先は気になるけどさ、いくら昔なじみでもとやかく言う権利はねぇや」
アーデインは少し先まで駆けて、懐から硬貨を取り出すと指で高く弾いた。彼の前、道の隅には小さな露天があり、そこに立っていた半猪面の魔族――オークが空中で回転するコインを見事に捕まえた。彼は硬貨を確認すると、台においてある布袋ひとつをぽんとアーデインの手に落とす。
真っ黒いゴーグルをして、ほとんど裸の格好をしたオークはその後じっと私の方に顔を向けていた。居心地が悪い。そろそろと前を通ると、彼は無造作に袋を私に向かって投げてきた。
「にゃっ!」
突然の事で反応できず、袋は胸元にぶつかり、慌てて捕まえようとしたけどそのまま石畳の上に落ちてカシャリと軽い音と立てた。オークの奴はそれを見てケッケ! と引きつった笑い声をあげた。
「アーデーの言う通り、美人だ。が、そんな貧相、胸じゃ、嫁の貰い手にゃ、コマる」
種族自体は面識が無いわけじゃないから、片言の言葉には別に驚かない。けど、言ってる事にイラッとした。自分の体を貶されるのは気に入らない。私は袋を拾い上げて、オークの彼に詰め寄り、背伸びして睨みつける。
「好きなだけ言うといい。私は大きさよりも体全部の流線美が自慢。肉玉好きのオークにはわからないかもしれないけど」
「ケッケ! そういう娘、方が、意外と気にする。強がるな」
「強がってなんかない」
なんて失礼なオーク。いや、オークは昔から礼儀なんて知らない種族だけど。私はグルルルと唸ったけど、オークはどこ吹く風。その突き出た牙へし折ってやりたい。
「なぁグラッツ。おれっち一つ分しか払ってないんだけどさ。からかうつもりで投げたならさすがにおれっちも怒るぜ?」
アーデインが言うと、グラッツと呼ばれたオークは鬱陶しそうに顔の前を払った。
「違う、わかれ。サービスだ。貧相だが、美しい娘、だ。お前、今夜こそ、シトリ、酒場、来る。いいな?」
オークに指図されるのは嫌だったけど、たぶん行く事にはなる。だから、せめてもの意趣返しに言ってやった。
「……そこも驕ってくれるなら行く」
唸って言うと、グラッツは表情を消して、すぐにまた引きつった笑い声を上げた。
「ケッケッケ! いいだろう、気に入った! オレ様、グラッツ、だ。お前、名前は?」
「……ポルタ」
差し出された手を嫌々とると、彼は牙の突き出た口元を歪めて笑みを作る。
「あー……いい名、だ。渡る者、だな」
「…渡る者?」
「オレ様も、わからん。海、空、陸、世界、時代。お前、これから何かあるかもしれん。だが、名に纏わるならば、いい事だ。期待しろ」
その言葉はさっぱりわからなかった。手を離され、とりあえずもらった物に対してお礼を言って、私達はその場を離れた。
渡る者…。確かに、時代なら既に渡ってしまっているけど。
声が聞こえないくらいに離れてから、アーデインが袋と一緒に口を開いた。
「グラッツの叔父は占術師だったんだってよ。ガキの頃にちょっとかじって、名前占いくらいは出来んだってさ。今じゃ菓子作りが本職だけど、初対面のヤツにはあぁやって簡単に占ってくれんだよ」
ぱっと出てきたような言い方で本人もまるで理解できてないみたいだったけど。あまり気にしない方がよさそう。
私も自分の袋を開いてみる。目の細かい布袋の中は淡い黄色をした、一口サイズのキューブが入ってる。一つ口に入れてみると、蜂蜜の味が口いっぱいに広がった。食感はいい感じに硬い。ハチミツの飴だ。
……甘ッ。喉が渇く甘さ。悪くないけど一度にたくさんは食べたくない。
「でさ、クライエンの事はひとまず置いといて。実はおれっちの方もさ、ガッフの野郎の面倒が一段楽しそうなんだ。ポルタが良ければ、わりといつでも行ける」
「ほんと?」
聞き返すと「まぁちょっと条件はあるけど」と返された。思わず渋い顔。アーデインは言い辛そうに視線をさ迷わせる。
「えと、一週間待ってくれりゃ万全で出られる。予定通りの二人旅さ。けど、すぐにって言うと、あの、その、ガッファスが付いてくる」
ガッファス。昨日の夜、迷子になった私を見つけたコボルト。アーデインの弟子で、新米冒険者。アーデインが言い辛そうにしてるのは、私を含めて旅初心者が二人になる事を危惧してるのかもしれない。確かに、守る対象が増えるといざという時大変そうだ。あのコボルトの腕がどれほどかは知らないけど。
「んー…すぐに出たいけど、クライエンとシトリの事もちょっと、気になるかな…」
一刻も早く魔王についての有力な手がかりを、と思う一方で、世話になったオーグルの恋の行く末も気になる。正直、一週間くらい犠牲にしてもいいくらいには。
目を閉じるとボコボコにされたクライエンが見えてしまうけど。
行方が気になる点はアーデインも一緒のようで、がりごりと飴を噛み砕きながら頷いていた。
「ぶっちゃけおれっちもすっげー、気になる。シトリがどこまで手加減すんのか見ものだ。けどさ、ポルタにはずいぶん我慢させてるし、ポルタが決めてくれよ」
それは嬉しい言葉ではあるけど、どうしよう。
考えようとしたところでアーデインが手を伸ばして私を立ち止まらせた。そのすぐ後に、目の前をガラゴロと馬車が走って行く。どうやら、四方の通りがぶつかる地点にたどり着いたみたいだ。
昨日の混雑が嘘のように閑散としている十字路は、ちょっとした広場になっているけれど、今はすれ違う馬車の列で埋まってしまっていた。うかつに飛び出したら簡単に轢かれる。
「なんだか今日はいつもより多いな。渡れねーじゃん」
用があるのは南の通り。私達は西から来たのだけど、なんだか北の通りからも馬車が来てる。そっちもまた、別の町に繋がってるのだと思う。
少し待って、列が途切れたところで反対の道へ。そのまま南の通りを歩き始めて、思いついた。
「…そうだ。ガッファスに決めてもらおう」
アーデインが目を丸くした。この驚いた表情も結構見慣れてきた。目玉取れそう。
「え? なんで?」
「逆に聞くけど、一週間以内だとガッファスが付いてくるのは何で?」
アーデインは顎に手を当てて、青空に視線を向けてから説明してくれた。
「あー…まぁ、実は今日、午前中から魔物狩りさせててさ。午後も行くつもりなんだけど、魔物相手の立ち回りっていうか、生き残る方法を教えてんだよ。一週間くらい実戦させれば最低限のものは身につくだろう、って事」
魔物。そういえば今の時代の魔物の定義がわからない。スライムとか便利に利用されてるし。じゃなくて。
「じゃあ終わったら彼は独り立ち? それは本人もわかってる?」
「一人でなんとかしろ、みたいな事で終わろうと思ってるけど。どうだろうな。そういや教え終わった時の事いってねーや」
なんとなくわかってたけど、アーデインは細かいところがかなり適当。行き当たりばったりな所がある。
「わかった。なら、こうする」
甘い蜂蜜飴を噛み砕いて、アーデインの前に立つ。
「ガッファスが一週間後、独り立ちするつもりなら一週間待つ。アーデインについてくるつもりなら、三日以内に出る」
アーデインはぽかんと口を開けて固まってしまった。私はそんな彼の口に、袋から出した飴を一粒放り投げてやる。あ、喉の奥に。
「ウボッ!? ゲホッ! ゲホッ! あ、あぶねぇ…いや、待ってくれ、あいつがもし、わからないとか曖昧な事を言ったらどうすんだよ?」
幸い喉に詰まる事は無かったようだ。
「その場合は答えが出るまで待てばいい。その場合も一週間まで待つ。それまでにクライエンとシトリの事も何かあるかもしれない。決闘くらいは」
もしこのまま何もなく町で待つようだったら嫌だったけど、今はちょっと気になる事がある。どちらに転んでもおいしそうな展開。早く旅立ったとしても、後で手紙でも何でもいいから連絡もらえれば、それでいいし、魔王に関する事が落ち着いてから会いに来るのもいい。
(……フェンリルの私が魔王以外との絆を大事にする日がまた来るなんて、これも人の姿になった影響のひとつかな…)
時々、自分の感情が豊かになってる事が恐ろしくなる。前の私が消えてしまいそう。今はその考えは隅に置いて、現実へ。
喉から出てきた飴を口の中で転がしながら、アーデインは帽子の上から頭を掻いた。
「…おれっちとしてはあいつ結構生意気だからさっさと別れたいんだけどな」
「そう? ならアーデインが先についてくるなって言ってもいい。その場合も一週間待つ」
「いやいや。ポルタの用事だからさ。おれっちの事よりもポルタの――」
言いかけた言葉を、パチン! と顔の前で手を叩いて止めた。アーデインは身を竦ませて硬直。私はちょっと険しい顔をしてるかもしれないけどそのまま言った。
「確かに私の事だけど、これからアーデインは旅の仲間になる。だから、そんなに主体性が無いんじゃ、この先困る」
「えー…でも、ポルタはほら」
「特別扱いはキライじゃないけど、恩ばっかり売られるのは嫌。ちゃんとアーデインの意見も言ってほしい。同情してほしくて旅に誘ったんじゃない。信頼してるから誘った。忘れた?」
…信頼してるって恥ずかしい言葉だ。フェンリル的にかなり勇気が必要。魔王以外に言えるのって、肉親を除いたらいない。
私の言いたい事はちゃんと伝わったみたい。
「…………へへ。ちょびっと忘れてたな」
照れくさそうに指先で頬を掻いて、アーデインは前を歩き始める。
「言いたい事はわかったけどさ。ポルタの案で行こうぜ。ガッフが付いてきたいなら、早めに出る。そうじゃないなら一週間だ」
脇を通り抜けるタイミングで振り返って、歩調を合わせて歩き始めた。
私は歩調と一緒に、他のものも合わせるように努める。
「ん、アーデインがそれでいいなら、それでいい」
ゴブリンとフェンリルが対等なんて、という考えは今は持たない。いや、もう持っていてはいけない時代なのだけど、そんな考えは簡単に捨てられるような気がした。
町を抜けた初夏の風が私達の背中を強く押し、天高く上った日差しが行く先を照らす。
旅立ちの日は近い。
人の姿になったことがどれだけ心に影響を与えているのでしょうね? 今は楽しんだり懐かしんだり複雑な時期のようです。




