シトリの酒場
ふわふわゆらゆら。なんだか心が弾んでる。
お酒って素敵だ。楽しくなる飲み物。キュクロプスが作ったのは辛くて熱いだけだったけど、甘くておいしいこの果実酒はすごく気に入った。
「ふふふ、うふふふ…」
思わず笑い声も漏れちゃう。
私の前では楽しいショーが行われてる。場所は十字になった大通りの南側に位置する、町人向けの簡素な酒場。たくさんの円卓と椅子が並ぶ席の一つに、丸々肥えたオーグルが椅子に縛り付けられていた。私はそのすぐ近くの席でちびちびと木のコップに注がれた果実酒を楽しんでいる。爽やかなリンゴの味。
「ちょっとマスターさんッ! うちの子にお酒なんて飲ませないでくれるかのぅ! 子供に酒なんて道徳的にダメじゃのう!」
また子ども扱いしてる。
私は一度コップを置いて、クライエンの足に手を触れる。びくんと体がはねた。
「ちょっ、ポルタやめておくれ! 薬で本当に痺れてるんじゃ! 触らんでくれ!」
「……ふふふ」
「なんで笑うんじゃ!? ちょっとだれか助け――」
声にならない悲鳴。ちょっと楽しい。痺れ薬は麻酔じゃなくて、ほんとに体が痺れる薬だった。
ちなみに今酒場には三人しかいない。私とクライエンと、黒髪のエプロン姿の人間。お酒をくれたのは彼女。ニンフだって言ったら驚かれたけど、ちゃんと大人だって言ったら誰かさんと違ってお酒をくれた。その後彼女はずっと厨房の奥で作業してる。彼女はこの酒場の主人だった。
「ポルタさん。もっとやっていいですよ。痴漢は女の敵ですからね」
「だ、だから誤解じゃと」
「わかった」
ぺし。
「ぬああッ! ちょ、まじで、まじでやめてくださいおねげぇします…」
ふふふ。ちょっとだけ満足。まだまだ遊び足りないけど、ここのところずっとあった胸のもやもやは薄れてきた。でもまだまだ足りない。
「それで、お二人はどういう関係なんですか? クライエンさんのところに女の子がお世話になってるって話は聞きましたけど」
「き、きいとるんかいッ! だったらわかるじゃろ……この子が」
「奴隷」
ガシャン! と厨房の向うで大きな音がした。顔を見せた彼女は、背景が歪むほどの闘気に溢れていた。絶対にこの人強い。
「え? 奴隷? 奴隷とご主人様ですか? そうなんですか?」
「ちょっとポルタさん? ふぇん――のプライドとかどうしたんじゃ…嘘でも嫌じゃろ絶対」
小声でクライエンが心配する。確かに、それは耐え難い屈辱に繋がる誤解だけど、私は笑顔をカウンターから出てきた彼女に向けたまま、指はクライエンを指した。
「奴隷で」
次に自分。
「ご主人様」
ゴンッ! とクライエンが机に頭をぶつけた。というかたたきつけた。
「なぜそうなるんじゃッ! 確かに最初は頭があがらんかったけどぉぉぉ」
「え? どういう事ですか? え?」
目を白黒させる彼女。思わず笑ってしまう。
「ふふ、冗談。クライエンには山でずっとお世話になってた。いい人。さっきも服に付いた埃を払ってただけ」
彼女はすぐに納得したみたいに顔の前で手を打つ。
「あ、なぁんだ。やっぱりそうだったんですね」
「やっぱりって…わかっとったんなら殴らんでもよかったじゃろ…」
そこでようやくクライエンの縄は解かれた。まだ痺れてるらしい彼はだらりと腕を下げる。その間に私は床に落ちた大切な縄を回収した。これは本当に、大切な縄。これが無くなったら町にきた理由もなくなる。
「のぅ、ポルタよ。なんでおんが隠してた縄があるんじゃろ」
「さぁ? 鞄に混ざってた。不思議。あの家にはノームがいるのかもしれない」
「薬はどこから出てきたんじゃ?」
「………」
クライエンもしつこい。このフェンリル様がオーグルに余計な詮索は身を滅ぼすという事を教えてあげよう。
縄をしまってから、私はぽつりと呟く。声を滲ませて。
「本当はおっぱい触られた………………かも」
びたりと足を止めたのは厨房に戻り始めた彼女。
「ク・ラ・イ・エ・ン・さぁぁぁん?」
「ちょ、触っとらん! 触っとらんから!」
「ちょっと揉まれた」
「揉むほどないじゃろぉ! じゃなくてちょ、まてシトリ――ぬああああああ!」
彼女――シトリは殴らない代わりに全身にばしばしと張り手をかましていった。ふふふ、いい気味。
それから少し間があって。
食堂全体に甘い香りが漂い、ほどなくしてシトリが持ってきたのは狐色の丸い食べ物だった。
お皿に乗った円形のそれは天辺にバターの塊が乗っかっていて、熱でゆっくりと溶け出してる。そのうえにタップリと蜂蜜を垂らして、私の前に置いてくれた。お昼を食べてなかったから、おなかがなる。
「…これなに? いい匂い」
「え? えっと、パンケーキですよ。まぁ少し他のお店とは違いますけどね」
どうぞと薦められて、私はすぐにフォークを突き刺してかぶりつく。口の周りに蜂蜜がついてしまうけど、そんな事気にしなくなるくらいにふわふわで、甘くて、おいしかった。この食感は、あり。
そういえば、甘い系の食べ物はこれがはじめてかも?
「幸せそうな顔じゃのう…この店ではいつからこんなのを出し始めたんじゃ? あとおんの分はないのかのぅ?」
心なしかやつれたクライエンが言うけど、シトリは首を横に振った。
「クライエンさんには甘いものを控えていただかないと将来深刻な病気にかかって入院、という事も…」
「ばはは……はは…痩せようかの…」
深刻そうな顔で決意するオーグル。まるで魔王と和解を決める族長みたいな感じ。ちらりと私の方を見た。あげないよ?
「実は最近お菓子作りに凝ってまして。この町はあまり旅人が足を止めないでしょう? ですから昼の間に開けるカフェとかにしようかなって思ってるんです。最近は少し忙しいですけど、一過性のものですから」
かふぇ。たしかお茶所って意味だった気がする。軽食を提供する食堂。千年前には無かったものだ。
「前は宿にすると聞いた気がするがの」
「だから考え直したんです。荷馬車の護衛には冒険者が雇われますし、ちょっと休んでいくくらいなら丁度いいかなって。ただ、通りから離れてるのが問題なんですよね。やっぱり今のままの方がいいでしょうか?」
旅人が西から東に抜けていくということはあまり、北と南の通りには来ないという事。南側の道は古戦場と山道を経由したどこか別の町に行く道しかないから、人通りもほとんどない。それに古戦場は昔から不死者で溢れる危険な場所。旅人だって通らないはず。
私の推測を証明するように、さっきから窓の外を通るのは、農具を持った町の人と思われるコボルトや人間ばかり。
「……お店の場所を移せばいい」
単純にお店の場所が悪いなら移せばいい、という私の素人考えは、すぐに彼女に否定された。
「空家はあるんですけど、大事なお店なので出来ないんです」
「どうして? 味はいいのに」
「えっと、それは」
「んんッ!」
言いよどむシトリに、クライエンが露骨に咳払いを入れた。
「すまんがシトリ。今日はちょっと用事があっての。日が暮れる前に行かなくてはならん場所があるんじゃ。なに、味がいいんじゃ。立地なんて関係無く、すぐに人も集まるじゃろ」
励ましの言葉に、シトリは柔らかく笑った。その顔に少しだけ朱が混じってるように見える。む?
「そうですね。ありがとうございます。料金は千シシルですね」
「か、金取るんじゃの……」
その後、綺麗にパンケーキを平らげて、果実酒もちゃんと飲んでからシトリの酒場を後にした。時刻は夕方の五時。やっぱり朝のごたごたでずっと時間がかかってる。
少しふわふわした体は歩きにくく、転ばないように気をつけながらクライエンに問う。
「何か知ってる?」
「まぁの。よくある話じゃ。両親の形見の家を簡単に手放したくないだけ、じゃよ」
「それだけ?」
聞くと、クライエンは少し間を空けて「それだけじゃ」と答えた。その目に、私には向けなかった感情が宿ってる。
それだけ、それだけね。
私は言葉を反芻しながらちらりと後ろを振り返る。そこには見送りをしていたシトリがいて、私の視線に気付くと少し困ったような表情で手を振った。ただの見送りにしては、すごく名残惜しそうに見える。
「―――」
「ん? なんじゃ?」
小声で呟いた事は私の胸の中にしまっとく。違ってたら失礼。でも、他人の言葉を聞く事しかできなかった私は、少しの表情で人の感情を読み取るのが少しだけ得意なのだ。
二人の関係は知らないけど、きっと、私の予想は間違ってないと思う。
クライエンもシトリも、きっと単純な知人関係じゃない。
ここまで読んで頂きありがとうございます。




