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フェンリルさん、おいしそう  作者: ひなみそら
第四話:ファソリへ
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ファソリのウェイトレス


 クライエンは普段、大柄の彼でも楽に乗せて走る馬で町まで行っているそうだけど、今はアーデインが乗って行ってしまっているのでいない。代わりに私を乗せてくれてたロバがいるのだけど、今回は完全に置いて行く事になった。家畜化されても動物は動物だし、餌となる草はいっぱい生えてる。というかこの一ヶ月食べてるところしか見たことない。水だって森に入ってすぐのところに小川があったから大丈夫だ。野生化したらそれはそれ。

 歩きの旅はそんなに大変じゃなかった。荷物は最低限のものだけだし、空は雲ひとつ無い快晴。木漏れ日差し込む山道は涼しい風が抜けて気持ちがいいくらいで、足取りも自然と軽くなった。

 時々馬を駆る人間とすれ違う。クライエンは軽く挨拶していた。オーグルの彼が声をかけると相手も軽く会釈してすれ違って行く。まるで危機感が無い。いきなり腕を広げてつかまれるとか、考えないのだろうか。

 途中、私より先にばてたクライエンのために休憩を三回も挟んで、ようやく山を出たのがお昼になった頃。なだらかな丘が続く草原の中に、ファソリの町はあった。

「ま…ち?」

 町というと私の中では城壁があって、建物がゴチャリと詰め込まれてるイメージがある。けど、ファソリの町は遠目から見ると町の周りをぐるりと柵で囲っているだけだ。あってもせいぜい石垣くらい。オレンジ屋根の建物が真ん中に密集してるのは町の印象そのままだけど、たくさん人が住んでそうな気配は無い。

「工房のある山がファソリから南南西にあっての。基本的に商人等は西から東に抜けて行く。山を迂回した西にあるオリキオという町が鉱山の町での。そこで作られる鉄が東の諸国に運ばれるんじゃ」

 丘に隠れて全容は見えないけど、ファソリの町は東西南北に抜けられるらしい。主に人が通るのが東西を貫く通りで、南北の大通りは町の人くらいしか使わないのだそうだ。このまま進めば、私達は南側から入る事になる。

 よく目を凝らすと、南の道はクライエンの工房のある山に向かう道と、さらに南に進む道がある。その二つがぶつかる地点を指差して、私は汗を拭くオーグルに尋ねた。

「ファソリの南はどこに繋がるの?」

「ん、あぁ。あの道はの。『空の古戦場』に続いておる」

 首を傾げると、クライエンは先に進みながら解説してくれた。

「魔女戦争の際に大規模な空中戦が行われての。拒絶の魔女の率いる一億の軍勢にドラゴンとその眷属が戦った場所じゃ」

「ドラゴンが?」

 クライエンは大きく頷いた。それには少しだけ驚いた。

 ドラゴン族。聖域で傍観を決め込んだ長寿の種。多くの眷属がいるけど、ドラゴンと呼ばれる者達は人間と魔族が争うよりも前から生きていた者達だ。審判者、などと呼ばれていて、彼らが動くのは時代が変わる時――あ、だからこそか。

 魔女戦争は魔王が和平を結ぶ事なんかよりも、ドラゴンが動く価値がある、というくらいの変遷だった事は、今の私には理解できる。あまりに多くのことが変わっているから。

「知り合いでもおったかの?」

「うん。でも、仲良かったわけでもない。そういえば彼らの聖域とかどうなってるんだろう…」

 竜族の聖域。そこはとても美しい場所だった。樹齢千年を超える大木が生い茂っていて、木漏れ日は常に暖かく柔らかい。古代人が作ったという、森に飲まれた大神殿や、手付かずの自然。訪れる者を歓迎してくれるこの世界最大の秘境。プロペディアよりも北、私達魔族の住む領域よりもさらに北に存在していた場所だけど。

「さて、そろそろ到着じゃ。頼むからボロを出さんでくれよ?」

 意識を現実に引き戻すと、古戦場へ続く道と合流したところだった。さらに進んでいくと、共通語で『ようこそファソリへ』と掠れた字が掲げられた簡単な門があった。

 町に入ってもすぐに建物があるわけじゃなくて、片側には畑が。反対側には木箱が点々と置いてある田舎道が続く。

「あの箱は何?」

「あれはミツバチの巣箱じゃ。ファソリは養蜂が盛んなんじゃよ」

 養蜂、ハチミツ。この間アーデインが買ってきた蜂蜜はおいしかった。ついそのまま舐めちゃうくらいに。ハチミツは昔からあるものだけど、育てているところは見たことない。

 夏の風に乗って流れてきたのはハチミツの香り。暖めたときに立ち上る独特のあまったるい香りは、自然と口の中に唾が滲んでくる。パンにつけて食べるとすごくおいしい。そうやって香りのするほうに視線を向ければ、ぽつんと立った風車小屋の下に人が見えた。

 彼らも私達に気付いた――ようだけど、クライエンは気付かずにどんどん前に進んでる。知り合いじゃないのかな。

「おーい! クライエン! おーい!」

 知り合いだった。黒く四角い板を振り回していたのはゴーグルをした二足歩行の子犬――コボルトだった。擦り切れたシャツとズボンという井出達のコボルトは、手に板を持ったまま駆け寄ってくる。

「ん? お、ヴァルト久しぶりじゃ――ってちょいまてい! 巣板をもったままこっちくるでない!」

 ヴァルトと呼ばれたコボルトの周りにはミツバチが飛び回ってる。ミツバチは刺すみたいだけど、コボルトの毛皮の前にその自慢の針は届かないみたいだ。私もそのくらい大丈夫――じゃない! 私毛皮がない! しかも腕むき出しッ! あの黒いの全部ミツバチか!

 慌てて逃げようとしたけど方向転換のときに足がもつれた。まずい。このままだとまた頭うつ。瞬時にはじき出した答えは顔を上に上げれば大丈夫、というものだった。よしいける、実行。頭を思いっきり反らしたおかげで顔や頭は大丈夫だった。さすが私。けどおなかをしたたかに打った。ネックレスが刺さる。ぐふ。追い討ちで顎。息がつまり、あまりの痛みにそのまま体を丸める。

 手を付けばそれでよかった……のに…。

「お、おふ……」

 小刻みに震える私に、同情するような声が降ってくる。

「どうしたんでぃ? そのお嬢さんは…いきなり大いなる大地にボディプレスしたっけど」

「…お前さんが蜂を山ほど連れてくるからじゃよ。いいから戻れ」

「お、あぁつい『もっかり』したな。じゃなくて、今夜こっちに泊まるのか? いつものとこだろ?」

「そのつもりじゃ。ほれ、さっさといけ! 蜂がこっちにもきとる!」

 よろよろと起き上がると、ゴーグルをしたコボルトは手を振りながら戻っていくところだった。どうやらハチミツを回収する作業中だったらしくて、他の仲間のコボルトに怒られてる。さすがに声までは聞こえないけど。

「で、ポルタは大丈夫かの? オーグル族伝統の見事な大技じゃったが、地面相手にやるものではないの」

「は、歯がガチッていった……顎とか割れてない?」

 体を起こすけど完全に涙目だった。仕方ない。だって痛いもの。

 でもクライエンは私の顎が粉砕されてるかよりも服のほうに目が行ってた。

「あーあぁ、せっかくの芸術『初夏の女神』が台無しじゃ。ほれ立て、埃を落とすからの」

「………」

 すごく噛み付いてやりたいけど、大人しく立つ。白いシャツと淡い空色のスカートは埃でちょっと茶色くなってた。ぱたぱたと叩いて埃を落としても残ってしまう。

「怪我の方は無いの。まったく、気をつけんか」

 クライエンが腰を屈めて私のシャツの埃を落としていると、畑側から並々ならぬ殺気を感じた。養蜂してるほうじゃない、逆側に目を向けた私は、迫り来る新たな危機にとっさに体を引く。

「おわ、どうし――」

 服を寸前まで手にとってた彼は若干こちらに引っ張られたけど、直後には横腹に綺麗な飛び蹴りが炸裂していた。遅かった。


「このエロオーグルがあぁぁぁッ!」

「ぶふぇ!?」


 大柄な彼が一瞬だけ宙に浮き、地響きを立てて草地に落ちる。華麗に着地したその人物は、仰向けに倒れた彼の丸い腹に乗り、拳を上げる。

「セィッ!」

「うぼっ!」

 細い腕から繰り出される突きがクライエンのおなかに深々と突き刺さる。強い。深くへこんだクライエンのおなかはすぐに元に戻り、その上で黒髪の女性は指をポキポキ鳴らす。なにこの人間。

「クライエンさん? あなたこんな人の通る場所でいったい、なぁにをなさってたんですか?」

「ごふッ…ごかいじゃ、シトリ、まずはその手をおろ――」

「問答無用ォッ! せぁ!」

 ズンッ。

 思わず私までびくりとする深い一撃は、私が知るどの人間よりも鋭く重い拳だった。

 人間。そう、彼女は人間だった。黒く長い髪をポニーテールにして、着ているのは動きにくそうな長いスカートとエプロン。ウェイトレスってやつかもしれない。

「どなたかー。このオーグルを縛る縄もってきてくださいませんー?」

 馬乗りになったまま彼女は口に手を当てて呼びかける。縄? 縄…。

「ぐ、ぐふ…だから誤解じゃって……縄なんてすぐには――」

「ある」

「ちょっとポルタさん!?」

 私は自分の鞄から縄を取り出した。

「の、のぅポルタよ。何ゆえそんなきらきらした顔をしとるんじゃ?」

「…………」

「何か答えてくれんかの!?」

 私はクライエンから目をそらして、そのまま黒髪の彼女に渡した。

「あらありがとう。いい縄ね。縛っても痛くなさそう」

「痺れ薬もある。使う?」

「ちょま、ポルタ? この町で何しようとしてるんじゃよ!」

「ナニしようとしたのはてめぇだろうがッ!」

「グフッ!」

 クライエン……かわいそうに。

 その後しびれ薬で動けなくなったオーグルを、人間の女性が担いで運ぶという奇妙な光景がファソリの町に現れるのだけど、なんでこうなったのかはちょっとわからない。ほんとなんでだろう。ふふ。

 なんだか平和になった世界というのは、思ってたよりも面白いみたいだ。

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