四足の賢者の推測と怒り
「まったく、なにやっとるんじゃ」
大きな手でタオル越しに頭を撫でる大男が呆れたように言った。つん、とそっぽ向くと、乱暴に髪を拭かれる。
「みゃーッ!」
ぐしぐしと拭かれると髪が絡んでいたい。大きな手首を掴んで止めると、短いため息が聞こえた。
「幸い浴槽までは壊れんかったが、あの風呂は試作品といったじゃろう。強い力には耐えられんのじゃ」
「ならもっといい素材にするべき」
「それができたらとっくに売り出しとるわッ」
ぺし、と頭を叩かれる。オーグルの癖にフェンリルを叩くなんて。睨んだけど、オーグルにしては綺麗好きのクライエンは「ふん」と鼻を鳴らすだけだった。
箒を手にそのまま掃除を再開してしまう。私達がいるのはクライエンの家のリビングとなるログハウスだ。木目が落ち着く部屋の食卓で、私は自慢の深雪色の髪を乾かしていたのだ。華奢な体を隠しているのはアーデインに買ってもらった最初の服。一番着易くてすごしやすい。
私がこの体になって早くてもう、一ヶ月近くになる。体の動かし方についてはかなり慣れたもので、ここ数日は走り込みで基礎体力を鍛えて、あとは本を読んだり読み書きの勉強をしてた。読めなかった人間の字と、今使われている共通語は大体マスターした。字の方はまだまだ下手だけど。
クライエンは工房に篭ったり掃除したり家事したり。簡単な事は私も手伝ってる。そして恩人であるアルビノゴブリンのアーデインは、コボルトの弟子に冒険者としてのノウハウを教えてるために、三日に一度しか帰ってこない。次に帰ってくるのは明後日。
別に寂しくはない。断じて。
季節はすっかり初夏のそれで、開けた窓から拭きぬける風は爽やかで気持ちがいい。日差しはちょっときついけど、悪くない季節。
頭にタオルをのせたまま、掃き掃除中のクライエンの背中を見つめる。その大きな背中は怒っているようにも見えるし、憤慨してるように見えた。うん、確実に怒ってる。
「…クライエン、怒ってる?」
「怒っとらん」
不機嫌そうに言われても説得力ない。
「絶対怒ってる」
「怒っとらんよ。怒っとらんが、危険な目に合わせた自分には怒っとる」
はぁ、とクライエンは短いため息をついた。
「…あそこに金貨がまざっとったのはおんの管理不足じゃ。預かってる子を危険な目にあわせて、ましてやフェンリル様を危険に晒した自分が情けないわい」
「………心配してくれるのはいいけど、子供扱いしてる」
「今のお前さんは少女の姿なんじゃ。仕方ないじゃろ」
その言葉には少しむっとする。確かに私は人間の大人というにはいささか幼い姿をしてる。何も知らないならともかく、クライエンは私がフェンリルだって知ってるのだ。最初は崇める寸前だったのに。
だから椅子から降りて彼の前まで行った。そのまま丸い顔を見上げて言ってやる。
「仕方なくない。ちゃんと大人」
「いーや、子供じゃ」
ぽん、と頭に手を置かれて背中を向けられた。これにもむっとする。私は前に回りこみながら言い返した。
「子供じゃない。五百年生きてる」
「五百歳でもおんから見たら子供なんじゃ。最近は本当にフェンリルかどうかも怪しいわい」
なぬ。かなりショック。聞き捨てならない。
「私がフェンリルだって見破ったのはクライエンの方。疑うなんてどうかしてる」
「それとこれとは話が別じゃい。フェンリルらしからぬ子供っぽさって意味じゃ」
「むー、好き放題いわせれ、ばッ!」
「おわ!?」
背中を見せた瞬間に大きな背中に飛びつく。首に手を回して体全部を使ってがっちりと組み付く。
「な、なにするんじゃ! 降りんか!」
クライエンはさすがに私が飛びついたくらいじゃ、よろめきもしない。けど、背中に手を回して掴もうとしてくるから、口を大きく開けて、肩に寄せる。前からちょっとおいしそうって思ってた。
「ガヴ!」
「んぎゃああ!?」
クライエンのお肉は脂肪よりもどちらかと言えば筋肉質で噛み応え良し。甘噛みしかできないのが惜しい。
噛み付かれた彼はさすがに暴れ始めた。腕にこめた力を強くする。
「な、何するんじゃポルタ! オーグルなんか喰ってもうまくないぞい!?」
「知ってる。けどクライエンはおいしいみたい。安心して?」
「安心できんわ! えぇい降りんか! 本当に怪我するぞい!」
背中を曲げられて私の視界が横になる。けど離さない。そのまま大きな背中によじ登って耳元で囁いてやった。
「私は誇り高きフェンリル。五百年生きてた。魔狼族の厳しい成人の儀式だってちゃんと生き延びた。大人」
「わかったわかった。おんが悪ぅございました。おねげーですから汚ねぇオーグルの背中から降りてくだせぇ、汚れちまいます」
「………ふん」
本当にわかってるか怪しいけど、首に回してた手を離して床に下りる。
ちなみにクライエンは全然汚くない。暑くなってきた最近は一日三回冷たいお風呂に入る。今も石鹸の香りがしたくらいだった。
そんな綺麗好きの彼はかまれたところを撫でながら体を起こす。
「のぅポルタ。お前さん最近やけに不機嫌じゃのう。どうした? そんなにアーデインに会えんのが嫌かのう?」
「別にアーデインは関係ない。けど、気に入らない事はある」
「な、なんじゃ? おんが関係する事じゃないじゃろうの…?」
「………」
私は黙ってリビングを出て、駆け足で工房二階にある自分の部屋に向かった。ベッド二つ置けば埋まってしまいそうな部屋は、私が持ち込んだ本で散らかってる。その中から私が気に入らないと思う内容を記した数冊を手に、リビングに戻った。
「……なにしてんの」
戻ったらクライエンが床に崩れ落ちていた。すごい落ち込んでるようだけど。
「――ちゃんと歯も磨いとるし清潔にしとるし飯だって食わしとるし何が不満なんじゃ…? やはりフェンリルがオーグル嫌いという伝承は本当なのかの……ふふ、それもそうじゃの。気高く美しいフェンリルと醜く汚いオーグルとでは話にならんわい……いや、まてよ、ポルタは今は女の子の姿。女特有の月のモノという可能性も――ぶへっ!」
何か言い始めたから分厚い本でいい高さにあった頭を殴ってやった。角じゃないだけありがく思うべき。ついでに私が最近わかった事も教えてあげる事にした。
「私の推測だとこの体は人間によく似せてあるけど、おそらく純粋な人間じゃない」
「ど、どういう事じゃ?」
床にうつぶせに倒れたままの彼をそのままにして、席につく。
「人間はちゃんと親から生まれる。けど私はこの姿でいきなり生まれた。転生の性質かと思ったけど、色々考えた結果、その性質はどちらかと言えば妖精に近い。人間に近い姿をした妖精と言えば『ニンフ』がいる。私は人間に生まれかわった、というよりはニンフに生まれたと言った方がむしろしっくりくる」
そもそも妖精というのは、魔族だけどある日突然、ぽっと生まれる種族の事。自然が意思を持って命になったもので、歩く樹木のエント、茨の精ドライアド、大地の小人ノームや、風の心であるシルフなんかがそう。彼らには個性があって意志があるけど、親を持たないのが特徴。自然そのものでもあるから、精霊の力を最も強く行使できる種でもある。
そんな妖精の中でもニンフは土地の守護妖精とも言われていて、鉱物や植物、水源に恵まれた場所にだけ生まれる。必ず若く美しい女の姿をしていて外見だけでは人間と区別が付かず、そのため人間の男と結ばれる話もある。ただ、ニンフは歳を取る事がないからそれが原因で悲劇に繋がる事が多い悲しい一族でもあった。本来であれば人間側に近い彼女達が人間に迫害された。それが私の知る魔王が、魔王になると決意したきっかけでもあり、私が彼に心からついていこうとしたきっかけでもあった。
そして魔王が人間との和平を宣言した時、一番強く賛同したのがニンフ族だった。きっと平和になった今の世界で一番喜んでるのは、彼女達だろう。
それはさておき。
「調べてみたけど、人間の女には月のモノがあるけど、ニンフには無い。私もこの一ヶ月それらしいものは無かったし、魔力含有率の高い物質がなんとなく『おいしそう』に見えるから、ほぼ確実だと思う」
妖精は魔力の高い食べ物を好む。キノコとか。
「…なんてことじゃ。いろいろ気を遣う覚悟をしとったのが無駄になってしまったぞい……
クライエンが何か呟いた。私は無視して本を開き話を続ける。
「ニンフは女性だけの種族だから、子を望むなら他の種族の男が必要になる。もし出会った相手が魂が惹かれる――運命の相手であれば、近くにいるだけでニンフの体には子を宿す力が備わるらしい。ニンフが人間に近い機能を得てそれに悩まされるようになった時、それがそのニンフの恋の目安になる。だからこそ、魂と心の相違に悩まされてしまうニンフが昔から多い」
淡々と告げるとクライエンはむむむと低く唸った。
『馬鹿な! 恋とは知らず知らずに相手を好きになり目を合わせるだけで顔を赤らめ自身で否定しながらも徐々に相手を認め惹かれていく、そんな甘酸っぱいモノのはずだぞ! そんな股から血がでましたから結婚しましょうなど考えたくも無いわ!』
いつだったか、ニンフの谷に訪れた時のデリカシーの欠片もない魔王の発言が頭に響いた。魔王の声を聞きたいとは思うけど、私が求めてるのは残念な魔王じゃない。私を必要とする魔王だ。残念な方はいつだって噛み付いてやりたくなる。あの時も、頭からまる齧りにしてやった。
ようやく起き上がったクライエンは頭を掻きながら私の対面の椅子を引いく。
「なるほどの。その仮説が本当ならポルタはずっと子供の姿のままじゃな」
彼は言ってやった、みたいにニヤリとする。
「別にそうでもない。確かにニンフは歳をとらないけど、魔力が多く含まれる食事を続けると僅かだけど成長できる。きっとトークンとか食べたらすごい成長する。クライエン、トークンを使った料理作って」
「そんなもん食ったら即入院じゃよ……」
話がだいぶ脱線したけど、この認識は頭に止めておいて損は無い。その方が何かあった時混乱しなくて済むし、ニンフだからという言い訳はかなり便利そう。あと加えておくなら、ニンフの持つ土地の守護の力は生まれた土地から離れた私にはもう無い、という事くらいだ。
さて。
「それで、ニンフでフェンリルなポルタは何が気に入らないんじゃ?」
開いたページを彼に向けてから、私は順番に答えた。
「一つ、魔女ミデンが何者かわからない。二つ、私が探してる異常気象の情報が一切見つからない。三つ、私の体が勝手に使われてた」
私の体とは、もちろん『フェンリルの体』だ。
クライエンに見せてるのは『アーティファクトとデュナミスの違いについて』という本。デュナミスとは決定的に違う、魔女戦争時代に活躍した力の宿った武器や防具についての話だ。その中に私の――フェンリルの名を冠したアーティファクトがある。
「むぅ。フェンリルのローブかの……そういえばそんなものもあったのぅ」
そういえばって、本人が目の前にいるんだからもっと早く思い出してほしい。歯をむいて低く唸った私に、クライエンは少し後ろに椅子を引いた。床をひっかく耳障りな音が響く。
「いや忘れてた訳ではないんじゃ。この本に載ってるアーティファクトは贋物が多いんじゃよ。いかにもそれっぽいデュナミスを宿らせて作るんじゃ。これだったら氷のデュナミスとかの。だから実際にあったかなんて誰にもわからん」
私は机を叩いて身を乗り出した。
「でもその本にはフェンリルの皮を剥いで作ったローブって書いてある。死んだからってその躯から私の力を奪い取って、それで強くなった気でいるなんて許せない」
「ま、まぁまぁ。アーティファクトは強力じゃが、使用者にもリスクがある。『フェンリルのローブを纏った者は氷に蝕まれて命を落とす』と書いてあるじゃろう」
「当たり前。この私の力を無断で使うんだから。いい気味」
「怒る気持ちはわからんでもないがの……まさかフェンリルが記憶を引き継いだまま生まれかわっとるなんて誰も思わんし」
それはそうだけど、だからこそ気に入らない。
守護神にして勝手に祀り上げるのはまだいいけど、死体を使って作ったなんて不敬にも程がある。そこまでしないと魔女の軍勢に勝てなかったなんて言うなら、いっその事滅んでしまえばよかった。このローブは、私に対する最大の侮辱だ。
「グルルルル……」
「さ、さぁてそろそろ昼飯にしようかのぅ」
あ、逃げた。
唸る私を置いて逃げるクライエン。苛立ちが抑えきれない私は、ソファーに移動して不貞寝を決行する事にした。今はないふさふさの尻尾が恋しくて仕方ない。あれを抱いて寝れたらきっと気持ちいい。何で消えた。
短い夢はフェンリルの私が無法者の人間相手に暴れまわるとても気持ちのいいものだった。
大変デリカシーの無い発言をしました魔王様に代わってお詫び申し上げます。
尚、この作品は多くの幻獣が登場しますが、いずれも多少のアレンジを加えて登場しますので、予めご了承ください。




