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フェンリルさん、おいしそう  作者: ひなみそら
第四話:ファソリへ
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ユウワク


「はっ、はッ」


 世界のどこかにある山。その奥に少しだけ開けた場所がある。ログハウスと二階建ての石の家が並ぶその場所は、青々とした草が敷き詰められ、ちょっとした草原になってる。筋肉質のロバがもしゃもしゃと草を食むこの場所に、最近、四本の棒が等間隔で立てられた。

 その棒自体に意味は無い。しかし、それを目安に走り続ける少女がいた。


「はっ…はぅ――く、くるし……」


 少女の息は荒い。わき腹の痛みに綺麗な顔は苦悶に染まっている。健康的な白さの肌には汗が浮かび、後頭部で結んだ薄い青の髪が走る度に尻尾のように揺れ、華奢な体に合ったサイズのシャツは汗でびしょ濡れだった。それは細い足を浮かび上がらせる黒いスパッツも同じ。

「うーッ、つら、ひ、はぁ……ふっ…」

 ぱたっぱたっと足音を立てて走る姿をロバが眠そうな目で追って行く。少女は立てられた金属の棒の所で直角に曲がると、そのまま次の棒を目安に走っていった。

「ひ、ひぃ……も、もう、むりぃ…」

 一生懸命振っていた腕も下ろして歩調を緩めた少女。それから前に倒れ、勢いのままうつ伏せ状態で前に滑っていった。青々とした草は彼女を受け止めてくれ、おかげで怪我の一つも無い。

 しかしうつ伏せの少女は今にも死にそうな顔だ。あがった体温にだらだらと汗を流す彼女に、太陽は容赦なく光を注いでいた。ねぎらうというより止めをさそうとしてる。夏も近くなったこの季節、太陽の凶暴性は増すばかりだ。

 まったくだらしない。ものの二十分走ってただけなのに、まるで大陸の端から端まで走ったような感じだ。

 ……あ、だめだ。苦しい、なんか口から出そう。

 どんなに客観的に見ても走ってた少女は私だった。苦しすぎて泣きそう。そのくせ少しも風に追いつけなかったし、走った後にあるはずの心地よさは微塵も感じない。ただ足がだるくて脇腹が痛くて耳鳴りがして息が苦しくて暑いだけだった。

 あとすごい吐きそう。

 でも、大丈夫だ。この山にあるお風呂は癒しの力がある。どんなにへとへとでも、お風呂に入ればすぐに回復。気持ち悪いのも全身が辛いのもおさらばできる。だからこそ、必要以上に限界まで走り込んでたのだ。

 死にそうになってから入るお風呂は格別。以前の私には味わえない至福の時間が目の前で待ってる。

「ふ、ふふふ………」

 よろよろと起き上がって私は家に向かう。足ががくがくと震えていたけど、これから感じる「あれ」を思うだけで足が前に進んだ。

 シャワーを浴びて汗を流してから浴槽に全身を沈めて、疲れが全身から抜きとられて行くあの感覚――背筋を走るぞくぞくとした感覚も頭の中で静かに弾ける何かも、顔がとろけるくらいにきもちいい。疲れ知らずのフェンリルでは味わえないはずだったもの。つまりこの体だけの特権。ふふふ。

 家に帰って、まっすぐ脱衣所へ。汗まみれの動きやすい服を脱いで洗濯籠に放り込む。髪留めも外して、棚から清潔なタオルを一枚とって、お風呂場へ。

 黒と白のお風呂場はいつみても高級感がある。そこには大きな浴槽が一役買ってるわけなんだけど、実際にこの浴槽は世界にひとつしか存在していないものだから、本当に高級品。

 壁に備えてある(ぬる)めのシャワーで汗を軽く流して、順番に体を清めて行く。蛇口の横においてあるボトルは四種類あって、頭のでっぱりを押すと髪や体を清めるために必要なものが必要な分だけ得られるようになってる。これがとても便利。

 最初は髪。一番左の薄茶色のボトル。手を受け皿にしてでっぱりを押すと、注ぎ口から「むにゅる」と洗髪一回分の『スライム』が出てきた。ふるふると震えるそいつは、心なしか私を見上げているようにも見える。顔なんてないけど。

 スライムは超が付くほどの低級な液状の魔物ではあるけど、液状ゆえに切っても切れない、捕食した分だけ大きくなるという厄介な特徴がある。その昔、人間の町がスライムに飲み込まれて消滅したという悲劇があった。ちなみに仕向けたのは魔王。スライムは魔族の中でも害虫扱いだけど、このように大量発生すると大変な事になってしまう。

「………」

 しかし、私の手の上で震えるこの薄茶色の半透明スライムは、人間が錬金術という技術で生み出した人工スライムになる。よくしつけられていて、こうやって頭の上に乗っけると、頭皮の油や汚れだけを溶かす泡を出しながら広がって、最後には死滅する。哀れな生命。

 指先で頭をマッサージするように泡立てるとより効果がある。髪の先まで丁寧に洗ったら、蛇口を捻って無残なスライムの残骸を洗い流せば洗髪は完了。けどこのままだと髪が乾くと大変な事になる。

 そこで必要になるのが二番目のボトル。こっちもさっきのように出っ張りを押すと同じように一回分のスライムが現れる。さっきのは薄い茶色だったけど、こっちはクリーム色で、透けてない。心なしかやる気に満ちている。それも同じように頭に載せると、今度は生きたまま髪全体に広がっていった。

 最初のスライムは髪に必要な油まで取り除いてしまうので、二番目のスライムがそれを補う。薄く広がり髪の一本までコーティングして必要な油を染み込ませるのだ。そうする事で髪がぼろぼろにならないようにしてくれる。すごい優秀。

 ただ待ってるだけでは時間の無駄なので、その間に石鹸で体全体を洗っておく。走りつかれた体は少しむくんでたりするけど、私は残り二種類のボトルにいるスライムがあまり好きじゃない。一匹は全身を洗ってくれるスライムで、もう一匹がケアをしてくれるスライム。すごい便利なのだけど、くすぐったい。それでも何日かに一度は使ってるけど。

 丁寧に足の指先まで洗い終わった頃、髪に馴染んでいたスライムは再び形を取り戻して床に落ちた。そしてそのまま役目は終えたとばかりにでろでろに溶けてしまう。こうしてスライムの残骸ごと体を洗い流せば、準備完了。お楽しみタイム。

 浴槽には既にお湯が張ってある。ふたをはずして入ればすぐに体をじんわり温めて癒してくれるけど、まだ我慢。それじゃ一生懸命走った意味が無い。

 私は壁にかけてある袋を手に取った。そこにはぎっしりと胴貨が詰め込んである。木と、芽が出た種の刻印がされた硬貨。精霊の力が込められた『生命活性のトークン』。

 これをお湯に投げ込んで、設定された呪文を唱える事で浴槽に宿ってる『癒しのデュナミス』が起動する。そうしたらすぐに体を癒してくれる魔法のお風呂の完成だ。

 髪をタオルで纏め上げた私は、袋から銅貨を一枚取って、気付いた。鈍い赤銅色をしたコインの中に、一枚だけ綺麗な金色をしたコインが混ざってるのだ。金貨だ。

 人間になった私でも見てわかるくらい純粋な魔力が込められたそれを取り出してみて、ぞくぞくと鳥肌が立った。

(一枚でもあんなに気持ちいいなら、金貨で起動したらどれだけきもちいいんだろう…)

 それはもしかしたら危険な思考かもしれない。けど、止める者のいない今、私は胸の高まりを抑えきれずに、金貨を手にしたままお湯に浸かった。へとへとの体を包む優しい暖かさは思わず声が漏れそうになるほど気持ちいい。そこに、癒しの力が加わるともっと気持ちいい。それがもっと強かったら?

 気持ちよすぎて壊れちゃうかもしれない。そう思ったけど、好奇心と期待は止められなかった。

「モード、いち。起動」

 淡々とした呪文はちゃんと機能し、手に持ったままの金貨が淡い光を放ってすぐにお湯に溶けるように消えた。浴槽の底に浮かんでいた模様に金色の光が走って、すぐに手足の指先から何かが吸い取られる奇妙な感覚に襲われる。

 指先をつつくようだった感覚は、すぐに腕や足に広がって、内蔵がたくさん詰まったからだにまでやって来る。その瞬間、私の体は自分の意思とは関係なしにびくりとはねた。

「はっ――ッ!」

 目に見えない何かが体の表面を、内側を撫で回しているような感覚。それこそ筋肉の一本一本まで丁寧に解して疲れを取り除いてくれているような、感じたことのない刺激。いささか強すぎるそれは立ち上がって逃げ出したくなるくらい、気持ちが良かった。

「んッ……ッ……ふぁ――」

 口から変な声が出てしまう。堪えようとしたけど、腰が抜けるほどの快感がそれを許してくれなかった。もじもじと体を動かすけど、そんな事で体中を駆け巡る力は抜けやしない。

「や――ばい、こ、れ……きもち、よすぎ…」

 体の中から悪いものが取られていく。内臓から血の一滴まで、何もかも綺麗にされていく。口を手で押さえるけどだめで、自分の指に強く歯を立てて声を必死に押し殺した。

 この頃になると暖かいお湯に浸かった体全体に電気がバシバシと流れてるみたいになった。背骨を駆け登ってくる快感が頭の中でばちばちと弾けて、視界に星が舞った。走ってないけど息が荒くなって、涙が(にじ)んで、顔が熱くなる。

「はひ、はひ」

 自分がどんな顔してるか鏡で見てみたかった。きっとだらしない顔。体が快楽を得ていて気持ち良いけど、狼の私もそれを眺めて満足したいと主張していた。

 体の中で何かがこみ上げてきた。それがどんどん大きくなって、今にもはじけそうになる。怖い、けど期待するような気持ちで目をぎゅっと瞑った。

 そして、僅かな振動。弾けていた感覚はぴたりと止まり、ぴりぴりとしたもどかしさだけが残る。

「…へ?」

 強烈な光に目を開けた。お湯が黄金色に輝いていて、内側から盛り上がる。底についていた体が一緒に持ち上げられて、直後に一瞬先に起こる事を理解した。

 お湯が大きく膨らむ。まずいなって思ったときには遅かった。


「ひ、にゃああああぁ―――」


 地響き。

 叫んだけど、断末魔はかき消された。家どころか、山中に響き渡った爆発音で。

 私がどうなったかは、誰も知らなくていい。



ポルタさんの素がどんどん出てきます。

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