オーグルの用事
単純な作業ではない。槌を振る、鋼を鍛える、というのは。
リズムも強さも大切だ。熱く熱せられた鉄はただの鉄じゃないし、叩いて弾ける火花は余分なものが弾け飛んでいる証だ。さらに製作のデュナミス、とでも言うべき力が宿った槌は鋼を打つ度に対象の素材とデュナミスとの親和性を高めてくれる。打てば打つほどよくなる、という訳ではないが、加減は職人の腕の見せ所だ。鋼の息遣いを見極めるには色もそうだが、鼓動を感じなければいけない。
そうやって出来た、鋼であって鋼ではない『デュナミス鋼』を冷やし、まだ熱の抜けきらない状態で機械で加工する。世の中には様々な職人がいるが、彼――クライエン・イボヴォリはデュナミスによって鍛えられた鋼を使うことが、強いデュナミスに耐えられる条件になると信じている。
(とはいえ、アーデインの持つ強弩のデュナミスはおんが鍛えた鋼でも芯に亀裂が入るんじゃ……一点特化のデュナミスに耐えるにはやはりオリハルコンか魔獣の素材を使うのが一番、かもしれんのう……)
作業しつつも彼は考える。オリハルコンは、掘った地下に空気が届かなくなるほど深い場所から産出する俗に言うレア素材だ。希少だが強靭で、当然その分値段も高い。いくらアーデインの稼ぎが良くてもそれを使った武器を購入できるほど裕福ではないだろう。それに、オリハルコンは産出しても加工する事自体が不可能とまで言われているのだ。あくまでも通常の方法での話だが。
魔獣の素材はそれに比べれば手に入れやすい。元々精霊に祝福されている者の骨や皮は条件さえそろえれば、デュナミスの最高の器となる。クライエンはそっちの扱いは基本的に苦手なのだが。
「そもそも、アーデインが『強度強化』につぎ込めばこんな無茶な壊れ方はしないんだがの!」
工房に誰もいないことをいい事に叫んでしまった。
デュナミスはある程度、というか完全に成長させる能力の選択ができる。強度強化、威力強化、属性強化、特殊能力。強化すればするほど必要コストが跳ね上がっていくため、デュナミスの機能全てを開放する事はできないが、自分のライフスタイルに合わせて力を選択できるのが最大の特徴だ。うまく能力を割り振れば、多少弱い素材で出来た武器でも十分にデュナミスの能力に耐えることが出来るのだ。
しかし、短い期間でも冒険者をやっていたクライエンには、アーデインの気持ちがわからないでもない。世の冒険者、特に男には『一撃必殺のロマン』がある。例えその一撃で宿っていた武器が粉々になろうとも、必殺技ともいえる一撃を放てるのなら他のあらゆるものを犠牲にしても構わないのだ。ちなみに犠牲になるのは必要となるトークン、つまりお金であるが。
板状のデュナミスには割り振った能力が見れる機能が備わっているのだが、クライエンはアーデインのデュナミスだけは見たことが無い。見た時に、本当に威力強化だけに振ってたら怖いからだ。ロマンはわかるが、実際にやる奴はそうそういない。あれは後先考えない奴か、酔狂な奴がやるものなのだ。
(…まぁ壊れ方からして何か強い一撃をこいつで受けた感じじゃの。あやつを守って壊れた、というのならこの子も本望じゃろう)
アーデインに渡していたクロスボウは細かい部品が組み合わさった、デュナミスに高い親和性を持つ上位の武器だ。分解をしてしまうと、必要以上にたくさんの部品になってしまうが、その一つ一つにクライエン独自の隠し味が施されている。
加工が終わったデュナミス鋼のプレートを、研磨、さらに調整をかけていく。そうして出来上がった部品を、これもデュナミスの宿った道具で細かい模様を刻んで行く。外装ではなく、組んだときにはむしろ芯に近い場所に来る部品のためどうせ見えやしないのだが、なんの変哲も無いこの模様が組みあがった時に、デュナミスの効果で弩そのもののあらゆる性能を引き上げてくれるのだ。それこそ、力の弱いゴブリンでもやすやすと扱えるくらいに。
刻む模様は世界の守護を司る『月吠える狼』の印だ。燃え行く世界を命を賭して救った神狼を示す刻印だが、刻んでから彼は片方の眉を上げる。
刻印自体には意味は無く、何かを彫る事が大切なのできちんと効果はあったのだが、これが彫ってあった部品が壊れた頃にまさか本物のフェンリルを拾ってるなんて、皮肉なものだ。
あとは机で組み上げるだけとなった作業に、クライエンは大きく息を吐く。幸い失敗する事も無く鋼から作る必要はなさそうだ。炉の入り口のシャッターを閉め吸気口も全て閉じる。焼けていたコークスはほどなくして酸素を失い、全て冷たくなるだろう。
そこでようやく、クライエンは家の外が真っ暗になっていることに気付いた。作業をし始めると時間を忘れる彼は普段は気にもしないのだが、今日ばかりはやってしまった、と思った。家の中には、本来であれば頭も上がらない人物がいる。
ひとまず、干したままの洗濯物をしまおうと思った彼だったが、干した場所まで行って驚く。そこには洗濯物が一つも無い。風にでも飛ばされたかと思ったが、辺りには靴下のひとつも落ちてなかった。
(まさか――いや、あの方も子供ではないのだ)
家に入ると入ってすぐの場所に乾いた洗濯物のつまった籠があった。さすがに畳んではくれなかったようだが、大切な友人の客なのだからむしろそれだけでありがたい。
そしてその本人は、というと明かりの無い部屋の少し奥、ソファーで分厚い本を広げたまま寝ていた。薄い、深いところにある雪を思わせる綺麗な青の長い髪。華奢な体つきに白いが、病弱という印象を受けない美しい肌。丸い顔立ちは目を閉じていると思わず唾を飲み込むほど美しく、それでいてかわいらしい。そんな人間の少女が彼のぶかぶかの服を着て寝ているのだ。細い首も、柔らかそうな頬も、控えめな胸も、無防備な姿も、一度足を止めてしまえばいつまでも眺めていたくなる不思議な魅力に溢れていた。まるで目にするものを魅了するように。
気がつけば、クライエンの心臓はどくどくと脈打っていた。最初は『こんなところで寝て』くらいの感情が少しずつ別のものに変わって行く。
足が動き出した時には、細かい思考などしていなかった。
窓から差し込む星明りを遮るように立った彼は、細くてしなやかな足に最初に目が行った。白くきめ細やかな肌、爪先からふくらはぎも美しいが、膝から上――腿はさらに鼓動を強くさせてしまう。シャツの裾で肝心な場所はは隠されているものの、無防備に晒された脚部は冷静さを失わせるには十分すぎる魅力があった。
すぅすぅとかわいらしい寝息を立てる少女は、拳を握って立ち尽くすクライエンに気付いていない。理性と衝動の間で戦っていた彼だが、ごくりと生唾を飲み込むと、ついに床に膝を着いて手を伸ばす。
触れてしまいたい。撫で回してやりたい。このかわいらしい顔が嫌悪感に染まって歪むのを見てみたい。むちゃくちゃに犯してやったらどうなるだろうか? ただでさえかわいい少女なのに中身は伝説の守護神だ。どんな声で、言葉で助けを請うのか聞いてみたい。
どうせ、この子を守るゴブリンは今日は帰ってこない。
舌で唇を湿らして、彼の大きな手はついに少女に触れた。
「ん……」
とろんとした深い青色の瞳がオーグルを見上げる。その目は完全に寝ぼけて焦点も合っていないようだった。
そんな状況もわかってなさそうな彼女に、彼は口の端を持ち上げて言う。
「こんな時間に寝たら夜眠れなくなるぞい?」
優しい表情で、そういった。それだけで、さっきまであった衝動は鎮まる。
触れたのは彼女の肩だ。細くて折れてしまいそうな肩でさえ、触れていると妙な気分になる。すぐに手を離した彼は、のろのろ起き上がって目をこする彼女にお礼を言った。
「洗濯物取り込んでくれてありがとの。一日退屈じゃったろう?」
「へい、き……ずっと調べ物、してたから」
大きく伸びをするといろいろ見えそうになる。むしろ見えた。開いていた本が床に落ちてページが折れ曲る。クライエンは再び鎌首を持ち上げた欲望を押さえつけて、落ちた本を拾い上げる。
「異常気象と地形の関係? なんじゃ、勉強かの?」
開いていたページをそのまま開いて拾ったつもりだが、指を挟んだそのページは『原因不明の異常気象について』の記録だった。そんな彼に、少女は上目遣いに聞いてくる。
「血の色の夜か、朽ちた日輪の記録がないか調べてた。クライエンは知らない?」
負のイメージを彷彿とさせる単語だったが、どちらも知らない。天候に纏わるもののようだが。
「空が真っ赤になる夜と、太陽を囲う光の輪が黒くなった日。昔でも、最近でもいい。何か聞いたことない?」
寝起きで涙を湛えた瞳は真剣そのもの。クライエンは今度こそあらゆる衝動を押さえ込んで、深く考えた。
「最近ではそんな妙な事は、無いのぅ。百年以上前の記録はわからんが、あったら噂になってそうなものじゃ。すまんが、わからん」
「……そう」
正直に話したが、しゅーんとうな垂れる少女は別のベクトルで触れたくなる。愛護欲とかそういう方で。元々彼は子供は好きで動物好きだった。少女で元フェンリル、狼ならなおさらだ。クライエンは己の持ってる知識を使って彼女を元気付けようとする。
「昔の記録をみたいんなら情載都市に行けばよい」
「城塞? 要塞?」
「ジョウサイじゃ。情報掲載都市プラシティニカ。あらゆる情報や最新の技術まで集まり広く掲示する独立都市じゃ。この世界でおきた事全てを網羅しようとしてる場所じゃからの。知りたい事も知れるじゃろ」
「ここから遠い?」
「遠いのぅ。しかしまぁ、列車に乗ればすぐじゃ。ただ都市そのものに入れても、肝心の大図書館には一筋縄では入れん。お前さんがすぐに行ったところで門前払いじゃ」
あの都市は独自の審査で通過した者にしか情報を与えない。情報は悪用される可能性もあるし、開示されれば混乱を招く事も平気で持っている。だからこそ、審査を厳しくしているのだ。
「おちついたら、行きたい」
少女のまっすぐな瞳に、クライエンは腹を擦って笑った。
「ばはは、目的地が出来たのはいい事じゃ。しかし今は焦らずこの世界になれるとよいですぞ? フェンリル殿」
おどけて言うと、彼女も柔らかく笑う。それもまた、魅力的だった。
「さて、おんはシャワーを浴びてくる。その後すぐに夕食にするでな。まっとれ」
壁にあるスイッチ一つで明かりを点ける。それだけで世間知らずの少女は驚いたみたいだ。
風呂場へと向かいながら彼は思う。欲望に勝った自分を褒めてはやるが、本当に、つくづく思うのだ。
あの少女はオーグルとか関係なしに、ごちそうに見えてしまう。と。




