アルビノゴブリンの用事
成人でも人間の子供程の大きさのゴブリンであるアーデインには立派な馬よりもロバのほうが体格にあっている。若く力強くて頼りになる相棒だが、やはり本物の馬には勝てないものだ。
友人のクライエンの飼うこの馬は名前をつけないのが勿体無いくらいに引き締まった体をしていて、背中に乗るゴブリンなんていないも同然に走る。きっと旅の荷物をくくりつけても同じだ。なんせ、あの太っちょのオーグルを乗せても平気なのだから。ゴブリンの旅の荷なんて虫が止まってるくらいにしか感じないだろう。
クライエンの住む山を降りて少し進むと、小さな町がある。大昔は町に名前なんてなかったそうだが、今では積み重なった歴史や出来事にちなんで偉人の名を借りる場所があちこちにできた。そうやって名前がつけられない町は焦って土地柄とかを大昔の言葉や名前を使っていかにもな町の名にするのだ。
さて、第二の故郷であるこのファソリの町はどうだったかな、と最低限の荷物を詰めた鞄を提げたアーデインは思いつつ、町の始まりを示す質素な門を越えた。これを越えるといきなり子供が飛び出してきたりするもので、馬の歩調を緩める。
ファソリの町は穏やかな丘陵地帯に存在する田舎町だ。麦や豆を育てるよりも養蜂を主体に行ってるため、少し道をそれると四角い巣箱が置いてあり、しきりに働き蜂が出入りしている。蜂蜜は栄養価が高いために旅人が盛んに買って行く。それほど大きくなく旅の通過点でしかないこの町だが、町の人の収入だけはやたらといいのだった。
道沿いに進むとそのまま商店街に差し掛かる。馬車や人が往来する場所ではあるが、やはり田舎町であるため活気があるとまでは言えなかった。知り合いが多い身としては寂しくも思う。
(ま、ファソリは欲を知らない奴等の集まりだしな。この辺じゃ魔物の勢力もたかが知れてるし。だからこそ人が通って銭を落としていくから、食うには困らないし、危機感もないんだよな)
アーデインはさらに馬を進め、通り沿いの店の前で馬から飛び降りた。ゴブリンの身である彼には足をくじかねない高さではあったが、冒険者として数々の死線をかいくぐった彼には屋根から飛び降りたとしても無傷でいられる自信があった。普通、他の町では馬は決まった宿や預かり所である厩舎においてくるものだが、アーデインは近くの街灯の根元に手綱を結んだ。
そんな彼を常識知らずの無法者、とでも思ったのか。彼の前に立ちふさがる人物がいた。
「おいゴブリン! そんなとこに馬とめるんじゃねぇよ!」
ここで町の数少ない警備兵の一人だったらアーデインは驚かなかったのだが、彼を呼び止めたのは彼と同じくらいの身長の人物だった。
「なんだよ、聞いてるのか? 誰がお前達の馬が落とした糞を掃除してるとおもってんだよ。おい!」
その人物は全身が毛むくじゃらだ。毛深いとかそういうレベルじゃない。服を着て、二本足で立っているが彼らは尻尾があり何より獣の顔をしている。
子犬のような顔をした亜人。コボルトだ。
ゴブリン族のアーデインと同じで、成人しても人間ほど大きくならないのが特徴だ。ただ、同じ小さい種族でもキモカワイイ系であるゴブリンと、純然たるカワイイ系であるコボルトでは、世間様の局地的人気に圧倒的な差を生み出していた。
おまけに老いればしわくちゃになるゴブリンと違い、毛皮で覆われてる彼らは年齢がわかりにくい。声も万年甲高く、コボルトによる年齢詐称事件は後が絶えないくらいだ。
もっとも、アーデインは相手が年上だろうといつもと変わらない口調で語るのだが。
「あぁ悪いね、いつもご苦労さん。あんたが言いたい事はよくわかってっけど、おれっちこの店にちょっと用があるんだ。馬が素敵な落し物を出す前にぱぱっと用事済ませるからさ。簡便してくんないかな?」
言って、指差した店に入ろうと軒先の段差に足をかけたところ、通せんぼをするようにコボルトの男が割り入ってくる。
「いいやだめだ。ちゃんとルールは守れ。お前みたいな『ちょっとだけ』っていうやつを見て、他の奴がまねして免罪符にすんだよ。田舎だからっていい加減なことすんじゃねぇよ」
その言葉はまったくの正論だった。アーデインは種族としてのライバルに一瞬言い返そうとしたが、これに言い返したらそれこそこれだからゴブリンは、みたいになりそうだから止めた。
「わかったよ。おれっちが悪かった。知らない町でもないしな。ちゃんとしたところに置いて来るよ」
「そうだ。ちゃんとしたところに置いてこい。なかなか聞き分けのできるゴブリンじゃないか」
「へっへ。まぁな。あんただってちょっと見ないくらいにいいコボルトじゃんか」
こうして結んだばかりの手綱を解いたアーデインは再び馬に跨る。一つ先の道を折れて進み、ほどなくして一軒の建物へ辿り着いた。その外見はどうみてもその辺の宿か酒場にしか見えないが、ちゃんとした冒険者組合の建物である。
冒険者の中には馬を所有している事も多いこの時代、冒険者組合にはどこにいっても立派な厩舎があるもので、ここも例に違わず二十頭は楽に入れる厩舎がある。ただ、ちゃんと使われているのはほんの三つ――四つだけだった。
干草や水の用意は完全に自己管理。干草だけは組合に言えば売ってくれるが、今は借りてきた桶に水を汲んで、それだけで我慢してもらう。すぐに水を飲み始めた馬だが、不満げな瞳をアーデインに向けてきた。
干草を買うために組合に先に顔を出す事も考えていたアーデインだが、どうせ今夜は組合経営の安宿を使うつもりだ。他の用事を済ませてからのほうがいいだろう。
出発前に大食いのオーグルに頼まれたいくらかの食材は明日でいいとして、まずは服だ。これを忘れると、彼は近々出血多量で死んでしまう。その前に理性を手放せれば大したものだが、異性とそういう経験をした事のない彼は、既に自身を見限っていた。
(ポルタもポルタなんだよなぁ……千年前からあぁならしょうがねーけどさ。女の子ならもっと恥じらいを知れっての)
わざとらしく頭を下げた彼女が顔を赤らめる姿を思い出す。さらには事故で押し倒した直後の表情も。その間は記憶に無い。捨てた。なんだかこうして思い出すだけでも、助けた直後の何も纏わぬ姿の方がよほど刺激が少ない気がしてきた。
「あぁやべ、鼻血でそ」
馬で来た道を辿りながら長い鼻の下を押さえるアーデイン。助けた女の子、しかも自分を慕って頼ってくる相手にいやらしい感情を抱きたくは無いのだが、そう思うにはあのポルタという少女は魅力的過ぎた。怒るととてつもなく怖いのも知っているが、それはそれでなぜか、こう、ぞくぞくする。
(おれっちそういう気があったんだなぁ……でもやっぱり綺麗な子だからか? でも、そうだよなぁ。ちょっと普通の子じゃ悪いけど脱いだところでなんとも思わないや)
そうやって先程の店の前まで戻ってくると、道の掃き掃除をしていたコボルトと目が合った。会釈だけして今度こそ普通に店に入ろうと段差に足をかけたら、またもやコボルトが通せんぼをしていた。これはさすがに、ゴブリン族への宣戦布告ととっていいだろう。
「……なんだよ。馬はちゃんとしたとこに置いてきたぜ? まだなんかあんのか?」
顔を寄せて睨みつけると、相手も負けずに睨み返してくる。
「違う。けど、お前あっちに曲がったって事は冒険者なのか?」
「だったらなんだよ。依頼だったら組合通してくんねーと困るぜ? 主に税金とかがさぁ」
「いいから質問に答えろよ。じゃないと集めた馬糞ぶつけっぞ」
地味に恐ろしい事を言うコボルトだった。しかしアーデインも引かない。鼻と鼻がぶつかる距離へさらに詰め寄る。
「店前で馬糞ぶちまけようとすんな。おれっち自慢だけどそこそこの腕の冒険者だぜ? お前みたいな訳わかんねーガキにいちゃもんつけられる筋合いはねーのッ」
「ガキって決め付けんな……おいらはもう十六だぞ。立派な大人だ」
「十六っておれっちより全然したじゃん。あ? っていうことはもしかしてお前、ガッファスか?」
「え?」
途端、アーデインは後ろに引いて、コボルトの肩を両手でばしばし叩く。
「うっわー、お前おっきくなったなぁ! 子犬みたいだったお前が立派にコボルト臭くなりやがって! 母さんのタエニアは元気か? ってかここお前んちじゃーんッ! ははは!」
「てッ、いてぇよ! お前マジで誰だよ!」
跳ね除けると、アーデインは嬉しそうに笑いながら頭の後ろを掻いて言う。
「へへへ。覚えてねーか。おれっちはアーデイン・ボルバッティア。三年位前かな。お前が冒険者ごっこでいなくなったのを助けてやったんだ」
「え…あ、えぇ!? まじで? え、でもあの時ゴブリンなんていなかったはずだけど…」
その言葉にはショックを受けたようだった。笑顔が引きつり、アーデイルは視線をそらす。
「う、まぁ、おれっちは後衛だからな……後ろから矢で攻撃してたんだ……帰り際とかおれっちが寝ちゃったお前を背負ってたくらいなんだけどな……はは…」
「そうなんだ……それはその、ごめん」
お互いにぎこちない空気が流れる。三年前、母コボルトのタエニアの緊急依頼で行方不明になった息子を捜索する事になった。その子は東の森に巣食ってた巨人のトロールに攫われていて、やっとの事で作った即席の冒険者パーティで苦戦しながらも討伐したのだ。救出後、緊張の糸が切れて眠ってしまった子供を、一番傷が少なかったアーデインが背負って帰ったのである。
「でさ、なんでそんなにおれっちに突っかかってくるわけ? てっきりおれっちが覚えてないから怒ってんのかと思ったんだけど」
「それはえっと。あのさ――」
コボルトが何か話してくれそうになった途端、彼の後ろのドアが勢いよく開いて彼の後頭部を直撃した。痛みでうずくまる頭に、容赦ない拳が落ちる。
店から出てきたのは、スカートにエプロン姿のコボルト。犬というよりも狐っぽい顔をした彼女こそ、少し話に出てきたタエニアであった。
「ガッファス。あんた一体彼に何を言おうとしてたんだい?」
頭を抑えていたコボルト、ガッファスはそっぽを向く。
「別に母さんには関係ないだろ」
「関・係・ある!」
ゴンッ。
「――ッ!」
「あたしゃあんたの母親だよ! ほかにどんな理由があんだい!」
「う」
涙目になりながら振り返ったガッファスは強く母を睨んで吠えた。
「うるせぇよ! おいらの事はおいらがきめんだ! バカーッ!」
タエニアが三度目の拳を振り上げた途端、ガッファスは駆け出した。そのまますぐそこの角を曲がって、見えなくなってしまう。
「……おいおいなんだってんだよ。反抗期か? まぁおれっちもあの位の頃はやたらと食って掛かってたし気にしなくても――」
タエニアのほうへ向き直ったアーデインはぎょっとした。タエニアが拳を振り上げた姿のまま、涙を流していたからだ。
「あの、タエニアさん? おれっちちょっと服がほしいんだけどさ…ほ、ほら、おれっちでよければ話し相手になるし…」
アーデインがおろおろしてそう声をかけると、ぴたりと涙が止まった。
「え?」
「言ったね。じゃ、まずあがんなさい。口で言ったからには最後まで話を聞いてもらいますよ」
「え? あ、ごめんちょっと。ま――アーッ!」
逃げようとしたアーデインの首根っこを掴んで引きずっていくタエニア。それを道行く待ち人が見ていたが、またか、という同情の哀れみだけで誰も助けようとしなかった。どうやらこんなのは日常茶飯事らしい。




