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フェンリルさん、おいしそう  作者: ひなみそら
第三話:時、風の如く過ぎ行く。心、彼方に在りけり。
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今一番したいこと

 ぱち、と目を開けたら涙がこぼれた。ソファーの肘掛に頭を預けてた私は、目を見開いたまま横向きに涙を流す。

 燃え尽きた薪を孕んだストーブが滲んで見えた。窓の外から差し込む光が綺麗で仕方ない。

 私は木の天井を仰いで、自分の細くて頼りない腕で目元を覆った。本当ならあったかもしれない光景を夢の中で垣間見て、言いもしない言葉を自分が生み出した幻想に過ぎない影が言ってひどく傷つけられた。そして、今一番自分が欲しているものをありありと示したのだ。

 鼻の奥がじんと熱い。なんだか今すぐ本物の魔王に会いたかった。なんでもいいから命令してほしかった。私が必要だと言ってほしかった。

 千年経ってる。わかってる。平和になってる。わかってる。魔王が望んだ世界がここにある。わかってる。

 全部、理解してる。受け止めてる。否定なんてしない。けど、認めたくない。

「やだ……」

 認めたくない。私が、必要ないなんて。

「魔王、どこにいるの? 会いたい。会いたいよ………」

 今、魔王の傍に私がいないなんて、認めたくない。

 私が必要だって言ってほしい。私がいなければ意味が無いって、世界をむちゃくちゃにしてほしい。それくらい、私は彼が私を必要としてると思ってた。

 でも、世界はむちゃくちゃになってない。滅んでなんていない。彼の望んだ世界に、なってる。

 魔王はこの世界のどこかにいる。絶対に。私が転生したのだ。彼がまだなんて、考えにくい。今頃どこかの王様か、そうじゃなきゃ身を隠してるに違いないのだ。

 強く目元を拭って体を起こす。ソファーから足を下ろして、前に歩こうとして、よろけて、手をついた。

 まだうまく歩けない。もどかしい。本当にもどかしい。私が最初から歩けたら、今頃魔王を求めて走ってるのに。

「こんなもの……」

 この体は基本的なことをするための機能はちゃんとある。それをうまく扱えてないだけだ。だから、意識の一つ二つで劇的に変化する。

 単純に足を持ち上げるから歩けるんじゃない。バランスをとるには足首の動きが大事だし、前に進むとき、地についてる足の方は必ず踵が浮いてから前にでるのだ。そして、立ち止まるときは前に出てる足の先に力を入れると上手く止まれる。これは狼の時も同じだった。

 狼との一番の差異は、踵をつけること。今の感覚であの頃の歩き方に照らし合わせると、踵を浮かせて両手を地面についてる状態に近い。だから、ついつい爪先立ちで歩こうとしてしまって失敗する。地面に接してる足の面積が少なければバランスを取るのだって難しいに決まってる。

 昨日一日ロバに揺られて上半身のバランスのとり方はマスターした。だから、膝や足首の使い方だけちょっと意識すれば、大丈夫なはず。

 最初は足を肩幅。膝を曲げて踵を浮かし、股関節を動かして前に出しつま先、踵。そっちに重心を移して、反対。大切なのは速度。もちもちしてると倒れる。

 足一つ分だった歩幅は、ちょっとずつ大きくなる。散々色々と考えたけど、結局大切なのは『前に蹴りだす』という事だった。浮かした足が地面につくころに、反対の足で蹴りだす。これだけでずいぶんスムーズに歩ける。狼の時だって走るときはそうしてた。むしろこんな簡単な事になんで気付かなかったんだろう?

「は、ははっ。こんなの、簡単。かんたんだ」

 最初は両手を広げて歩いてたけど、すぐに手を振って歩けるようになった。後ろで手を結んでも大丈夫、歩調を代え、歩幅を変えて、ちょっとジャンプして、踏み出したときにくるりと回ってみた。薄青の髪が後を追って回って、さらさらと落ちる。やってみればなんてことない。

 これで魔王に会いにいける。

「いま行くね。まお――」

 はやる気持ちのまま踏み出したら、自分の右足に左足をひっかけて顔面から倒れこんだ。盛大な音が響く。ごんっとか、ごいんとか、いい音が……一拍置いて、喉から声が漏れた。

「お、おぉぅ……」

 動けない。動けないくらい、痛かった。 


「お、おいポルタ! 大丈夫か!?」


 音は外まで聞こえてたみたいで、アルビノゴブリンのアーデインが飛び込んできた。床に抱きついたままの私をひっくり返して、煙が出てるであろう額を見てうわぁ、と声を上げる。

「あーあぁひっでぇ。血が出てるぜ? まじで大丈夫かよ?」

 煙じゃなくて血が出てるらしい。そういえば視界がぐらぐらしてる。あれ、なんだか急に冷静になってきた。目が覚めた感じ。

「あーでいん。酒臭いんだけど」

「あ、わりぃ。実はちょっと二日酔いでさ……それより今、氷とかもってくっから」

 おかしいな。さっきまで感傷的な気持ちで一杯だったのに。今は恐ろしく冷静だ。

 頭痛い。全部魔王がすぐ迎えにこないのが悪い。あの黒男、会ったらかじりついてやる。

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