第67話:おにいたんって呼んで! 執念のボイスカードと領地の魔獣
「ルナ、よく聞いてね。……『お・に・い・た・ん』だよ。ほら、世界一完璧な僕の声を、その可愛いお耳にしっかり記憶させるんだ」
初音レースでの敗北から数日。レオお兄ちゃんの執念は凄まじかった。
彼はハンスさんの工房と夜通し通信を重ね、自作の『光るどうぶつ合わせカード』に、自分の声を録音して再生する「ボイスガイダンス魔法」を無理やり追加実装してしまったのだ。
カードをルナの前に並べ、レオがちっちゃな指でカードをタップする。
『ボク、レオおにいたんだよ! さあ、ルナも一緒に言ってみよう!』
カードの表面がキラキラと光ると同時に、術式で少し大人っぽく補正されたレオのイケメンボイスが部屋に鳴り響いた。
「(……3歳児にして、自分の声を美化してシステムに組み込むなんて、本当に末恐ろしいナルシストだわ……)」
私がスマホでその魔力回路の安定性をチェックしていると、ルナはカードから流れるお兄ちゃんの声に「あうー?」と小首を傾げ、エレノアの膝の上でカードをペシペシと叩いている。
「ふふ、これなら完璧だね! さっそくこの新型カードの屋外テストを兼ねて、おじい様たちのアラカルト領の別邸へ遊びに行こう、ママ!」
◇◇◇
というわけで、私たちはルナを連れて、久しぶりに自然豊かなアラカルト公爵領の広大な森のふもとへとやってきていた。
ギルバートは王宮の公務で居残り、今回は私とレオ、ルナ、そして護衛兼荷物持ちのエレノアと、聖獣ランのメンバーだ。
「お姉様! 領地の空気は本当に素晴らしいですわね! ルナ様、ほら、あそこに可愛い小鳥さんが――」
エレノアがルナを優しく抱っこしてピクニックシートの上で大はしゃぎしている横で、レオはさっそく新型ボイスカードを芝生に並べていた。
「ルナ、見ててね。カードをめくると、僕の声と一緒に空間魔法で可愛いウサギさんの幻影が――」
レオがカードを起動した、その瞬間だった。
ガルルルルル……ッ!!!
突如として、森の奥の茂みが激しく揺れ、周囲の空気が一瞬でピリついた。
現れたのは、通常の魔獣の数倍はある、漆黒の毛並みを持った野生の巨大魔獣『シャドウベア』。どうやら、レオのカードから放たれた空間魔法の特異な魔力波形に引き寄せられて、現れてしまったらしい。
「キャァァァァァ!? な、何ですのあのむさ苦しい熊はー! お姉様、ルナ様、私があの縦ロールの奥義で――」
エレノアがルナをきゅっと腕の中に庇いながら叫ぶが、魔獣の放つ威圧感に足がすくんで動けない。
『主よ、下がれ! 我が本来の姿に戻って、あのような雑魚、一瞬で噛み砕いてくれるわ!』
ランが私の前に立ち塞がり、子犬の姿から数メートル級の聖獣へと巨大化しようと魔力を練り始めた。
――だが、それよりも早く、一歩前に踏み出したちっちゃな背中があった。
「……おじさん熊、静かにしてよ。僕の可愛いルナが、お兄ちゃんの完璧なボイスレッスンに集中できないじゃないか」
レオだった。
3歳半のちっちゃな体から、王宮のリビングを迷宮に変えた時以上の、澄み切った、けれど圧倒的な空間操作の魔力がブワァァァッ! と噴き出す。
「グルアァァァッ!」
怒り狂ったシャドウベアが、鋭い爪を振り上げてレオに襲いかかる。
「レオ、危ない――」
私がスマホのバリア魔法を起動しようとした瞬間、レオは不敵にフッと微笑み、ちっちゃな指先をチッと鳴らした。
「――構築、『お兄ちゃんの絶対防衛圏』――」
ピキィィィィィィン!!!
魔獣の爪がレオに届く直前、まるで空間そのものが凍りついたかのように、透明な四角い魔術障壁が何重にも展開された。レオの空間魔法は、敵の攻撃の方向を完全に書き換えて無効化する、超高度なディフェンスシステムだ。
ドガァァァン! と激しい衝撃音が響くが、レオのバリアは傷一つ付かない。
「さあ、ルナ。お兄ちゃんが悪い熊を退治するから、よく見ていてね。――強制転移!」
レオがちっちゃな手を前方へサッとひと振りすると、シャドウベアの巨体の周りの空間がぐにゃりと歪んだ。
シュンッ……!!!
「グオッ……!?」という魔獣の驚愕の声を置き去りに、巨大な熊の姿は一瞬で、はるか数百キロ先の誰もいない未開の山奥へと、文字通り強制ログアウトされて消え去ってしまった。
【――エネミーの空間転移完了。周囲の脅威度:ゼロ。セーフティモードへ移行します――】
私のスマホの画面に、完全なる勝利のログが流れる。
静まり返る森の広場。3歳児が、大人たちの出番を一切与えないまま、野生の巨大魔獣を指先一つで完封してしまったのだ。
「……ふぅ。やっぱり、僕の魔法は今日も完璧だね。ルナ、お兄ちゃんカッコよかったでしょ?」
レオは流れるような動作で髪をサッと掻き上げ、満足げにルナの方を振り返った。
「あぅ……。……おに、たん!」
エレノアにしっかりと抱っこされたまま、ルナがちっちゃなおててをパチパチと叩きながら、今日一番の満面の笑みで、はっきりとその言葉を口にした。
「……え?」
「ルナ様が、今……私の腕の中で、はっきりと『おにいたん』と仰いましたわ……っ!?」
エレノアが目を見開く中、レオは一瞬だけ呆然としたあと、顔をパァァァッとこれまでにないほど輝かせた。
「マ、ママ! 聞いた!? 今、ルナが僕のことを『おにいたん』って呼んでくれたよ! ああ、やっぱり僕のボイスカードと、さっきの完璧な戦闘フォームがルナのハートをハッキングしちゃったんだね……!」
感動のあまり目に涙をいっぱいに溜めて、エレノアの腕の中からルナをそっと引き取るようにぎゅーっと抱きしめるレオお兄ちゃん。ルナも「きゃっきゃ!」と嬉しそうにお兄ちゃんの頬にちっちゃなおててを寄せている。
「よかったわね、レオ。世界一カッコいいお兄ちゃんの姿、ルナにちゃんと届いたみたいよ」
私はクスッと笑いながら、スマホの録画機能で、この最高の「お兄ちゃん記念日」の映像をバッチリと保存した。もちろん、留守番をしている過保護な旦那様へ、即座に一斉送信するためだ。
天才で、最高にナルシストで、そしてルナのためならどんな敵も一瞬で消し飛ばす無敵のシスコンお兄ちゃん。
私たちの育児ライフは、この頼もしすぎる小さな騎士と一緒に、新章へ向かってさらに幸せに加速していくのだった。




