第6話:夜の庭園と、眼帯の王子
公爵家の娘「ユキ・アラカルト」になってから、数日が過ぎた。
お父様とお母様からの溺愛っぷりは、私の想像を遥かに超えていた。
特に街へ買い出しに出かけた際は、お母様の「これ、ユキに似合うわ!」の一言で、仕立て屋のドレスがお店ごと買い占められそうになり、慌てて止める一幕もあったほどだ。
前世ではヨレヨレの同じ服ばかり着ていた私が、今では毎日違う、フリフリの可愛いお洋服を着せてもらっている。
愛されるって、こんなに気恥ずかしくて、温かいものなんだな……。
◇◇◇
そんなある日の夜。
昼間に美味しいお菓子を食べすぎてしまった私は、少しお腹をすかせようと、夜の庭園を散歩していた。
足元には、すっかりこのお屋敷のアイドルになった子犬サイズのランが、トコトコとついてきている。
「夜の風は気持ちいいね、ラン」
『あぁ。だが主よ、この奥の森から、微かに不穏な魔力の乱れを感じるぞ』
ランがふと足を止め、庭園のさらに奥に広がる深い森を見つめた。
ただの夜の散歩のつもりだったけれど、ランの言葉に緊張が走る。
「……行ってみよう。何かトラブルが起きているかもしれない」
ランを抱き上げ、気配を殺しながら森の奥へと進む。
木々の隙間を抜けた開けた場所に出た瞬間、ツンと鼻を突く、鉄の匂いが漂ってきた。
(血の匂い……!?)
目を凝らすと、そこには息を呑むような光景が広がっていた。
不気味な赤黒い霧を纏った巨大な魔獣たちが、一人の青年を囲んでいる。
青年は、暗闇の中でも一際目を引く、眩いほどの金髪の美青年だった。
しかし、その左目には、禍々しい紋章が刻まれた黒い眼帯が当てられている。衣服はボロボロに裂け、全身から血を流しながらも、彼は片手で剣を握りしめ、魔獣たちを睨みつけていた。
「ハァ……ハァ……。クソ、こんなところで……っ」
青年の足元がおぼつかない。限界はとうに超えている。
次の瞬間、魔獣の一体が、青年の首元を狙って鋭い爪を振り下ろした。
「危ないっ!!」
私は考えるよりも先に、光の速度で青年の前へと飛び出していた。
ガキィィィン!!!
凄まじい衝撃音が響き渡る。
私の頭の中に響く願いに応え、展開された強固な透明の「バリア」が、魔獣の爪を完璧に弾き返した。
「な……んだ、貴様は……!?」
背後から、青年の驚愕に満ちた声が聞こえる。
「説明は後です! ラン、お願い!」
「応っ!」
私の影から飛び出したランが、一瞬で本来の巨大な白銀の姿へと戻り、雄叫びをあげる。
聖獣王の圧倒的な威圧感に、魔獣たちは恐怖で身を竦ませた。ランが鋭い爪を一閃させると、あんなに不気味だった魔獣たちが、一瞬で光のチリとなって消滅していった。
「ふぅ……。ありがとう、ラン」
『フン、この程度の雑魚、私の敵ではない』
ランが小さめのサイズに戻るのを確認し、私は慌てて地面に倒れ込んだ金髪の青年の元へと駆け寄った。
「大丈夫ですか!? 今、傷を治しますからね!」
「触るな……っ!」
青年は、私の手を荒々しく振り払った。
その剥き出しの右目は、冷徹で、深く、 影を帯びていて――言葉にできないほど深い「孤独」の色を宿していた。前世の私が、ずっと抱えていたものと同じ、世界を拒絶する目。
「俺は……『悪魔の呪い』を受けた身だ。触れれば、お前も呪われるぞ……。消えろ、お節介な小娘め……」
突き放すような冷たい言葉。
だけど、そんなことで怯む私ではない。何より、この人をここで死なせるわけにはいかない。
「呪いなんて関係ありません! 私はただ、目の前で傷ついているあなたを助けたいだけです!」
「なっ……」
青年の目が見開かれる。
私は拒絶されるのを恐れず、彼の血まみれの胸元に、そっと両手を重ねた。
(お願い、彼の傷を、痛みを、全部消し去って……っ!)
掌から、これまでで一番眩い、黄金の癒やしの光が溢れ出す。
それは青年の全身の傷を瞬時に塞ぐだけでなく、彼の身体から立ち上っていた、禍々しい黒いモヤをも優しく包み込み、消し去っていく。
「ばかな……。俺の呪いの痛みが、消えていく……? お前、一体何者だ……?」
光が収まり、青年が呆然とした声を漏らす。
傷が完全に治った彼の顔は、月の光に照らされて、ため息が出るほど美しかった。
「私はユキ。ただの通りすがりの、お節介な女の子ですよ」
私がクスッと笑いかけると、青年は片手で顔を覆い、信じられないものを見るような目で私を見つめた。
その綺麗な右目には、先ほどまでの冷徹さはなく、どこか熱を帯びた、激しい光が宿っていて――。
「ユキ……。お前のような者は、初めてだ……」
ぽつりと呟かれた、彼の低い声。
この時はまだ知る由もなかったけれど、この眼帯の青年こそ、この国の第一王子であり、周囲から恐れられ心を閉ざしていた「呪われた王子」だったのだ。
天涯孤独だった私と、呪われ孤独だった王子の、運命の歯車が静かに動き出していた。




