第54話:王女シッター奮闘記! 1歳半のイヤイヤ期を乗り越えろ
「お、お姉様……! レオ様が、レオ様が私の最高級の縦ロールを容赦なく引っ張って、お口に入れようとなさいますの……っ!」
翌朝、王宮のリビングには、フリルのついたエプロンを身にまとい、涙目で右往左往しているエレノア王女の姿があった。
「エレノア、動いちゃダメよ。レオは今、私の新作カードの『お野菜の歌』に合わせて、トマト(ひらがな)のカードを探しているんだから。あなたの髪型、ちょうど良いトマトのツルに見えるみたいね」
私はソファに腰掛け、スマホでレオの行動ログを見守りながら、優雅に朝の紅茶をすする。
「ばぶー! とまと、なーい!」
1歳半になったレオは、トコトコと元気いっぱいに歩き回りながら、エレノアの髪をペシペシと叩いてご機嫌だ。昨日まで「泥棒猫」だなんだと威張っていた帝国の姫君が、今や我が子の最高のおもちゃ(兼シッター)として完璧に機能している。
「おい、エレノア。レオの頭に少しでも髪が擦れて赤くなったら、レジスタス帝国ごと闇の底へ沈めるからな」
隣に座るギルバートが、眼帯の奥のアメジストの瞳をギラリと光らせて冷酷な声をかける。相変わらず旦那様の過保護っぷりは、朝一番から通常運転だ。
「ひ、ひぃっ! 丁重に、家宝のように扱わせていただきますわ、ギルバート殿下……!」
エレノアはガタガタと震えながらも、レオの小さな手を優しく握り、必死に笑顔を作っている。昨夜の物理バリアビンタとギルバートの脅しが効きすぎて、完全に忠実な下僕のOSが常駐起動していた。
『ふん、主よ。あの縦ロール、意外と育児の才能があるのではないか? レオが飽きないように必死に変顔をしているぞ』
足元で高級干し肉を齧りながら、子犬姿のランが呆れたように念話をしてきた。
――だが、のどかな時間は長くは続かない。
1歳半の幼児には、避けては通れない「最大のバグ(試練)」が存在するのだ。
「よし、レオ。お勉強の時間は終わり。お片付けをして、お着替えしましょうね」
私が優しく声をかけ、可愛いクマさんの刺繍が入ったお洋服を差し出した、その瞬間だった。
「いーやー! ばぶっ、いやぁぁぁぁぁぁ!!」
レオが突然、持っていた知育カードを床に投げ捨て、全身をエビのように激しく反り返らせて床に大の字でひっくり返った。
(――キ、キタ……! これが、噂に聞く『1歳半のイヤイヤ期』……!!)
どんなに優れた防衛OSを組もうと、聖女のフルパワー魔法を持っていようと、我が子の理不尽な「イヤイヤ」だけは、力ずくでねじ伏せるわけにはいかない。プログラマーにとっての、原因不明の無限ループエラーのようなものだ。
「レ、レオ!? どうしたんだ、どこか痛いのか!? ユキ、今すぐ王宮の最高位の治癒魔導師を100名招集しよう! いや、俺の闇魔術でレオの不快感を物質化して消去――」
「落ち着いてギルバート! これは病気じゃなくて、自己主張の成長プロセス(仕様)よ! 物理で殴っちゃダメ!」
慌てふためくギルバートを私が必死に宥めていると、床のレオの魔力が、イヤイヤの感情に同調してバリバリと暴走し始めた。部屋のガラス窓がカタカタと震え、おもちゃの箱が宙に浮き上がる。1歳半にして規格外の魔力を持つレオのイヤイヤ期は、それ自体が災害級の物理現象だった。
「お、お姉様! ここは私にお任せくださいまし!」
その時、エレノアが意を決したような顔で前に飛び出してきた。
「レオ様! 見てください、帝国の秘技、高速・縦ロール回転(物理)ですわ!!」
エレノアがその場でフィギュアスケートの選手のように激しくスピンすると、彼女の極上の金髪縦ロールが、まるでドリルのようにブンブンと風切り音を立てて回転し始めた。
「……ぶっ、あははは!」
そのあまりにもシュールで必死な光景に、床で泣き叫んでいたレオが、ピタッと泣き止んで指を指して大爆笑し始めた。暴走していた周囲の魔力パルスが、一瞬で霧散していく。
「よし、今よ! ギルバート、右袖! エレノア、左袖を持って!」
「わ、分かった!」
「はい、お姉様!!」
私の的確な指示の元、全員が目にも留まらぬ超高速のコンビネーションで動き、大爆笑しているレオの腕に、一瞬でお洋服をスポッと通して着替えを完了させた。
【――お着替えタスク:強制終了――】
「ふぅ……はぁ……。や、やりましたわ、お姉様……!」
エレノアが目を回してその場にへたり込み、ギルバートも「冷や汗をかいたのは、あの砦の決戦以来だ……」と胸を撫で下ろしている。
「エレノア、ナイスアシストよ。あなたの縦ロール、意外と物理的な実用性があったのね」
私が心からの笑顔で褒め称えると、エレノアはパァァァッと顔を輝かせ、「お姉様に褒められましたわ……!」と感激の涙を流していた。
他国の裏組織の陰謀から始まった修羅場だったけれど、気づけば王宮には、また新しい(そして少し騒がしい)平和の形がリリースされていた。
レオのイヤイヤ期という手強いバグはこれからも続くけれど、過保護な旦那様と、伝説の聖獣、そしてまさかの心酔した帝国王女がいれば、どんな子育てのデスマーチだって、笑顔で乗り越えていける。
私は腕の中でご機嫌に戻ったレオをぎゅっと抱きしめ、ママとしての幸せな日常を、改めて噛み締めるのだった。




