表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二度目の春に、あなたを選ぶ  作者: FDケンジ
6/46

第5章 公園の答え

翌朝、私は翔太に短いメッセージを送った。

『今日の放課後、話したいことがある。例の公園で待ってて』

返信は、数分後に届いた。

『わかった』

それだけ。短すぎる言葉に、彼なりの苛立ちや戸惑いが透けて見えるようだった。


その日の授業は、全くと言っていいほど頭に入らなかった。

窓の外を流れる雲を目で追いながら、頭の中で何度も言葉を組み立てては崩す。何を伝えるべきかは決まっている。ただ、それを正しく「声」に出せるかどうかが、どうしても不安だった。


昼休み、私は千鶴ちゃんにすべてを打ち明けた。

「今日の放課後、翔太に別れを告げようと思って」

千鶴ちゃんは箸を止め、しばらく沈黙した。それから、静かに問いかけてくる。

「……昨日、何かあったのですか?」

「うん。色々あって、確信したの。もう一秒も、迷いはないよ」

「そうですか」

千鶴ちゃんはお弁当箱を閉じ、私の目を真っ直ぐに見つめた。

「一人で行くつもりですの?」

「うん、そのつもり」

「亜里沙さん」

「……なあに?」

「私に、近くにいさせてもらえませんか。邪魔はしませんわ。ただ、そばで待っているだけでいいので」

その控えめな、けれど力強い申し出が、冷え切っていた私の心にじんわりと灯をともした。

「……ありがとう、千鶴ちゃん」

「それと、ちょうど今日、近所に住んでいる友人が遊びに来ることになっていて。一緒に連れて行ってもよろしいかしら? とても気のいい子ですから」

「千鶴ちゃんの友達なら、大歓迎だよ」


放課後。校門を出ると、千鶴ちゃんがすでに待っていた。

その隣には、見慣れない女の子が一人。

小柄で華奢な体躯。肩のあたりで切り揃えられた、銀色に近い淡い髪が夕陽を透かして幻想的に輝いている。水色の澄んだ瞳は、中学生とは思えないほど落ち着き払っていた。

「こちら、シエラちゃんですわ。近所に住んでいるの」

「シエラです。よろしくお願いします」

丁寧な一礼。鈴を転がすような静かな声だった。

「如月亜里沙です。よろしくね。千鶴ちゃん、こんなに可愛いお友達がいたんだね」

「亜里沙さんのこと、千鶴さんからよく聞いています」

シエラちゃんが微かに微笑む。その整った横顔は、まるで精巧なビスクドールのようで見惚れてしまうほどだった。


三人で公園へと向かう。入り口に差し掛かったところで、千鶴ちゃんが足を止めた。

「私たちはここのベンチで待っていますわね。終わったら、声をかけてください」

「うん、行ってくるね」


公園の奥、あの場所へ。

翔太は、ベンチの前で腕を組み、地面を睨みつけるように立っていた。

私の足音に気づいて顔を上げた瞬間、その瞳が鋭く揺れる。

「……来たか」

「うん」

重苦しい沈黙が降りた。風が吹き、葉桜がさわさわと騒ぐ。ここで彼に告白されたのは、まだ一ヶ月も経っていない。あの時は桜が狂い咲いていたのに、今はもう、花びら一枚残っていなかった。


「話って、なんだよ」

翔太の声は、地を這うように低い。

「……ごめんなさい、翔太。別れてほしい」

翔太の眉間が、一気に険しくなった。

「は? 何言ってんだよ」

「この二週間、付き合ってみてわかったの。私、あなたのことをどうしても異性として見ることができない」

「昨日のことだろ!」

翔太が声を荒らげる。

「あれはただの気の迷いだ! 絶対にもうしないから、だから許せよ!」

「違うの」

私は静かに首を振った。

「昨日あんな場面を見て、びっくりはしたけど……ショックは受けなかった。ただ『ああ、やっぱりな』って、冷めた気持ちで見てる自分がいた。それで確信したの。私、最初からあなたのこと、好きじゃなかったんだと思う」

「意味わかんねえ……っ!」

翔太の顔が、怒りで赤黒く染まっていく。

「俺が告白した時、あんなに嬉しそうだったじゃねえか! 高校に入ってから急によそよそしくなりやがって……あの男か? 不破とかいう奴に毒されたのか!?」

「不破くんは関係ない。これは、私の心の問題なの」

「関係ないわけねえだろ!」


彼が一歩、詰め寄ってきた。私は反射的に身を引く。

「翔太……私、あなたに触れられると、虫唾が走るの」

その言葉が、弾丸のように翔太を射抜いた。

「……は?」

「自分でも理由はわからなかった。でも、拒絶反応が止まらないの。それに昨日、梨香と……あんな話をしていたでしょう? 私を力ずくでどうにかすればいいって。それを聞いて、心の底から気持ち悪いと思った。あなたに触れられたくない。これ以上、関わりたくないの」


「ふざけんなよ……!」

翔太の声が、獣のような低いうなりに変わる。

「お前が避けるからだろ! こっちがどれだけ我慢してやってたと思ってんだ! 一方的にそんなこと言われて、はいそうですかって引き下がれるかよ!」

翔太の手が、凶器のように私の腕へと伸びてくる。

「やめて――!」

咄嗟に後ろへ下がろうとして、足がもつれた。

あ、転ぶ――そう思った、その瞬間。


『バンッ!』


鈍い衝撃音が響き、視界の中で翔太の体が不自然に横へと流れた。

「え……?」

気づいた時には、翔太は地面に組み伏せられていた。

彼の背中に片膝をつき、その右腕を鮮やかに極めているのは――学校の廊下で何度か見かけたことのある、三年生の先輩だった。

いつも眠たげに目を細めている、あの「捉えどころのない」先輩。


「いやー、あきませんなあ」

場に似つかわしくない、のんびりとした関西弁が響く。

「たまたま散歩しとったら、こないな場面に出くわしてしもて。兄ちゃん、女の子を力ずくで押さえようとしたらあきまへんで?」

「なっ――てめえ、離せ! 誰だお前!」

翔太が必死に暴れる。けれど、先輩の体は山のように動かない。まるで駄々をこねる子供をあやすように、冷徹なまでの精度で翔太を制圧していた。


「まあまあ、落ち着きなはれ。何があったか知りまへんけど、暴力はあきまへん。それだけは、筋が通りまへんのやわ」

「うるさい、離せって言ってんだろ!」

「離しまへんよ。あんたの頭が冷えるまではな」

先輩の声は、終始穏やかだった。怒鳴ることも、脅すこともしない。けれど、その奥に潜む「底知れなさ」が、暴れていた翔太を沈黙させた。


「お嬢さん、大丈夫でっか?」

不意に、先輩が私を見た。細められた瞳の奥で、鋭い光が私を案じている。

「……はい、大丈夫です」

「そら良かった。怪我はないですか」

「ありません……助けていただいて、ありがとうございます」

「そうか」

先輩は翔太に視線を戻した。翔太の抵抗は、もう完全に消えていた。

「兄ちゃん。ワイはあんたを責めたいわけやない。ただな、女の子に手を出すのだけは、どんな理由があってもあきまへん。それだけや」


先輩がゆっくりと立ち上がり、翔太を解放した。翔太は地面に手をついたまま、しばらく項垂れていた。

「お騒がせしました。お気をつけて帰りなはれ」

それだけ言って、先輩はひらひらと手を振り、のんびりとした歩調で去っていった。まるで本当に、散歩の途中に迷い込んだ一般人のように。


嵐が去った後のような静寂。

翔太がゆっくりと立ち上がり、服の汚れを払った。その顔からはもう、先ほどの狂気は消えていた。ただ、ひどく疲れ切った、惨めな男の顔だった。

「……わかったよ」

彼は絞り出すように言った。

「別れる。それでいいんだろ」

「うん」

「俺のこと、最初から好きじゃなかったのかよ」

「……ごめんなさい」

正直に言えたのは、それだけだった。

翔太はしばらく私の顔を見つめ、「そっか」とだけ呟いた。

彼は一度も振り返ることなく、公園の出口へと消えていった。


終わった。

胸の奥が軽くなるかと思ったけれど、実際はただ、静かな空虚があるだけだった。風が、また私の髪を揺らす。


「亜里沙さん!」

千鶴ちゃんの声。振り返ると、彼女とシエラちゃんが駆け寄ってくるところだった。

「大丈夫でしたの!? 途中から声が聞こえてきたので、居ても立ってもいられなくて……」

「うん、大丈夫。ちゃんと、お別れしてきたよ」

千鶴ちゃんは私の顔をじっと見つめ、それから優しく私の手を包み込んだ。

「よく頑張りましたわ、亜里沙さん。本当によく頑張りました」

その言葉が、ようやく私の心を解凍していく。


少し離れた場所で、シエラちゃんがじっと私を見ていた。

彼女は何も言わなかった。けれど、その澄んだ瞳はすべてを見通しているようで、そこにいてくれるだけで、不思議な安心感に包まれた。


三人で並んで、公園のベンチに座る。

夕焼けが、木々の隙間から私たちを赤く染めていた。

もう、怯える必要はない。

新しい人生の幕開けを祝うように、夕風が優しく吹き抜けていった。


第5章 了



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ