第39話 結衣の家で
第39話 結衣の家で
帰り支度を終えて、玄関へ向かう月島さんを、結衣ちゃんが呼び止めた。
「あ、月島ちゃん。待って待って」
そう言って、結衣ちゃんは、さっき着てもらった服と、いくつかの化粧品を、まとめて月島さんに差し出した。
「これ、持って帰っていいよ。服も化粧品も、あなたにあげる」
「えっ……!? そ、そんな、ダメです……! 私、いただいてばかりで……!」
月島さんが、慌てて首を振った。
「いいのいいの。言ったでしょ? 服はね、着られてこそ価値があるんだから」
結衣ちゃんが、にっと笑う。
それから、ふと、声のトーンを少しだけ真剣にした。
「それに……これからは、ちゃんとしないとダメだよ。私たちの蓮司くんと、一緒にいたいなら。──お姉さんにも負けないくらい、強い女の子に、ならなきゃね」
その言葉に、月島さんは、はっとした顔をした。
そして、ぎゅっと、受け取った服を抱きしめる。
「……はい。わかりました。ありがとう、ございます……!」
その瞳には、これまでにない、まっすぐな光が宿っていた。
こうして、月島さんを含めたみんなを見送ると、広い部屋には、結衣ちゃんと千夏の、二人だけが残された。
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「さーて、と」
みんなを見送った結衣ちゃんが、ぐっと伸びをした。
「今日はね、ママも仕事で帰ってこないんだ。だから、二人っきり。──ねえ、千夏ちゃん、夕飯何食べたい? 腕によりをかけて作るよ!」
「本当ですか? ……でしたら、私もお手伝いします」
「お、いいねえ。じゃ、一緒に作ろっか」
二人は、並んでキッチンに立った。
結衣ちゃんの手際は、見事なものだった。野菜を切る音、油の跳ねる音。たちまち、いい匂いが部屋に広がっていく。
「結衣さん、本当にお料理がお上手なんですね」
千夏が、感心したように言った。
「えへへ。まあね。蓮司くんも、私のごはん、好きって言ってくれるんだ」
そう言う結衣ちゃんの横顔は、心から幸せそうだった。
「はい、千夏ちゃんは、こっちのサラダお願い」
「かしこまりました」
くすくすと笑い合いながら、二人で食卓を整えていく。
やがて、温かい料理が、テーブルいっぱいに並んだ。
「いただきます」
「いただきます」
一口食べて、千夏は、思わず目を丸くした。
「……美味しい。本当に、美味しいです」
「でしょ?」
結衣ちゃんが、得意げに笑う。
しばらく、和やかに食事が進んだ。
そして──頃合いを見て、千夏が、ことりと箸を置いた。
「結衣さん」
「ん?」
「あの……ご相談したいことが、あるんです」
その声の真剣さに、結衣ちゃんも、箸を止めた。
「うん。何でも言ってみて」
千夏は、しばらく俯いて、それから、意を決したように顔を上げた。
「私……蓮司様と、お付き合いしたいんです」
結衣ちゃんは、驚かなかった。ただ、優しく目を細めた。
「……そっか。いいの? 前は、あんなこと言ってたのに」
「はい」
千夏は、まっすぐに頷いた。
「皆さんと一緒にいて、わかったんです。私も……蓮司様のことが、好きです。もう、諦められません。たとえ、私が一番じゃなくても。彼の、彼女になりたいんです」
その瞳に、もう迷いはなかった。
「そっか。そっか」
結衣ちゃんは、しみじみと頷いた。
それから、少しだけ、いたずらっぽく首を傾げる。
「でも……あの月島ちゃんが現れたから、焦ってるとか、そういうわけじゃないよね?」
「違います」
千夏は、はっきりと否定した。
「蓮司様の女性関係に、疑問を持つことは、もうありません。私も……彼のそばにいられるなら、彼女の後でも、構いません」
「……うん。いいよ」
結衣ちゃんが、にっこりと笑った。
「応援してあげる」
「……っ、本当ですか?」
「もちろんだよ。私、千夏ちゃんのこと、好きだもん。私たち、もう親友でしょ?」
「……っ」
千夏の目が、じわりと潤んだ。
「……はい。嬉しいです」
「あ、それと。敬語、やめてもいいんだよ? 親友なんだから」
「ふふ。……お気持ちは嬉しいのですが、これは、私の話し方ですので。このままで、いさせてください」
「あはは、千夏ちゃんらしいね。わかった」
結衣ちゃんは、楽しそうに笑った。
けれど、そこで、ふと表情を引き締める。
「でもね、千夏ちゃん。応援する前に……ちゃんと、伝えておきたいことがあるんだ」
「……はい」
「これから、何が起きるかわからないからね。覚悟しておいてほしいの。──まず、彼が、あなたを選ぶかどうかは、わからない。まあ、私的には、百パーセント選ばれると思うけどね」
結衣ちゃんは、そう言って、いったん言葉を切った。
そして、これまでとは違う、真剣な目で、千夏を見た。
「そして……一つだけ、絶対に守ってほしいことがあるの」
「……なんでしょうか」
「彼を、絶対に、傷つけないで」
その声は、静かで、けれど、芯から強かった。
「もし、そんなことをしたら……私は、許せないから」
「……っ」
千夏は、その真剣さに、息をのんだ。
そして、まっすぐに、結衣ちゃんを見返した。
「……わかっています。絶対に、裏切りません」
「そう」
結衣ちゃんは、ふっと表情をやわらげた。
「もしも……他に好きな人ができたなら。その時は、ちゃんと彼に伝えて、別れてほしい。それだけは、絶対に守って。──中途半端は、ダメだからね」
「はい」
「そうしてくれるなら……これからも、私たちは、親友よ」
「……ありがとう、ございます」
千夏は、深く頷いた。
しばらく、二人の間に、温かい沈黙が流れた。
「……あの、結衣さん」
ふと、千夏が、また口を開いた。
「実は……もう一つ、ご相談したいことが、あるんです」
「ん? いいよ、何でも言って」
「お嬢様のことなんです」
その言葉に、結衣ちゃんは、ああ、と頷いた。
「……だよね。昨日のあの態度、やっぱり、そういうことだったの?」
「はい」
千夏は、静かに頷いた。
「どうやら……お嬢様の初恋の相手が、蓮司様だったらしくて」
「……えっ、そうなの? 何それ、運命じゃん」
結衣ちゃんが、目を丸くする。
「でも、あの気持ち悪い男とは、もう関係を切ったんだよね?」
「はい。あの翔太という男とは、二度と関わらないかと。……むしろ、殺しに行かないか、心配なくらいで」
「うわ……何それ、よっぽどだね」
「どうやら、騙されていたようなんです。あの男が、お嬢様の初恋の相手だと、嘘をつかれて。それで、ずっと……」
「うわー、最悪。私でも、それは許せないかも」
結衣ちゃんが、顔をしかめた。
「……でも、殺人はダメだからね」
「わかっています。そこは、私がちゃんと、お止めしますので」
千夏が、真面目な顔で言うので、結衣ちゃんは、思わず吹き出してしまった。
「それで、お嬢様も、蓮司様とお付き合いしたい、ということなんですけど……問題は、旦那様が、許してくださるかどうかで」
「旦那様って……舞ちゃんのお父さん?」
「はい」
千夏の表情に、影が差した。
「お嬢様には、とてもお優しい方なんです。今回の婚約も、お嬢様の気持ちを汲んで、許してくださったくらいで。……でも、その婚約が破談になって、そのうえ、いきなり別の殿方とお付き合いしたいだなんて。……お嬢様は、それを、とても不安がっておられるんです」
「……そっか」
結衣ちゃんが、しんみりと頷いた。
「私は、お父さんっていうものを知らないから、何とも言えないんだけど……」
それから、ふと、思い出したように顔を上げた。
「あ、でもね。それなら、たぶん大丈夫だと思うよ」
「……え?」
「昨日の夜、冴子ちゃんが、蓮司くんとそのことで話してたんだ。あのね、舞ちゃんのお父さんの組って、急に大きくなったでしょ? それで、仕事の量に対して、人手が余っちゃってるみたいなの」
「人手が、余って……」
「うん。で、蓮司くんは逆。これから、どんどん会社を増やしていくつもりだから、人手が必要なんだ。だから、お父さんの組の余ってる人手を、蓮司くんが引き受けようか、って話が出てたの」
「……それは、旦那様にとっては、ありがたいお話なのでは」
「そうなの。お父さんにとっては、願ってもない取引なんだ。でもね」
結衣ちゃんは、ふっと笑った。
「蓮司くんにとっては、別に、どっちでもいいの。人手なんて、他からいくらでも集められるからね。そもそも、この取引は、蓮司くんが舞ちゃんのお父さんの助けになればって、提案したものなんだ」
「……っ」
「だからさ。もし、これが舞ちゃんのプレッシャーになるなら、こんな話、なかったことにしていいの。蓮司くんに、迷惑なんて一切かからないんだから。──舞ちゃんは、そんなこと気にしないで、堂々と、自分の気持ちを伝えればいいんだよ」
その言葉に、千夏の表情が、ぱっと明るくなった。
「……よかった。お嬢様も、なんとなく、そうではないかと思っておられたようなのですが……自分のせいで、蓮司様にご迷惑が、と。それを、とても気に病んでおられて」
「蓮司くんは、そういうこと気にしないからね。むしろ、舞ちゃんが来てくれたら、嬉しいくらいだと思うよ」
「……ありがとうございます。お嬢様にも、お伝えします」
千夏が、心から安堵したように、微笑んだ。
「でもさ」
結衣ちゃんが、少し声を落とした。
「正直に言うとね……これから、私たち、大変になると思うよ」
「……と、おっしゃいますと?」
「だってさ。月島ちゃんも入って、舞ちゃんも入って、千夏ちゃんも入る。そうしたら……蓮司くんを想う子が、一気に増えるでしょ」
結衣ちゃんは、ティーカップを両手で包みながら、ぽつりと言った。
「今はね、私たち四人で、うまくやれてるの。でも、彼にも、お仕事があるから。いつでも、私たちと一緒にいられるわけじゃないんだ。……一週間、会えないことだって、あったんだよ」
「……一週間も」
「うん。だからね……これは、私たちみんなの問題なんだ。彼に、依存しすぎないこと。寂しさで、彼に迷惑をかけないこと。──それを、ちゃんと、自分で抱えていけるかどうか」
結衣ちゃんの声は、優しくて、けれど、どこか覚悟のにじむものだった。
「私たち四人は、一生、彼に添い遂げるつもりで、そばにいるの。だから……これから入る子たちも、彼とどう付き合っていくのか、ちゃんと自分で考えていかないと、いけないんだよ」
「……はい」
千夏は、その言葉を、しっかりと受け止めた。
「私……大丈夫です。彼のそばにいられるなら、寂しさくらい、ちゃんと、自分で抱えてみせます」
「……うん」
結衣ちゃんは、その答えに、満足そうに微笑んだ。
「千夏ちゃんなら、大丈夫そうだね」
それから、ふっと、いたずらっぽく笑う。
「あ、でも……夜のほうは、覚悟しておいたほうがいいよ?」
「……え?」
「一度味わっちゃうと、なかなか忘れられないんだから」
「……っ!?」
千夏の顔が、一気に真っ赤になった。
「ゆ、結衣さんっ……!」
「あはは、ごめんごめん。でも、本当だよ」
結衣ちゃんは、けらけらと笑ってから、ふと、しみじみと言った。
「私ね……彼と付き合って、後悔したこと、一度もないんだ」
その横顔が、あまりにも幸せそうで。
千夏は、真っ赤になった頬のまま、胸の奥が、ほんのり温かくなるのを感じた。
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真剣な話は、それで終わり。
千夏が、ほっと肩の力を抜くと、結衣ちゃんが、ぱんと手を叩いた。
「よーし! じゃ、難しい話はおしまい! 今日は、思いっきり楽しもうね、千夏ちゃん!」
「ふふ。はい」
二人で食器を片付けると、結衣ちゃんが、いいことを思いついた、という顔をした。
「ねえ、ご飯も食べたし……一緒に、お風呂入らない? うちのお風呂、結構広いんだよ!」
「お風呂、ですか? ……はい、ぜひ」
案内された浴室を見て、千夏は、思わず声をあげた。
「まあ……っ。広いですね……!」
普通の家庭の三倍ほどはあるだろうか。三人で入っても、ゆったりできそうな、立派な湯船だった。
二人で湯に浸かると、千夏の口から、ほうっと息がこぼれた。
「はぁ……気持ちいいです。今日は、本当に、いろいろありましたから」
「ね。月島ちゃん、すっごく可愛くなったよね」
「ええ。私、ちょっと、感動してしまいました」
「でしょ? あの子、磨いたら絶対いけると思ってたんだ」
湯気の向こうで、二人は、今日のことを語り合った。月島さんの変身のこと、これからのこと。とりとめのない話が、いつまでも尽きなかった。
「あ、そうだ。千夏ちゃん、髪、洗ってあげよっか?」
「えっ、そんな、悪いです」
「いいのいいの。千夏ちゃんの髪、綺麗だから、一回触ってみたかったんだ」
結衣ちゃんが、丁寧に千夏の髪を洗う。その手つきが優しくて、千夏は、くすぐったそうに目を細めた。
「……結衣さんって、本当に、面倒見がいいんですね」
「そう? まあ、妹みたいな子がいたら、こんな感じかなって」
「ふふ。光栄です」
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お風呂から上がると、結衣ちゃんが、わくわくした顔で、千夏を自分の部屋へ引っ張っていった。
「ねえねえ、せっかくだから、映画見よ! 私のおすすめの、恋愛映画があるんだ」
大きなスクリーンに映し出されたのは、結衣ちゃんお気に入りの、ラブストーリーだった。
二人で並んで、クッションに埋もれながら、画面に見入る。
「あ、ここ、ここ! このシーン、最高なんだから」
「まあ……素敵。胸が、きゅんとします」
物語のクライマックスでは、二人とも、すっかり感情移入していた。
「うう……っ、よかったね、ヒロイン……」
「結衣さん、泣いてらっしゃる……」
「だって、いいんだもん……!」
涙ぐむ結衣ちゃんに、千夏は、ハンカチをそっと差し出して、くすくすと笑った。
「ふふ。結衣さん、可愛らしいです」
「もう、千夏ちゃんったら」
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映画を見終わると、結衣ちゃんが、ふと、いたずらっぽい顔になった。
「ねえ、千夏ちゃん。せっかくだから、いいもの見せてあげる」
そう言って、クローゼットの奥から、何かを取り出してきた。
「じゃーん。これがね、私の、とっておきのパジャマ!」
広げて見せられたそれに、千夏は、ぼっと顔を赤くした。
繊細なレースをあしらった、ひどく扇情的なデザイン。とても、ただの寝間着には見えない。
「こ、これは……っ」
「えへへ。これね、蓮司くんを誘惑する時の、勝負服なんだ。これ着ておねだりすると、もう、コロッといっちゃうんだから」
「ゆ、結衣さんっ……! は、はしたないです……っ」
「あはは、千夏ちゃん、真っ赤!」
結衣ちゃんが、けらけらと笑う。
「でもね、千夏ちゃんも、これから必要になるよ? 今度、一緒に選びに行こうよ」
「け、結構です……っ! 私には、まだ早いです……!」
慌てふためく千夏に、結衣ちゃんは、お腹を抱えて笑った。
そうして、二人の夜は、いつまでも賑やかに更けていった。
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「さーて、そろそろ寝よっか」
時計を見ると、もう、すっかり夜も遅くなっていた。
「あ、お客様用のベッドもあるんだけど……」
そこで、結衣ちゃんが、ちょっと首を傾げて、にっと笑った。
「……ねえ、千夏ちゃん。よかったら、一緒に寝ない? なんか、こういう日って、一人だと寂しいんだよね」
「……ふふ。はい。喜んで」
二人は、結衣ちゃんの大きなベッドに、並んで潜り込んだ。
電気を消すと、窓から差し込む夜景の光が、部屋をぼんやりと照らす。
「……今日は、ありがとうございました、結衣さん」
暗闇の中で、千夏が、そっと呟いた。
「いろいろ、相談に乗っていただいて。それに……こんなに、楽しい一日も、久しぶりで」
「ふふ。こちらこそ。千夏ちゃんと、もっと仲良くなれて、嬉しいよ」
結衣ちゃんが、優しく言った。
「これからは、私たち、もっといろんなこと、一緒に乗り越えていくんだもんね」
「……はい」
千夏は、温かい気持ちで、目を閉じた。
これから始まる、新しい日々。きっと、楽しいことばかりじゃない。覚悟しなければいけないことも、たくさんあるのだろう。
でも──こんなふうに、隣で笑い合える人がいるのなら。
きっと、大丈夫。
そんなことを思いながら、千夏は、穏やかな眠りに落ちていった。
第39話 了




