第38話 生まれ変わる日
放課後。
七人は連れ立って、街の美容院へと向かった。
結衣ちゃんが案内したのは、大通りに面した、洗練された外観の店だった。中に入ると、結衣ちゃんは、オーナーらしき女性と、親しげに言葉を交わし始めた。
「久しぶり! 今日はね、この子をお願いしたくて」
「あら、結衣ちゃん。もちろん任せて。──いい素材じゃない」
オーナーが、月島さんを見て、にこりと笑う。
「私たちも、ついでに整えていただける?」
冴子さんが言うと、オーナーは奥のスタッフに声をかけた。
「もちろん。──じゃあ、皆さんはこちらのスタッフが担当するわね。この子は、私が直接やらせてもらうわ」
そうして、月島さんはオーナーの席へ、ほかのみんなは、それぞれ別のスタッフのもとへと案内された。
店員さんは、千夏の髪に目を留めて、ふっと目を輝かせた。
「あなた、すごく綺麗な髪をしてるわね。手入れが行き届いてる」
「……ふふ。ありがとうございます」
千夏が、ちょっと得意げに微笑む。自分の髪の美しさには、自信があるのだ。
「でしょう?」
なぜか結衣ちゃんまで、誇らしげに胸を張った。
席に着いて、施術が始まる。鏡の並ぶ店内で、和やかな会話が弾んだ。
「そういえば、シエラちゃんは、今日は来られないんですね」
ふと、舞が尋ねた。
「ええ。シエラちゃんは、今は蓮司様とご一緒していますの」
千鶴ちゃんが答えると、舞は、少し残念そうに目を伏せた。
「……そうですか。羨ましいです」
その小さな呟きを、千鶴ちゃんは聞き逃さなかった。
(……やっぱり)
舞の横顔を、千鶴ちゃんは、そっと見つめる。昨日からの舞の様子。蓮司様を見つめる、あの熱を帯びた瞳。──何かが、変わりつつある。千鶴ちゃんは、内心でそう確信しつつ、けれど何も言わずに、ただ微笑んだ。
みんなの方は、髪を整えてもらうだけだったので、ほどなくして仕上がった。亜里沙も、綺麗にまとまった自分の髪を、気に入っていた。
けれど、月島さんだけは、まだ時間がかかる。手入れもされていなかった髪を、一から丁寧に整えていくのだから、当然だった。
整い終わったみんなは、月島さんの近くの席に集まって、施術が進む間も、彼女に話しかけて、緊張をほぐしていく。
「月島さんって、普段はどんな本を読むの?」
「え、えっと……純文学が、多いです。あと、詩集も……」
「へえ、素敵。今度おすすめ教えてよ」
「は、はい……!」
ぎこちないながらも、月島さんの表情が、少しずつやわらいでいった。
そして──。
「はい、お待たせ。──できたわよ」
オーナーの声に、みんなが、ぐっと身を乗り出した。
その瞬間、誰もが、息をのんだ。
ぼさぼさだった髪は、艶やかに整えられ、顔の輪郭に沿って、すっきりと流れている。今まで前髪に隠れていた瞳が、はっきりと露わになっていた。
その瞳が──美しかった。
深く澄んだ、吸い込まれそうな瞳。蓮司くんが「磨けば光る宝石のようだ」と言った、あの言葉が、決して大げさではなかったと、誰もが理解した。
「……驚きましたわ」
千鶴ちゃんが、思わず呟いた。
「本当に……ここまで美しい瞳、私、見たことがありませんわ」
「ほんとね」
冴子さんも、静かに見入っている。
「これは……彼も放っておかないはずよ。私でも、見惚れるくらい綺麗ですもの」
月島さんは、大きな鏡に映る自分を、おそるおそる見つめた。
「……これが、私……?」
信じられない、というように、そっと自分の頬に触れる。
それから、恥ずかしそうに、けれど、どこか期待を込めた目で、みんなを見た。
「ど、どうですか……? へ、変じゃ、ないですか……?」
「そんなことないよ!」
結衣ちゃんが、ぱっと笑った。
「すっごく綺麗。ほらね、言ったでしょ?」
「ほ、本当ですか……。私、醜く、ないですか……?」
「醜いだなんて、とんでもない」
千鶴ちゃんが、優しく微笑んだ。
「あなたは、とても素敵な女性ですわ。──この後のお化粧やお着替えが、楽しみになりますわね」
月島さんの頬が、ぽっと染まった。
会計の段になって、月島さんが、おずおずと口を開いた。
「あ、あの……ここのお支払いは……」
「大丈夫よ」
オーナーが、優しく笑った。
「初回は、ただだから。気にしないで」
「そ、そんな……いいんですか……?」
そして、ちらりと結衣ちゃんに目をやったオーナーが、「これでいい?」というように微笑む。結衣ちゃんは、グッと親指を立てて、それに応えた。
恐縮する月島さんの横で、亜里沙は、ふと首を傾げた。
「あの……ここ、無料なんですか? 本当に?」
そっと冴子さんに尋ねると、冴子さんは、こともなげに答えた。
「ああ、実はね。ここの支払いは、全部、蓮司くんのカードから引かれるの」
「えっ……」
「あなたの名前も、もう登録してあるのよ。だから、ここに来たい時は、自由に使っていいわ。急いでる時とかも、すぐ対応してくれるから、便利でしょ」
「そ、そんな、私まで、いいんですか……?」
「いいのよ。ここは、そういうお店だから」
「……そう、なんですね。じゃあ、遠慮なく……」
亜里沙は、遠慮がちに頷いた。けれど、内心では、ちょっと嬉しかった。
自分も髪を整えてもらって、綺麗にまとまったその仕上がりを、気に入っていたから。
---
美容院を後にして、一行は、結衣ちゃんの家へと向かった。
着いた先は、街にそびえる、高級タワーマンションだった。
エレベーターで、ぐんぐん上っていく。たどり着いたのは、かなり上の階の一室だった。
中に入った瞬間、月島さんが、ぱあっと目を輝かせた。
「わあ……っ!」
広々としたリビング。一面のガラス窓からは、街並みが一望できる。ベランダの向こうには、専用のプールまで見えた。
誰もが、一度は夢見るような部屋だった。
「す、素敵なお部屋ですね……!」
「えへへ。ありがと。私も、結構気に入ってるんだ」
結衣ちゃんが、照れたように笑う。
「こっち、私の部屋ね。みんな、入って入って」
通された結衣ちゃんの部屋も、広くて、可愛らしくまとめられていた。
「あ、そうだ。服はね、ここのクローゼットにあるから」
そう言って、結衣ちゃんが扉を開けた瞬間──。
「えっ……!?」
クローゼットとは思えない、広大な空間が広がっていた。
ずらりと並ぶ、大量の服。バッグ。靴。どれもこれも、普通の女子高生では、一生手の届かないような高級品ばかりだった。
「す、すごい……!」
月島さんと亜里沙が、ぽかんと立ち尽くす。
特に、千夏が、食い入るように、その光景を見つめていた。
「びっくりしたでしょ」
冴子さんが、くすりと笑う。
「この子、とにかく気に入った服は、すぐに買うのよ。……一度袖を通したきり、そのままの服もあるの」
「いいじゃん、好きなんだから。しかも、そのおかげで、こういう時に助かるんだし」
結衣ちゃんが、悪びれもせず言って、奥から何着かの服を取ってきた。昨日、蓮司くんの話を聞いて、買い足したものだった。
「月島ちゃん、これ。私が買い間違えちゃった服なんだけど、ちょうど、あなたのサイズに近いと思うんだ。着てみてほしいの」
「そ、そんな……! こんな、いいお洋服を、いいんですか……!?」
「いいのいいの。服はね、着られてこそ輝くんだから。この服、私にはまだ大きくて。あなたのサイズに、ちょうどいいと思うの」
月島さんの背丈は、千鶴ちゃんと結衣ちゃんの、ちょうど中間くらいだった。
「とりあえず、その服、一回着替えてみてくれる?」
「えっ……」
月島さんが、恥ずかしそうに、ちらりと周りを見回す。
その様子に、冴子さんが、すっと気づいた。この人数に囲まれて着替えるのは、恥ずかしいだろう。
「……じゃあ、私たちは、リビングで待っているわ」
冴子さんが、さりげなく腰を上げた。
「あ、それじゃ、みんなお願いがあるんだけど」
結衣ちゃんが続けた。
「冷蔵庫にケーキ入れてあるから、後でみんなで食べられるように、出しておいてくれる? ──あと、千夏ちゃんは、この後のお化粧、手伝ってくれると嬉しいな」
「はい。お任せください」
千夏が、上品に頷いた。
「では、私は、お茶の準備をいたしますわね」
千鶴ちゃんも、そう言って立ち上がった。
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リビングで準備を整えていると、着替えを終えた月島さんが、おずおずと姿を現した。
その瞬間、みんなが、はっと息をのんだ。
ぶかぶかの制服に隠れていた、すらりとした体のライン。仕立ての良い服に身を包んだ月島さんは、まるで別人のようだった。
月島さんは、大きな姿見の前に立って、嬉しそうに、自分の姿を見つめている。
「……これが、私」
「うちの学校に、あなたみたいな生徒がいたとはね」
冴子さんが、感心したように言った。
「私も、まだまだね」
月島さんは、いつの間にか、ちゃんと背筋を伸ばしていた。俯いてばかりだった少女が、見違えるような、素敵な女性に生まれ変わっていた。
「ほらね、言ったでしょ」
結衣ちゃんが、月島さんをくるりと眺めて、満足げに頷く。
「この子、案外、着痩せするタイプだったんだ。脱いだら、こんなにスタイルいいんだもん。ちょっと運動すれば、もっと良くなるよ。──ねえ、なんで今まで、あんなぶかぶかの服を着てたの?」
「あ、あれは……お姉ちゃんが、選んでくれたもので……」
「……やっぱり、そうなのね」
結衣ちゃんが、ふっと息をついた。
「はっきり言うね。──多分、あなたのお姉さん、あなたに嫉妬してるのよ」
「そ、そんな……! お姉ちゃんは、確かに厳しいですけど、でも……」
言いよどむ月島さんに、舞が、静かに口を開いた。
「……心当たり、あるのではありませんか」
「……っ」
「あなたみたいな女性に向かって、醜いだなんて。明らかに、おかしいですわ。あなたは、とても美しい女性です。私から見ても……彼が惹かれるのも、わかります」
「か、彼って……」
月島さんが、ぽっと頬を染めた。
「私でも……あの人と、釣り合いますか……?」
「はい」
千鶴ちゃんが、優しく微笑む。
「私も、大丈夫だと思いますわ。──ちゃんと、自信を持ってくれれば」
それから、千鶴ちゃんは、すっと表情をあらためた。
「とりあえず……おやつにしながら、お話ししましょうか。あなたに、お伝えしたいことがありますの」
---
みんなが席に着き、ケーキを食べ始める。
しばらくして、千鶴ちゃんが、ことりとカップを置いた。
そして、まっすぐに月島さんを見た。
「……はっきり、お聞きしますわ。遠慮なく、正直にお答えくださいまし」
「は、はい。なんでも、聞いてください」
「あなたは、不破くんのことを、どう思っていらっしゃるの?」
「……っ、とても、素敵な方だと思います。優しくて……」
「そうですか」
千鶴ちゃんは、静かに頷いた。
「では……こちらを、ご覧になってくださいまし」
そう言って、千鶴ちゃんが、一枚の写真を差し出した。
それは、普段は隠している、家でくつろぐ蓮司くんの姿を写したものだった。長い髪をほどき、眼鏡を外した、素顔の蓮司くん。
月島さんは、一瞬、誰だかわからずに首を傾げ──やがて、はっと気づいた。
「……っ」
かあっと、頬が赤くなる。
「こ、これは……不破くん、ですか……!?」
「そうよ」
冴子さんが、微笑んだ。
「とても、かっこいいでしょう?」
「は、はい……。とても、素敵だと思います……」
「それで、どう?」
冴子さんが、まっすぐに尋ねた。
「彼のこと、好き? ──一人の、男性として」
「そ、それは……っ」
月島さんは、みんなの真剣な眼差しに、戸惑い、少し怯えたように身をすくめた。
「大丈夫よ」
結衣ちゃんが、優しく声をかけた。
「別に、責めてるわけじゃないから。ただ、ちゃんと確認したいだけなの。どんな答えでも、あなたを責めたりしない。だから……自信を持って、正直に答えて」
月島さんは、ふと、鏡に映る自分を見た。
彼女たちが、生まれ変わらせてくれた、新しい自分の姿を。
そして、はっきりと、答えた。
「……はい。好きです」
その声には、もう、迷いがなかった。
「まだ、彼のすべてを知っているわけでは、ありません。でも……今、思えば。私は、最初から、彼に惹かれていました。先日助けていただいたのを、私は……彼に近づくための、口実にしたんです」
「……正直に答えてくれて、ありがとう」
冴子さんが、静かに言った。
「そして、今から……あなたには、酷なことを、伝えることになるわ」
「……?」
「あの人には、すでに、恋人がいるの」
その言葉に、月島さんの表情が、こわばった。
ショックを受けた様子で、しばらく俯く。けれど、やがて、ゆっくりと顔を上げた。その目には、不思議と、諦めのような、納得の色があった。
「……そうですか。あの人みたいに素敵な方に、好きな人がいないわけ、ないですよね」
それから、月島さんは、少し硬い声で続けた。
「……わかっていたなら、なぜ、私にこんなことを? 期待を持たせて……嘲笑うため、ですか」
その言葉に、みんなが、はっと焦った。
「違うわよ!」
冴子さんが、慌てて首を振った。
「そんなことない。あなたを、笑ったりなんてしない。……はっきり言わなくて、ごめんなさいね」
冴子さんは、一度、息を整えて、静かに告げた。
「彼にはね……複数の、彼女がいるの。それが、私たち。千鶴ちゃん、結衣、そして、この場にはいないシエラちゃんという子と、私。──四人で、彼と付き合っているの」
「……っ、え……!?」
月島さんが、目を見開いた。
「びっくりしたよね」
冴子さんが、苦笑する。
「でも、私たちは、真剣に、彼と付き合っているの。それでね……問題は、ここからなんだけど。彼が、あなたに、興味を持ったのよ。だから、私たちが、あなたに近づいたの」
「私に……?」
「あなたは、とても美しい女性よ。──だから、もしあなたが望むなら。私たちと一緒に、彼と付き合うことが、できるの」
月島さんは、言葉を失った。
「もし、嫌だと言うなら、それでも構わないわ。だけど……これは、私たちが勝手に決めたことだから。彼を、責めないであげてほしいの」
「こういうのはね」
結衣ちゃんが、申し訳なさそうに言った。
「ややこしくなる前に、ちゃんとさせたかったの。──ごめんね、いきなり」
それから、結衣ちゃんは、柔らかく微笑んだ。
「でも、私たちは、彼といて、とても幸せなんだ。だから、彼があなたに興味を持ったって聞いて、嬉しかったの。──今すぐ、答えを出さなくていいから。今はただ、あなたと友達になりたいの」
月島さんは、その言葉を聞いて、複雑な表情を浮かべた。
ありえない話のはずだった。一人の男性を、何人もの女性で。普通なら、引いて当然の話。
でも──。
(……あの人に、こんなに素敵な彼女たちがいて)
不思議と、納得してしまっている自分がいた。あれだけの人なら、当然なのかもしれない、と。
そして、何より。
(……私が、選ばれるの。あの人と、一緒になれるの)
「……ほ、本当に、いいんですか?」
月島さんの声が、震えた。
「私が……あの人のそばに、いても……?」
「ええ」
千鶴ちゃんが、優しく頷いた。
「ごめんなさいね。──最初は、あなたを、蓮司様とともにいられる方だとは、思っていませんでしたの。ですが、今は違いますわ」
千鶴ちゃんが、まっすぐに月島さんを見つめる。
「私たちは、大歓迎です。今のあなたは、とても素敵ですもの。──彼にも、ちゃんと釣り合いますわ」
月島さんは、しばらく、黙り込んだ。
そして、ゆっくりと、噛みしめるように、口を開いた。
「……わかりました。私、まだ、すべてを受け止めきれたわけでは、ありません。ですけど……彼のそばにいたいという気持ちは、変わりません。彼が、どんな人なのか。近くで、見守らせてください。──それから、お返事を、いたします」
「そう。よかったわ」
冴子さんが、ほっと微笑んだ。
「あなた、秘密は守れる?」
「はい。このことは、誰にも言いません」
「そうね。そうしてくれると、ありがたいわ。──あなたを信じて、彼のこと、教えるわね」
それから、彼女たちは、月島さんに、蓮司くんのことを少しずつ語って聞かせた。
聞けば聞くほど、月島さんは、蓮司くんという人に、ますます強く惹かれていった。
みんなで、わいわいと語り合って。最後には、月島さんも、すっかり打ち解けた笑顔を見せていた。
「そうだ。月島ちゃん、今週の土日は、空いてるかしら」
ふと、結衣ちゃんが尋ねた。
「は、はい。空いてます」
「だったら、私たちと一緒に来ない? 新しくできる遊園地に、遊びに行くんだ。あなたにも、ぜひ来てほしくて」
「ほ、本当ですか!? 嬉しいです……! ぜひ、行かせてください!」
「よかったですわ」
千鶴ちゃんが、にっこりと笑った。
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」
みんなが、帰り支度を始める。
その中で、千夏が、そっと結衣ちゃんに歩み寄った。
「あの……結衣さん。ご相談が、あるんです。──今夜、お宅に泊めていただくことは、できますか」
「えっ、なになに。私は全然いいよ!」
「ありがとうございます」
千夏は、ほっとしたように微笑むと、舞のもとへ向かった。
「お嬢様。私、今夜は結衣さんのお宅に、泊めていただくことになりました」
「あら、そう。ゆっくりしていらっしゃいな」
舞が、穏やかに頷く。
こうして、月島さんの〈シンデレラ計画〉は、大成功のうちに幕を閉じた。
けれど──その夜、結衣ちゃんの部屋では、もう一つの大切な話し合いが、始まろうとしていた。
第38話 了




