第34話 尾行作戦
放課後、駅前。
亜里沙たちが集まっていると、小さな人影が駆け寄ってきた。
「お待たせしました」
シエラちゃんだった。中学の制服姿で、ぴょこんと頭を下げる。
「シエラちゃん、久しぶり!」
亜里沙が笑顔で迎えると、シエラちゃんは小さく頷いた。
「如月さん、お久しぶりです。……これ、みんなの分、あるので」
そう言って、シエラちゃんは小さなイヤホンを人数分、配り始めた。
「これは……?」
亜里沙が首を傾げると、冴子さんが答えた。
「私が、シエラちゃんに頼んで蓮司くんの家から持ってきてもらったの。それはね、蓮司くんのスマホから音を拾って、会話が聞こえるのよ。それに……イヤホンをつけている人同士でも話せるから、離れていても便利なの」
「え、これ……完全に盗聴なんじゃ……」
亜里沙が引きつった顔をすると、結衣ちゃんがけろっと言った。
「大丈夫。蓮司くんも知ってて、納得してるから」
(……それ、納得する話なのかなあ)
そう思いつつ、亜里沙はイヤホンを受け取って、ポケットにしまった。
そこへ、結衣ちゃんのスマホが軽く震えた。
「あ、蓮司くんからメール。お店の場所、わかったって」
画面を覗き込んで、結衣ちゃんが続ける。
「『客も少ないから、ゆっくり見ていいよ』だって」
「ふふ。蓮司様、ノリノリですわね」
千鶴ちゃんが、くすりと笑った。
「ほら、行くよ」
結衣ちゃんに促されて、一行は店へと向かった。
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その店は、大通りから一本入った、目立たない路地の奥にあった。
古びた木の看板。控えめなランプの灯り。知らなければ、まず素通りしてしまうような佇まいだった。
扉を開けると、深く焙煎された珈琲の香りが、ふわりと鼻をくすぐる。落ち着いた照明に、磨き込まれた木のカウンター。風格のある老夫婦が、静かにコーヒーを淹れていた。
「わあ、素敵なお店……」
亜里沙が思わず呟く。
店の一番奥に、蓮司くんと月島さんが向かい合って座っているのが見えた。月島さんは、こちらに背を向けている。
千鶴ちゃん、結衣ちゃん、冴子さん、シエラちゃんは、その一つ手前の席に。亜里沙、舞、千夏は、斜め横の席に腰を下ろした。
冴子さんが、すっと立ち上がって、カウンターのマスターに歩み寄る。そして、分厚い封筒を、そっと差し出した。
「申し訳ありませんが……しばらく、この店を貸し切りにしていただけませんか」
マスターは、封筒と、店内の少女たちを見比べると、何かを察したように、静かに頷いた。
「……かしこまりました」
「相変わらず、強引ですね……」
亜里沙が小声で言うと、冴子さんは平然と席に戻ってきた。
それぞれ注文を済ませる。シエラちゃんは、いつものように甘いものを二人分頼んでいた。
「シエラちゃん、二人分……?」
「一つは、後で食べます」
涼しい顔で言うシエラちゃんに、亜里沙は苦笑した。
それから、みんなでイヤホンを耳につける。
──途端に、蓮司くんと月島さんの会話が、はっきりと耳に流れ込んできた。
『不破くん、今日来てくれて、嬉しいです』
月島さんの、弾んだ声だった。
『ここ、私がたまにバイトしてるお店なんですけど、とっても美味しいコーヒーが飲めるんです。ぜひ、不破くんにも味わっていただきたくて。……あ、もちろん、私が払いますから!』
『本当にいいお店だね。じゃあ、遠慮なくいただくよ』
『はい! あ、これもおすすめです。甘いケーキで、私も大好きなんです』
『そうなんだ。確かに、すごく美味しそうだね』
イヤホンの向こうで、月島さんが照れたように笑う気配がした。
『あの……この前は、転んだところを助けてくれて、ありがとうございました。私、どんくさくて、よく転んじゃうんですけど……すごく、嬉しかったです』
『気にしないで。たまたま通りかかっただけだから。怪我がなくて良かったよ』
『そんなふうに、誰かに手を差し伸べてもらえたの、初めてで……。だから、ぜひ、不破くんと仲良くなりたくて』
月島さんの声が、少しずつ熱を帯びていく。
『ほら、私ってこんなんで……あんまり、友達もいなくて。今回は、勇気を出して声をかけたんです。不破くん、いつも教室で一人でいたから……迷惑じゃないかな、とも思ったんですけど』
『そんなことないよ。誘ってくれて、嬉しかった』
蓮司くんの、穏やかな声が返る。
『月島さんみたいな素敵な人と話せて、楽しいよ』
斜め横の席で、亜里沙はぴくりと反応した。
(……え?)
『そ、そんな……! 私なんて、いつも暗いって言われるし……地味だって、よく』
『そんなことない』
蓮司くんの声は、まっすぐだった。
斜め横の席から見ていた亜里沙は、思わず息を止めた。蓮司くんが、月島さんの隣に座り直して、その目元にかかった前髪を、そっと横にどけたのだ。
『……ほら。やっぱり、いい目をしてる。落ち着いていて、優しい目だ』
『ふ、不破くん……っ』
『今は、自分の殻に閉じこもってるだけだよ。磨けば光る、宝石みたいな人だ。もっと、自信を持っていい』
「────っ」
イヤホン越しに、少女たちが、ぴくりと反応した。
月島さんの声が、完全に裏返っていた。
『ふ、不破くん……っ、そんな……』
「えっ、ええっ……!? あ、あんなこと、面と向かって言うんですか……!?」
舞が、頬を真っ赤にして、わたわたと慌てた。
「す、すごいですね……心臓に悪いです……」
千夏も、耳まで赤くしてうつむいている。
亜里沙も、思わず顔が熱くなった。直接言われたわけでもないのに、聞いているこっちまで照れてしまう。
一方で、千鶴ちゃん、結衣ちゃん、冴子さんは、慣れた様子で平然としていた。
その中で、冴子さんが、ふっと目を細めて呟いた。
「……蓮司くん、あの子のこと、かなり気に入ってるようね」
「え?」
亜里沙が聞き返すと、冴子さんは、コーヒーを一口含んで、静かに続けた。
「あの人、誰にでもああするわけじゃないの。気に入った子にだけよ。……あれは、本気で口説いてるわね」
その隣で、なぜか結衣ちゃんが、らんらんと目を輝かせていた。
「……はあ、蓮司くん、今日もかっこいい」
「結衣、あなたねえ……」
冴子さんが、呆れたように呟く。
「だって、ああいう蓮司くん、好きなんだもん」
結衣ちゃんが、うっとりと頬を押さえる。冴子さんは、もう何も言うまいという顔で、コーヒーをすすった。
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やがて、二人の食事も終わりに近づいた。
『とっても美味しいコーヒーでした。このケーキも……高級店にも負けない美味しさだよ。さすが、月島さんのおすすめだ』
『ほ、本当ですか!? 嬉しい……!』
『そういえば、ここでバイトしてるって言ってたね』
『はい、そうです』
『いつか、その制服姿も見てみたいな。きっと、似合うんだろうね』
『そ、そんな……っ! でしたら、ぜひ、私がバイトの日に来てください! またサービスしますから!』
『嬉しいな』
蓮司くんが、柔らかく笑う気配がした。
『今日は、本当にありがとう。素敵な時間だった』
『い、いえ……! あの、お会計は私が済ませておきますから、不破くんは外で待っていてください』
『そっか。じゃあ、お言葉に甘えて。ごちそうさま、月島さん』
『は、はい……!』
月島さんが、嬉しそうに頷く。それから、ぱっと立ち上がった。
『あ、その前に、ちょっとお手洗いに……!』
ぱたぱたと、こちらへ向かってくる足音。
「っ、来る……!」
亜里沙が身を縮めた、その時だった。
月島さんが、ふと顔を上げて──店内に集まる少女たちに気づき、ぴたりと足を止めた。
「……え?」
その、明らかに動揺した顔を見て、千鶴ちゃんが、すかさず立ち上がった。
「あら、偶然ですわね、月島さん」
にっこりと、完璧な微笑み。
「私たち、たまたまこの素敵なお店を見つけて、寄ってみたんですの。月島さんは、このお店の常連でいらっしゃるの?」
「え、え……? は、はい、そうですけど……」
月島さんが、おどおどと周りを見回す。
結衣ちゃんが、にこやかに手を振った。冴子さんが、上品に会釈する。舞は、苦笑いを浮かべた。
「……偶然だね」
「す、すみません、お手洗い、行ってきます……!」
月島さんは、真っ赤になって、逃げるようにお手洗いへ向かっていった。
その隙を、シエラちゃんは見逃さなかった。
すっと立ち上がると、とととっと蓮司くんの隣に滑り込む。
「マスター、これ、美味しかったから、分けてあげる」
そう言って、自分のお皿のケーキを、スプーンですくい、蓮司くんの口元へ運んだ。
「ありがとう」
蓮司くんが、慣れた様子で、ぱくりとそれを食べる。
その時、シエラちゃんの口の端に、小さくクリームがついているのに気づいて、蓮司くんは、ふっと笑って、その頬に、ちゅっと軽くキスをした。
「……っ、ずるい!」
結衣ちゃんが、頬を膨らませる。
その甘いやり取りに見入っていた千夏は、いつの間にか、自分の指でケーキのクリームをすくって、ちょこんと頬につけていた。
「……あ」
自分の無意識の行動に気づいて、千夏が、かあっと赤くなる。
「ち、違うんです、これは、その……っ」
「あら、千夏。頬にクリームがついてますわよ」
舞が、ふふっと笑って、ティッシュでそっと拭き取ってあげた。
「うう……お嬢様ぁ……」
千夏が、消え入りそうな声で俯く。
「ふふ」
そんな騒ぎを眺めて、蓮司くんが、くすりと笑った。
「さて。彼女が戻ってくると気まずいだろうから、俺は先に出てるよ。──また後でね、みんな」
「はーい」
少女たちに見送られて、蓮司くんは静かに店を出ていった。
ほどなくして、月島さんがお手洗いから戻ってきた。蓮司くんの姿がないことを確認して、ふと、こちらに集まる少女たちに振り向いた、おずおずと近づいてきた。
「あ、あの……えっと。このこと、なんですけど……」
月島さんが、ぺこぺこと頭を下げる。
「明日、改めて説明しますので……ど、どうか、秘密にしてくれませんか。お願いします、お願いします……!」
「言いふらしたりはしないわよ。気にしないで」
冴子さんが、穏やかに微笑んだ。
「さあ、相手を待たせているわよ。……よかったら、また明日、ゆっくり話しましょう」
「ひひひ。覚悟しといてね」
結衣ちゃんが、いたずらっぽく笑う。
「は、はい……っ」
月島さんは、震えながら頷くと、マスターに代金を払い、ぺこりと一礼した。
「で、では……また、学校で……!」
そう言い残して、月島さんは、ぱたぱたと店を出ていった。
外で待っていた蓮司くんと合流して、何やら言葉を交わす。その横顔は、今日一日の幸せを噛みしめるように、ほんのりと赤らんでいた。
やがて、満ち足りた表情で、二人は帰っていった。
その背中を、窓越しにそっと見送りながら、亜里沙は、ぽつりと呟いた。
「なんだか、不思議な子だったね」
千鶴ちゃんが、ふふっと笑う。
「でも……まあ、悪い子では、なさそうですわね」
その声は、どこか優しかった。
第34話 了




