第32話 文学少女の勇気
翌朝、亜里沙が目を覚ますと、枕元にきちんと畳まれた制服が置かれていた。
「あれ、これ……」
寝ぼけ眼をこすりながら身を起こすと、すでに身支度を整えた千鶴ちゃんが、にこにこと立っていた。
「おはようございますわ、亜里沙さん。制服、こちらで用意させていただきましたの」
「え、わざわざ……? いつの間に」
「ふふ。サイズもぴったりだと思いますわ」
至れり尽くせりすぎて、亜里沙は思わず苦笑いした。
身支度を整えて、みんなで朝食をとり、白鳥家を後にする。
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学校に着いて千鶴ちゃんの車を降りると、昇降口で結衣ちゃんが目を丸くした。
「あれ、みんな一緒? どうしたの?」
「昨日、皆様とパジャマパーティーをしましたの」
千鶴ちゃんが嬉しそうに言うと、結衣ちゃんが頬を膨らませた。
「えー、何それ! ずるい、私も行きたかった!」
「すみません、急に決まったことでしたので」
千鶴ちゃんが申し訳なさそうに笑う。
「次は、ぜひ皆さんで集まりたいですわね」
「そういえば、私、まだ千夏ちゃんの家に行ってないね」
結衣ちゃんが、千夏の方を見た。
「ぜ、ぜひ。歓迎します」
「絶対だよ!」
「もちろんですわ」
賑やかに笑い合いながら、昇降口をくぐる。
教室が近づいたところで、結衣ちゃんと千夏が手を振った。
「じゃ、また後でね!」
「また後で」
そうして、亜里沙、千鶴ちゃん、舞の三人は、自分たちの教室へと向かった。
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教室に入り、三人で他愛のない話をしながら、授業の準備を進める。
「昨日のお風呂、本当に気持ちよかったですわ」
「うん、また入りたいなあ」
そんな話をしていた時、ふと、亜里沙の視線が、なんとなく蓮司くんの方へ向いた。
すると、一人の女の子が、おずおずと蓮司くんの席へ近づいていくところだった。
地味な雰囲気の、おとなしそうな子だった。三つ編みに、少し大きめの眼鏡。胸には図書委員のバッジ。同じクラスのはずだけれど、亜里沙はあまり話したことがなかった。
「あ、あの……不破、くん」
消え入りそうな声だった。
蓮司くんが顔を上げる。
「えっと……月島さん?」
「は、はい。月島小夜です。あの、これ……」
月島さんが、きれいに畳まれたハンカチを、両手で差し出した。
「き、昨日、助けてくださって、ありがとうございました。これ、洗ったので、お返しします」
「ああ、わざわざありがとう。別によかったのに」
「い、いえ! それで、あの……もしよかったら、お礼を、させていただきたくて」
「お礼なんていいよ。たまたま通りかかっただけだから」
蓮司くんが、穏やかに笑った。
その瞬間、月島さんの顔が、さっと曇る。
「す、すみません……! やっぱり、私からのお礼なんて、ご迷惑ですよね……」
「いや、そういうことじゃなくて」
「いえ、わかってます、わかってます……すみません、すみません……」
月島さんが、おどおどと身を縮こまらせる。あまりに自信なさげな様子に、蓮司くんは少し慌てたように言葉を継いだ。
「大丈夫だから。迷惑なんかじゃないよ」
「……本当、ですか?」
月島さんが、おそるおそる顔を上げる。
「本当だよ」
その一言に、月島さんの表情が、ぱあっと花開いた。
「で、でしたら……! 今日の放課後、一緒に帰りませんか? わ、私、行きつけのお店があって……そこで、食事でもどうかなって……」
「まあ、いいよ」
「ほ、本当ですか!? 嬉しいです……!」
月島さんが、満面の笑みを浮かべた。さっきまでのおどおどとした様子が嘘のように、瞳が輝いている。
「で、では、放課後! 校門で待ってます……! ぜ、絶対、後悔させませんから……!」
そう言い残すと、月島さんは、ぱたぱたと自分の席へ戻っていった。
教室に、しばしの沈黙が落ちる。
亜里沙は、ぽかんとその後ろ姿を見送った。
(……え、今の、何……?)
恐る恐る千鶴ちゃんの方を見ると、千鶴ちゃんは、にこやかな笑顔のまま、月島さんの背中をじっと見つめていた。
「……あらまあ」
「ち、千鶴ちゃん、大丈夫……?」
「大丈夫ですわ」
千鶴ちゃんが、にっこりと微笑む。
「ただ……あの子、蓮司様のこと、狙っていますわね」
「大丈夫じゃないじゃないですか!」
舞が、思わず突っ込んだ。
「まあ、そうですわね」
千鶴ちゃんが、ふう、と小さく息をついた。
「みんな我慢していますのに、教室で堂々と話しかけられるのを見ると……少し、焼いてしまいますわね」
「あ、やっぱり、やきもちは焼くんだ」
亜里沙が言うと、千鶴ちゃんは少し頬を膨らませた。
「まあ、そうですわよ。私だって、本当は教室で蓮司様とお話ししたいんですもの」
「でも、千鶴ちゃんが蓮司くんに話しかけたら、周りの男子が放っておかないだろうね」
「全くですわ。それに……結衣ちゃんが知ったら、拗ねてしまいますわよ」
千鶴ちゃんが、くすりと笑った。
亜里沙は、ふと、いたずら心が湧いてきた。
「……ねえ、どうする? つけてみる?」
「え、何をでしょう?」
舞が首を傾げる。
「だから、蓮司くんと、あの子の……カフェデート」
「な、何を言いますの!」
千鶴ちゃんが、目を丸くした。
「蓮司様を尾行だなんて、はしたないですわ……!」
「そうですよ、亜里沙さん。不破くんが知ったら、嫌がるんじゃ……」
舞も、おずおずと止めようとする。
ところが、しばらく黙っていた千鶴ちゃんが、ふと目を細めた。
「……でも、まあ。よく考えてみれば」
「千鶴ちゃん?」
「校門で待ち合わせがダメというなら……今日、私たちが、たまたま同じカフェに行くだけ、ということもできますわよね」
「あれ、千鶴ちゃん、乗り気じゃん」
亜里沙が笑うと、千鶴ちゃんは、こほんと咳払いした。
「だ、だって……気になるんですもの。蓮司様は、そんなことで怒る方ではございませんし」
「そうなの?」
「そうですわよ。それに……私の、後輩になるかもしれない方ですもの。しっかり見極めなければなりませんわ」
「後輩って……ふふっ」
亜里沙は、思わず噴き出してしまった。
まだ何も決まっていないのに、もう後輩扱い。でも、それが千鶴ちゃんらしくて、なんだか微笑ましかった。
「でも、千鶴ちゃん。出歩いて、大丈夫なの? この前のこともあるし……」
亜里沙が心配して聞くと、千鶴ちゃんは安心させるように頷いた。
「そこは、もう大丈夫ですわ。お父様と蓮司様が、この町全体をカバーできるセキュリティを設置したと、おっしゃっていましたから」
「町全体!? すごい規模ですね……」
「ええ。蓮司様が、私に窮屈な思いをさせたくない、とおっしゃってくださって。正直、助かりましたわ。さすがに、毎回護衛を連れて出歩くのは、気が引けますもの」
「なら、問題ないね」
亜里沙が頷くと、千鶴ちゃんの目に、すっと真剣な光が宿った。
「では、放課後。よろしくお願いしますわね、お二人とも」
優雅に微笑む千鶴ちゃんを見て、亜里沙と舞は顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
こうして、放課後の小さな尾行作戦が、ひっそりと幕を開けたのだった。
第32話 了




