第31話 夜のひととき
お風呂から上がると、広間には温かい食事が用意されていた。みんなで食卓を囲み、賑やかな食事会が始まる。
「そういえば、ありささん。お家の方は大丈夫でしたの?」
千鶴ちゃんに聞かれて、亜里沙は頷いた。
「うん。さっき連絡したら、問題ないって。千鶴ちゃんの家に泊まるって言ったら、お母さんも安心してた」
「それはよかったですわ」
たわいない話に花を咲かせながら、楽しい時間を過ごす。食事を終える頃には、すっかり夜も更けていた。
客間に戻り、四人はパジャマ姿でくつろぐ。
「ねえ、パジャマパーティーって、何するの?」
亜里沙が無邪気に聞くと、千夏が少し考えてから答えた。
「こういう場合は……恋バナ、でしょうか」
「恋バナなら、さっきしたではありませんか」
舞が、ぴくりと反応する。
「でも……まだ聞いていないことがあって。聞きづらいんですけど」
千夏が、もじもじしながら千鶴ちゃんの方を向いた。
「なんですの? 何でも聞いてくださいまし」
「ここだから聞けるんですけど……やっぱり、蓮司さんと、女性四人で……日曜日、その……過ごされたんですか?」
「ちょっと千夏、何聞いてるの!」
舞が慌てて止めようとする。
「だって、気になるじゃないですか」
「……確かに、それは気になるかも」
亜里沙までもが、つい言ってしまう。
「千鶴ちゃん的には、どう……?」
視線が、千鶴ちゃんに集まった。
千鶴ちゃんは、頬を赤らめながら、しばらく俯いていたが、やがて静かに顔を上げた。
「……そうですわね。皆様になら、お話ししてもよろしいかと思います」
そして、少しいたずらっぽく微笑んだ。
「ただ……覚悟をなさった方が、よろしいかと思いますわ」
「そ、そこまでのことを……?」
千夏が、ごくりと喉を鳴らす。
千鶴ちゃんは、ゆっくりと語り始めた。
「まず、そうなった流れからお話ししますと……金曜日の夜、蓮司様に連れ出していただいて、その後、私の告白を受け入れてくださったんですの。『このまま帰るか』と聞かれて……私、『一緒にいたい』と答えましたわ」
みんなが、静かに耳を傾ける。
「それで、一緒にレストランでお食事をして……そのまま、お部屋を取って、お話をしながら……」
千鶴ちゃんの声が、だんだんと小さくなっていく。
「蓮司様が、私を熱い眼差しで見つめて、キスをして……その流れで、私が彼の胸元に手を置いたら……」
千鶴ちゃんは、頬を染めながら続けた。
「蓮司様が、こうおっしゃったんですの。『千鶴、焦る必要はない。でも、俺は君が欲しい。嫌なら、嫌だと言ってくれ』って。そうして……一緒の夜を過ごしましたの」
「す、すごいですね……生々しい」
千夏が、顔を真っ赤にしながら呟いた。
「あの……男性の体って、どうでした?」
「千夏!」
舞が思わず声を上げたが、その視線は、やはり千鶴ちゃんに向いていた。
「そうですわね……蓮司様は、普段から鍛えていらっしゃるので、とても硬くて、頼もしい体でしたわ」
千鶴ちゃんが、うっとりと目を細める。
「腕に手を伸ばしたら、少し赤く腫れていて……私を助けるために、あの人たちを真正面から受け止めたことを思い出して。私、さらに胸が熱くなってしまいましたの」
「それから、それから?」
千夏が興味津々に身を乗り出す。舞も、顔を背けながら、しっかりと耳を傾けていた。
「とても、幸せな夜でしたわ。蓮司様は、ずっと私を気遣ってくださって……痛みなど感じる間もなく、ただ幸福感だけが、胸いっぱいに広がっていきましたの」
千鶴ちゃんが、柔らかく微笑む。
「好きな人に抱かれる幸福感が、こんなにも大きなものだなんて……私、あの夜に、初めて知りましたわ」
「……すごい」
その言葉を聞きながら、亜里沙の胸の奥が、ちくりと痛んだ。
(そんな感じなんだ……私の最初の体験と、全然違う)
一周目の、自分の最初のことを思い出す。翔太に求められるがまま、流されるように体を重ねた。求めてくれたことは嬉しかった。でも、最初は痛くて、怖くて。あんなものだと思っていた。
「……怖く、なかったの?」
亜里沙が、思わず尋ねた。
「ええ、全く」
千鶴ちゃんが、迷いなく頷いた。
「蓮司様が、私を見ながら、とても優しく言葉をかけてくださって。どれだけ私を愛してくださっているのか伝わってきて……それが、何より嬉しかったですわ。……恥ずかしい限りですけれど」
「そうなんだ……」
「蓮司様って……そんな人なんだね」
千夏が、しみじみと呟いた。
「千夏!?」
舞が、肘で小突く。けれど、その舞自身も、千鶴ちゃんの話にすっかり夢中になっていた。
「それで、土曜日は……蓮司様と、二人きりで過ごしましたの」
千鶴ちゃんが、幸せそうに頬を緩めた。
「一日中、デートをして。お買い物をしたり、お食事をしたり……ただ二人で歩いているだけで、夢のような時間でしたわ」
「いいなあ……」
千夏が、うっとりと呟く。
「そして、日曜日のことなんですが」
千鶴ちゃんが続けた。
「蓮司様のお家に行くことになりましたの。そこで、結衣ちゃんや冴子さん、シエラちゃんに、事件のことと……蓮司様とお付き合いすることになったことを、報告しましたわ」
「みんなに会いに行ったんだ」
「ええ。そうしたら、シエラちゃんが、私にこう聞いてきましたの。『千鶴姉は、覚悟ができたの?』って。私、『もちろんですわ』と答えました」
千鶴ちゃんの声に、静かな芯が宿る。
「そうしたら、シエラちゃんが……『マスター、ここはみんなで体験したほうがいいかと』と」
「ちょっと、それはまだ早いわ、と冴子さんが慌てていましたけれど」
千鶴ちゃんが、くすりと笑った。
「結衣ちゃんが言ってくれましたの。『私たちと付き合っていくってことだもんね。千鶴ちゃんも分かってることだし』って。それで……『千鶴ちゃんはどう?』と」
「すごい、全開ですわね」
舞が、思わず呟いた。
「最初は驚きましたが……私も理解はしていましたから。『見たいです』と、答えましたわ」
「私も長く悩んできましたから。これは、覚悟の上でしたの」
千鶴ちゃんが、まっすぐに前を見た。
「そして、その流れで……蓮司様の寝室に、連れて行かれましたの」
「れ、蓮司くんの部屋って、どんな感じなの?」
亜里沙が、話を逸らすように聞くと、千鶴ちゃんは少し考えた。
「とても落ち着いた感じですわ。変わったことといえば……大きなベッドが一つ。八人は寝られるんじゃないかという」
「何それ……!」
「それと、驚いたことに、蓮司様のお部屋には、クローゼットが二つありましたの。冴子さんに伺ったら、『一つは私たちのクローゼットよ』と」
千鶴ちゃんが、頬を染める。
「結衣ちゃんがそのクローゼットを開けたら……その、きわどいパジャマや、いろいろな衣装が……」
「あ、頭がクラクラしてきましたわ……」
舞が、額を押さえた。
「お嬢様、大丈夫ですか? 横になられたほうが」
「大丈夫よ、千夏。……続きを、どうぞ」
「それで、シエラちゃんが、ベッドの前に椅子を用意してくれたんですの。『一回、みんなのを見て、それから混ざれるかどうか確認したい』と言われて」
千鶴ちゃんが、ふと声のトーンを落とした。
「そこで、蓮司様が、こうおっしゃったんですの」
ここからしばらく、千鶴ちゃんの声は、いつになく真剣だった。
「『千鶴、今から行うことは、普通の女性には受け入れがたいかもしれない。無理はしないでくれ。でも……君に隠したくないんだ』と。それから、こう続けられましたの」
千鶴ちゃんが、その時の蓮司様の言葉を、そっとなぞる。
「『俺は、君を愛している。それと同時に、彼女たちのことも愛しているんだ。男として、彼女たちを求めてしまう。こんな俺を、好きでいてくれるかどうかはわからない。だけど俺は……君と一緒にいたいんだ』」
「……それで、千鶴さんは、なんて」
舞が、息をのんで尋ねた。
「『大丈夫ですわ』と。『私は、皆様のことも大好きですから』と、お答えしましたの」
千鶴ちゃんが、穏やかに微笑んだ。
それから、ほうっと熱い息をついて、両手で顔を覆ってしまった。
「……その後のことは、さすがに、お話しできませんわ」
「ええっ!」
千夏が、思わず声を上げる。
「い、一番気になるところじゃないですか……!」
「だ、だって……恥ずかしいんですもの……!」
千鶴ちゃんが、指の隙間から、ちらりと顔を覗かせた。その頬は、茹で上がったように真っ赤だった。
「ただ……これだけは、言えますわ」
千鶴ちゃんの瞳が、夢見るように潤む。
「想像していたような、怖さも、嫌悪も、何もありませんでしたの。あの空間には、ただ……蓮司様と、皆様への、愛おしさだけがありましたわ。私、自分でも驚くくらい、すんなりと……あの方たちの輪の中に、溶け込んでいけたんですの」
千鶴ちゃんが、そっと胸に手を当てた。
「不思議ですわよね。普通なら、目を背けたくなるような光景のはずですのに。私には、それが……とても、美しいものに見えましたの。蓮司様が、お一人お一人を、本当に大切にしていらっしゃるのが、伝わってきて」
その声は、心からの幸福に満ちていた。
「私たち、そのまま……一日中、一緒にいましたわ。気づいたら、夜になっていて。あんなに満ち足りた時間は、生まれて初めてでしたの」
しばらく、部屋に静かな余韻が流れた。
亜里沙は、その話を聞きながら、ぼんやりと考えていた。
愛されるというのは、こういうことなのかもしれない。形が普通とは違っても、そこに本物の想いがあるのなら。
一周目の自分には、ついぞわからなかったこと。それを、千鶴ちゃんは、もう手にしている。
「……これが、あの日の流れですわね」
千鶴ちゃんが、長い語りを終えて、そっと息をついた。
「皆様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……大丈夫。すごい、話だったね……」
亜里沙が、頬を赤らめながら答える。
「そうですね……今日、眠れるかどうか、心配になりました」
舞が、火照った顔で呟いた。
しばらくの沈黙の後、千夏が、おずおずと口を開いた。
「あの……もし、これから他にも女性が増えたら、千鶴さんは、どうするんですか?」
「えっ……!?」
亜里沙と舞が、思わず顔を見合わせた。
けれど、千鶴ちゃんは、少しも動じなかった。
「そうですわね。蓮司様が愛される方なら……私も、その方を愛しますわ」
迷いのない、穏やかな声だった。
それから、千鶴ちゃんは、すっと身を乗り出して、千夏の唇に、そっと人差し指を当てた。
「でも──その子も、本気で蓮司様を愛さないと、ダメですわよ?」
「ふぁっ……!?」
千夏の顔が、一気に真っ赤になる。
「な、ななな、何を……!」
「あら。どうして、そんなに慌てていらっしゃるの?」
千鶴ちゃんが、くすくすと笑った。
その様子を見て、亜里沙も、舞も、思わず噴き出してしまう。
「もう、千夏ったら。顔が真っ赤よ」
「お、お嬢様まで……!」
部屋に、ひとしきり笑い声が広がった。
ひとしきり笑った後、四人は並んだベッドに、それぞれ潜り込む。
電気を消すと、窓から差し込む月明かりが、部屋をぼんやりと照らした。
「……今日、すごく楽しかった。ありがとう、千鶴ちゃん」
亜里沙が、暗闇の中でそっと呟くと、千鶴ちゃんの優しい声が返ってきた。
「こちらこそ、ですわ。……おやすみなさい、皆様」
四つの「おやすみ」が、夜の静けさに溶けていく。
その夜、亜里沙は久しぶりに、何の不安もなく、ぐっすりと眠ることができた。
第31話 了




