第21話 君のそばに
気づいたら、眠っていた。
目を開けると、窓の外に夜の街が流れている。助手席だった。レンジが隣でハンドルを握っていて、その横顔が街灯の光に照らされていた。
「起きた?」
「……はい」
千鶴は慌てて背筋を正す。頬が熱い。
「お恥ずかしい限りですわ。レンジ様の前で眠ってしまうなんて」
「ずっと頑張ってたんだから、当然だよ」
前を向いたまま、レンジが言う。責めるわけでも、からかうわけでもない。ただそれだけ。
なのに、その一言が胸の奥まで届いてしまう。
「……助けに来てくださって、ありがとうございました」
「俺こそだよ。装置を押してくれなかったら、もっと時間がかかってたと思う」
少しの間、二人とも口を閉じていた。
「千鶴に何もなくてよかったよ」
低く、静かな声。
千鶴は膝の上で指を絡め合わせた。
今日、何度この言葉を飲み込んだかわからない。でも今夜、この車の中で二人きりなら。もう迷わなくていい気がする。
「レンジ様」
「ん」
「私……レンジ様のことが、好きですわ」
声が震える。
「ずっと前から好きで。でも言えなくて。今日、もし何かあったらと思ったら……後悔したくなかったんですの」
レンジは何も言わない。
でも車がゆっくりと速度を落として、路肩に止まる。エンジンが切れた。
静寂の中で、レンジがこちらを向いた。
「千鶴」
「……はい」
「俺も、千鶴が好きだよ」
心臓が、静かに大きく鳴る。
「でも、わかってると思うけど……俺には三人の彼女がいる。別れるつもりはないよ」
「知っています。最初から、わかっていましたわ」
「それでも……俺のそばにいてくれるか」
真っ直ぐな目だった。誤魔化しのない、真剣な目。
「必ず幸せにする。俺のすべてを君に捧げるよ。そばにいてほしい」
その言葉が、長い間胸の奥に閉じ込めていた何かを、静かに解いていく。
「……もちろんですわ」
その瞬間だけ、涙が一筋頬を伝った。
「私でよければ……どうか、そばに置いてくださいませ」
レンジがそっと千鶴の手を取る。
大きくて、温かい手だった。
「愛してるよ、千鶴」
千鶴は何も言えなかった。
ただ、その手を静かに握り返す。
その瞬間、レンジが静かに顔を近づけた。
触れるか触れないかの距離で、一度だけ止まる。
千鶴が目を閉じると、柔らかい温もりが唇に触れた。
短く、静かなキスだった。
離れた後、二人とも黙っていた。繋いだ手だけがそこにある。夜の街が窓の外を流れていく。
「この後、どこか行こうか」
少し柔らかい声で、レンジが聞いた。
「……はい」
千鶴は小さくうなずいた。
「千鶴のお父さんには俺から連絡しておくよ。心配させるわけにいかないから」
「よろしいんですか?」
「当然だよ。俺が責任を持って伝える」
その一言に、千鶴の胸がまた温かくなった。
こういう人なんだ、と思う。こういうところが、好きなんだ。
車がゆっくりと動き出す。
行き先は言わなかったけれど、千鶴は聞かなかった。
どこでも、この人の隣ならよかった。
第21話 了




