第17話 奪われた放課後
その日の千鶴ちゃんは、朝からどこかふわふわしていた。
いつもと同じ制服、いつもと同じ席。なのに顔が、どこかほころんでいる。
「千鶴ちゃん、今日なんか嬉しそう」
私が言うと、千鶴ちゃんは少し照れたように視線を落とした。
「そうですか?」
「うん。なんかいいことあった?」
「……明日、楽しみなことがあって」
それだけ言って、にこっと微笑んだ。それ以上は教えてくれなかったけれど、その顔を見ているだけで、こちらまで嬉しくなった。
よかった。ちゃんと、踏み出せたんだ。
胸の奥で、温かいものが広がった。と同時に、小さなざわめきもあった。でも今日は、それをそっとしまっておくことにした。
放課後、私は舞と千夏と一緒に帰ることになった。
昇降口を出たところで、翔太が待ち構えていた。
「舞、今日こそ付き合えよ。どこか行こう」
舞の表情が、さりげなく固まった。
「申し訳ありませんが、今日は亜里沙さんたちと先約がございまして」
「また先約かよ。毎日毎日、いい加減にしろよ」
翔太の声が、少し低くなった。千夏がさっと舞の前に出た。
「舞お嬢様、お時間ですので」
千夏の声は穏やかだったけれど、その目は翔太をしっかりと見ていた。翔太は舌打ちして、それでも引き下がった。
三人で校門を出た。夕方の空気が、柔らかく頬に触れた。
「翔太さん、最近ひどくなってきてるね」
「……ええ」
舞が静かに答えた。その横顔に、疲れと、もっと別の何かが混じっていた。
「大丈夫?」
「大丈夫です。千夏がいてくれるので」
千夏が舞の隣で静かにうなずいた。
校門を出てしばらく歩いたところで、後ろから声がかかった。
「亜里沙さん、舞さん、少しよろしいかしら」
振り返ると、千鶴ちゃんが小走りで追いかけてきた。
「千鶴ちゃん、今日は車じゃないの?」
「ええ。今日は歩いて帰りたい気分ですの。よかったら一緒に」
千鶴ちゃんがふわっと微笑んだ。普段は車で送迎されているのに、こうして一緒に歩いて帰ることがたまにある。こういう時の千鶴ちゃんは、どこかいつもより自由そうで好きだった。
四人で並んで歩き始めた。千鶴ちゃんはまだどこかふわふわしていた。舞が「千鶴さん、今日はとても楽しそうですね」と言うと、千鶴ちゃんは少し照れながら「そうかしら」と笑った。
夕暮れの道が、オレンジ色に染まっていた。
話しながら歩いていると、路地の角を曲がったところで、前方に黒い車が一台止まっているのが見えた。
「あの車、さっきから止まってますね」
千夏が低い声で言った。
「え?」
その瞬間だった。
車のドアが開いて、複数の人影が飛び出してきた。
「っ!」
千夏が即座に舞の前に出た。人影は千鶴ちゃんに向かってきた。
「千鶴ちゃん!」
咄嗟に千鶴ちゃんの腕を掴んだ。でもそれが逆効果だった。腕を掴んだまま、私ごと引きずられた。後ろから羽交い締めにされた。千鶴ちゃんの悲鳴が聞こえた。
「離して! やめて!」
抵抗しようとしたけれど、力が強すぎた。視界が暗くなった。
「亜里沙さん!」
舞の叫び声が遠くなった。
車のドアが閉まる音がした。エンジンの音が、遠ざかっていく。
千鶴ちゃんの手だけが、暗闇の中でまだ私の手を握っていた。
舞は、その場に立ち尽くしていた。
一瞬の出来事だった。千夏が舞を守るために動いた、その隙だった。
「お嬢様、ご無事ですか」
千夏の声が震えていた。舞は頷いたけれど、頭の中が真っ白だった。
「千夏……今の」
「はい。すぐに連絡します」
千夏が素早く端末を取り出した。残りの二人の侍女への連絡、車のナンバーの確認、全てが同時進行で動き始めた。
舞は消えていった車の方向を見つめた。
亜里沙さんと千鶴さんが、連れ去られた。
拳を握りしめた。指先が、震えていた。
「お嬢様」
千夏が舞を見た。その目に、覚悟があった。
「追います」
舞は頷いた。
「行きましょう、千夏」
夕暮れの道に、二人の足音が響いた。
第17話 了




