第10話 交わる視線、気づかない真実
その日の朝、梨香が私の席に来た。
「ねえありさ、ちょっと聞いていい?」
いつものケラケラした声。何事もなかったような顔で、椅子を引いて隣に座る。
「なに?」
「この前はごめんね。翔太のこと」
さらっと言った。本当にさらっと。謝罪というより、天気の話をするみたいな軽さだった。
「……まあ、いいよ別に」
「え、怒ってないの?」
「怒るより呆れた」
「あはは、ありさって面白いね。普通怒るじゃん」
「怒る気力も惜しいし、もう終わったことだから」
梨香はしばらく私の顔を見て、それからニヤッと笑った。
「ありさってさ、実はかなりサバサバしてるよね。見た目と違う」
「そう?」
「うん。なんか好きだわ、そういうとこ」
梨香らしい、軽い言い方だった。でも嘘はない目だった。
しばらくして、梨香が声を潜めた。
「ねえ、翔太の婚約者って見た? あの京都から来た子」
「うん、話したよ」
「え、もう話したの? めちゃくちゃ可愛くない? てかヤバくない? あの子が翔太の婚約者って」
「まあ確かに、翔太とは全然合ってない感じがした」
「でしょ! なんか釣り合ってないっていうか。あの子、翔太のこと全然好きじゃなさそうだったし」
「梨香はよく見てるね」
「そりゃあね。まあ翔太のことは私が相手してあげるから、ありさは安心していいよ」
ケラケラと笑いながら、梨香は自分の席へと戻っていった。その背中を見送りながら、私は小さくため息をついた。
本当に、この子は自由だな。
昼休み、購買でパンを買って教室に戻ろうとした時、廊下の窓際に舞が一人で立っているのが見えた。
外を眺めている。その横顔は静かで、でもどこか寂しそうだった。
声をかけようか迷って、でも気づいたら足が動いていた。
「舞さん、一人?」
「あ、如月さん」
舞が振り返った。少し驚いたような顔をして、それからすぐに柔らかく微笑んだ。
「千夏は隣のクラスですし、お昼は一人でと思っていたんです」
「よかったら一緒に食べない? 千鶴ちゃんも一緒に」
「……よろしいんですか」
「もちろん。こっちこそ嬉しいよ」
舞の表情が、ほんの少しほぐれた。
三人で窓際のベンチに腰を下ろした。千鶴ちゃんが舞に色々と話しかけて、舞も少しずつ打ち解けてきた。京都の話、転校してきたばかりで戸惑っていること、千夏のこと。
「千夏さんって、舞さんの幼馴染みたいな感じ?」
「そうですね。ずっと一緒にいてくれているので、姉妹みたいな感覚に近いかもしれません」
「可愛い子だよね。金髪で目立つし」
「本当に。でもまだこの学校に慣れていないみたいで、少し心配で」
舞が窓の外を見ながら言った。その横顔に、千夏への心配と、この場所への戸惑いが混じっていた。
その時、廊下から足音が聞こえてきた。
蓮司くんだった。図書室の方から歩いてきて、私たちの方に目をやった。
「ありさ、千鶴ちゃん」
いつもの落ち着いた声。でも次の瞬間、蓮司くんの視線が舞のところで、ほんの少しだけ止まった。
ほんの一瞬だった。気のせいかと思うくらい、わずかな間だった。
「こちらの方は?」
「九条舞と申します。転校してきたばかりで」
「そうですか。不破蓮司です。よろしく」
舞が蓮司くんを見上げた。その目が、少しだけ揺れた気がした。でも何も言わなかった。蓮司くんも、それ以上は何も言わなかった。
「ありさ、放課後少し時間ありますか」
「うん、あるよ」
「では後で」
蓮司くんは静かに会釈して、廊下の先へと歩いていった。
私はその背中を目で追いながら、さっきの一瞬が頭の中に引っかかっていた。
蓮司くんが舞を見た時の、あの表情。いつもと違う、何かを確かめるような目だった。
「……如月さん、不破さんはお友達ですか」
舞が静かに聞いてきた。
「うん、同じクラスで。どうして?」
「いいえ……なんとなく、です」
舞は小さく首を振って、また窓の外を見た。その横顔に、何かを探しているような、不思議な色があった。
その頃、廊下を歩く蓮司の隣に、いつの間にか龍二が並んでいた。
「坊ちゃん、さっきの子、気になりましたか」
「……少しね」
「ほう」
龍二の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
蓮司は前を向いたまま、静かに言った。
「まさか、あの子にまた会えるとは思っていなかった」
「へえ、知り合いでっか」
「……昔のね」
それ以上は何も言わなかった。
廊下の向こうで、舞がありさたちと笑っているのが窓越しに見えた。あの頃と同じ、どこか寂しそうな笑顔。
蓮司は静かに視線を前に戻して、歩き続けた。
第10話 了




