第9話 それぞれの思惑、交差する廊下
その日の昼休み、翔太が舞を連れて教室に現れた。
わざわざ私の席の近くを通りながら、どこか得意げな顔をしていた。舞は翔太の隣で静かに立っていたけれど、その表情はどこか遠かった。翔太に連れ回されることへの、微妙な戸惑いが滲んでいる。
「亜里沙、紹介するよ。俺の婚約者の舞」
翔太の声には、隠しきれない自慢気な色があった。
「知ってるよ。昨日話したもん」
「そっか。まあ、これからよろしくな」
翔太は満足そうにうなずくと、自分の席の近くで足を止めた。
「おい、あとは適当に座ってろよ。俺、ちょっと用あるから」
舞を振り返りもせず、翔太はそのまま一人で教室を出て行ってしまった。
残された舞は、一人でポツンと立ち尽くした。隣のクラスには侍女の千夏さんがいるはずだけれど、今はここにはいない。舞は少し困ったように微笑み、私と千鶴ちゃんの方へ静かに会釈をしてくれた。その目の中に、翔太への得意げな色は欠片もなかった。
私はその様子を見送りながら、千鶴ちゃんと顔を見合わせた。
「……連れてきたと思ったら、放置ですの?」
「うん、あいつらしいね……」
一方、廊下に出た翔太は、隣のクラスから出てきた健吾と合流した。
「よお、翔太。さっきの子、誰だよ直めちゃくちゃ可愛かったじゃん」
健吾がニヤニヤしながら肩を叩く。翔太は腕を組みながら、得意げに鼻を鳴らした。
「ああ、俺の婚約者だよ。九条舞。昨日京都から来たんだ」
「婚約者? いつの間にそんなもんできたんだよ」
「知らねえよ。子供の頃に決められてたんだってさ。あっちから嫁ぎに来た感じらしいんだけど、昔はうちの方が立場上だったからまあわかるけど、今じゃあの家かなり勢いづいてるらしいんだよな。金も力も。なのに律儀に子供の頃の婚約守ろうとしてるんだぜ」
「へえ、義理堅いんだな」
「まあな。親父もなんか複雑そうだったけど、俺には関係ねえ。可愛けりゃそれでいい」
「お前ほんとそれしか考えてないのな」
「悪いか」
二人で笑いながら廊下を歩いていると、向こうから見慣れたツインテールを揺らして、小鳥遊結衣ちゃんが近づいてきた。
健吾の足が、ぴたりと止まった。
「あ……小鳥遊さん」
結衣ちゃんはちらりと視線を向けた。その目が、すうっと冷えた。
「……用件は」
「いや、その、よかったら放課後」
「ない」
一言だけ言って、また歩き出そうとした。
「待って、せめて連絡先だけでも」
「しつこい」
健吾がもう一歩踏み出したその時、廊下の向こうから人影が現れた。
「龍二にー!」
結衣ちゃんの声が、ぱっと明るくなった。さっきまでの冷えた目が嘘のように、駆け足で龍二の隣に並ぶ。龍二はちらりと健吾の方へ目を動かした。
一瞬だった。何も言わない。ただ見ただけ。でもその目が、健吾の全身に直接触れたみたいだった。
健吾は一歩、後ろに下がった。
龍二は結衣ちゃんに何か短く言って、二人でそのまま廊下の先へと消えていった。
しばらく、健吾は動けなかった。
「……なあ、あの二人付き合ってんのか」
「ないない。そんな話聞いたこともねえよ。龍二先輩って夜の店で見かけたって奴いるんだよ。そんな奴を結衣ちゃんが好きになるわけないだろ。龍二にーって言ってたんだから、近所のお兄さん的な存在なんじゃないの」
「まあそうか。しかしあの龍二って先輩、何なんだ」
「知らねえのかよ。有名だぞ。ここら辺の不良なら全員知ってる。関わったらマジでやべえ。絶対喧嘩売るなよ」
「わかってるよ。この前散々やられたし」
「マジかよ。何やらかした」
「いや……ほら、ありさに急に振られた時さ。ちょっとありさの腕掴もうとしたら、急に取り押さえられてびくともしなかったわ。何なんだよ、あいつマジ怖い」
「お前それ自業自得だろ」
放課後、私は千鶴ちゃんと一緒に帰り道を歩いていた。
「結衣ちゃんと龍二さん、仲良いんだね」
「ええ、龍二さんはとても頼りになる方ですもの。結衣ちゃんが懐くのも当然ですわ」
千鶴ちゃんはにこっと微笑んだ。でもその目が、少しだけ遠くを見ていた。
「千鶴ちゃん?」
「なんですの?」
「なんか、考え事してた?」
「……少しだけ」
千鶴ちゃんは視線を落として、それからゆっくりと顔を上げた。
「亜里沙さん、舞さんのこと、どう思いましたか」
「可愛い子だなって。でもなんか、翔太と全然合ってない感じがした」
「そうですわね」
千鶴ちゃんはそれ以上は言わなかった。でもその横顔に、何かを考えている色があった。舞のことだけじゃない、もっと別の何かを。
夕暮れの道を、二人で並んで歩いた。何かが少しずつ、動き始めている。
そんな予感が、静かに胸の中に広がっていった。
第9話 了




