栄光の呪縛と、空回りのインサイド
上手くいかない。その焦りとイライラが、海斗の全身をじりじりと駆け巡る。コート中央から響く楽しげな声も、小気味よいキックの音さえも、今の海斗には自分を嘲笑っているようにしか聞こえなかった。
海斗は持っていたボールを、床を鳴らすようにちょっと力任せに置く。
(なんで上手く蹴れないんだよ……!)
おのれへの苛立ちをボールにぶつけるように、右足を思い切り振り抜いた。
「クソッ!」
だが、気負うあまり足首はガチガチだ。変に力が入った一撃はボールの芯を外れ、斜め後ろへと不格好に吹っ飛んでいく。
ドン、と壁に当たって鈍い音を立てたボールは、あろうことか、メンバーたちがミニゲームをしているコート中央へと無慈悲に転がっていった。
(やべっ……!)
心臓が跳ね、慌ててボールを追いかける。恥ずかしさで顔が熱くなるが、海斗の頭の中はすぐに別の思考で埋め尽くされた。
(いや、俺だって試合形式だったらこんなことにはならない。地味な壁打ちだから調子が出ないだけだ……)
転がってきたボールを足元でピタッと止めたのは、高橋さんだった。
「相沢くん大丈夫? 変な所に飛ばしちゃったね。私も最初はそうだったよ」
高橋さんは眩しいほどの笑顔を浮かべ、わざわざボールを持って海斗のところまで駆け寄ってきてくれる。
だが、今の海斗にはその優しさが逆にプライドを逆撫でした。素直に「ありがとう」が言えない。
「あ、すんません。なんか上手くまっすぐ飛ばなくて……。まぁ、ちゃんと集中してやれば、これくらい普通に出来るんですけどね」
頼まれてもいないのに、変なプライドから「今はちょっと調子が悪いだけ」というアピールを口走ってしまう。
「へぇ〜、そうなんだ。じゃあ頑張ってね」
高橋さんが少し苦笑いを浮かべてボールを渡してくれた、その時だった。
「おーい、相沢くん」
いつの間にか、佐野がいつもの完璧な爽やかスマイルを浮かべて近づいてきていた。
「もう十分くらい経つから様子を見に行こうと思ってたんだけど……。もしかして相沢くんって、一人で黙々とやっててもダメなタイプ?」
悪意ゼロの、直球すぎる一言がナイフのように刺さる。
「だから、今からみんなでドリブル練習に切り替えよっか。あ、でもミニゲームの途中だから迷うなぁ、どうしよう」
腕を組んで楽しげに提案する佐野を見つめながら、海斗の脳内は一瞬で沸騰した。
(――あ? 一人でやらせたら下手くそだから、みんなの練習に混ぜて介護してやるってことかよ!?)
周囲の状況を客観視することなんて、今の海斗には到底不可能だった。なんで俺だけ出来ないんだ、というどす黒いモヤモヤだけが、体育館の白い光の下でどこまでも膨れ上がっていった。
ミニゲームを一度中断し、メンバーたちが体育館の端へと集まってくる。
佐野は脇にボールを抱えたまま、みんなの前に立った。
「今から、ここからドリブルをしていって、壁にボールを当てて、またこっちに戻ってくる、っていう練習をしますね」
わざわざ海斗の方を見ながら、子供に教えるように分かりやすく説明する佐野。それに対して海斗は、素直に話を聞くことができなかった。
(うん? 俺が下手くそだからって、わざわざあんな親切丁寧に説明してんのかよ……?)
そんなひねくれた思考に囚われているうちに、他のメンバーたちはテンポよく二人一組のペアを作って進み始めていた。
(せめて高橋さんとペアに……!)
海斗の淡い期待は虚しく打ち砕かれ、気がつけば目の前には爽やかに微笑む佐野が立っていた。最悪だ。お呼びじゃない相手とのペア結成に、海斗の内側でさらにイライラが募っていく。
その時だった。
「相沢くん〜、ちゃんと説明聞いてた? 次、俺たち行くよ!」
不意に三宅から声を掛けられる。
「えっ? あ、だい、大丈夫です!」
急に振られた焦りから、少し裏返った声を出しつつも、海斗はそのまま三宅と共にボールを蹴って走り出した。
(とにかくボールを足元から逃がさないように、慎重に、慎重に……)
焦る気持ちを抑え、ゆっくりと、けれど確実に前へとボールを運ぶ。
そんな海斗をよそに、隣を走る三宅がニカッと笑った。
「ちょっとショートカット!」
三宅の右足から放たれたロングシュートが、ズドンと快音を立てて壁に当たる。跳ね返ってきたボールを吸い込まれるように足元で受け止めると、三宅は器用に反対方向へと身体を反転させた。
「いや〜、端っこまで真面目に走るのは疲れるしね〜」
そう笑いながら、軽快に戻っていく三宅の後ろ姿。
その鮮やかな動きに、(……俺だって、それくらい!)
負けじと対抗心が燃え上がる。海斗は端まで行かず、その場で壁に向かってシュートを放った。パコンと乾いた音がして、ボールは綺麗に自分の手元へと戻ってくる。それを無意識に足元でピタッと止めると、海斗は反対方向に向かって走り出した。
「おぉっ、いいじゃん相沢くん!」「出来るじゃん!」
水銀灯のまぶしい光の下、コートのあちこちからパチパチと拍手が湧き起こり、メンバーたちの純粋な歓喜の声が降り注ぐ。
だが、海斗にはそれが理解できなかった。素直に喜ぶことなんて、到底できない。
(……は? 戻ってきただけで拍手? なにそれ、俺が初心者だから喜んでるの?基礎は出来てるねって意味か?)
「センスある」と言われたあの1点の輝きとは程遠い、ただの基礎練習での称賛。
周りの笑顔がまぶしければまぶしいほど、海斗の胸の奥のモヤモヤは、冷たく、重く、引きずり込まれるように膨れ上がっていった。
佐野はコートの隅にいる海斗の様子を見て、爽やかに歩み寄ってきた。
「次は、試合に必須なパス練習をしましょう。お互いペアになってやりましょうね。――あ、相沢くんのパスの感じも見たいから、僕と一緒にペアになってね。大丈夫、何が悪いとか指摘しないから。いきなりそんなのされたら、フットサル嫌いになっちゃうでしょ?」
そう言って、佐野は完璧な笑顔で海斗の正面に位置に着く。足元でボールをピタッと止めると、優しく語りかけてきた。
「ある程度は知ってると思うけど、相手にパスが通ればいいから。強く蹴ると、相手にいらない負担をかけたり怪我に繋がったりするからね。軽く蹴る感じで」
コツン、と佐野の足元から海斗に向かってボールが転がってくる。
「はい、わかりました」
口では神妙にそう答えつつも、海斗の心の中は別の言葉で埋め尽くされていた。
(そのくらい、サッカーとかテレビで見て知ってるっつの……!)
(軽く蹴る……このくらいか?)
海斗は転がってきたボールをインサイドで捉え、押し出すように蹴り返す。そこまでスピードはなかったが、ボールは綺麗な軌道を描いて佐野の元へと届いた。
(へぇ……良いね)
佐野の目が、驚きでわずかに見開かれる。だが、彼は無言のまま、正確なパスを海斗へと突き返してきた。
パコン、パコンと、体育館の床を噛むボールの軽い衝撃が、足裏を通して伝わってくる。
海斗もそれを無言で受け取ると、そのままの勢いで佐野にパスを回した。
流れるようなラリーが、自然と続いていく。
最初は無意識に足を動かしていた海斗だったが、次第に少し冷静になって、自分の足元を見つめた。
(あれ……? 俺、結構できてるんじゃないか?)
インサイドに吸い付くようなボールの感触が心地よい。少しだけ嬉しくなりながら、海斗はテンポよくパスを返していった。
やがて、佐野が足元でボールをピタッと止めた。
「相沢くん、パス上手いね! 何も指摘するところがなかったよ。……まぁ、元々する気はなかったんだけどね」
佐野は弾むような声で、笑顔を向けてくる。
「え? そうですか? 良かったです」
予想以上の高評価に、海斗はちょっと鼻を高くして嬉しそうに返した。やっぱり俺にはセンスがあるんだ。
だが、佐野の次の言葉が、海斗の耳を疑わせた。
「うん、本当。試合でも、相沢くんがパスをしっかり回してくれたら、チームとして良い感じになると思うんだよね」
爽やかな佐野の笑顔を見つめたまま、海斗の思考がピキリと凍りついた。
(――は? パスだけ、回してりゃいいってこと?)
脳裏に、ゴールを決めた1点の全能感が鮮烈によみがえる。
(俺は主役になってシュートを決めたいんだよ! なんでパスだけで終わらされなきゃいけないんだ? あんなに綺麗にゴールを決めたのに……。何、もっと上手くなってから言えってことかな……?)
佐野の純粋な期待は、海斗の歪んだフィルターによって、最悪の侮辱へと変換される。
まぶしい水銀灯の下、海斗の胸の奥で、どす黒いモヤモヤとした憤りが一気に沸点へと達しようとしていた。




