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ホメオスタシスは、今日も眠ってる  作者: 紅月ヨルカ


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うぬぼれとグレーゾーン

仕事終わり。結局、高橋さんと会うこともなく、海斗は早歩きでスーパーへ向かっていた。頭の中は「明日、ドッペルになんて言い訳をしようか」ということで一杯だった。

いつものスーパーに駆け込み、カゴを取る。翌日の土曜日も外に出るのだから、買い物は明日でもいいはずだった。けれど、海斗の手は無意識にカゴへとお菓子を放り込んでいた。大袋のポテトチップスに、チョコレートそして飲み物と割引された弁当も2個をレジに通した。

(……少し多めにお菓子を買っておいてやれば、文句も出ないだろ)

胸の奥にあるチクチクとした罪悪感をゴマかすように、いつもより重くなったレジ袋を提げて、海斗は逃げるようにアパートへ帰った。

「ただいまー……」

ドアを開けた瞬間、冷たい違和感が肌を刺した。玄関から続く廊下の先、リビングが真っ暗なのだ。寝ているのかと思ったが、暗闇の奥からテレビの青白い光がチカチカと明滅し、バラエティ番組の笑い声だけが虚しく響いている。

心臓が嫌な跳ね方をした。海斗は壁を手探りし、リビングの電気のスイッチを押した。

パッと白い光が部屋を照らす。コタツのテレビの前を陣取ってテレビの光を浴びて淡く輝いている。

「なんだ、起きてるじゃん。電気代の節約でもしてくれてたの?」

努めて軽いトーンで声をかけ、テーブルに荷物を置く。ドッペルはテレビの画面を見つめたまま、海斗の方を見ようともしない。大きな瞳は、どこか冷ややかにバラエティ番組を映している。

「ああ、おかえり。大体この時間だね。……今日は何かあったの?」

感情の読めない声。海斗は一瞬ビクッと肩を震わせながらも、カバンを置いてコタツの反対側に滑り込んだ。

「いやー、高橋さんがまたフットサルに誘ってくれてさ。俺、なんかセンスがあるって言われてるみたいで困っちゃうよ。まだ初心者なのにさ」

少し得意げに、鼻を鳴らして笑ってみせる。自分の価値をアピールして、会話の主導権を握ろうとする無意識の防衛本能だった。

だが、ドッペルはゆっくりと立ち上がると、無邪気な、それでいて底知れない笑顔を海斗に向けた。

「へぇー。君みたいなのが誰かに求められるなんて、よっぽど人手が足りないサークルなんだね?」

およそお出迎えとは思えない、忖度のない毒舌が飛んでくる。ドッペルはトコトコと台所へ向かうと、買ってきたばかりのレジ袋をガサゴソと乱暴に漁り始めた。

「また割引の安いお弁当かぁ。あ、でもポテチは買ってきてくれたんだね」

「嫌なら食うなよ」

海斗が口を尖らせて台所へ歩み寄ると、ドッペルはレジ袋からお弁当を取り出しながら、不意に背中を向けた。


「でもさ、浮かれてるのはいいけど……ルールは守ってね?」

低く、けれど部屋の空気をピリッと凍らせるような「圧」がそこにはあった。ドッペルは電子レンジの前に立ち、お弁当を温め始める。

海斗は動胸を隠すように、先に温まった弁当とポテチ、飲み物をコタツのテーブルへ運んだ。電子レンジがブーンと低い音を立て、部屋にコンビニ弁当の独特な匂いが広がり始める。

テレビの音に紛れ込ませるように、海斗はできるだけ自然を装って切り出した。

「なあ。休日は家でのんびりするってルールだけどさ……散歩とか、ちょっとした買い物もダメなのか?」

ドッペルはお弁当を抱えてコタツに戻り、ゆっくりと座った。そして、大きな瞳を細めてクスッと笑う。

「そのグレーゾーンを突きたい気持ちはわかるけど、別にそこまで厳格じゃないよ? 買い物に行ってくれないと、ぼくが食べるものに困るしね。行きたいなら、どこでも行けばいいさ」

海斗が「よし」と胸中で安堵した瞬間、彼女はスプーンをピタリと止め、首を傾げて無邪気に微笑んだ。

「……ただし、運動とかは駄目だよ? それは完全にアウト。――例えば、フットサルとか?」

心臓がドクン、と大きく脈打った。背中に冷や汗が流れる。海斗は喉の渇きを潤すように、ペットボトルのお茶をゴクゴクと一気に飲み干し、乾いた声で返した。

「そ、それはないらしいよ。体育館とか、休日は予約が取れないって高橋さんも言ってたし」

「だろうね」

ドッペルはそれ以上追及することなく、冷淡に言い放つと、半分も食べていないお弁当を置いて立ち上がった。

「もう私は休むよ。うぬぼれくんと喋ってても、イライラするだけだし」

「別にうぬぼれてないだろ? ちょっとセンスあるって言われて嬉しかっただけで……俺はまだ初心者だって自覚してるよ!」

ベッドへ向かう白い背中に向かって、海斗は必死に声を張った。自分自身に言い聞かせるような叫びだった。

彼女は振り返り、ドアの隙間から悪戯っぽく、けれどすべてを見透かしたような瞳で不敵に微笑んだ。

「ふーん……。それが本音だといいけどね。おやすみ」

パタン、と寝室のドアが閉まる。

時計の針は、まだ夜の二十時前を指していた。リビングには、食べかけの弁当と、テレビの無機質な音だけが残される。

(まだ二十時前だぞ……。色々とフットサルのこととか、話したかったのに。本音だったら、って何だよ。わかってるって、自分が素人だってことくらい。……でも、パスが上手いのは確かなんだ。自惚れなんかじゃないやい)

暗い部屋の中、海斗はお茶のボトルをきつく握りしめた。

明日、自分は確実にルールを破る。そのカウントダウンの足音が、静まり返った部屋の中で、海斗の胸をずっと締め付け続けていた。

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