休日の誘い
初めてフットサルに参加した水曜日から、二日後の金曜日。
昼休みの休憩室は、驚くほど静まり返っていた。他の社員たちは外へ食べに出かけているのか、誰の姿もない。海斗はプラスチックの容器に入ったコンビニ弁当を口に運びながら、そののんびりとした時間を一人で満喫していた。安っぽい揚げ物の油の匂いと、静寂が妙に心地よかった。
その静けさが、不意に破られた。
ガタッと音を立ててドアが開く。そちらへ視線を向けると、入ってきたのは高橋さんだった。彼女は海斗の姿を見つけると、パッと花が咲いたような笑顔を浮かべて駆け寄ってくる。
「あ! 相沢くん、ここにいたんだ。探したんだよ?」
ふわりと、彼女のつけている甘いシトラスの香水の匂いが鼻腔をくすぐった。海斗は慌てて口の中のものを飲み込み、お茶のペットボトルを手にする。
「ああ、高橋さん。どうしたの? 何かトラブルでもあった?」
「もう、何言ってるの? そんなわけないじゃん」
高橋さんは可笑しそうに目を細めると、声を弾ませた。
「ちょっと、フットサルのことで誘いにね。この前、相沢くんすごく楽しそうだったから。あのあとの食事の時もね、佐野さんが『相沢くんが楽しんでくれてたなら、次も誘ってあげて欲しい』って言っててさ」
――佐野さんが……?
その名前が出た瞬間、海斗の胸の奥がチリッとひりついた。あの圧倒的なプレイを見せつけておきながら、裏ではそんな余裕のある「先輩面」をしていたのか。
海斗は喉元まで出かかった不快感をどうにか抑え込み、引き攣った笑顔を顔面に張り付けた。
「ああ、うん。楽しかったよ。また機会があったら、ぜひ参加したいなとは思ってたんだ」
すると、高橋さんは本当に嬉しかったのか、「もうー!」と言いながら、海斗の肩にポンと親密に触れてきた。衣服越しに伝わる彼女の体温に、海斗の心臓が小さく跳ねる。
「そうならそうと、昨日とかに言ってくれれば良かったのにー。ちょっと遠慮してたじゃん? 実は、昨日も少し練習があったんだよ?」
「え、そうなの? ごめん、昨日は社内で全然会わなかったから、言いそびれちゃって……。それで、次はいつあるの? 僕で良かったら、いつでも参加するよ」
照れ隠しに頭を掻きながら笑う海斗に、高橋さんは少し声を潜めて、上目遣いで覗き込んできた。
「あ、そうだったね。……実はね、急なんだけど、明日体育館が取れたの。短い時間なんだけど……どうかな? 土曜日だし、何か予定があったりする……?」
――明日。土曜日。
その単語が鼓膜を叩いた瞬間、海斗の脳裏に、あの部屋のコタツと、ドッペルがフラッシュバックした。
『休日は、家でのんびり過ごすこと』
それが、ドッペルと交わした絶対のルールだったはずだ。
(明日って、土曜日か……。でも、昼までの少しの時間なら、セーフか……?)
海斗が凝固したように返事をできずにいると、高橋さんの顔にさっと不安の色が過った。
「あ……やっぱり予定あるよね? デートとか。ごめんね、急に無理しなくていいよ!」
「いや、デートなんてないよ! 全然大丈夫!」
高橋さんを失望させたくない、カッコ悪いと思われたくない。その一心で、海斗は両手をバタバタと振って焦って否定していた。
「何時から? 行けるよ」
「なんだー、良かった!」
高橋さんの表情が、一瞬でパッと明るい笑顔に切り替わる。
「ちょっと早いんだけど、朝の九時スタートで昼まで。でもね、滅多にないんだよ、土曜日の枠なんて。佐野さんも言ってたよ、『相沢くんはセンスあるし、教え甲斐がある』って。あ、お食事中だったよね、ごめんね! 明日、楽しみにしてるね!」
彼女は嬉しそうに手を振りながら、嵐のように休憩室を去っていった。ドアが閉まり、再び静寂が戻ってくる。
残された海斗は、冷めかけたお茶をぐっと口に含んだ。緑茶の渋みが、やけに苦く舌に残る。
(佐野さんが、教え甲斐があるって……?)
お茶を飲み下すと同時に、胸の奥からどす黒い感情がせり上がってきた。
(どうせ、自分より下手な初心者を指導して、満足したいだけだろ。あいつ……)
捻くれた思考で自分を正当化しながらも、海斗の指先は、ルールを破ることへの言い知れぬ不安で微かに震えていた。




