23. 奏に愛された者達 前編
佐藤香菜は共働きの二児の母である。
家事と育児を旦那と分担しているものの、旦那は慢性的な残業に追われて帰宅時間が遅く、彼女の負担がとても大きくなっていた。
「ああ、そろそろお迎えに行かないと」
今日はテレワークにて在宅勤務中。
仕事を早めに終わらせて子供達を幼稚園に迎えに行き、そのまま帰りに買い物をしてから夕食を作る。
「はぁ……どうして私ばかり」
決して旦那が何もしないわけでは無い。
夜何も出来ない分、朝食、洗濯、ゴミ出し等の朝の作業は率先して行い、早く帰った日や休みの日には子供達の面倒を見てくれる。
だがそれでも彼女の負担が軽いというわけではなく、いつの間にか自分だけが苦労していると思い込んでいた。
近い将来、彼女の不満が爆発して旦那を責め、旦那は過労と妻からの叱責により鬱を発症し、周囲の人間は旦那への思いやりの無さに彼女を責め、彼女も狂い出し、家庭が崩壊する未来になる筈だった。
「あれ、なにこれ?」
子供達を迎えに外出しようと立ち上がった彼女の全身が突如ポカポカと温まる。
エアコンが効いているとはいえ、外は灼熱の夏模様。温かさなど不快にしか感じないはずなのだが、どういうわけかその温もりはとても心地良かった。
「気持ち良いぃぃ……」
温もりは彼女の心の中にまでじんわりと入り込み、あまりの気持ち良さに立ったまま寝入ってしまいそうになる。
「あれ……これって……確か……佐野奏?」
ぼんやりと霞む彼女の視界に、うっすらとある人物が映る。半分寝ているような思考の中でも、不思議とその人物の正体を直ぐに理解した。テレビで何度も報道されている佐野奏だと。
「なん……で……」
祈りを捧げている佐野奏から、温かな想いが彼女の中へと注ぎ込まれる。
全身と心が温もりで満たされた時、その温もりの正体が分かった。
『みんなが無事でありますように』
日本中の人々の無事を願った奏の真摯な想い。
そして分かったのは温もりの正体だけでは無い。
「…………そんなことが」
彼女は様々な映像を視せられた。
奏のスキル、日本の危機、そして奏が日本中を守ろうとしていること。
奏の因果応報?スキルは進化した。
誰かを特に強く想った時、その相手との絆が深くなくとも一時的にその対象に因果応報?スキルの恩恵が伝搬する。
ただし、代償として奏の想いと奏の事情が全てダイレクトに相手に伝わってしまう。
ゆえに、彼女にもそれらが伝わっているのである。
『みんなが無事でありますように』
顔も名前も知らないはずの相手の無事を願う真摯な想い。
彼女が与えられた温もりの正体は奏からの『愛』だった。
彼女は思い出す。
旦那に恋していた若き日の想いを。
子供達が生まれた時の喜びの気持ちを。
失いかけていた『愛』を奏の想いが呼び起こしてくれたのだ。
「……あ……ふぅ」
やがて、彼女の心と体から温もりが少しずつ抜けて行く。
朦朧としていた思考も、時間が経つにつれて徐々に鮮明になって行く。
「…………あ!時間!あれ?」
長い間放心状態になり、子供達の迎えが遅れてしまうと慌てたが、時間は全然経っていなかった。
心の余裕を取り戻した彼女は、先程の出来事について考える。
「……大丈夫よね?」
日本がテロに巻き込まれかけているという事実を不安に思いながらも、まだ胸に僅かに残る温もりを感じながら彼女は子供達を迎えに外出する。
「旦那と話をしようかしら」
彼女は旦那と相談する時間を設け、家庭は崩壊の未来を免れたのである。
全ては奏が彼女に『愛』を思い出させてくれたためである。
矢島豪は長距離トラックの運転手である。
一日の殆どを車の中で過ごし、家に帰る時間は非常に少ない。
「チッ、あの馬鹿が。てめぇらのせいで俺らの印象が悪くなるだろうが」
高速道路を運転中。
彼は荒っぽい同業者の運転を見ながら舌打ちする。
「あいつら報告しても全く改善しねーんだよな。死ねば良いのに」
昨今の規制やドライブレコーダーの普及の影響でトラックの運転の質について上からきつく指導されている。尤も、彼は元から安全運転を心がけている真っ当なドライバーであり、前々から質の悪いトラックの運ちゃんについて苛立ちを覚えていた。
ごつい見た目通り口は悪いが、クライアントから信頼されている立派な人物である。
「み、皆さん。今の現象は何だったのでしょうか!?」
「ん?」
彼は運転中、ラジオを聞くことが楽しみであった。
今も楽しく音楽番組を聞いていたのだが、突然パーソナリティーが慌てた声をあげる。
「私だけじゃない?スタッフもそう?リスナーさんはどうですか?テロってマジですか?あれって話題の佐野奏さんですよね。というか、めっちゃ気持ち良かったんですけど。ああもう、なんか変な事言っちゃってる。ラジオパーソナリティー失格ですね、あはは」
そして混乱した様子でテロがどうだの佐野奏がどうだのと意味不明な発言をしている。
「なんだこりゃ」
彼は不思議に思いながらも、何らかのイベントかと思いそのままラジオを聞いているが、パーソナリティーは興奮したまま意味不明なことを繰り返し述べ、番組はそのまま終了した。
その後の番組でも似たような話題が繰り返され、リスナーからの投稿内容もその件に関してのものだ。まるで自分以外の全ての人が同じ体験をしたかのような、奇妙な状況であった。
「気味がわりぃな」
彼はラジオを止め、疲れた気分になったためトラックをパーキングエリアに停めて休憩することにした。
「コーヒーでも買って……!?」
停車した瞬間、彼の体が突然温もりに包まれる。
運転中や手術中等の途中で邪魔が入ると危険な行為をしている場合、それが一段落ついて安全な状態になってから、遅れて奏の想いが届く親切仕様になっていたのだった。
「なるほど、これがみんなが言ってたことか……やべぇな、佐野奏のファンになっちまいそうだ」
彼は再度ラジオをつけ、奇妙な体験が遅れて来たことをラジオ番組に投稿したのだった。
残念ながら彼の投稿は採用されなかった。
「ウェーイ!」
「ウェーイ!」
彼らは昼間から合コンしている大学生達。
まだ客の少ない飲み屋で盛り上がりながらも、お目当ての相手にアプローチを繰り返す。
「俺は佐野奏みたいにハーレムなんて興味無いから。すっごい一途だぜ」
彼らに限らず、若者の間で恋愛の話になると必ずと言っても良い程、奏の話題が出てくる。
日本では認められておらず、マイナスの印象が強いハーレムに近い行いを宣言したのだから当然の事だろう。
合コンで奏を下げながら自らの一途さをアピールするのも鉄板ネタとなっていた。
「あはは、そんなの当然だよー」
鉄板ネタであるがゆえ、相手の女性も軽く流した。会話の掴み程度にしか効果が無いのであろう。
そんな彼らにもまた、奏の『愛』が伝わった。
「な……に、今の」
「俺だけじゃ……ない?みんなも?」
全員が同時に白昼夢を見て、同時に現実に戻って来たかのような不思議な感覚。
一昔前であれば異常事態だと思っただろうが、今はスキルがあるため現実に起きた事なのだと理解出来る。特に今回はわざわざ奏のスキルの力であることまで伝わっているため、疑う余地が無いのだ。
「ヤバイ、あたし、奏クン好きになっちゃいそう」
「分かるー。あんなに愛されたらぐっと来ちゃうもんね」
「あーいう子だからハーレムになっても愛されたいって思っちゃうのかなぁ」
女性陣は目の前の男性達を無視して奏の事が気になってしまう。
日本人は『愛』を語り合う習慣があまり無く、ストレートに『愛』を伝えられることにも慣れていない。そんな彼女達にストレートどころか剛速球で心も体も『愛』で打ち抜かれたのならば、あまりの衝撃で酩酊状態になってもおかしくない。そしてその心地良い状態が『愛』を伝えて来た奏に対する好意であると勘違いしてしまったのだ。
「やべぇ、俺もあいつのこと気になりだした」
「はぁ!?お前その気があったのか!?」
「ねーよ!でもよ、あいつ見た目くっそ可愛いじゃん」
「いやまぁ分からなくはないが」
「俺は妹にしてめっちゃ愛でたい」
「それな。って弟だろ!」
一方、男性陣も目の前の女性達を無視して奏の『愛』を好意的に受け止めていた。
元々妹弟として愛でたくなる雰囲気を持っている奏だ。そんな奏からの『おにいちゃんだいすき』的な『愛』を伝えられたら、男であっても狂ってしまうかもしれない。
公開告白により、奏に対する評価は世間で真っ二つに割れていた。
だが、奏が日本中に『愛』を振りまいたことで、批判的な評価は完全に消え去った。
強烈な『愛』を受け取り、奏の想いの真摯さを認めてしまったのだ。
そして、奏は日本中の人々に熱狂的に愛されることとなった。
また、奏が与えてくれた『愛』は、一般人と知人とでは違いがあった。
「むぅ……これは!」
総理と大統領を警護するために尽力している警視総監は、金城から伝わった情報を元にテロリスト捕縛の命を下し、作戦室で状況を見守っていた。
そんなおり、突如奏からの『愛』が彼にも伝えられた。
『芹那さんのご家族も無事でありますように』
知人の場合は、汎用的な想いでは無く、特にその個人に向けた『愛』が伝えられたのだ。
奏が意識的にそう願ったわけでは無い。
普段から奏が抱いていた想いが、自然と伝わってしまったのである。
『芹那さんのことを大切に想い、警視総監として日本の治安を守るために働いている貴方が無事でありますように』
警視総監と奏の遭遇回数は多くは無いが、数少なくとも奏は警視総監に対して好印象を抱いていた。
いつも怒っているような表情であり会うたびに怯えてはしまうが、娘や奏に向ける眼差しに慈愛の気持ちが宿っていることに気付いており嬉しく思っていた。
そして警視総監という重責を全うしようとする力強さが心強く憧れていた。
そのような奏の正の感情がこれでもかと言うくらい強烈に伝わってきた。
自らの想いや仕事を認められて、喜ばない男など居ないだろう。
「……………………お前ら!ネズミ共を一匹たりとも逃がすな!」
『はい!』
奏の『愛』が伝えられた警視総監は、その憧れに恥じぬ働きをしようと気合を入れたのだった。
「この感覚は……奏さん?」
銀行頭取は悔やんでいた。
金の流れを辿って幾つかの犯罪組織の動向は分かったものの、肝心の大規模テロの核心には迫れなかったからだ。
娘とその想い人である奏を自らの手で危険から守り切れない。何のために頭取の座まで昇りつめたのだと苦しんでいた。
『美月さんのご家族も無事でありますように』
その頭取に対しても奏の想いが伝えられる。
『美月さんのことを大切に想い、銀行頭取として僕らが安心してお金を使えるようにとても大事な役割をこなしている貴方が無事でありますように』
娘の事を大切に想いながらも娘の意思を尊重し、怪盗との戦いなどの危険なことに挑戦する娘の行為を決して否定はしない。そのような親としての姿勢や、お金と言うセンシティブなものを取り扱う銀行のトップとして堂々としている姿を奏は尊敬していた。
その気持ちが、頭取にもダイレクトに伝わって来る。
娘や奏を縛らずに任せてくれることを喜ばれ、銀行頭取としての姿が尊敬されていることに気が付き、彼は再び前を向いた。
「ははは、腐っている場合じゃないな。出来ることはきっとまだあるはずだ」
この先、テロを防いだとしても問題が終わるわけでは無い。テロの存在が一般に周知されてしまった以上、責任問題だの何だのと世の中が騒がしくなる。その時に、良くも悪くも金の力は必要になる筈だ。
娘や奏が住まう世界をより良くするためにこれからも努力するのだと、頭取は彼らに誓った。
「ほう……この感覚は」
三峰財閥の会長は、大規模テロに対して直接的に何かをすることは無かった。
出来たところで物資の提供や、テロ発生時の経済的な損失に備える程度であり、それも各企業に任せれば十分にやってくれる。
会長は自室にて各種報告を聞きながら、孫や奏の無事を願っていた。
『真夜さんのことを大切に想い、三峰財閥会長として日本経済を発展させるように頑張っている『お爺ちゃん』が無事でありますように』
娘の事を大切に想い溺愛する会長は、奏にとっても優しいお爺ちゃんだ。いつも温和で真夜だけではなく奏も本当の孫のように愛してくれている。その『愛』を奏は会長に返してあげた。
「ぬぉおおおお!今度は直接言ってくれええええ!」
会長のお仕事については奏は良く分かっていないため漠然とした願いになってしまったが、会長にとってはそのようなことはどうでも良い。
これまで何度願っても答えて貰えなかった『お爺ちゃん呼び』をこのタイミングで行ってくれたからだ。あまりの興奮でそのまま倒れてしまうのではないかと思える程の喜びようである。
孫からの『愛』と『お爺ちゃん呼び』の両方を受け取った会長は、文字通り奏のためならば何でもすると決めたのであった。
奏が望めば世界征服すら支援するかもしれない。
「(まさか本当にやってのけるのか?)」
怪盗は岡に銃口を突き付けたまま、屋上でのやりとりを眺めていた。
奏の優しさにつけ込み自殺を促す悪辣さを不快に感じていた怪盗だが、奏が日本中の人々をスキルで守ろうと願い出した時には心底驚いた。
怪盗もまた、奏がスキルを持っていることに気付いていないと思い込み、気付いたとしてもそれを日本中の人々のために使うなどと無茶にも程があると感じていたからだ。
だが、奏が祈り始めると、怪盗にも奏の『愛』が伝わって来る。
『日本の悪を懲らしめる怪盗さんが、無事でありますように』
怪盗にはそれほど思い入れがないためかシンプルな想いだが、『愛』は十分に伝わって来る。
「(いくら私が義賊的とはいえ、犯罪者に対してもここまで想えるとは。いや、そもそも区別する余裕が無いだけか?)」
奏から与えられた『愛』を心地良く感じながらも、奏について怪盗は考える。
「(これほどのお人好しが日本に居たとは。まだまだこの国も捨てたもんじゃないな。彼の行為で悪人達が少しでも更生してくれれば良いが)」
腐り切った世の中で希望を見つけ、怪盗は内心歓びに満ち溢れていた。
それゆえ、今後、はりきって怪盗活動に勤しんでしまうのだが。
果たして良かったのか悪かったのか……
さて、奏クンはこの先、世間からどう扱われるのでしょうか。
(これがやりたかった)




