20. 美少女に騙されたら総理大臣に謝られたんですけど
恒例のタイトル落ち
奏が不可思議な誘拐騒ぎから解放された翌日。
登校中に芹那達と合流した奏は、脅されていた。
「奏様、気を強く持ってね!」
「怖くなーい。怖くなーい」
「先日のパーティを乗り越えた奏様なら大丈夫です!」
「ぴえ!僕に何が待ってるの!?」
ずっとこのような感じで、奏は励ましの体をとった脅しをされ続けていたのだ。
その脅しの意味が判明したのは学校に着いてからのこと。
朝のホームルーム終了時に、担任教師が奏に満面の笑みを向けた。
「(ぴええええええ!)」
背後にデーモンが見えるくらいの迫力があり奏はビビる。
「佐野く~ん。ま~たですか」
「ぴえ!」
助けを求めて芹那達を見るが、彼女達もあまりの迫力に押されていてビビっていた。
「もう勘弁してくれよおおおお!」
ただでさえ、怪盗騒ぎにより学校に問い合わせの電話が山ほど来ていて数週間経った今でも未だに対応に苦慮しているのだ。それなのに瀧川女学院からの交流会の申し出対応や誘拐騒ぎが追加となれば、過労死してもおかしくない程の仕事量になっていた。
「そろそろ家で夕飯を食わせてくれよ!土日休ませてくれよ!仕事以外のことを考えさせてくれよおおおお!」
魂の叫びである。
「ぴえ!ごめんなさい!」
反射的に謝ってしまう奏は、自分のせいで苦労をかけていることを申し訳なく思っていた。
「ね、ねぇみんな。お婆ちゃんに相談すればなんとかならないかな?」
「他校のお話ですし、流石に手出しするのはよろしくないかと」
「贔屓しているように見えちゃうもんねー」
「学校のパワーバランスが壊れる」
生徒が巻き込まれた事件について教育委員会への報告義務を強制的に免除させたり、怪盗騒ぎの問い合わせを強引にシャットアウトさせるほどの権力を振りかざしてしまったら、大川高校だけが特別扱いされているようにも取られかねない。そうなると関係各所から不満が噴出して大川高校に悪影響を及ぼす可能性がある。
「でもほら、僕達が原因みたいなものだし、特別に対応してくれる人を派遣するくらいは大丈夫じゃないかな」
「う~ん、いけるかも?」
「相談する価値はある」
「鈴江お……さんに聞いてみましょう」
そもそも瀧川女学院関係のトラブルなのだから、その件に対してのみ対応する専門の人員を追加すればどうかと『進言』するくらいなら特別扱いにはならないかもしれない。この辺りは金城がうまいことやってくれるだろう。
「佐野……お前……」
「後でお婆ちゃんに聞いてみますね」
これで奏が担任教師に怒られることも、苦しむ姿を見て胃が痛むこともなくなるだろう。
と安心したのも束の間。
「佐野、結婚してくれ」
『ダメ!』
なんと奏争奪戦への突然の参戦宣言。
お嬢様達は慌てて担任教師の前に立ち塞がった。
「良いじゃんよ~!ぜってぇお買い得だもん。私にだって佐野みたいな気が利く人がほ~し~い~」
『ダメ!』
担任教師の年齢は結婚を焦り出す年齢、とだけ記しておこう。
「ってなことを言えばお前らの力で僻地とかに飛ばしてくれねーかな。もうなんか、ひっそりと暮らしてそのまま死にてぇ……」
「ちょっ!何言ってるんですか!」
精神が相当病んでいる。これは急ぎ対処しなければならないと、金城に連絡すべく慌てて奏がスマホを取り出した。
「そうそう、それに今日のことについて連絡が来るから後は自分でやれ、以上」
「え?」
調子を取り戻した担任教師は足取り軽く教室を出て行った。
奏達を揶揄っただけなのか、どこまで本気だったのか、それは本人のみぞ知る。
「佐野ーまた何かやったのか?」
「格好良く誰かを守ったのかな」
「にしては三人とも普通だよね」
「まさか新しい女に手を出したの!?」
担任教師が教室を出たことで、クラスメイト達が奏を揶揄おうと席までやって来る。
「いや、今回は僕が巻き込まれ……あ、来た」
弄りを躱そうとしていた奏の元に、担任教師が言う通りに連絡が来た。
金城からのメッセージだ。
『奏さん、ご自宅、学校、奴のところ、何処が良いですか?』
「へ?」
てっきり具体的な話が書かれているのかと思ったら、妙な質問が来ていた。
『ご自宅だとご家族が卒倒するかもしれません』
「ぴえ!」
『学校だとこれまで以上に大騒ぎになるでしょう』
「ぴええ!」
『やつのところは騒ぎにはならないけれど、奏さんが一番辛いでしょう』
「ぴえええ!」
『ごめんなさいね、諸事情で今回はうちが使えないのよ』
どれを選んでも救われない地獄の三択である。
奏は悩んだが、他人に迷惑をかけたくないという性格上、自分だけが苦しむが一番辛いと言われている『奴のところ』を選ぶしか無かった。
「一体どういうことなの……?」
金城に答えを返してから芹那達に視線を向ける。
「あ~奏様やっぱりそっちを選んじゃったか~」
「優しい」
「でも酷ですわ」
相変わらず彼女達は肝心なことを言わずに恐怖を煽るだけ。
「もう、そろそろ何のことだか教えてよ!」
しびれを切らした奏が、彼女達が何を知っているのかをストレートに聞いた。
「そうだね、奏様がそれを選んだなら事前に知って心の準備をしておいた方が良いと思う」
「奏様。どうか気を確かに」
「今は私達が付いていますわ」
不穏な前置きをしてから、彼女達はついに奏にとって致命的な事実を伝える。
「椿ちゃんの名字なんだけどね」
「名字?」
「『みわ』っていう名字」
「みわ?」
「神様の神に々って書いて神々でございます」
「ふ~ん、変わった名字だね」
奏はその名字を聞いて、何処かで聞いた事があるような気がした。
だがすぐにはその正体が掴めない。
しかし奏が分からなくとも、詰め寄ろうとしていたクラスメイトは別だ。
奏は同情する目線を一身に浴びていた。
「え?え?」
まだ分からない奏に、分かった組を代表して栞が告げた。
「ねぇかなちゃん。今の総理大臣の名前って知ってる?」
「もちろんだよ。 神々…………ぴええええええ!」
奏、ついに日本の最高権力者と会う時が来た。
「見学ですか?」
「ええ、もし佐野様がご希望でしたら」
授業が終わり、奏を迎えに来たのはスーツ姿の感じの良い女性であった。
そして目立たない車に乗せられて連れてかれた場所は首相官邸。正式には内閣総理大臣官邸で、総理が執務を行う建物だ。
隣に首相公邸と呼ばれる総理大臣が日常生活を送る建物があるが、現総理はそこには住んでおらず都内の高級マンションから首相官邸へと通っている。
その自宅ではなく敢えて首相官邸へと奏を招いたのは、滅多に中を見られない首相官邸を案内して喜んでもらうことを『誠意』の一つとして考えたからだ。
「あ、ここ見たことある!」
テレビで良く見る記者会見の場や、偉い人が並んで会議をする場所、そして外国のトップと首脳会談をする場所など、何処かで見たことのある場所が多くて奏はテンションが上がっていた。これからのことを考えてのプレッシャーはあるが、秘密とされている場所を探索するワクワク感もあるのだ。だって男の子だもん。
なお、国会議事堂は一般人が気軽に見学出来るが、首相官邸は特別な申請が無いと見学出来ない。しかも奏は絶対に公開しない場所も含めて案内されているのだが、そのことに気が付かない。
そして一通り見学が終わり満足した奏に、いよいよご対面の時がやってきた。
「(ぴえええ、つ、ついにそ、そそ、総理大臣に会う時が来ちゃったよおおおお!)」
緊張で滝のように汗が流れ、必死にそれを花柄のハンカチで拭う。
「(汗臭いかな。制汗スプレー使った方が良いかな。あ、でもこんな豪華な建物の中で使ったら失礼かな)」
庶民的な道具を格式の高い場所で利用することに妙な抵抗感を感じている奏であった。
「(ぴえ、トイレに寄って前髪確認してこようかな)」
総理と会う前に身だしなみをチェックしたがるところは、奏らしい混乱の仕方である。
しかし、奏が案内の女性にそのことを告げようかどうか迷っていたら、目的地の執務室に着いてしまった。
「佐野奏様をお連れ致しました」
案内してくれた女性は声をかけるだけでノックもせずに執務室の扉を開けた。しかも部屋の中を見ないように振る舞い、扉の外で奏を中に入るように促した。おかしなマナーなのであるが、奏は気にしていない。
「ぴええええええ!」
中に入った途端、奏は奇声を上げてしまう。
執務室の内装等確認する余裕すらない。
「お、おお、お婆ちゃん!?」
何故ならばそこには、金城が居たからだ。
しかも理事長はある者の上に座っている。
「やぁ、奏さん。こんにちわ」
「こんにちわ。ってそうじゃないでしょおおおお!?」
男性が正座の態勢で腰を曲げ、両手と額を床につけている。
いわゆる土下座のポーズだ。
金城はその人物の腰の部分に座っていたのだ。
「ほら、顔をあげな。それじゃああんたが誰だか分からないじゃないか」
金城は男性の尻を思いっきり手のひらでぶっ叩き、パァンと良い音が部屋に響く。
「ぴえぇ!」
その人物は痛みによるものかぶるりと体を震わせてから、顔だけをゆっくりと上げた。
「(ぴええええええ!やっぱりいいいいいい!)」
顔を確認した奏は理解した。
その人物がテレビなどで良く見る人物であり、今日会う予定だった人物なのであると。
「この度は大変!申し訳!ございませんでしたああああああああ!」
現内閣総理大臣、神々 郷。
日本の最高権力者が奏に全力土下座をして待ち受けていた。
「娘が奏様にとんだご無礼を致してしまい、慙愧に堪えずお詫びのしようもございません!」
摩擦熱で発火するのではと思えるくらいに、額を床にこすりつけて謝罪する総理の姿に奏は困惑する。
日本のトップである人物が一庶民に土下座をするなど、恐らくは歴史上で初めての事だろう。
「わ、分かりました。分かりましたから、もう止めて下さい!」
何故か奏はとてつもなく悪いことをしているような感覚になり、思わず部屋をキョロキョロと見回して誰かに見られていないか確認してしまった。
「これ以上はパワハラになるわね。ほら、立ちなさい!」
「ぴえぇ!」
再度パァンと良い音が響き、奏は久しぶりに金城に対して恐怖を抱いた。
土下座とはパワハラである、と言われることもある。
ここまでやったのだから普通は許すよね、と思わせる行為でもあるからだ。罪を犯した者が許しを迫るなどあってはならないこと。
三人は改めてソファーに座り、今回の件についての話を進める。
「重ね重ね、大変申し訳ございませんでした」
総理は東雲頭取と同じくらいの年齢で総理としては非常に若い人物だ。
顔立ちも整っており女性からの人気が高く、週刊誌に顔だけで総理の座を手に入れた男などと揶揄されたこともある。
しかし、リーダーとしての資質はここ数代の総理と比べて最も高いと言われており、成果も出している。当然支持率も非常に高い。
ただ座っているだけだが権力者のオーラが漂っており、奏は謝罪を受ける側だというのに恐れを抱いていた。
「い、いえ、お気持ちは十分に伝わりましたから」
今もなお、悲壮な顔を浮かべている総理を見れば責める気持ちなど微塵も出てこない。もちろんそれは総理の演技なのかもしれないが、そもそも奏は責めるつもりなど毛頭なかったのだ。
「同じことが二度と起きないようにして頂ければ、僕はそれだけで良いです」
自分が事件に巻き込まれたとなれば、多くの人を悲しませる。
奏は過去の事を責めるよりも、未来を守ることを約束してもらえればそれで満足なのだ。
「承知致しました。娘の我儘を聞かないように関係者に厳命致します」
たとえ暴走しても協力者がいなければ何も出来ない。娘から権力を取り上げると総理は奏に約束した。
これで手打ち。
何故椿がこのような蛮行を計画したのかなど、不明なところはまだあるが謝罪するされるの話は終わり。後は偉い人達の間で上手くやってくれるだろう。奏はほっと胸をなでおろした。
だが、今回の事件はそんな単純な話では無いのだ。
「奏さんはそれで良いとして、あんたはどうするつもりなの?」
「責任を取って総理、および議員を辞職致します」
「え?」
総理の娘が引き起こした事件で、しかも社会的にもまだ明らかになっていない。それなのに何故総理の辞職だの議員を辞めるだのといった話になるのか、奏は意味が分からない。
「まぁそれしかないわよね」
「ちょっ、お婆ちゃん、辞めるって何で!?ぼ、僕は気にしてないよ!?」
このままでは自分のせいで日本の政界に大激震が走ってしまう。あまりの急な展開に思わず奏は止めに走る。だが、奏がどうこう出来る話ではなくなっていた。
「残念だけど、奏さんが許してもこいつは総理として社会的な責任を果たさなければならないの」
「社会的な……責任?」
「もし今回の事件が明るみに出れば大スキャンダルよ。こいつの意思は関係ないとはいえ、あの子は総理の娘という権力を使って大きな犯罪行為を行ったのだから。そうなれば野党やマスコミはこぞってこいつに親の責任を追及させるでしょうね。そうなったら国会は機能停止し、日本の政治は停滞するわ」
だからすぐにでも辞職して、その状況を回避する必要がある。
事態が明らかになったのが辞職後であれば、元総理一家に対するパッシングはあれども、与党に対する批判は多少和らぎ、政治が完全に止まる程の状況にはならないだろう。
現在の日本は歴史的に珍しい程に政界が安定している。スキルの付与という事件にもギリギリだが適切に対応出来ていた。この流れをこんなところで止めるわけには行かないのだ。後任の総理が郷総理のように優秀かどうかは分からないが。
「とりあえずは病気が判明したとでも言って誤魔化すのね。嘘がバレてからはあんたが何とかするのよ」
「はい。当然です」
最早総理の辞職は決まったことのような流れになっていて、奏は呆然としている。
何かを口にして止めるなど、出来そうにない。傍観するしかない状況だ。
すると、これまで反省の弁しか口にしなかった総理が金城に一つのお願いをした。
「鈴江さん、誠にお恥ずかしい話ですが、お願いがございます」
「お願いだぁ?」
「娘をこのまま瀧川女学院に通わせて頂けないでしょうか」
それは、自らの境遇では無く娘のことについての嘆願であった。
「なんでよ。あんたが議員を辞めるなら娘も普通の人になるのだろう。うちに通う必要は無いはずさ。まさか娘を社交界に残して再起に利用するつもりなのかい?」
「違います!私のことなどどうでも良いのです。お望みでしたら、私や娘がこの先権力を持たないように縛って下さって構いません。私はただ、娘の居場所や未来を奪いたくないのです!」
瀧川女学院の友達と離れ離れにさせるのは忍びない。
また、一般の高校に転校したところでお嬢様として過ごした娘が直ぐに馴染めるとも思えない。
元総理の娘という肩書に価値を感じる犯罪者が娘を狙うかもしれない。
娘を悲しませないように、そして娘を守るためにも瀧川女学院に置いて欲しいと願ったのだ。
「お願い致します!何でも致しますから!」
「……」
金城としても、問題を起こしたとはいえ手塩にかけて育てた娘のような生徒を捨てるような真似はしたくないだろう。ばっさりと却下することは無かった。
「考えておくわ」
この場での答えは保留。
決断するには色々と考えなければならないことがあるのだろう。
これにて話は終わり。
最後に金城が傍観するしかなかった奏に声をかけた。
「奏さんは何か言っておくことはあるかい」
奏が何かを言っても総理の辞職の流れは変わらないだろう。
そもそも総理が辞めるのならば椿が権力を振るえなくなるため、今後また奏が狙われる可能性は低くなる。
それならばもう、奏にとって何も言うことは無いはずだ。
だが、奏は口にする。
それは奏の脳裏に昨日のある映像がこびりつき、気になっていたからだ。
椿の泣き顔が。
「総理。教えて下さい。政治の世界って他人を騙したり裏切ったりすることが多いのでしょうか?」
週刊誌、創作物、ワイドショーなどで良く言われている政治の闇の部分。
政治の世界が策謀渦巻くドロドロとした世界であるというのは、一般人の共通認識だろう。
奏はそれが事実であるかどうかを確認した。
「……多い、ですね。国民の皆様のイメージは、ほぼ正しいかと思います」
単なるゴシップや陰謀論であるなどと誤魔化すことはなく、総理は認めてしまった。
政治には本当に闇があると。
「派閥争い、騙し合い、裏切り、スパイ行為、それらは日常茶飯事です。政治家は欲深い人が多いですから。金が欲しい、権力が欲しい、他人より上に行きたい。そのためなら何をしても許されると思い込んでいる人も居るでしょう。それ以外にも他国からのスパイが紛れ込んでいたりと、恐らくは皆さんが想像している以上に魑魅魍魎が住まう世界だと思います」
同じ政治家として、郷総理も醜い闘いを繰り広げて総理の座を手に入れた。ちょっとした会話での回答を間違えれば屍となっていたかもしれない、などと思ったこともある。いかなる時も油断が出来ず、誰もが相手を蹴落とし潰してやろうと虎視眈々と狙っている猛獣の檻の中のような場所で、生き残れたものだけが上に行けるのだ。
「それでしたら僕は、総理が辞職することに賛成です。椿さんを普通の家族として愛してあげて下さい」
そんな世界にいるのならば、おそらく椿に普通の親として接することは難しかっただろう。
親からの愛情を十分に注いで貰えなかったことを、椿が嘆いていた可能性がある。
だが奏はそれだけでは無いのではとも感じていた。
裏切られて何故絶望しないのか、憎くは無いのかと椿は繰り返した。
あれが彼女の本心であるならば、もしかしたら彼女が本当に憎んでいるのは大切な家族を苦しめている環境では無いのかと。
それならば尚更、総理が政治の世界から身を引くのは正しいことだ。
父親と一緒に醜い世界から逃れて穏やかに過ごせば椿の心はいずれ癒えるだろう。
だが奏は違う選択を望んだ。
「でも出来る事ならそのまま総理も続けて欲しいです」
「だがそれでは」
社会的に許されない。
スキャンダルになれば政治は揺るぎ、他国につけいる隙が出来る。
娘にも危険が及ぶかも知れない。
奏はその総理の反論をばっさりと切って捨てた。
「そして今回のことがスキャンダルにならないようにして、家族として椿さんを愛してあげてください」
もちろんそれは無茶な要望である。
ただでさえ激務である総理に、これ以上の負担を押し付けた上で家族との時間も増やすなど、出来る筈がない。
しかしそれをやれと、愛する娘のためにそのくらいはやってみせろと奏は強い目で総理に意思を伝える。
「そしてもう一つ、政治の世界が悪い事だけじゃないって椿さんに教えてあげて欲しいんです」
「……」
「あはは、僕も知りたいんですけどね。だって、悪いところしか無いなんて悲しいじゃないですか。きっと国を良くしたいって言う素敵な想いを持って頑張っている人も多いんでしょう。それを椿さんに、ううん、僕達に教えて下さい」
父親が住む世界にあるものは、裏切りや憎しみのような醜さだけではないことを、椿に知って欲しい。
きっと椿だって本心では信じたかったはずなのだ。
信じていたからこそ、父親と同じリーダーであることを否定せずに、委員長としてクラスをまとめていたのだから。
奏はなんとなく、椿がそれを望んでいたんじゃないかと思った。
総理は信じられないものを見るかのような目で奏を凝視する。
「どうだい、これが奏さんさ」
「ああ……なんということだ」
憑き物が落ちたかのように凛々しい顔になった。
「申し訳ない、金城さん。頑張らなければならない理由が出来た」
「そうかい。今はあんたがこの国のトップさ、好きにすれば良いさ」
金城はこうなることが分かっていたかのように、すまし顔で総理の決断を受け入れた。
「でも覚えておきなさい。奏さんの想いを裏切ったその日には……」
「はい、絶対に忘れません」
「え?え?」
総理が奏を見る目は、神を崇拝しているかのようであり、奏は背筋に冷や水を浴びたような気分になった。先ほどまで立派に意見をぶつけていた姿は何処に行ったのか、小さく縮こまっている。
「さぁ、奏さん帰りましょう」
これで本当に話が終わり、金城が奏に帰ろうと声をかける。
「お気をつけて」
「ふん、見送りも無しかい」
「私はこれから娘のところに行かなきゃなりませんので」
「くっくっくっ、とんだ不良総理だよ。公務を放り投げて娘に会いに行くなんてさ」
軽口を叩き合う和らいだ空気になったことで、奏は何か大きなことが解決したのだと感じた。




