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「あざみ」
ゆかりは思わず声を漏らす。部屋持ちになる程の年月、男女のあれこれを見てきたゆかりには、あざみの行動理由が多少なりとも理解できてしまった。同じ立場になった時、同じ行動を取るとは言わないが、嫉妬から客を取った女に嫌がらせや理不尽な報復に出る同業者をこれまで何人も見てきた。あざみもまた同じだったのだろう、と同情を隠せなかった。
部屋の中にあざみのすすり泣く声だけが聞こえる。周りは騒がしい筈なのに、この場だけ切り取られたような静けさだ。そんな中、あの、と文七があざみに声を掛けた。
「私、この店で贔屓にしたのはきくだけだった筈です。何かの間違いではないですか?」
文七の言葉に場が凍り付く。すすり泣いていたあざみの声すら止んだ。
ただ文七だけはどこか申し訳なさそうに、いやぁ、と頭を掻く。
「初めてふじやさんに来たのは友人に連れてこられただけで。その後も何度か他所の店の若旦那のみなさんと付き合いで来てはいました。その時は特に誰を贔屓にしていた訳でもなく、その、目についた方を適当に選んで。でもある時、付き合いで来た呑みの席できくが声を掛けてくれて。乗り気でない私に気付いて一晩何もしなくても良いって。他の方と違う接客に驚いたと同時に気になって、いつの間にかきくに会う為に一人で来るようになって」
突然始まった惚気話に伊織は肩を竦める。他人の独り善がりな色恋話など好き好んで聞く者などほとんどいないだろう。
ゆかりに目をやれば、彼女も苦笑を浮かべている。彼女の心境も同じだろう。
ただこの場で違うのは語る文七と当事者のきくのみ。はにかみながら話す彼の言葉にききくも満更でもない様子である。二人だけが話と場の雰囲気に酔いしれている。
このままでは二人舞台が繰り広げられるのがおちになってしまう。
伊織はわざとらしい咳払いをし、文七たちの意識をこの場へと引き戻した。
「つまり、文七の言い分だと、あざみのことは最初から贔屓にしてはいなくて、あざみのさっきまでの話は全て作り話だと」
「そうなりますね」
「違う!」
伊織と文七の解釈をあざみは間髪入れずに否定した。
「作り話なんかじゃない。若旦那とは何度も夜を共にしたわ。きくなんかより前に、何度もよ。若旦那は私の客だったのよ!」
再び涙ながらに訴えるあざみを前に、伊織は目配せで文七に彼女の言葉の真偽を確かめる。しかし文七は首を何度も横に振って否定した。
文七とあざみの間で何らかの認識の齟齬が起きているのか。どちらかが嘘を吐いているのか。そのどちらかでなければこの状況はあり得ない。
どちらかが嘘を吐いているのか、という問いになら答えは一つだろう。嘘を吐くとすればあざみの方しかない。
そもそも文七には嘘を吐く理由がないのだ。あざみの言い分通り彼女を贔屓にしていたとしても、客が買う女を変えるのなどそれこそ客なのだから当たり前のことで隠す必要はない。
だからといってあざみにも本来なら嘘を吐き続けるりゆうはない筈だ。文七の言葉で嘘だと露見しても尚吐き続けるなど無駄でしかない。それでも自尊心を守る為、あるいは引っ込みがつかなくなってといった理由をこじつければ、あり得ないこともないだろう。
故に誰もがあざみに対し疑いの目を向けた。
だが、あざみは折れることなく、贔屓だった、と主張を繰り返す。ここまでくると涙ながらの訴えも寒々しささえ感じてくるようだ。
そんな中ゆかりが、あぁ、と何かに納得したような声を漏らす。未だ腑に落ちていない伊織たちを残し、ゆかりはあざみに近付きそっと抱きしめた。
「稲鶴屋の若旦那のこと、本当にお慕いしていたのね。あなたが誰より信じたかったのね。若旦那が一度でもあなたに本気だったのだと。飯盛女は借金を返しきるまで店を出られない。籠に囚われた鳥と同じね。だからこそ籠の中で、店の中で希望を見つけるしかないの。心の拠り所をね。そうじゃないと、今日を生きることすら辛いから。どれだけの客を相手にしようと、あざみ、あなたにとっての寄る辺は若旦那だったのね」
ゆかりは腕の中に収まるあざみの背中をゆっくりと撫でる。それは子を慈しむ母のようでもあった。
だが次の瞬間、ゆかりはあざみに突き飛ばされた。
お読みいただきありがとうございます。
自転車操業的に更新している『雲居藩妖怪抄』。
それに対し、走り始めたばかりの『(偽)聖女の巡礼』とまだ形にすらなっていない短編。
非常にまずい状況なことだけ分かります。
自分はどうしてこんなにも崖っぷちに立たなければ何もできないのか。
とりあえずできそうな所からやってみようと思います。
短編、間に合わないかもだけど、その時はその時と思うことにします。




