71-(3)
想定よりあっさりと肯定され、文七は間抜けな声が出そうになるところを慌てて飲み込んだ。伊織の視線は既に文七から覚書へと戻っている。
本当に分かって返事をしたのか疑わしく思え、思わずもう一度尋ねてみた。
「本当によろしいのですか?」
「あぁ」
「聞こえておられます?」
「聞いてる、聞いてる」
紙から顔を上げることなくされた適当な返事に文七は絶句し口角がひくつく。
聞いているのか尋ねたわりに言葉を続けない彼に伊織はようやく目線を移した。何とも言えない表情をしながらも何も言わないところは、流石商人というところだろう。
伊織としては適当に返したつもりは無いのだが、聞きようによってはそう取られても仕方のない言葉選びだったかもしれない、と思い至った。頭の後ろを掻きながら伊織は視線を彷徨わせる。少し間を置き、弁明の言葉を切り出した。
「いや、あれだ。きくの物が盗まれるようになったのは身請けが決まってからだろう。その身請け先であるお前さんが出入りする姿を見せて揺さぶりをかけるのもありだと思ってな」
「成程。そういうことでしたか」
納得したのか、表情を和らげた文七に伊織は安堵の息を吐く。話を聞いていたのは本当だが、話半分だったことは否定できないのは確かだ。
勿論文七が来ることに伊織も打算のようなものが無い訳ではない。
武家の懐事情とは実に面倒なものである。言うほど高給取りではなくとも、奉公先のある身でひもじい姿など見せられない。しかし、寂しいものは寂しいのだ。
女将にいくらか抑えてもらっているが、あわよくば若旦那のご相伴に預かることで出費を抑えたい。有り体に言えば金のある人間にたかりたいのだ。
そこまで思って、伊織は思い出したように、あっ、と声を漏らした。突然の声に文七も驚き、えっ? と商人らしからぬ声を発してしまう。
伊織は思い出した。女将のことを。
今回のこの騒動、一番隠したがっていたのは他でもない女将だった。体面を気にしてのこともあるが、身請けの判断やきくの評判、兵衛に気付かれて入り浸られないようにすること。
諸々を考え、黙っているように言い含められていたことを、今更だが伊織は思い出したのだ。
「やっぱり、駄目かもしれん」
「なっ、何でですか?」
独り言程の声量の呟きだったのにも関わらず、文七は過剰に反応し、掴みかからん勢いで身を乗り出してきた。彼の勢いに圧されつつ、伊織は女将との一連のやり取りを大まかにかいつまんで伝えた。
伊織の話を聞いた文七は暫く考え込んでから、一人何かに納得したかのように、うんうん、と頷いた。
「おそらくですが、問題ないかと存じます」
「それはお前の願望の間違いじゃないのか」
「それも無いことはありませんが」
伊織に揶揄われ、文七は思わず漏れた本音を隠すように咳払いをする。
「手前で申し上げますのもおかしな話ですが、あれだけ騒ぎ立てながら部屋へ乗り込んで行ったのですから、私が委細存じ上げておりますこと、女将も察しているのではないかと」
「己で言うことではないな」
「要するに花菱様が意として話されたことで知った訳ではないのですから、特に責められる謂れは無いのではないでしょうか」
「お前が言うのか、それを」
伊織の合いの手に文七がにやりと口角を上げ、つられて伊織も間の抜けた笑みをこぼす。
「ですので花菱様、そう気負わず」
文七の後追いに伊織はこれ以上返す気は起らなかった。これだけ言い訳を並べたのだから何を言われても文七に責があることにしよう、と伊織は思うことにした。
お読みいただきありがとうございます。
前日に予約投稿した方がいいかもしれません。
毎回0の付く日に何かしら予定を入れ込んでしまおうかと思うくらいに、致命的状況です。
書き始めると筆が乗って、ということはしばしばあるのですが、今回途中で行き詰まるという経験をしました。
昔卒業制作の時などにあったかもしれませんが、正直記憶にないです。
文章が何も思いつかない、この先の展開が何も浮かばない、伊織たちが一切動いてくれない。
浮かばな過ぎて一時間寝てました。寝起きたところで事態は何も好転していませんが。
結局、頭を捻りに捻ってなんとか絞り出しました。
職業作家さんって本当にすごいんだな、と少し烏滸がましいですが片鱗に触れた気持ちです。




