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ぬるくなった茶を一口含んで口を湿らせ、伊織は目の前で腰を低くしている文七を見据えた。
「きくの持ち物が盗まれた話は既に聞き及んでいるな」
「はい。きくから一通りは」
「身請けする程なのだから当然お前も簪の一つや二つ贈っているな。小間物屋なら良い品がすぐに手に入るしな」
「それは、はい」
「何を贈ったか、覚えているだけ書き出してほしい。下手人を問い詰める一手としたい」
「承知いたしました。店の覚書に残っていると思いますので、この店で用意したものはすぐに分かるかと。他所の店の品は、なんとか思い出します」
「あぁ、よろしく頼む」
「暫しこちらにてお待ちくださいませ」
文七は一度深く頭を下げると、すぐに部屋を出る。廊下の陰に消える直前、くるりと部屋の方へ振り返った。
「一応申し上げておきますが、店の品を無断で持ち出すとか、そういうことは一切しておりませんので。きちんと小遣いを払って客として買った物を贈っておりますれば。ゆめゆめ誤解の無きよう」
「あぁ、分かった」
「ゆめゆめっ」
「分かったから早く行け」
犬猫を追い払うように手を振って文七を去らせる。一人残された伊織は僅かに残っていた茶を飲み干して通りがかった女中におかわりを頼んだ。
手持無沙汰となったので、部屋の隅にあった煙管盆を拝借し、懐から出した煙管に火を点ける。
なんだかんだ忙しなく騒がしい日々の中に身を置いている伊織には珍しく、何もしないのんびりとした時を図らずも過ごせていた。
大なり小なり事件は起こり、その全てが奉行所へと持ち込まれる。仕事の中で上手く手を抜けはしても、暇を持て余すことは叶わない。家に帰れば下男と女中以外に多くの妖怪がいる。付喪神たちが姿を見せるようになってからは家が静かなことがない。
すゞが来る以前の家は今以上に静かだった筈だ。そのことが遠い昔のことに思え、郷愁すら感じる。
たまの静けさも悪くはない。
しかし、たまにふと感じる静寂に人心地つくことはあっても、家が以前のように静けさの満ちるのは受け入れがたく思えた。
慣れとは恐ろしいものだ。人は一時変化に戸惑っても、すぐにその状況に順応していく。ふじやから馴染みのきくが去った後、しばらくは淋しさを感じることはあっても、いずれいないことへ慣れていくのだろう。
ぼんやりといずれ来る別れの時を思っていると、足音が近づいてくる。
「お待たせいたしております」
敷居の向こうで頭を下げてから文七が入ってきた。物思いに耽り過ぎていつ置かれたのか覚えのない茶に口をつける。
「ひとまず分かる分だけではございますが記してまいりました」
「検めよう」
文七から紙束を受け取り、箇条書きされたきくへの贈り物の一覧を見ていく。
店に記録の残っていたらしい物は買った日付からおおよその特徴まで書かれている。一方、他所の店で用意したであろう物に関しては、日付が何年前のいつの季節程度となり、特徴もほとんど書かれておらず大分覚えに差がある。予想できていたことではあったが改めて目にしてみると面白く感じてしまい、伊織の口元が僅かに緩んだ。
正面にいた文七は伊織の表情の変化の訳が分からず、ただなんとなくではあるが小馬鹿にされた気がしてしまう。意趣返しというよりは嫌がらせに近い心持ちで、武士の前とは思えない咳ばらいをし、未だ一覧に目を通していた伊織に話しかけた。
「お役に立ちますでしょうか」
「そうだな。先程も言ったが、探すのにというよりも下手人を問い詰める一手として使えると思う」
「左様でございますか」
無礼でも何でもないことの無いように答える伊織に、文七は己が子供っぽい態度だったことに気付かされ思わず目を逸らす。
こういうところが敵わないのだろう、と思った。
「どうかしたか?」
「いえ、その。下手人を捕える為に他の客を断らせていたことと理解はしております。無用な騒ぎを起こさぬように、と。ですが、事情を知るところとなりました私も、今後はきくを買いましても良いのでは、と思いまして」
「確かにな」
お読みいただきありがとうございます。
熊本地震にて被災されました方々には、心よりお見舞い申し上げます。
酷暑の中断水停電となり、厳しい避難生活を送られているとニュースでは連日報道されております。
一日も早い復興をお祈り申し上げます。
やはり、予約投稿ならば遅れもせず、日を跨ぐこともなく安心して投稿できるようです。
こうするべきなのは分かっているのですが、ギリギリにならないとできない習性を治す方が先決かもしれません。




