71-(1)
文七と会った翌日、伊織は小間物屋へ来ていた。以前きくの簪を買った店だが、今日の目的は別にある。
見廻りの途中である伊織は羽織袴の二本差し。暖簾をくぐった途端、店の中が騒めいた。
「これはお武家様。またのお越しをいただきまして恐悦至極に存じます。ささ、ここでは何ですので、奥へお上がりください。ささ」
伊織の姿を認めた途端番頭が飛び出してきて、執拗に奥へ上がるよう勧められる。二本差しが店先にいては他の客が委縮して、悪ければ店から逃げていきかねない、と案じてのことだろう。騒ぎを起こしたい訳ではない伊織は番頭に従い店の奥の部屋へと通された。
前に来た時は店先で適当に目に付いた簪を選んでさっさと支払いを済ませて帰ったから店の中に上がることはなかったが、今日については茶まで出されている。
茶を啜る伊織の目の前には番頭が緊張した様子で座っていた。
「して、本日はどのようなご用件でございましょうか。もしや先日の品に何かございましたでしょうか」
緊張した様子で頭を低くする番頭を見て、伊織は漸く気がついた。数日の間が空いたとはいえ、近い日に立て続けて店に来たのは苦情を入れに来たのだと思われている、と。二本差しに店先で声高らかに言いがかりであろうといちゃもんをつけられては店の名前に傷がつきかねない。刀を抜いて暴れられては店の名前どころではなく、奉公人が怪我を負いかねない。だからこそ番頭は先手を打って伊織を人の少ない奥へと通したのだ。
無論、伊織にそんなつもりはさらさらない。彼の目的は別にある。
「いや、あの簪に不足はない。良い品だった。贈った相手も喜んでいた」
「左様でございましたか」
番頭は分かりやすく安堵の表情を浮かべ、肩から力を抜く。
「では、またどなたかへの贈り物をお考えでございましょうか。それでしたらとっておきの品をすぐにご用意させていただきます」
「いや、そうでもない」
「でしたら、どのような御用向きで」
「ここの若旦那に少し用があってな。今、店にいるだろうか」
「若旦那様でごじますか。旦那様でなく」
「あぁ。若旦那で相違ない」
「どのような御用向きかお伺いしてもよろしいでしょうか」
「昨日の件と言ってくれれば分かる」
「はぁ。承知いたしました。少々お待ちくださいませ」
納得はしていないようだったが、番頭もそこは商売人、全てを飲み込んで下がっていった。
待っている部屋に店先の声が聞こえてくる。活気ある声にぼんやりと耳を傾けていると、とたとたと軽い速足の音が二人分近づいてくるのが分かった。
足音が止まったと同時に、えっ、という声が敷居の向こうから降ってくる。伊織が見上げると、ぽかんとした顔の文七が口を半開きにしたまま立っていた。
「話には聞いておりましたが、本当にお奉行所の方だったんですね」
「若旦那様っ!」
「いや、大丈夫だ」
「番頭さん、あとは私が話しますので戻ってもらって構いませんよ」
「しかし、もし若旦那様が無礼打ちにでもあったら」
「番頭さん? 私が何かしでかすと思っているんですか?」
「無礼打ちって。そこまで気が短いつもりも、荒いつもりも無いんだが。この店の番頭に俺はどう見えているんだ」
「番頭さんの今言ったことの方が危ういですよ。ほら戻った戻った」
心配が過ぎて逆に双方へ不要な発言を続けそうな番頭を店の方へ追いやり、文七は、失礼致します、と断ってから伊織の正面に座った。昨夜座敷に乗り込んできた男と同一人物と思えない程には商人としての礼儀を弁えている。
「店に来るとは仰っておられましたが、まさか昨日の今日とは思いませんでした」
「こういうことは早く済ませるに限る。お前も安心してきくを迎えたいだろう?」
「それは、そうでございますが」
伊織の行動力に感心より驚愕が勝り、文七は引き攣った笑みを浮かべてしまう。
「それで本題なんだが、いいか?」
「はい」
お読みいただきありがとうございます。
新たにブックマークいただきありがとうございます。恐悦至極に存じます。
これからも日々精進していく所存です。
そしておはようございます。
一度仮眠をしてから目覚めて大遅刻の不肖の身です。はい。
果たしてこのおはようはどういう意味になるのか。今を夜ととらえて良いのか、既に朝なのか。
深夜1時を25時と呼ぶのと似ているような……。
いえ、反省していない訳ではないんです。はい。




