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「こいつがそうか」
たとえ同じ飯盛女を贔屓にしていようと、客同士が知り合いのようなことがなければそもそも顔を合わせることはない。より金払いの良い客であれば客の待つ部屋へ女が移り、贔屓同士などであれば、女は空いていない、と店に上がる前に帰される。女の方も客の前で他の客の話をすることはまず無い。
故に伊織はこの時初めてきくを身請けする男の顔と名前を知った。
文七はいかにもな好青年という見た目で、年の頃は伊織より一つ二つ下というくらいだ。
「文七、と言ったか」
「へっ、へい!」
伊織が声を掛けると文七は過剰に反応し、夜という時間にも、部屋の広さにもそぐわない大きさの声で返事をした。
「今日はどうして乗り込んで来たんだ。きくの話じゃ暫く客は取らないってことだったんだが、文なり言伝なりで知らせはいっていたんじゃないのか?」
「文を店の者に届けてもらった筈です」
「確かにきくさんから文を貰いました」
「受け取ったのならどうしてまた」
「文には『訳あって暫く会えない』と」
「それで」
「それだけです」
「は?」
文七の言葉に伊織は気の抜けた声を漏らす。隣にいるきくを見遣れば、こてんと首を傾げただけで、伊織が漏らした声の意味を理解してはいないようだった。
「きく」
「はい」
「手紙には何と書いた」
「『訳あってお会いできかねます』と」
「他には?」
「他とは?」
「訳は、書いたんだよな?」
「いえ、その」
言い淀むきくの姿から、何故会えないのか、全く説明していないことはすぐに分かった。伊織は思わず額に手を当て、大きなため息を漏らす。そのため息の意味も未だ分かっていないきくは、えっ、と声を零すばかりでおろおろと伊織と文七を何度も交互に見てしまう。
「何故伝えていないんだ。身請け先だろう。会えないなら会えないなりに訳を言うべきじゃないのか」
責めるような強い口調にきくは小さくなっていく。伊織に重ねられていた手は離され、もじもじと指を落ち着きなく絡ませ続ける。
「その、文七さんを、心配させたく、なくて」
今にも消えそうなか細い声で紡がれた言い訳に伊織は再度ため息を漏らす。
くだらない、と心底思った。
「結果心配かけて、挙句乗り込むまでさせているんだ。悪手だったのは分かっているな」
「はい」
「なら、包み隠さず話してやれ。会えなかった訳も、俺といた訳も、全てな」
「話して良いのでしょうか」
「事ここに至って今更話さないなんてことあるかよ」
「ですが」
「こいつが下手人ってことは万に一つもないだろうし、問題無いだろう。そもそもする理由がない」
逡巡しながらもどこか怯えた様子のきくの肩に手を添え、安心させるように頷いてみせる。そのまま伊織は文七へと視線を移した。
「文七、きくが何話してもやたらと責めるようなことも、むやみに騒ぎ立てるような真似もしないと約束できるな」
「へいっ。勿論でございます」
「よし」
文七の答えに頷くと、伊織は立ち上がりそのまま部屋を出る。当然取り残された文七ときくは驚いて半分立ち上がるが、伊織に手で制された。
「二人でしっかり話せ。俺の話はその後だ。ゆかり姐さん、待っている間、部屋借りてもいいですか」
「仕方ないね。特別だよ」
やれやれという風に立ち上がったゆかりを伴い伊織は襖を閉め、部屋の前からを立ち去った。
残された文七ときくはどうするべきかすぐには判断できず、伊織たちの出て行った襖を見つめたまま動けずにいた。暫く見つめていても襖が再び開くことが無く、伊織たちが戻ってくる様子もない。伊織の言う通り二人で話せということなのだろう。
きくは動けない文七の近くへ寄ると、彼の袂の端を控えめに引いた。文七が肩越しに振り返れば、何か言おうと口を開けては閉じるきくが不安そうに見つめてきている。
「きく」
「全てお話いたします。その、聞いて、くださいますか?」
「勿論」
文七は体の正面をきくに向け、袂を握ったままの手を両手で包んだ。手の温もりに安堵したのか、きくはぽつりぽつりとこれまでのことを話し始めた。
お読みいただきありがとうございます。
更新が遅くなり申し訳ございません。
最早この謝罪の言葉の後に「(定期)」とつきそうな気さえしてきます。
仕事から帰り、ばたんきゅ~を繰り返す日々。
今日の今日になって漸く原稿に取り掛かるスロースターターっぷり。
昔は大学の同級生がギリギリに泣きそうになりながら卒業制作に取り掛かる様を冷ややかに見ていましたが、あの頃の彼ら彼女らの気持ちというより習性を今なら少し分かる気がします。
それは延いては、社会から逸脱していっているということ、なのかもしれません。




