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「毛倡妓?」
元々妖怪に詳しい訳ではない伊織には一層聞き馴染みのない妖怪の名前だった。
名前から察するに毛にまつわる、女郎のような妖怪なのだろう。
「それは、どんな妖怪なんだ」
「どんな、と申されましても。それだけ、としか」
「どういうことだ」
「毛倡妓はただ女郎屋にいるだけの妖怪なのです。自ら驚かしに動くこともなければ、店の外に出て人を誘い込んで何かするということもありません。ただそこにいるだけの妖怪なのです」
「つまり、毛倡妓は何もしてこない、と」
「はい。ただいるだけですので害をなしてくることはないかと存じます」
話をしているうちに用意を終えたのか、伊織の目の前に湯気のあがる膳が置かれる。
悩みが解消されて浮かれているのか、いつもより一品多い。膳から顔を上げ、すゞを窺い見ると、鼻歌でも歌いそうな様子でお櫃に米をよそっている。
伊織が舟宿に通っている理由が知れたことが余程嬉しかったらしい。
「お食事の後はお休みになられますか?」
伊織の横でご飯をよそいながらすゞが尋ねる。伊織は茶碗を受け取りながら少し思案し、そうだな、と呟いた。
「夜番明けだからな。休んだらまた舟宿に行く。戻るのは朝になるだろう。朝もすぐに出るからそのつもりでいてくれ」
「承知いたしました」
「留守を任せてばかりすまない」
「いえ」
「お前たちがいるから安心して家を空けられる」
伊織の言葉にすゞの顔がさっと赤くなる。頬が熱を持ったのを感じ、慌てて伊織から顔を逸らす。しかし耳までは隠しきれず、顔を上げた伊織に見つかってしまう。
どうしたのか、と伊織が尋ねる前に、茶碗を持った袖が曳かれた。見下ろせば、姫が伊織の袖にぶら下がっている。
「何をしているんだ」
「話は聞いたよ」
「そうか」
「人助けばっかり。本当お人好し」
「そうか?」
「無茶はしないようにだよ」
「切った張ったは流石にないだろう。懐は多少無茶することになるかもしれんが」
「人を助けて己が困ってちゃ世話ないんだからね。全く」
「気を付ける」
「よしっ」
言いたいことを言って満足したのか、姫はとことこと部屋を出て行った。本当に用件はそれだけだったようだ。
改めてすゞを見遣れば耳から赤みは退き、何事も無かったかのように座っている。伊織は見間違いだったかと判じ、すゞに訊くことはなかった。
遅い朝食を終え、伊織は自室へ移る。いつの間にか布団が用意され、すぐにでも横になれるようになっていた。すゞはほとんど伊織の傍にいたので付喪神たちが用意してくれたのだろう。今日の話で彼らも伊織を許してくれたらしい。
伊織は天井板に向かって礼を言うと、布団に倒れ込んだ。満腹感と疲労も重なり、伊織はすぐに寝息を立て始めた。
伊織が目を覚ました時、外はまだ明るかった。障子を開け空を見上げれば、日は高いもののてっぺんより西に傾いている。舟宿が開くにはまだ早いが、調べる為と言えば入れはするだろう。女たちも客を迎える支度を始めている頃合だろうか。一つところに集まっているのなら話を聞くには都合がいいと判断し、伊織はすぐに出かけることにした。
昨日までと異なり、今日はすゞや付喪神たちのにこやかな見送り付きだ。信乃に無理矢理言わされたとはいえ、舟宿へ行く理由を話したのは余程効果的だったようだった。
これで家で気まずい思いをしなくて済みそうだ。
気が軽くなり、伊織は揚々とふじやへ向かった。浮かれていなかったといえば嘘になるだろう。
だからこそ、ふじやからきくの金切り声が外まで聞こえてきた時の気の落ちようは、いつも以上の落差だった。
宿の二階からきく以外の声もしている。
騒ぎの元に向かうと、飯盛女たちの寝起きしている部屋で、鏡台や布団などから六人部屋なことが分かる。しかし広さとしては伊織の部屋よりも狭い。
「あんたが盗ったんだろ!」
「違うって言ってんだろ!」
「ふざけんな!」
狭い部屋の中、止めようとする男衆も含めた十人くらいがひしめく中心で、きくと女が掴み合いの取っ組み合いを繰り広げていた。
お読みいただきありがとうございます。
後書を書くのに時間が掛かりそうでしたので一旦最新話を投稿してから更新という形に差せていただきました。
煩わしいことを致しまして、申し訳ございません。
さて、前回の予告通り、毛倡妓の説明を少しさせていただきます。
毛倡妓という妖怪は妖怪絵でお馴染み鳥山石燕画『画図百鬼夜行』の『今昔画図続百鬼』に登場します。
画図内の文を勝手に要約すると、「高楼の連子窓の前に髪の乱れた女を見かけて近寄ってみたら、髪に一面覆われていて、目も鼻も見えず、驚いた」といった内容です。風流士なんて聞き馴染みのない単語をはじめ、何か所か端折っての要約ですので、正しい文章は古文になりますが気になる方は確認いただければ。
これ以外に説明はなく、『日本妖怪大事典』(角川文庫)の方も毛倡妓についてはこれ以上言及はありませんでした。
髪が長く、顔が認識できないこと。性別は女であること。高楼、女郎屋にいること。
毛倡妓の要素はこれだけのようです。
ただいるだけ、という本編内のすゞの説明もこれに基づいての台詞となっております。
この作中では少なくともそういう妖怪ということにしました。
毛倡妓と聞くと自分は『ぬらりひょんの孫』をでの印象が大きいです。
度々名前を挙げさせていただいている漫画ですが、本当に沢山の妖怪が登場して、妖怪好きのジャンプっ子にはたまらない作品です。
その作品の中で毛倡妓は主人公の近くにいる割とメインのキャラでした。
少年漫画ですのでバトルもあり、髪の毛を武器に戦っていました。あと、女郎だからでしょうか。すっごい胸の大きなお姉さんキャラでした。
テレビから這い出てはきませんが、乱れ髪で顔が覆われている女性に恐怖感を覚えるのは今も昔も変わらないのかもしれません。
4/21 後書加筆




