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月明りの下、建ち並ぶ宿屋からは酒気を含んだ笑い声や、艶めいた声が漏れている。そんな宿屋の一室には、三人の男女が真剣な面持ちで顔を突き合わせてきた。
「女将、女たちを取り纏めるのはあなたの役目の筈だ。その上で把握していなかったと?」
「えぇ、私も寝耳に水で。きく、どうしてもっと早く言わなかったんだい」
「すみません」
「同じ店で寝食を共にしている者の中に下手人がいるとなれば容易に口にはできなかったのだろう」
「ですが、私どもと致しましても、娘たちのことを全て心得ている訳ではなく」
ふじやの女将は伊織に低頭でへつらいながらも、きくを目力で以て責める。ばつが悪そうにきくは女将から目を逸らし、伊織の方へ体を近付けた。しかし伊織はきくを庇う訳でもなく、突き放しもしない。女二人の振る舞いはそのままに話を続けた。
「きくも言わなかったことに関しては責められても仕方ないだろう。しかし、だ。この店の女の中には手癖の悪いのが混ざっているのか?」
「まさか、そんな娘がいるなんて」
「だが、現に事が起きている」
「それは」
言い返そうとするも女将は口籠る。伊織の言う通り、事は起きているのだ。
「奉行所へ訴えがあったような話は無いが、客の間では何か訴えが店へあったりはしなかったか?」
「いいえ、まったく。本当です」
まだ起きていないだけなのか、それとも客を狙うつもりが端から無いのか。盗人の目的が分からない以上、どちらなのか判断がつかない。
「確かなのは、手癖の悪いのだこの店に紛れているってことだな」
「花菱様、このことはどうか、ご内密に」
店の中で盗みがあったなど噂が広まれば、店はたまったものではない。犯人が客ならまだ良い。客の見極めができないほど目が曇っていた、と陰口を叩かれたとしても店側は被害者で済む。
だが、店の中に犯人がいた場合、そうはいかない。暖簾を降ろすことまで覚悟しなければならなくなる。
被害がきくだけ、店の中の人間に留まっているなら、客に知られる前に内々で解決したい。女将の意向はそれに尽きる。
客商売である以上、評判こそ何より護るべきものなのだ。金で仕入れた娘よりも優先されるのは当然のこと。
「私からもお願いします。今、事を大きくされるのは」
「何かあるのか?」
「実は、きくの身請けが決まっておりまして」
「はぁ?」
伊織は驚きのあまり気の抜けた声を漏らす。思いのほか大きく出た声に慌てて口を両手で覆う。
兵衛の匂わせていたきくからの話というのもこのことだったのだろう、と得心する。伊織が通っていない間に話が整っていたらしい。
「それは、めでたいことだ。相手はどこの」
「さるお店の若旦那様です。仔細につきましてはご容赦を」
「いや、それは構わないが」
祝い事の前の些事。きくとしても、己が我慢すれば良い、と騒ぎ立てなかったのだろう。祝い事に浮かれている主夫妻に水を差すのも気が引けたのかもしれない。
だが、盗みは盗みだ。
「花菱様」
声に誘われてきくを見れば、縋りつくでもなく、指を揃えて深く頭を下げていた。
「何卒」
ただ一言。されどその一言に多くの思いを含んでいる。騒ぎには、事件にはしたくない、とただ乞うている。
女将、と伊織が声を掛けた。女将は裏返った声で、はいっ、と返す。
「客や他の女たちにも盗られたものがないか明日までに探ってくれ。他にも被った者がいれば、悪いが上に報告させてもらう。もし、きくだけなら、きくへの怨恨の可能性もある。けちがついて身請けに影響が出ては下手人の思惑に沿いかねない。報告はせず、内々に片付けるよう取り計らおう。それで良いか」
お読みいただきありがとうございます。
人間には三大欲求というものがありますが、このところ三大欲求内睡眠欲一強状態が続いています。
何においても睡眠欲。
仕事から帰宅後すぐに眠り夕食を食べ損ねる、なんてこともありました。
正しい生活習慣もどこへやら。
眠気の一番辛いところは、眠気がある以上碌に頭が回らないこと、でしょうか。
追記
短編『流るる雲のゆく先は』及び『ホットケーキの味がしない』の評価ありがとうございます。




