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伊織の家は未だどこか淋しさを残していた。えんが死んで二月、縁がこの家を去って半月になろうかというのに。
縁の予言が的中したと分かってすぐ、翁は縁を連れて異世へと帰っていった。
件の予言が本物で、縁は本当に件で、縁は予言をしても尚死なず、死なない件はめでたくこの世に誕生した。おおよそ思っていた通りの結果に満足した翁がいつまでも縁を現世に残しておく理由もない。十分に結果は見届けられたのだから。
翁は産女という妖怪に縁を預ける手筈を整えていた。ただ引き渡すだけなのだから数日中に戻ってきても良いところなのだが、未だ戻ってはいない。
翁には翁の都合というものがあるのだろう、と伊織も特にすゞに尋ねるようなことはしなかった。
役目を終えた送り犬の長光と光世も異世に帰り、伊織宅に既に姿は無い。
今回の報酬として二匹には山鯨の肉を強請られた。己で狩りくらいできるだろう、と伊織も思わないでもなかったが、報酬は報酬。対価は払わなければならない。
えんを引き取る時、住人が増えたことにより増した生活費。付喪神たちの修繕費もあった。年の終わりまであと二月もある状態で山鯨を二匹が報酬として納得する程買うのは懐へかなりの打撃を与えた。
薄給の同心には辛いところではある。
その点筑波への報酬は金も掛からず伊織にはとても助かった。
以前した約束通り医者の紹介である。伊織は当然のように村濃のことを紹介した。
えんのことで村濃を見ており、以前の狐憑き騒動の折にも彼を見ている筑波はあっさり受け入れた。ようは筑波を村濃へ無断で押し付けたのである。
報酬の支払いも終え、二匹が去り、家には伊織とすゞ、通いの佐吉だけとなった。付喪神たちを加えれば確かに数は多いが、常に姿を見せる訳ではない。えんが死んで以降暗くなった空気に耐えられないのか、母屋に姿を見せることは格段に減った。
元々付喪神は姿を見せず天井裏から音を立てる程度の関わりしかなかったのだから、元がどれほど暗く淋しく静かだったのかを知る。
元の暗さに慣れるまで、今は一度距離を取りたいと思ってしまう。
今夜は一人どこかで飲みに行こうか。遅くまで街をぶらつくのもいい。夜番との交代する極限の時間まで奉行所に留まっていたい。
薄暗い調書の集められた書架で、普通なら見廻りの後にやりもしない整理をしてしまう。
家に帰らなければならないことにため息が出る。
調書をぱらぱらとめくっていると、後ろから足音もなく近づいてきた人物に突然肩を叩かれた。驚いた伊織は思わず手に力が入り、持っていた調書に皺を作ってしまう。
おそるおそる後ろを見れば、兵衛がにやにやと笑みを浮かべていた。
呆れて力の抜けた伊織は深いため息を吐いた。良い歳をした大人が何をやっているのやら。
「何だよ、驚かせやがって」
舌打ちを語尾に沿えて睨みつければ兵衛は謝罪も言い訳もせずへらりと笑うだけ。ただその態度が更に伊織の気を立たせた。
「ふざけるなら帰れ」
「らしくないこと言うな。明日は雪か」
「何の用だよ」
「大したことじゃないんだけど」
「大したことじゃないなら言わなくていい。出てけ」
「あぁ、嘘嘘。実はこの後ちょっと付き合って欲しいんだ」
伊織はへらへらとする兵衛を流し目に睨みつける。この話の流れには覚えがあった。
「ふじや行かないか? 気晴らしに。このところお前、気落ちしているみたいだし。それに、きくも会いたいってさ」
お読みいただきありがとうございます。
今回より第八幕がスタートいたしました。
今回もまた副題が穴埋めになっております。よろしければ予想してみてください。
前幕余談の際、これまでの余談を振り返っていると、第六幕で副題の答え合わせをしていなかったことに気付き、時間が大幅に過ぎていることに今更感を抱きながら六幕余談に答えをそっと添えておきました。
また、数日前にはなりますが、短編を一つアップいたしました。
よろしければ覗いてみてください。
今年も一年お読みいただき、皆様には感謝ばかりです。
来年も引き続き御贔屓御鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。
それでは皆様、良いお年をお迎えください。




