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第11話 「ただの友人です」と言い張った令息の末路

「はっ、オスカーの奴、女の涙に絆されて窮屈な契約を結び直したらしいな。男の甲斐性がない」


王立公証院の第一婚前契約相談室。

ソファにふんぞり返るギルバート男爵令息は、先日この部屋で絆を深めた騎士を鼻で笑い、己の正当性を高らかに主張した。


「いいか、レティシア様とやら。俺は浮気などしていない。あいつはただの気の置けない女友達だ。それに少しばかりのプレゼントを贈ったからといって、婚約解消だの慰謝料だのと騒ぎ立てるこの女が異常なのだ!」


ギルバートの隣に座る彼の婚約者、セリアは、青白い顔でうつむき、手元の鞄をきつく握りしめていた。


(あぁ……前世にもいたわね。会社の経費で愛人にブランド物を買い与えておいて、『あれは接待交際費だ、浮気じゃない』と言い張った横領社員が)


レティシア・アーヴィングは、感情の抜け落ちた氷のような瞳でギルバートを見つめていた。

浮気をしていない、肉体関係はない。だから自分は悪くない。そう主張する輩は多いが、本質はそこではない。


「ギルバート様。あなたがその『女友達』とどのような関係であるかは、当公証院の関知するところではありません」

「だろう? ならこのヒステリックな女に言ってやってくれ。嫉妬で騒ぐのはみっともないとな」

「ただし」


レティシアは、セリアから事前に提出されていた数枚の書類――宝石店の領収書の写しと、両家の口座記録――を机の上に並べた。


「あなたが女友達に贈った『少しばかりのプレゼント』とやら。王都の一等地で買われた高級なサファイアの首飾りですが、その購入資金が、セリア様との新居準備金、すなわち『婚約財産』から流用されているという事実。問題はこちらです」

「なっ……!?」


ギルバートの余裕ぶった顔が、一瞬にして引きつった。


「そ、それは……一時的に用立てただけで、後で穴埋めするつもりだった! 俺の金でもあるだろう!」

「いいえ。婚約成立後に両家で合意された準備金は、共同の財産です。個人の遊興費に無断で流用することは、明確な『財産横領』に該当します」


レティシアは分厚い婚約契約書をめくり、該当箇所を指の腹で叩いた。


「さらに、当公証院の標準契約に組み込まれている『不誠実交際条項』。これは、浮気の有無に関わらず、婚約者を不当に不安にさせる高額贈与や秘密交際を禁じるものです。あなたの行為はこれに完全に抵触しています」

「ふざけるな! 俺はそんな細かい条項に同意した覚えはないぞ! 大体、たかが友達に贈り物をしたくらいで――」


「同意されていますよ」


レティシアは、もはやお決まりとなった一枚の書類――ギルバートの直筆署名が入った『説明拒否記録』を、彼の目の前に滑らせた。


「半年前の契約時。あなたは『女の長話は聞かん』と、要約版の読み合わせを放棄しました。ですが、契約自体にはあなたの署名があり、有効に成立しています」


逃げ道は、自らの手でとうの昔に塞いでいる。

レティシアは冷徹な事実だけを、息もつかせず突きつけた。


「ギルバート様による財産の不当流用、および不誠実交際条項違反により、本件は『重大な背信行為』と認定します。よって、『背信行為加重違約条項』が発動します」

「か、加重……違約……?」


「はい。セリア様は、あなたに対する一切の賠償義務を負うことなく安全に婚約を即時解除できます。さらに、あなたには通常の破談慰謝料に加え、流用した婚約財産の全額返還、および加重違約金が請求されます」


ギルバートの顔から、完全に血の気が引いた。

男爵家の三男に過ぎない彼に、そんな莫大な借金を支払う能力などない。家からも勘当され、路頭に迷うことは火を見るより明らかだった。


「ま、待ってくれ! セリア、悪かった! 宝石は返させるから、婚約破棄だけは……!」

「触らないでください」


すがりつこうとしたギルバートの手を、セリアは冷たく振り払った。


「あなたは私との未来のための大切なお金を、平気で他の女性に使った。しかもそれを正当化した。……レティシア様のおっしゃる通りです。浮気かどうかなんて、もうどうでもいい。私は、あなたという人間が信用できないのです」

「セ、セリア……っ!」

「レティシア様。契約通り、彼への違約金請求と婚約解除の手続きをお願いいたします」


セリアの瞳には、もう涙はなかった。

悪辣な婚約者から自分を守ってくれた分厚い契約書という『盾』の存在が、彼女に前を向く勇気を与えていた。


* * *


ギルバートが絶望の叫びを上げながら公証院から引きずり出された後。


「……また一つ、不幸な縁が断たれ、真っ当な未来が守られたな」


静まり返った相談室に、深い声が響いた。

隣室で一連のやり取りを聞いていた王立公証院総裁、王弟ノア・ヴァルトハイムだった。


「殿下」

「見事な対応だ、レティシア。感情論に流されず、契約という事実のみで相手の急所を突く。実に君らしい、淀みのない手腕だった」


ノアはそう言いながら、レティシアのデスクに温かいハーブティーの入ったカップをそっと置いた。


「ありがとうございます。ですが、私はただ書類の手続きを進めただけです。セリア様がご自身で記録を集め、決断されたからこそ救われたのです」


レティシアがいつものように謙遜すると、ノアは微かに目を細め、窓の外へ視線を向けた。


王立公証院の窓口には、連日多くの貴族たちが列を作っている。

かつてはレティシアが破談の話をすると「縁起でもない」「不吉だ」と嘲笑っていた者たちが、セリアやネルたちのような『契約によって救われた』という実例を耳にし、手のひらを返したように相談を求めてきているのだ。


「君を笑った者ほど、君に助けを求める」


ノアの低く穏やかな声が、レティシアの耳に心地よく響いた。


「君が地道に説明し続けた『縁起でもない条項』が、どれほど多くの人間の人生を守り、救済しているか。ようやくこの国も気づき始めたようだ」

「殿下……」


前世では、どれだけリスクを防いでも誰にも感謝されず、最後は孤独に過労死した。

けれど今、目の前のこの人は、レティシアの仕事の価値を、彼女自身よりも高く評価し、肯定してくれる。


「私は、君の直轄の上司であることを誇りに思う」


ノアの氷のような瞳に浮かぶ、隠しきれない熱と深い愛情。

それに正面から見つめられ、レティシアは「上司としての評価」だと思い込もうと必死に自分に言い聞かせながらも、カップを握る手をごまかすように口元へ持っていき、熱くなった頬を隠すのだった。

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