再会とダンス
マルクが海軍に入って三年後。
「似合うじゃないか」
真新しい軍服の首元をいじっているマルクにアンベールが笑いながら声をかけた。アンベールは三十三才の若さで中将に昇進しており、異例とも言える出世をしていた。本人の並外れた能力と、公爵家出身で海軍の最高位である元帥の息子であることも大いに関係しているが、本人は「人手不足極まれり」と笑っている。
そしてその権力を使い、少しのズルをしてマルクを普通水兵から下士官に引き上げていた。お陰で妬みや嫌がらせは日常茶飯事であった。だがかつての警備隊とは違って暴力に訴えて来る者はいなかったし、そのおかげで実績を積むことができた。
今日は王家主催の祝勝会があり、マルクは着慣れない儀礼用の軍服を身につけていた。
「首が苦しいです」
クラヴァットと首の間に指を差し込んで緩めようとしてもきっちり結ばれている。
「祝勝会が終わる頃には慣れるさ。それに今日の主役はお前だからな」
「俺はマストを切り倒しただけですよ」
「あれは正しい判断だった。アンリは舵を操るのに手一杯だったし、あの時マストを切り倒さなければ私たちは海に投げ出されていただろう」
先の海戦は苦しい闘いだった。マルクたちが乗った戦列艦は激しい砲撃を受けて傾いた。マルクが静索とマストを切る判断をしなければ海に横倒しになっていた。
マルクは主船である戦列艦フルガル号の乗員およそ八百五十人と提督であるアンベールの命を救ったのだ。その結果、艦隊の士気が上がり勝利をもたらすことができたとマルクは聞いている。実感はないが。
「俺一人で切り倒したわけじゃないですよ」
「判断したのはお前だろう。それにそれだけじゃない。敵の主船に乗り込んで航行不能にしただろう?」
マルクは肩をすくめた。
とにかく今回はその功績を称えるセレモニーも用意されている。マルクは叙勲されることで士官となるのだ。
「まあ、貰えるものは貰っておきますよ。これでやっと士官候補生たちにバカにされないと思うと気分もいいですしね」
「お前は辛辣だな。その若さで叙勲されるのは奇跡に等しいんだぞ」
「誰かさんの口添えがあったからでしょう? 見せ物になろうとも感謝しておりますよ」
アンベールは声を上げて笑った。
軍に入ってわかったことだが、水兵という立場から這い上がって叙勲されるのは本当に奇跡なのだ。レノーもいい加減な希望を与えたものである。
ただ、この叙勲を皮切りに貴族が出席するパーティーにも参加することができる。
やっとアリアに一歩近づくことができた。
マルクは仕事の合間にアリアの居場所を探していた。『デュヴァル』という家名はわかっていたので見つけるのは簡単だった。だが侯爵家だと知って打ちひしがれた。一介の水兵にとって侯爵位など雲の上の存在だ。
目の前の公爵家子息のアンベールはさらに天上の存在だが、海軍に入ったきっかけなだけに軽口を叩ける相手になってしまった。その代償として士官候補生やほかの士官から敵視されているが。
元々の目的を忘れまい、とマルクは目を閉じた。
アリアが幸せに暮らしているのかをこの目で見て、できることならランドール王国の食堂での最後の夜のことを謝りたい。あの時、大きな声で怒鳴り壁にカップを打ち付けた時のアリアの表情が忘れられない。
驚きと怯えに見開いた目と体の前でぎゅっと握った手を。
そのまま離れ離れになってこんなにも長い間会えなくなるなんて思っていなかった。あの後、食堂に戻ってまたいつものようにアパートまで一緒に歩くと思っていた。
そして次の日からも同じような日々が続いていくと信じていたのだ。
「ほら、なにをぼんやりしている。行くぞ」
「はっ」
*
「フルガル艦隊ノイエ中将以下入場!」
この場に出られるのは士官と今回叙勲されるマルクのみ。約百名が整然と広間の真ん中を貫くように敷かれた赤い絨毯の上を進んだ。
二十になったマルクは、鍛えられた体躯に艶やかな黒髪、神秘的な黄灰色の瞳を持つ美しい男になっていた。かつての痩せ細った少年とは見違えるほどだ。
前を歩くアンベールやエダンに続いて会場に入ると周囲から嘆息が漏れる。
マルクはこの度、叙勲を機に名字も持つことになった。孤児で両親もわからないため、今まで名字はなかったのだ。名は最初に乗ったフリゲート艦シードゥス号の名前からとった。それしか思いつかなかったのだが、アンベールやエダンからものすごく優しい目で見られたのが謎だった。
長々とした祝辞の後、士官たちに労いの言葉と褒美が渡される。最後にマルクの名が呼ばれた。
「マルク・シードゥス、前へ!」
マルクが一歩踏み出すと、しんとした大広間に小さく「えっ」という声が聞こえた。
*
「今日は見込みのある海軍の軍人さんが集まるようよ。独身の方もいるらしいし、いい方が見つかるといいわね」
「また、お母さまったら」
淑女教育も終わり、どこから見ても貴族の令嬢になったアリアだが、すでに二十才となっていて釣り合いのとれる婚約者候補が見つからずにいた。貴族家へ嫁入りなど想像もつかないのでのらりくらりとしていたが、そろそろ将来も考えなければならないだろう。
デュヴァル家はこの度の海戦の祝勝会の会場に着くと高位貴族に割り当てられた上座の最前列に立った。パトリスとロイクは早々に持ち場へと移動している。
父と兄がいなくなってすぐ、母親がアリアにこそこそと話しかけてきた。
「公爵家のご子息のアンベール・ノイエ中将は既婚者なのよ。素敵な方なのに残念ね。ま、すでに三十を超えていらっしゃるけれど」
「…………」
「フルガル艦隊ノイエ中将以下入場!」
ぞろぞろと軍服姿の軍人たちが入場してきた。
国王の祝辞を聞き、百人もの士官に褒美を与えるのを見るのにも飽きてきたころだった。
「マルク・シードゥス、前へ!」
「えっ」
しんとした会場にアリアの小さな声が響く。慌てて扇で口元を隠すも時すでに遅し。
黒い髪にスモーキークォーツのような瞳の男性と目が合う。
その黄灰色の瞳がわずかに見開かれる。アリア自身の目も大きくなっているだろう。
壇上から咳払いが聞こえ、マルクはぱっと体勢を戻した。
「マルク・シードゥス、勲爵士の位を授与する!」
国王から胸に勲章を授けられる。
「この度のその方の働きにより我が国の海軍は不死鳥の如く甦り、敵を殲滅したと報告を受けている。これからも励むように」
「はっ、ありがたきお言葉でございます。これからも国のため精進してまいる所存でございます」
授与式が終わると、会場の人々がマルクたちの周りに集まってきた。
マルクはきょろきょろと懐かしい幼馴染の姿を探す。
「おい、マルク。どこに行くんだ?」
「あの、ちょっと……。すみません、通してください」
「マルク! 今日の主役はお前だって……」
「後で戻ります!」
人をかき分け、先ほど彼女が立っていた付近に近づいていくと、向こうからも人の間を縫って近づいて来る柔らかな金髪に青い瞳の美しい令嬢が見えた。
周囲が真っ白になり時間が止まった。二人だけが存在するように感じたが、先に正気に戻ったのはアリアだった。
音楽が流れ、あちらこちらから女性がマルクめがけて近寄って来る。アリアは急いでマルクの軍服の袖口をつまんだ。
「あっ、あのっ! 私と踊っていただけますか!?」
「……えっ?」
「ありがとうございますっ」
「ええ?」
アリアがぐいぐいとマルクを会場の真ん中に連れていく。
「俺、踊れないよ」
「音楽に合わせて体を揺らしていたら大丈夫よ。ほかの人にぶつからなければいいの」
二人は向かい合い、ぎこちなく頭を下げて両手を取る。
長い付き合いの中で、これほど近く向かい合ったのは初めてだ。ましてや会うのは四年ぶりだ。照れくさくて顔が熱くなる。
マルクの手は大きくごつごつしており、アリアの手は柔らかな小さな手をしている。二人は胸の拍動を誤魔化すように音楽に乗った。
「「あの……」」
同時に口を開いたが、マルクが黙り込んだ。
「……マルク、よね?」
「うん」
「聞きたいことがたくさんあるんだけど」
「うん」
「ずっと探していたのよ。神父さまとシスターに頼んでいたの。でも警備隊もマルクを見つけられていないって聞いて……。盗みをして逃げ出したって本当?」
「うん、本当だ」
あっさりとなんでもないことのように話すマルクに、アリアは愕然とする。
「それが、なにがどうなってどうしてここにいるの?」
「ははっ。話せば長くなるな」
「…………」
最後に見たのはまだ十六才の少年だったのに、今では精悍な海軍の軍人になっている。さらさらと下ろしていた髪の毛も今日はきっちりセットしていて、ぱっと見では違う人のようなのに笑った顔は昔のままで、アリアは思わず視線を逸らした。
(なんでこんなに素敵になっているのよ……)
(眩しいほど美しくなったな)
「アリア」
少し低くなった懐かしい声で呼ばれ、アリアは弾けたように視線を上げた。
「アリアは今……、幸せか?」
「え、ええ。なんとか幸せにやっているわ」
「そうか。よかった」
「……マルク?」
「あの夜のこと、後悔していたんだ。ずっと謝りたかった。あの時、八つ当たりしてごめんな」
「そんなこと……」
しばらく無言で踊っていると音楽が途切れた。二人は手を取り合い場所を移した。
「じゃあな、アリア」
「えっ、ちょっと待って」
マルクはにこりと微笑んでアリアの側を離れる。途端に人垣に囲まれ、マルクの姿は遠くなった。
「アリア! あなた最初のダンスは今日の主役と踊ったのね。ほら、ほかの令息方もあなたを見ているわよ」
呆然としているアリアに近づいてきた母に向かって思わず声を出した。
「……お母さま。私、あの方がいいわ」
「まあ、どのお方?」
「さっき私と踊った方。マルクという英雄よ」




