海軍
ダリーズはリートレ王国にある大きな湾で、王都に程近いため海軍の本部や商用の港、漁港などがある。
マルクたちが乗っていた船が接岸した商用の港は賑やかで色々な人種が入り混じり、露店が立ち並んでいた。港から緩やかに街へと繋がり、商業街区から山手の貴族街に向かって住宅地が続いていたが、軍港はまったく違う。
広大な敷地は隔離されるように軍の施設が立ち並んでおり、一般の人が住む街は遥か遠くにある。
たしかに、港から街の方へ向かって広く舗装された立派な道が通っていて荷馬車が行き交ってはいる。
そして人が歩いているには歩いているが、水兵が主で雑多な賑わいはない。整然としており緊張感が漂っている。
マルクは時計台がある建物を目指して歩いた。同じようなレンガ造りの四角い建物が何棟も建ち並び、やがて黒く高い柵に守られた建物に着いた。周囲の建物が無機質な四角い建物に対して、三階建ての建物は無骨ながらも威風堂々とした佇まいだ。レンガの壁に灰色の屋根を持つ建物の中央は高い塔になっており、大きな時計が設置されている。
大きな門の前には銃剣が取り付けられた長銃を持った門兵が立っている。
マルクがどうしたものかと建物を見上げていると、話し声が聞こえてきた。
「陸軍は海軍を輸送屋としか見ていない。あいつらは敵地に上陸すればなんとかなると思っているんだ。艦上では役に立たんくせに」
「今の軍務大臣が陸軍出身ですからねえ。海軍のことを理解していないんですよ。けれどまあ、劣等感の裏返しですから……」
歩いてきたのは三人の男で、そのうち二人は濃紺の軍服を着用し、腕には帽子を抱えている。残る一人はシンプルなシャツにジャケットを羽織っただけの柔和な顔をした男だ。
(あの二人は……貴族だ)
マルクは急いで道の端に寄った。こんな所で貴族に無礼を働いたとみなされればどんな目にあうかわからない。それに他国の人間だとバレれば強制送還される恐れもある。自国に帰ればお尋ね者だ。
目を伏せてじっとしていた時、軍靴の音が近くで止まった。
「お前、ここでなにをしている?」
マルクがゆっくりと目を上げると、栗色の髪の毛を後ろで束ね、海のような青い目をした端正な顔の将校がこちらを見ていた。胸にはたくさんの勲章がぶら下がっている。
マルクは喉がカラカラにも関わらず、喉をごくりと鳴らした。
「あ……あの、仕事を探していまして」
「仕事?」
「はい、えっと……紹介状も持っています」
男が手を出したので、マルクは恐る恐るレノーが書いてくれた紹介状を手渡したが、直後、後悔した。
(こんな立派な軍人がレノーの紹介状を相手にするわけないじゃないか)
笑われ破られても仕方がないと、今更ながら海軍に入って軍功を積むなど無謀なことだと項垂れた。が、聞こえてきたのは軽やかな笑い声だった。
「おい見ろよ。アンリ・レノーの紹介状だぞ。はは、私の名前が書いてある。なぜ私が海軍に入っていると知っているんだろうな?」
控えている二人の男は苦笑している。
「少年、お前はアンリの知り合いか?」
マルクはレノーのファーストネームは知らなかったが、頷いた。
「はい、一緒に武装商船に乗っていました」
「アンリ、やっぱりまだ船に乗ってるんだな」
栗色の髪の毛に青い瞳の男は安堵したように呟いた。
「お前、水夫か?」
「見習いですけど」
しかも、ほんの二週間程度だが。
「戦闘経験は?」
「あります」
一度だけだが、ある。
「年は?」
「……十七です」
まだ十六だがもうすぐ十七になる。
「ふむ、手を見せてみろ」
軍人がマルクの手をぐいっと引っ張った。
「ひょろひょろだが背も高いし手足も大きい。まだ大きくなるだろう。鍛えがいがあるな。うん、雇ってやるよ」
「艦長!? 身元が不明な者をそんな簡単に」
「アンリの紹介だぞ? それに水兵は慢性的に不足している。雇わない理由がないだろう。紹介状によると名前はマルクか。私はシードゥス号の艦長アンベール・ノイエだ。こっちは副艦長のエダンと航海長のジャックだ。ジャック、こいつに食事を与えてやれ」
「かしこまりました」
シャツにジャケットの男が頭を下げる。マルクが呆気に取られている間に、無事海軍に職を得たらしい。三人とともに門の前に近づくと、門兵が門を大きく開けた。
*
「マルクと言ったな。お前は本当に運がいい」
シャツにジャケットの男はシードゥス号の航海長ジャックだと名乗った。マルクは水兵として今日からアンリの下で働くことになる。
海軍本部の広い食堂に案内され、トレイに載ったシチューとパンを渡される。ここしばらく乾パンと干し肉、たまにりんごの食生活だったので温かい食事は久しぶりだ。
「ノイエ艦長は公明正大な方だ。それにシードゥス号はほかの艦よりずっとマシな船だぞ」
「そうなんですね」
「……レノーさんは元気だったか?」
「はい。よくしてもらっていました」
あれほど元気な男もいないだろう、とマルクは内心首をひねった。
「そうか……。レノーさんは俺が新米だった時の航海長だったんだよ」
マルクはなるほど、と思った。レノーは元海軍だったから伝手があったんだと納得した。商船では船を操らず私兵をしていたが、まあ誰にでも事情はある。
その後、何枚かの書類にサインをさせられた。
そしてマルクも曲がりなりにも軍の一員となった。
「明日から訓練だ。後で艦に案内してやるから休め」
マルクは停泊している軍艦シードゥス号の大部屋で睡眠不足になりながら地獄の訓練に耐える生活が始まった。
*
「字が書ける? 読むことも?」
「はい、孤児院で習ったらしいです。どこの孤児院かは言いませんでしたが」
「理解度は?」
「契約書を読んで理解していました」
「ほう、かなりなものだな」
リートレ王国とランドール王国はかつて同じ帝国に属していたことがあり、多少の文法の違いや言い回しの違いはあるが同じ言語を使っている。
それでも契約書を理解するのは物語を読んで理解するのとは訳が違う。孤児院で身を守るために施された教育なのだろう。
「しかし孤児院出身かあ。そこから水夫。苦労したんだろうなあ」
「だから身元を確認しろと。艦長直々に採用するなんて」
副艦長のエダンが神経質そうな目元を細める。
「ほかの艦は浮浪者を狩ってくる所もあるんだぞ。予算が減って入隊希望者が陸軍に流れているせいで自分のところの乗組員は自分で拾わないといけない。マルクはいい拾い物だと思うがな。なにか不満があるのか? エダン」
「……いえ、ただあの瞳の色がこの国にない色だと思いまして」
アンベールは「ふうん」と頬杖をついた。この国の者でないのならスパイの可能性もある。しかしアンリ・レノーの紹介状は本物だった。
「合言葉が書いてあったしな……」
「合言葉? なんです?」
「なんでもない。忘れてくれ。とにかく、アンリの紹介状がまっすぐ私のもとに届いたのは幸運だった。マルクは強運の持ち主に違いないよ。これは本当にいい拾い物をしたかもしれない。だが契約書が理解できるとは水兵にはもったいないな。エダン、お前の下につけたらどうだ?」
「えっ」
「監視にもなるだろう。読み書きできる人間は貴重だぞ?」
*
「こら、寝るな」
「はっ、はい。申し訳ありません、副艦長」
寝不足に加えて早朝からの訓練。今はエダンの下で書類の整理をしている。午前中は水兵としての訓練をこなし、午後は副艦長の補佐ができるよう研修をすることになったのだ。
ただし難解な専門用語は理解できないので、艦に積み込む食料品のリストを作っているだけであるが。
昼食も済み、窓からはぽかぽかと日が差してくる。艦の揺れと規則正しい波の音も相まって油断すると瞼が重くなってくる。
限度を超えた疲労と「体を大きくするためにもっと食え」とジャックに言われ、いつまで経っても腹が空かないのも原因だ。
「うーん。読めないこともないが、もう少し綺麗に書け。読み間違えて数を間違えれば死活問題だからな」
「はい!」
「……お前、孤児院育ちだそうだが生まれはどこだ?」
「わかりません。幼い頃に教会の前に母親に置いていかれたんです。……もう母親の顔も覚えていませんけど」
「ふうん。船の乗ったとか馬車に乗ったとか」
「覚えていません。記憶にあるのは教会の前で長い間立っていたことだけです」
「それから?」
「孤児院で育って十六で独立しました」
「水夫に?」
「……いえ、別の仕事をしていたんですけど辞めて水夫になりました」
「なぜ辞めた?」
「えと……、人を探すためです」
「人探し?」
「…………」
マルクの持つペンが止まり、黄灰色の瞳を伏せた。
「どこにいるのか分かっているのか?」
「…………」
エダンはシードゥス号の副艦長として捕虜の尋問を担当している。マルクの言葉に嘘はない。仕事ぶりも真面目で性格も素直だ。
しかし探している人物のことは頑なに口に出さない。
(怪しい。が、海軍の水兵など訳ありの人間ばかりだからな。悪意がありそうな奴じゃないし、もう少し様子を見るか)
マルクは黒髪に神秘的な黄灰色の瞳を持つ綺麗な顔をしているが、なんとなく放っておけない。だからあの偏屈のアンリ・レノーも紹介状を書いてやるほど可愛がっていたのだろう。エダンは(やれやれ)と息を吐いた。
「マルク、これは宿題だ。字の練習もしておけ」
エダンは青褪めるマルクの前に船の操縦に関する本と小ぶりな黒板を積み重ねた。




