戦闘
「風が変わったな」
レノーがそう呟いたのはマルクが干し肉をかじっていた時だった。
「今夜は時化るぞ。ついてないな、あと一日半で次の寄港地だってのに」
「嵐が来るのか?」
「嵐ってほどじゃねぇが、こんな夜は海賊の稼ぎ時なんだよ。月も星も隠れて真っ暗闇になるからな」
今回の航海では三隻の船団を組んでいる。中でもマルクたちが乗っている船はメインの船であり一番狙われやすい。水夫たちは警戒を強めることになった。
夕日が落ちる頃、レノーが言った通り空には雲が増えて風が出てきた。暗闇の中ランプの灯りだけが頼りになる。そのランプも揺られて不安定だ。穏やかだった海に白波が立ち、西から吹く風は航路を逸らせる。水夫たちが一斉にマストに上り横帆をたたむ。大きな帆は畳んで縦帆だけでゆるゆると風をやり過ごしながらメインの船を真ん中にして三隻が横に並んだ。
深夜、フォアマストの足場から声が響いた。
「前方より接近する船あり! 警戒を!」
「来なすったな。マルク、弾薬を確認しろ」
レノーがマスケット銃を握る。
「あ、ああ」
レノーから船での闘い方は聞いている。しかし実際に敵が現れたとなると指先が震える。
こちら側の船は三隻横並びとなっているが、海賊はどの船を狙うのだろうか。
(いや、海賊と決まった訳じゃない。このまま通り過ぎてくれれば……)
淡い期待は次の声でかき消された。
「船は一隻! 海賊です! 赤い旗を掲げ、砲身がこちらに向いています!」
その時、並走している船の近くに砲弾が着弾し、水柱が立った。船が大きな軋み音を立てながら斜めに押されてこちらに迫ってくるが、ギリギリのところで体勢を整えた。
マルクは硬直しながらも小銃を握りしめた。
「慌てるな、マルク。あれは威嚇だ。あちらはこの船を無傷で手に入れたいはずだからな。それよりも白兵戦の準備だ。……死ぬなよ」
海賊船の掲げる赤い旗の意味は『皆殺し』。レノーはあえてマルクには伝えなかった。
こちらからも砲撃で応戦する中、敵戦は器用に方向を変え、先ほど砲撃を受けて傾いた船とは反対側の船とマルクたちが乗った船の間に割り込むように突き進んでくる。やはり敵船の狙いは護られるように挟まれているこの船のようだ。
「商人たちをボートに乗せろ!」
「無理だ! 反対側の船が近すぎる!」
怒号が行き交う中、傾きながらこちらへ寄ってきていた船との間には高い波が立っている。船は不安定に揺れ、水夫ではない商人が乗り移るのは不可能だろう。
「なら闘える者は武器を持て! それ以外は厨房にでも突っ込んどけ!」
戦闘体制に移行する中、敵船が驚異的な速さで近づき、がががっと船体をぶつけながら接舷した。かと思うと相手方の帆桁にくくりつけられたロープにぶら下がった海賊たちが奇声を上げながら次々と乗り移ってくる。
レノーやほかの水夫たちが、マスケット銃や剣で応戦する。
震える両手で小銃を握りしめていたマルクの前にもどすんと音を立てて男が飛び降りてきた。
「おぅ坊主、いい物持ってんな。震えてんぞ。撃てるのか?」
星もない濃紺の空を背景にせせら笑う黒い人影は悪魔のようだ。
「おお? 可愛い顔をしているじやねぇか。こりゃ高く売れるぜ」
そう笑いながら飛びかかってくる敵に向かって、マルクは無我夢中で引き金を引いた。
思ったよりも強い衝撃で背後の壁にぶつかる。恐る恐る目を開けると、男が仰向けに倒れていた。
(お……俺が撃ち殺した……?)
初めて引いた引き金。体に響いた衝撃と、硝煙と血の臭いと潮の臭い。
『死ぬなよ』
死にたくない
死にたくない
死にたくない
アリアが幸せに暮らしているのを見るまでは死にたくない。
そこからは必死だった。
小銃の弾がなくなり、剣に持ち替える。
必死になって闘っていると、後ろから飛びかかってこようとしていた海賊の頭が吹き飛んだ。血と肉がマルクの顔にかかる。
銃の先から煙を漂わせているレノーが叫んだ。
「マルク! 油断するなっ」
マルクは闘っている眼前の男の腹を突き刺した。
朦朧とする意識の中、体だけが動いていた。だんだんと麻痺していく。臭いにも感情にも。
そしてやがて空が白々と明けてきた。
気がつくとレノーや他の仲間が甲板の死体を海に蹴りとしていた。
生きている……。
身体中の力が抜け、へなへなと座り込んだ。
「おぅ、手伝えよマルク。そしたら朝飯だ」
(……よく飯の話ができるな)
海賊の死体に混ざり仲間だった水夫の死体もある。
「……全部、海に?」
「ああ。そういうものなんだよ」
「そうか……」
そういうものなのか。
いつの間にか海賊船の姿は見えず、船団を組んでいる他の船も損傷はあれど無事だったようだ。
死体を海に蹴り落とし、砂を撒いて甲板を磨く。海賊が船ごと奪おうとしていたため船体にそれほどの被害はない。
時化が収まった朝は清々しいほどの青空で、昨夜の戦闘が夢のようだ。けれど、磨かれた甲板の上からはまだ血の臭いが漂っている。
次の港に着く頃には臭いも取れているだろう。そして何事もなかったかのように荷物を下ろし積み上げるのだろう。
マルクは、黙々と干し肉をかじった。
寄港地で船の損傷と荷物を確認し、水夫の補充をして二日遅れで出航した。
次はついに目的地であるリートレ王国である。
*
マルクは船主から報酬を貰ってリートレ王国の土地を踏んだ。寄港地でも船を降りることはなかったので久しぶりの地面だ。なんだか体がふわふわする。
「これからどうするんだ? またこの船で国に戻るか?」
「いや、とりあえず職を探そうと思う」
貴族の銃と剣を盗んで警備隊を出奔したのだ。国に戻ればすぐに牢屋行きとなるだろう。
「じゃあ、これを持っていけ。紹介状だ」
「紹介状?」
「ここを南に海沿いを行ったところに軍港がある。赤いレンガの建物がいくつか並んでいるが、黒い柵で覆われたでかい建物が海軍本部だ」
「海軍……」
「入る気があるならだけどよ」
「……ありがとう」
じわっと目が熱くなったマルクは、誤魔化すように目を伏せてレノーから封筒を受け取った。もう二度と会うことはないかもしれないと別れを惜しみながら、軍港の方向へ歩きだした。
軍港は商用の港の隣の入江にある。隣といっても間を隔てるようにある小高い山を越える必要がある。マルクは先のことも考えて節約のため歩くことにした。
(レノーの紹介状があるとはいえ雇われるかどうかわかんないもんな。雑用係は嫌だな。海軍なんか警備隊より荒くれ者が多そうだし)
そう考えれば商船の環境はなかなか良かった。レノーが目をかけてくれていたおかげもあるだろうが、みんな忙しすぎて人を虐げている暇がなかったのだ。
二十四時間体制で四時間おきに交代で仕事がある。がんがんに日が照る昼間だろうが寒風吹きすさぶ夜だろうが、休むときには休んでおかないと体がもたない。
マルクは寝られない時は剣を振っていた。『若いなあ』と笑いながらも相手をしてくれていたレノーはつくづくお人好しだったと思う。
半日かけて歩き、坂の下に軍港が見えてきた。入江には艦船が何隻も停泊している。中でも百門の砲門を備えた戦列艦は目を見張るほどの巨大さだ。
今は畳んであるものの青空に白い帆が映え、誇らしげに国の旗をはためかせる四本マストの艦船は機能的で美しい。
視線を陸地に移すと、入江を取り囲むように同じような赤煉瓦の建物が並んでいる。その中央にはひときわ大きく時計台を備えた建物が建っているのが見えた。
(あれが海軍本部か……)
マルクは疲れた足を叱咤して坂道を下っていった。




