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身分違いとなった貴方と私ーー再び出会うことができるまで  作者: ミソラ


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2/11

別世界

「……お城?」

 アリアが呟くと黒いコートを着た男は微笑んだ。

「こちらはデュヴァル家がこの国での拠点として所有している屋敷でございます。本国の屋敷はさらに壮麗でございますよ」

 品の良い紳士から敬語で話しかけられてアリアは身を縮こまらせた。

 貴族向けの針子を生業としているとはいえ、貴族に会ったことはない。アリアの仕事場は下町にある工房であり、貴族が近寄るような場所ではないからだ。こんな、いかにも貴族の紳士に敬語で話しかけられるとびくびくしてしまう。


 馬車が軽く軋む音を立てて止まり、扉が開く。アリアは先に出た男が出した手におずおずと自らの手を乗せて馬車を降りた。

 教会の幅ほどあるかと思われる大きな階段を上ると重厚な扉が現れた。


 大きな扉の左右には、先ほど食堂にもやってきていた軍服を着た男たちが敬礼をしている。そして隙なく制服を着たフットマンが扉を両側から開けると、中から眩しいほどの光が漏れ出てきた。


 高い天井からいくつもぶら下がるシャンデリアに灯された炎は細かくカットされた雫のようなガラスに反射して明るく輝き、白い大理石の壁や床のエントランスホールはまるで昼のように明るい。そしてその広いホールには二十人ほどの使用人たちが左右に並んで立っていた。

 

 男にエスコートされたアリアが恐る恐る足を踏み入れると使用人たちが揃って頭を下げた。

 男が緩く手を振ると今度は一斉に頭を上げる。


「皆、こちらがデュヴァル侯爵家ご息女のアリアさまだ。心して仕えるように」

 低く鋭い声はホールによく響く。打って変わって男は穏やかな声でアリアの方へ向いた。

「まずはお着替えをいたしましょう。そこの二人、お嬢さまに湯浴みを」

「は、はい!」


 落ち着いた紺色のワンピースを着た二人の女の子が前に出たが、アリアに近づくと少し眉を寄せた。


(あっ、もしかして私、臭い?)

 仕事柄清潔を心がけていたが、さっきまで下町の食堂にいた。このホールには清涼な空気が流れ、飾られた花の香りだろうか、ふわりといい香りが漂っている。それに使用人たちが着ている服の方が、アリアの服よりもずっと上質だ。

 

 アリアが羞恥心で赤くなり下を向いていると「その顔はなんですか! あなた方はクビです!」という大きな声が響いた。


「えっ!?」

「なぜですか!」

 二人の侍女が驚愕の表情で叫ぶ。それに対し、襟元にサファイアのブローチをつけただけの飾り気のない濃いグレーのドレスを着用した中年の女性が恐ろしい圧をかけて言い放つ。

「我が侯爵家のお嬢さまに対して先ほどの態度はなんですか! 主を敬えない使用人など不必要です。今すぐ出て行きなさい! ニノン、ロラ。あなたたちにアリアお嬢さまの世話を任せます。……わかっていますね?」

「はっ、はいっ!」


 アリアが黙っているうちにあれよあれよと事が進み、二人の侍女がクビになった。

(怖い……)


 アリアが胸の前で両手をぐっと握っていると、瞬く間に侍女をクビにした女性がアリアの前にやってきて頭を下げた。


「お帰りなさいませ、お嬢さま。見苦しいところをお見せして申し訳ございません。お嬢さまと年の近い者を選んでいたのですが、経験が浅く失礼をいたしました」

「あ……、いえ……」

 女性は目尻を下げて優しく微笑んだ。先ほどとは別人のように穏やかな表情で、アリアはそれにも慄く。

「ああ、本当に奥さまのお若い頃によく似ておいででございます。本国で旦那さまも奥さまも首を長くしてお待ちですよ」

 アリアは目を見開いた。

(私の両親……だということ?)

「さあ、まずはさっぱりしてゆっくり休みましょうね」

 アリアは女性の手からニノンとロラと呼ばれた二人の侍女に託された。


 エントランスの中央にある階段を上り、やわらかな絨毯を踏みしめて長い廊下を進んだ突き当たりの部屋へ案内された。

 中に入ると広くて美しい部屋があり、またいくつかの扉がある。

 その一つの浴室へと入った。侍女がアリアの服に手をかける


「あ、あの?」

「はい」

「服、自分で脱げますけど……」

「お任せください」

「……臭くないですか?」

「とんでもございません」


 ニノンもロラもにこやかに手早く準備を整えていく。

 

 貴族のやり方はまったくわからない。ずっとびくびくしていたアリアは精神的にぐったりと疲れ、されるがまま思考を放棄した。


『ごゆっくりお休みください』と言って侍女たちが部屋を出ていった後、浴室とは別の扉を開けてそっと覗いてみると、そこは寝室だった。

 落ち着いた設えの中にある天蓋付きベッドに一瞬怯んだものの、ゆっくりと端の方に転がってみた。


(気持ちいい)


 目を閉じてマルクのことを思い出す。


(マルク、まだ怒っているかな)


 おぼろげな記憶の中、小さなマルクはいつも隅っこで一人でいた。黒い髪にスモーキークォーツのような澄んだ黄灰色の瞳をしたマルクは、夕方になるとシスターに『かあさんは?』と聞いていた。捨てられたばかりで、知らない場所で不安だったのだろう。今のアリアにはあの頃のマルクの気持ちがよくわかる。


 アリアは両親を知らない。隣接する教会で礼拝やバザーがあると、男の人に抱かれ女の人に優しく声をかけられていたり、両手をつないで足をぶらぶらさせて笑っている子どもを見たりする。なんとなく(あれがおとうさんとおかあさんというものなんだな)と思っていた。なぜ自分にはいないのかと寂しく思ったことがあったが、突然お母さんがいなくなったマルクはもっと寂しいだろう、とアリアは思った。

 だからマルクの横にいた。少しでも寂しくないように。自分も寂しさが紛れるように、マルクの横にいた。


 ずっと一緒に育ってきた。いつのまにかマルクの背が自分よりずっと大きくなって、世話をされる立場からする立場になって、教会に来る女の子たちから話しかけられるようになって。

 独り立ちの年齢になった時、マルクも同時に仕事を見つけて近くにアパートも借りた。

 警備隊の仕事は大変そうだったけれど、雑用係は定時に帰ることができるから幸運だったと言って、アリアを工房まで迎えに来てくれた。大きなってから、会話は減ったけれど、それでも誰よりも安心する相手だった。


 どちらかに賃金が払われた日には、あの食堂で一緒に食事をした。いつも寡黙なマルクが珍しく職場の愚痴をこぼした。


 ほんの数時間前のことなのに、ずいぶんと前のことのように感じる。

 寂しさが募り閉じた瞼が熱くなる。


 ずっと、アリアがマルクの横にいるものだと思っていた。


(マルク、心配しているかな。……明日、謝らなきゃ……)


 アリアは深い眠りへと落ちていった。


 *


 昨夜、アリアを食堂へ迎えに来た男は海を挟んだ隣国のリートレ王国デュヴァル侯爵の側近の一人で事務弁護士のレナルドといい、一言で侍女二人をクビにした女性は本国の家政婦長の妹であり、この屋敷での権限を委任されているマディというらしい。


「こちらランドール王国の教会の洗礼証明書を廃止するため、リートレ王国の証明書とのすり合わせに時間がかかるようです。それから国境の通行証の発行を待っています。それらが解決次第、船の手配をすることになるでしょう」

「船……」

「はい、リートレ王国は海を三日ほど北上した島国でございますよ」

 

 アリアの顔がさっと青くなった。そんなに遠い場所ならば、行ってしまえばもう孤児院のみんなやマルクに会えなくなるかもしれない。

「あの……! 誰にも挨拶できずにここに来てしまったので、会いに行きたいのですが」

「うーん。お嬢さまには出立までの期間、マディから基本的なマナーを身につけていただく必要があります。孤児院にはこちらから謝礼とお礼の品を届けておきますからご安心ください」

「でも……」

「申し上げにくいことではございますが、これからはお立場的に下町にお出になることは控えていただきます」


 有無を言わさぬレナルドの言葉でアリアは口をつぐんだ。


 午後にはアパートの荷物が届けられた。家具は備え付けだったので、裁縫箱などのささやかな荷物だけがアリアの部屋に持ち込まれた。


「お嬢さまの持ち物でございますのでお持ちいたしました。不要ならば処分いたします」

「ありがとうございます」

「敬語は不要でございますよ」

「はい、いえ。……ありがとう」


 アリアは一つずつ手に取った。なにも持っていなかったアリアにとって全て思い出が詰まったものだ。けれど、この豪華な部屋の中にあってはみすぼらしいことこの上ない。


「少し、ゆっくり見るわ」

「承知いたしました」

 マディが頭を下げて退室した。


 これは独り立ちする時に孤児院のみんなから貰った押し花やカード。神父さまとシスターから頂いた激励の手紙。

 刺繍の練習をした布の切れ端。

「これは……」

 マルクが初めての賃金で買ってくれた黄灰色のビロードのリボン。マルクの瞳と同じ色。アリアの金髪と相性のいい、スモーキークォーツの色。


 アリアは子どものように泣いた。リボンを握りしめ泣いた。思い出す限り、こんなふうに泣くのは生まれて初めてだった。

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