内乱
空は青く澄み渡り、波も穏やかでなんの問題もない航海だった。マルクは甲板から海を眺めながら風に吹かれていた。
「マルク、口元が弛んでるぞ」
今回マルクが乗っているのはエダンが艦長を務めるフリゲート艦である。
「そんなことないですよ」
エダンがちらりと刺繍で飾られたクラヴァットに目をやる。
「あー、いいなあ。私もそろそろ身を固めようかなあ」
「あはは」
「お、冗談だと思っているな? 私が結婚しようと思えば明日にでもできるんだぞ」
「次に寄港する港にも恋人がいるって噂ですもんね」
「はん、充実していると饒舌になるんだな。急におしゃれしやがってるし」
「お守りです」
マルクは刺繍が入った真新しいクラヴァットに触れた。
自覚すればなんということもない。過去も現在もマルクの中にはアリアしかいなかった。アリアの幸せだけがマルクの望みだった。ただ、自分がそれを叶える自信はなかった。
けれど、アリアは『マルクがいい』と言ってくれた。こんなに嬉しいことがあるだろうか。
マルクに新たな目標ができた。
*
数日後、艦隊は無事に寄港地に入港した。
久しぶりに踏む地面に体を伸ばす。各艦の艦長と航海長が集まり今後の確認をしようとした時「伝令!」と叫びながら地上勤務の男が走ってきた。
「王都で内乱発生! 陸軍の一部が蜂起し王宮を占拠! 不確定情報ですが、王都の数か所で火の手が上がっている模様! 内乱との関連は不明です!」
その場に衝撃が走る。
「総員いつでも出航できるよう準備を急げ! 各艦長および副艦長は集合して続報を待つ!」
アンベールの鋭い声が響く。
講堂に集まった幹部の元には続々と続報が入ってきた。
どうやら旧帝国の不穏分子がリートレ国内で暗躍し王都で小さな暴動が起きた。小さな火種は徐々に大きくなり、それに連動するように陸軍の一部が謀反を起こしたらしい。
その先鋒は……。
「ウジェーヌめ。私たちを海に出したのはこれが狙いか」
そもそも陸軍は領土拡大を唱えており、敵国に上陸しての地上戦を望んでいた。しかし大国に囲まれた島国のリートレ王国の方針は専守防衛であり、数年前から主戦場は海上となっていた。また、艦上での白兵戦は海兵隊がその役目を担っている。加えてマルクが英雄として祭り上げられた。
陸軍の立場が小さくなったと感じている陸軍兵士の中には不満が燻っていた。
「バランスを取るためにウジェーヌが大臣となったが、ウジェーヌも海軍に対する対抗意識を隠そうともしなかったからな。恐らく目的は実権を握り他国への進軍」
「そんな……。そんな目的で国内に混乱をもたらせたというのですか?」
「旧帝国の不穏分子とも連動している。なにか取引があるのだろう」
大陸側では旧帝国を引き継いだ国が勢力を拡大している。ウジェーヌを利用し、帝国の復活を目論んでいるのかもしれない。
「続報です! 敵国の艦隊がアレスの沿岸に向かっています!」
アレスはリートレ王国の南部、砂浜が広がる地域の名前である。敵軍が上陸するにはうってつけの場所であるため、海軍も警備をしている。
「本部に停泊していた艦もアレスに向かい、敵艦を迎え撃つ準備をしているとのこと!」
「内部のゴタゴタを見逃さずにやってきたか……」
この寄港地からアレスに戻るのに早くて二日。今すぐに出発しても凪の時間帯に入り、到着するのも二日後の昼になるだろう。
「間に合うか……?」
うまくいけば挟み撃ちだが、フルガル艦隊という主力を欠いた本国の軍勢がどこまで持ち堪えられるか。しかしそんなことは言っていられない。
「出撃だ!」
「「「「はっ」」」」
「マルク、フルガルII号に乗れ」
「はっ」
マルクは主船である戦列艦フルガルII号に乗り込んだ。
王宮が占拠され、王都では火の手が上がって貴族たちは混乱していることだろう。
(アリア、無事でいてくれ……!)
*
海原の向こうでは既に戦闘が起きている。ドドーンという音と水柱の衝撃がここまで響いてくる。
「我が国の軍が優勢のようですね」
「そうだな。旗を掲げろ。近づいても味方に当たる恐れがあるため砲撃はするな。横陣形を取りぶつけるぞ。……白兵戦の準備だ」
マストの索に色とりどりの信号用の旗が掲げられる。
「各員に告ぐ! 生きて勝利し祖国の地を踏む! けして死ぬな! 総員配置につけ!」
水兵たちが並んでロープを引き、帆を動かす。帆は風を受け海を切り裂きながら敵の船にめがけて突き進んでいく。相手方もこちらに気付き砲撃を開始した。
だがその攻撃も一瞬遅く、砲弾がこちらに打撃を与える前に敵艦隊を分散させる。
「狙撃手は見張り台から敵の司令官を狙え! 接舷するぞ!」
衝撃を受けながら敵艦に接舷すると海兵隊が乗り込み、続いて水兵も次々と乗り込んでいく。
マルクたちはこちらに乗り込んできた敵兵を撃ち、銃剣で突き刺して制圧していく。
リートレ王国の海軍に挟み撃ちされるように攻撃され、敵艦隊は陣形を保てなくなった。ただ闇雲に砲弾の雨を降らせる。
敵の砲弾がミズンマストに命中し帆桁や砕けた破片が敵も味方も関係なく音を立てて落ちてくる。
水兵たちが下敷きになった味方を引き摺り出して軍医に渡し、同時進行でロープを切り闘いの障害になるものを取り除いていく。
「ヴァンリー岬に誘導しろ! 面舵!」
艦長の怒号に航海長が舵を切る。岬の沿岸には暗礁があり、回り込むようにして、敵艦を追い詰め座礁させた。
相手方の艦が操縦不能になったところを見計らい、マストの上のメイントップから狙撃手が士官クラスを狙い撃つ。続いて海兵隊が次々と敵艦を掌握していった。
勝利を確信する寸前、一発の銃弾がマルクの左肩に当たった。
頭上から「やったぞ! リートレの英雄を仕留めた! 報奨金は俺のものだ!」という声が聞こえる。接舷していた敵艦のメイントップからだったが、その狙撃手は喜んでいる間にアンベールの銃弾により撃ち落とされた。
「く……っ!」
「マルク!」
「大丈夫です……! 急所は外れています!」
闘える。まだ闘える。
利き腕でないことが救いだ、とマルクはコートの内側から小銃を取り出した。
***
王都では宮廷貴族たちが混乱に陥っていた。王宮が陸軍の一部兵士に掌握され、国王一家は隠し通路から地下へと避難した。
領地を持つ貴族も続々と王都を離れている。ただ、派手な貴族の馬車は略奪の標的となっていた。
デュヴァル侯爵は領地を持っているが、宮廷内の秩序を守る宮内大臣を務めており、王宮から出ることはできない。
「君たちは大聖堂に避難した方がいい。あいつらも大聖堂には手を出さんだろう。いつこの屋敷も襲われるかわからない」
父と兄が手配した質素な馬車に乗り込み、アリアは震える母を抱きしめ、シェリアは子供たちを抱きしめて繁華街の中心にある大聖堂へと走らせた。
車窓から見える風景はいつもと変わらないようでいて、その実いつもとは違っていた。窓の隙間からは煙のような臭いが入り込み、治安部隊が走り去っていく姿が見えた。
そして何発かの銃声が轟いた。
大聖堂に着くと、修道士たちが迎え入れてくれた。
「……あれは?」
ホールの方へ視線を向けると、大勢の人たちが座り込んでいたり床に寝かされている。その中を修道女や修道士たちが行き来しているのが見える。
「焼け出されたり怪我をした人たちを保護しているんですよ」
「…………」
「さあ、こちらへ。奥に貴族の方々専用の部屋を用意してございます」
「私、あちらのお手伝いをしてもいいですか?」
「アリア! 危ないわ」
今は貴族にどんな感情を向けるかわからない。そう心配する母にアリアは微笑んだ。
「大丈夫ですよ。服を借りて貴族だとわからないようにしますから」
*
アリアは母親を説得し、恐縮する修道女から平民が着る服を借りて髪の毛をポニーテールに結んだ。
それでも貴族であるため直接世話をするわけにはいかないと、炊き出しや配給品の整理など裏方の手伝いをした。
大聖堂には怪我人も大勢運ばれてくる。遠くから聞こえる銃声や叫び声、次々と運び込まれる血だらけの怪我人を見れば、闘いとはどういうものなのか実感がわいてくる。
(マルクはもっと過酷な、戦場という場所に身を置いているのだわ)
途端に心細くて不安で仕方なくなってくる。アリアは恐怖で涙まで出そうになるのをぐっと堪えた。
(待つと約束したんだから。マルクも頑張っているんだから私も頑張らないと……!)
*
数日後、事務弁護士のレナルドが号外を握りしめて大聖堂へやって来た。
「フルガル艦隊が戻ってきました! 敵艦隊を撃破したとのことです! 海軍は国王陛下への忠誠を誓う声明を出しました!」
陸軍の横暴を抑えている近衛隊と街の治安部隊に海軍の兵士たちが合流すると号外には書かれている。レナルドによれば、その号外がばら撒かれた直後から急速に暴動の勢いが引いていったようだ。
アリアは両手で口を押さえた。
(マルク……!)
*
号外が出た三日後、アンベール・ノイエ提督が帰還し王宮へ向かっていることが報道された。王宮では占拠している陸軍兵士が火を放ったのか、あちらこちらで煙が上がっている。デュヴァル侯爵は息子のロイクとともに近衛連隊と連携して王宮を守っていた。
そしてそんな中、アンベールを先頭とした行進が軍用道路を通り抜け王都の大通りを王宮に向かって進軍する。国を敵国から守った英雄たちの凱旋に詰めかけた市民はお祭り騒ぎとなり、敵国の人間が扇動していたと見られる暴動も鳴りをひそめた。
「大丈夫か? マルク。真っ青だぞ」
「はは。大丈夫ですよ、エダン艦長。この行進に英雄がいないと形にならんでしょう」
「それはそうだがな……」
シンボルとしての英雄が行列に加わっているかいないかで求心力が変わってくる。平民から英雄になったマルクは、国民にとって王家や貴族に対する不満や不安を吹き飛ばす存在なのだ。
(それにしても血が流れすぎたな……)
艦上で左肩を撃たれ、満足な治療をしないまま闘い続けた。軍医に怒鳴られながら戦線離脱したものの、手遅れになる寸前だったらしい。
(王宮までもう少し。着いたらぶっ倒れてやる……)
「マルク……?」
騒ぎの中でも耳に届いたのは一番聞きたかった声だ。
声の方向に顔を向けると、泣きそうなアリアの顔が見える。平民の格好をして、この行進を見に来たらしい。髪の毛はかつてのようにポニーテールにし、黄灰色のリボンで結ばれている。マルクにとって見慣れた格好だ。
マルクは馬上からアリアに向けて口の端を上げた。そして背筋を伸ばし、まっすぐ前を見る。
(アリアに無様な格好を見せたくねぇもんなあ)




