諦めない
王宮にて。
アンベールと、彼に付き従っているマルクたちが国王の私室近くにある謁見室から出た時だった。
「おお、これはこれは未来の海軍元帥と英雄殿ではないか。どうなされた?」
声をかけてきたのは軍務大臣ウジェーヌだった。陸軍出身で海軍を軽んじている男だ。
島国のリートレ王国では必然的に海軍の立場は強くなる。そこでバランスを取るためにウジェーヌが軍務大臣に任命された。ウジェーヌが大臣に就くとそれまでの方針は大きく変わり、領土拡大のために相手国に上陸しての地上戦を優先させる進言を出し始めた。
『海軍は陸軍兵士を運べばよい』と海軍を陸軍の下に置いたのだ。
しかし近年では各国の目的が領土拡大よりも海の覇権争いに移行したため、ウジェーヌら陸軍の思惑は叶わずにいる。
ならばとウジェーヌは少しずつ海軍の予算を減らしていた。ただでさえ艦船の建造に金がかかっているのだ。それに、海軍は風まかせ波任せで作戦が左右されることがウジェーヌには理解できない。
「海軍の活躍は目を見張るものがありますなぁ」
マルクの英雄としての人気を疎んで急な出航命令を出したにも関わらず、なにを白々しい、とアンベールは目を細めた。
「国王陛下に出航の挨拶に訪れたのだ。我が艦隊は多大なる信任を得ているのでね。当然だろう?」
(提督、次期公爵として話しているな。プライドが高い大臣にまた嫌われるぞ)
マルクは横目でちらりとアンベールを見て内心笑う。
プライドが高いとはいえ侯爵であるウジェーヌは次期公爵のアンベールを蔑ろにすることはできないが。
「国王陛下の忠実な海軍に対し、軍務は具体的な措置を取ってほしいものだがね」
「ふん、これからも我が国のために働いてくれるのなら考えんこともない。予算は有限だからな」
どの立場から言っているのか、とアンベールとマルクたちは内心呆れる。軍隊は国王の持ち物である。私物のように発言するのは不敬だろう。
「そうだ、英雄殿。陸軍に移籍する気はないか? そなたならいつでも歓迎する」
いきなり話題を振られたマルクは胸に手を当て頭を下げる。
「ありがたきお言葉でございます。が、わたくしは海の上しか知らぬ粗忽者ゆえ陸軍の緻密な作戦を理解できぬことでしょう。足手まといになりますゆえ……」
「はっはっはっ。弁えたその言葉、気に入った。気が変わったらいつでも来たまえ」
大臣はそう言って謁見室に入って行った。
「あのジジイ。予算を握っているからと偉そうに。これは本気で父上に大臣の座についてもらわないとな」
公爵頼みか、とマルクは小さく笑いをこぼす。
「あのような方は持ち上げておくと実害は少ないですよ」
「私はお前みたいにできんなあ」
公爵家嫡男で容姿端麗。海軍内でも血筋とは関係なく実績も上げているアンベールならばへりくだる必要はない。
マルクこそアンベールのようにはできないのだ。
「ま、今頃謁見室で陛下から海軍の予算増額の命を下されて悔しがっているだろうさ」
*
青空の下、マルクは出航に備え艦の上で準備をしていた。今回は前回の海戦地で未だ小競り合いがあり巡視するという名目だ。正直、フルガル艦隊が出るほどのことではない。アンベールの言う通り、海軍の活躍の記憶を薄れさせたいウジェーヌの思惑だろう。
ただ、マルクにとってはありがたい。連日新聞に載るせいで周囲が騒がしい。リスト作りにも飽きた。
「シードゥス卿! お客さんですよぅ!」
艦の上のマルクに、地上から地上勤務の職員が大声で呼びかける。
「あー、いつも通りリストに名前を書いて帰ってもらってくれ」
「いいんですかあ? シードゥス卿が唯一返事を書いたご令嬢ですよぉ!?」
*
マルクが慌てて応接室に向かうと、アリアがぷんぷん怒ってマルクを睨んだ。
(なんでいきなり怒っているんだ?)
*
海軍の本部がある軍港は王都から馬車で二時間の場所にある。賑やかな城下町を抜け、のどかな郊外を馬車で進むと軍用道路として整備された広い道がまっすぐ軍港へ繋がっている。この軍用道路は有事の際やパレードの時には閉鎖されるが、普段は一般の人も利用できる。閉鎖された時に漁港などに行くには山を越える旧道を通ることになるが、さすが軍用道路は快適である。
緩やかな坂の上から遠くにダリーズ湾が見えてきた。
ダリーズ湾にはいくつかの入江がある。最も大きな入江にはその周辺の海軍施設、それから離れた入江に細々とした建物がひしめくように建っている商用の港や漁港が見える。きらきらと輝く青い海と空に大小さまざまな帆船が停泊しているのが美しい。
ランドールの港町で育ったアリアは懐かしく思った。
目的地に近づくにつれ小さな街が見えてきた。
「ん? んん?」
街並みを見て、下町育ちのアリアにはピンときた。
「なっ、なんて破廉恥なの!?」
道路沿いに建っているのは飲み屋に賭博場、それに娼館だった。
*
「マルクはっ、利用したことがあるのっ?」
「なにを? というか落ち着いて」
いきなり来たアリアが怒りながら開口一番そんなことを言うから、マルクは意味がわからない。
「ここに来るまでの街にあったお店のことよ」
「居酒屋? たまに水兵たちと」
「違うっ」
「賭博場? 昔世話になった人が『博打はやるな』って言ってたからやったことない」
レノーが鬼気迫る表情で言っていたのでマルクは博打は怖いものだと刷り込まれている。
「ちがーう」
「? あ、ああ、娼館? 客引きに遭ったことはあるけど」
アリアがぐっと顔を近づけて睨んでくる。その鬼気迫る表情がレノーを思い出させる。
「利用したことはないよ。梅毒で苦しんでいる水兵がいたからね」
あれはトラウマ級に怖い。
アリアはしばらく疑いの目を向けた後、ふうと息を吐いてすとんと椅子に座った。
「……お店を利用したことなくても、恋人ぐらいはいたのよね?」
教会のバザーに来る女の子たちはマルク目当てだった。だがあの頃、マルクはアリアの横から離れなかったから恋人がいなかったのは知っている。
けれど目の前にいるマルクは大人の軍人で、四年もの間アリアは横にいなかった。
「なにを心配しているのかわからないけど、四年前に別れた女の子のことしか考えていなかった俺に、ほかの子と付き合うような器用さがあると思う?」
アリアの胸の奥がドクンと跳ねる。
「こ、これからは? 手紙とか、たくさん来ているんでしょ?」
「あー、リストは作ってる」
「りすと……?」
「先輩が作っておけって」
「……?」
「……? えーとね、累積が三通になったら当たり障りのないカードを送るんだ。でももうすぐ出航だし、今は減ってきたよ」
「私は一通目で返事を貰ったわ。カードではなく手紙で」
「当たり前じゃないか」
(なぜだろう。マルクの全ての言葉が私に都合よく聞こえるんだけど)
アリアの体から力が抜けた。けれどやっぱりそれは幼馴染特典というものもしれない。
「私ね、私もね、結婚しないことにしたの」
「えっ!?」
「兄夫婦には二人の子どもがいるし、離れにでも住まわせてもらおうかな、と。居候もなんだから小物に刺繍をして売ってもいいし」
「しかし貴族令嬢としての幸せはいいところに嫁入りすることだと聞いたぞ?」
「だから! 相手いないしっ! 私は好きな人じゃないと幸せになれないの! それで、その好きな人はあなたなの!」
「……!」
アリアは拗ねたように口を尖らせて俯いた。
「こういうところが平民として育ったからかな、と思うの。食堂のおじさんとおかみさんも喧嘩しながらも仲良かったし、孤児院のお姉さんたちも自立して働いて好きな人と結婚していた。憧れていたの。自分が選んだ好きな人と一生一緒にいることを」
壁際にぽつんと一人でいた小さなマルク。その横にずっといることを選んだのはアリア自身だった。
目を見開き、ほんのり赤くなってアリアをじっと見ているマルクを見て改めて思う。
ああ、好きだなあ。
マルクが視線を逸らし「だけど……」と小さく呟いた。
「……苦労をさせてしまう」
口元を手で覆い、小さな声でマルクが言葉を漏らす。
「俺は、アリアの幸せだけを望んでいて、それを確認したら……。正直、その後のことは考えてなかった。貴族の娘のアリアと闘いに明け暮れている俺じゃ釣り合わないし」
海の上での闘いで、敵も味方も死んでいくのを見た。砲弾を受け船体に穴が開き、音を立てて傾いていく。瞼を閉じると甲板を滑って海に落ちていく人々が見える。あの泡立つ海に沈んでいくのは、数分後の自分かもしれないと恐怖した。今自分がこうして生きて『英雄』なんて呼ばれているのは単に運が良かっただけ。
そんな自分とアリアが交わることなどあり得ないと思っていた。
視線を彷徨わせ、口元を押さえながらぼそぼそ喋るガタイのいい青年を見てアリアは「ふふっ」と笑った。
「私があなたがいいと言っているのよ。だからあなたが結婚する気がないのなら私も結婚する必要はないと思っただけ。それに、口元を隠すのは『嘘を悟られたくない』という意味らしいわよ。あ、そうだ。これ」
アリアがリボンがかけられた薄い箱を差し出した。
「開けてみて」
「あ、ああ」
箱の中にはマルクのイニシャルが刺繍されたクラヴァットが入っている。
「軍服のクラヴァットは白が基本だけど装飾してもいいと聞いたから刺繍したの」
確かにエダンのクラヴァットはレースやら刺繍やらで飾られている。
「ありがとう……。アリア、また上達したな」
子どもの頃「練習」だと言ってアリアはマルクの服に刺繍をしていた。サイズが合わなくなったら下の子に譲るのに、直線的なステッチでマルクの名を刺繍された。
このクラヴァットに刺繍された文字は流麗な装飾文字だ。
クラヴァットを見つめながらしばらく黙り込んでいたマルクが、意を決したようにアリアを見た。
「来月頭、俺は出航する。たぶん三か月ぐらいで帰ってこられると思う。今はこれだけしか言えないけど……アリア、待っていてくれるか?」
アリアの目が一瞬大きくなった後、じわじわと涙が滲んできた。
「うん……、もちろん。待っているわ、マルク」
*
マルクはアリアの涙が引くのを待ってアンベールを訪れた。そして一筆書いてもらってデュヴァル家を訪れ、貴公子の皮をかぶってアリアの両親に挨拶をし、ノイエ公爵の紋章が入った封書を手渡した。
アリアも驚く早技だった。




